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星の海で(9) 「二人のラヴァーズ」 (3)確執
(3)確執-------------------------------------------------------
「――グレース。僕たちやっぱり、別れよう」
「そんな……」
「母が、どうしても反対だって言うんだ。『ラヴァーズとの結婚なんて認めない』と言って」
艦載艇の整備デッキで、マルコ・セルバンテス少尉は、グレースに別れ話をしていた。
グレースとセルバンテス少尉は、周囲が気を使うほどの微妙な関係を3年も続けていた。
だが先月、セルバンテス少尉の貯金がようやくたまったため、グレースの退役違約金の半分を出して、結婚しようという話にまで進んでいた。
元犯罪者であるラヴァーズにとって、自由の身になる方法は、それぞれの犯罪歴に応じた任期を勤め上げるか、高額な違約金を払って中途退役するか、馴染み客と深い関係になって、結婚するかのいずれかしかなかった。そしてどの場合も、退役にはまとまった金額が必要だった。
そしてグレースの場合、任期を終えるにはまだかなりの年数を必要とし、中途退役にはかなりの違約金が必要で、グレースの貯金はそれに遠く及ばなかった。
それゆえにセルバンテス少尉の申し出は、グレースにとって千載一遇の機会だった。
しかし、せっかくのチャンスも逃してしまう事件が起きた。
先週行われたピサロ基地での親睦パーティーの席で、セルバンテス少尉が家族にグレースのことを紹介した時のことだった。
セルバンテス少尉の母親とグレースが、社交辞令の域を超えて親しく談笑しあい始めた頃に、ヴァイオラがやってきて、『自分たちはラヴァーズだけど、グレースみたいに、結婚退職できる幸運な人もいるのね』などと、言ったのだった。
ラヴァーズの出自は、今でも元“男性”の犯罪者の割合が多くを占めていた。
したがって、ラヴァーズの大半は懲罰刑を受けており、更正期間中であるといえた。
それ故に、実際にラヴァーズに接する機会の少ない民間人にとっては、“犯罪者も同様、しかも元男の娼婦”というのが、ラヴァーズに対する世間一般の認識だったのだ。
当然、その場でセルバンテス少尉の家族は激怒した。
二人の間ではグレースの過去については、結婚後しばらく時間を置いてから家族に打ち明けることになっていた
だが、事前にそのことがばれたことで、二人の結婚話も振り出し以前の問題になってしまっていた。
当然、別れ話を切り出されたグレースはヴァイオラに詰め寄った。
「ヴィー! 酷いわ! あの場で、あんなことを言うなんて!」
「グリィ、私はあなたの為を思って言ったのよ。セルバンテス少尉は家族に貴女の事を隠していた。そんな状態で、幸せな結婚生活なんて、できると思う?」
「そんなの、ヴィーが心配することじゃないわ!」
「グリィ、あなた騙されているのよ」
「そんなことないわ、彼は誠実よ!」
「誠実な男が、あなた以外にも過去に3人ものラヴァーズと深い関係になって、離婚を3回も繰り返しているのよ」
「嘘よ! そんなの」
「グリィには黙っていたけど本当よ。あの男はグリィを不幸にする」
「そんなこと聞きたくない。もういいわ! マルコのところに行ってもう一度、彼と話してみる」
「無駄よ。あの男にはこの事実を突きつけてやったわ。そして、あなたには二度と近づかない様に、言い含めてきたわ」
「酷い! あんまりだわ! 勝手なことしないでよ!」
そう叫ぶように言い放って、グレースはセルバンテス少尉の部屋を訪ねた。
だが少尉は既に午後の攻撃に参加していて、その作戦中に、還らぬ人となっていた。
「――――嫌な、夢を見たわ……」
目覚めの悪い朝。グレースは、3年前のことを、夢に見ていた。
夢の中の記憶は多少誇張されていたが、それでも事実にかなり近いものであった。
グレースが長期休暇と転属願いを出す、きっかけになった事件。
それにはヴァイオラが深く関わっていた。
ヴァイオラがあの時指摘したことは、確かに事実だった。
彼女の言い分にも一理あったし、冷静になって事実関係を考えれば、この結婚話はうまくいかない可能性が高かった。
だがそれが、グレースにとって不幸な結果にしかならないという確証もまた無かった。
家族の反対や、セルバンテス少尉の過去がどうあれ、あの恋に嘘は無かったと、信じていたかった。
そしてこの事件はグレースの心に深い影を落とし、今も晴れてはいなかった。
良い印象だけが強調されがちな、故人の思い出が、彼女の中で美化されていた。
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
開店後間もないラウンジ。
カウンターの中にいたグレースは、一人の兵士の相手をしていた。
「いやぁ、やっぱりグレースの焼くパイは最高だね! これならお店開けるんじゃないか?」
「ありがとう、グプター。でも、今日はそれで最後よ」
「もっと食べられれば、いいんだがなぁ」
「パイ生地に使う小麦は、貴重品なのよ。あまりたくさんは作れないわ。だからなるべく多くの人に食べてもらいたいと思っているの」
そう言いつつもグレースは、喜んで食べてくれるグプターに、自慢のパイを食べてもらえることはうれしかった。
配属一日目にグレースのパイを食べて以来、彼女の当番の時にはラウンジで飲んでは行かないまでも、必ず顔を出してくれていたし、一度ならず“お誘い”も受けていた。
グレースの心は、“今度こそは”という淡い期待と、“また駄目かもしれない”と言う不安の間を、揺れ動いていた。
「何を話しているの?」
二人の会話に、ヴァイオラが割り込んできた。
「こ、こんばんは……」
胸元の深いデザインの真っ赤なドレスに身を包んだヴァイオラに、グプターは目を丸くした。
「ヴァイオラ……」
「楽しそうね、私もご一緒して良いかしら? こちらは?」
「え、ああ、彼はグプター。こちらは……」
「ヴァイオラ・クリステルです。グレースとはとっても長い付き合いなの、よろしくね」
「カジャール・グプター、1等宙曹です。よ、よろしく……」
「あら、私も1曹待遇なのよ、ほら」
ヴァイオラはわざと豊かな胸を強調するように腕を寄せて、首に巻いたチョーカーのラヴァーズ徽章をつまんで見せた。
「お近づきのしるしに、今晩誘ってくださらない?」
「ヴァイオラ、彼は……」
「それとも3人で一緒にって言うのもアリよ、ねぇ、“グリース”?」
「やめてよ、ヴァイオラ。彼が困っているわ」
「いや……ははは、面白い人ですね」
グレースの顔とヴァイオラの胸元を交互に見ながら、グプターは苦笑した。
「あら、“美人ですね”とはよく言われたけど、“面白い人”って言われたのは初めてだわ。うふふ」
「は、ははは」
「もう! ヴィーったら……」
結局、その後もグレースとグプターは、ヴァイオラに振り回される格好となり、ヴァイオラがステージで一曲歌うのを付き合いで鑑賞した後、グプターはそそくさと帰っていった。
「――グレース。僕たちやっぱり、別れよう」
「そんな……」
「母が、どうしても反対だって言うんだ。『ラヴァーズとの結婚なんて認めない』と言って」
艦載艇の整備デッキで、マルコ・セルバンテス少尉は、グレースに別れ話をしていた。
グレースとセルバンテス少尉は、周囲が気を使うほどの微妙な関係を3年も続けていた。
だが先月、セルバンテス少尉の貯金がようやくたまったため、グレースの退役違約金の半分を出して、結婚しようという話にまで進んでいた。
元犯罪者であるラヴァーズにとって、自由の身になる方法は、それぞれの犯罪歴に応じた任期を勤め上げるか、高額な違約金を払って中途退役するか、馴染み客と深い関係になって、結婚するかのいずれかしかなかった。そしてどの場合も、退役にはまとまった金額が必要だった。
そしてグレースの場合、任期を終えるにはまだかなりの年数を必要とし、中途退役にはかなりの違約金が必要で、グレースの貯金はそれに遠く及ばなかった。
それゆえにセルバンテス少尉の申し出は、グレースにとって千載一遇の機会だった。
しかし、せっかくのチャンスも逃してしまう事件が起きた。
先週行われたピサロ基地での親睦パーティーの席で、セルバンテス少尉が家族にグレースのことを紹介した時のことだった。
セルバンテス少尉の母親とグレースが、社交辞令の域を超えて親しく談笑しあい始めた頃に、ヴァイオラがやってきて、『自分たちはラヴァーズだけど、グレースみたいに、結婚退職できる幸運な人もいるのね』などと、言ったのだった。
ラヴァーズの出自は、今でも元“男性”の犯罪者の割合が多くを占めていた。
したがって、ラヴァーズの大半は懲罰刑を受けており、更正期間中であるといえた。
それ故に、実際にラヴァーズに接する機会の少ない民間人にとっては、“犯罪者も同様、しかも元男の娼婦”というのが、ラヴァーズに対する世間一般の認識だったのだ。
当然、その場でセルバンテス少尉の家族は激怒した。
二人の間ではグレースの過去については、結婚後しばらく時間を置いてから家族に打ち明けることになっていた
だが、事前にそのことがばれたことで、二人の結婚話も振り出し以前の問題になってしまっていた。
当然、別れ話を切り出されたグレースはヴァイオラに詰め寄った。
「ヴィー! 酷いわ! あの場で、あんなことを言うなんて!」
「グリィ、私はあなたの為を思って言ったのよ。セルバンテス少尉は家族に貴女の事を隠していた。そんな状態で、幸せな結婚生活なんて、できると思う?」
「そんなの、ヴィーが心配することじゃないわ!」
「グリィ、あなた騙されているのよ」
「そんなことないわ、彼は誠実よ!」
「誠実な男が、あなた以外にも過去に3人ものラヴァーズと深い関係になって、離婚を3回も繰り返しているのよ」
「嘘よ! そんなの」
「グリィには黙っていたけど本当よ。あの男はグリィを不幸にする」
「そんなこと聞きたくない。もういいわ! マルコのところに行ってもう一度、彼と話してみる」
「無駄よ。あの男にはこの事実を突きつけてやったわ。そして、あなたには二度と近づかない様に、言い含めてきたわ」
「酷い! あんまりだわ! 勝手なことしないでよ!」
そう叫ぶように言い放って、グレースはセルバンテス少尉の部屋を訪ねた。
だが少尉は既に午後の攻撃に参加していて、その作戦中に、還らぬ人となっていた。
「――――嫌な、夢を見たわ……」
目覚めの悪い朝。グレースは、3年前のことを、夢に見ていた。
夢の中の記憶は多少誇張されていたが、それでも事実にかなり近いものであった。
グレースが長期休暇と転属願いを出す、きっかけになった事件。
それにはヴァイオラが深く関わっていた。
ヴァイオラがあの時指摘したことは、確かに事実だった。
彼女の言い分にも一理あったし、冷静になって事実関係を考えれば、この結婚話はうまくいかない可能性が高かった。
だがそれが、グレースにとって不幸な結果にしかならないという確証もまた無かった。
家族の反対や、セルバンテス少尉の過去がどうあれ、あの恋に嘘は無かったと、信じていたかった。
そしてこの事件はグレースの心に深い影を落とし、今も晴れてはいなかった。
良い印象だけが強調されがちな、故人の思い出が、彼女の中で美化されていた。
開店後間もないラウンジ。
カウンターの中にいたグレースは、一人の兵士の相手をしていた。
「いやぁ、やっぱりグレースの焼くパイは最高だね! これならお店開けるんじゃないか?」
「ありがとう、グプター。でも、今日はそれで最後よ」
「もっと食べられれば、いいんだがなぁ」
「パイ生地に使う小麦は、貴重品なのよ。あまりたくさんは作れないわ。だからなるべく多くの人に食べてもらいたいと思っているの」
そう言いつつもグレースは、喜んで食べてくれるグプターに、自慢のパイを食べてもらえることはうれしかった。
配属一日目にグレースのパイを食べて以来、彼女の当番の時にはラウンジで飲んでは行かないまでも、必ず顔を出してくれていたし、一度ならず“お誘い”も受けていた。
グレースの心は、“今度こそは”という淡い期待と、“また駄目かもしれない”と言う不安の間を、揺れ動いていた。
「何を話しているの?」
二人の会話に、ヴァイオラが割り込んできた。
「こ、こんばんは……」
胸元の深いデザインの真っ赤なドレスに身を包んだヴァイオラに、グプターは目を丸くした。
「ヴァイオラ……」
「楽しそうね、私もご一緒して良いかしら? こちらは?」
「え、ああ、彼はグプター。こちらは……」
「ヴァイオラ・クリステルです。グレースとはとっても長い付き合いなの、よろしくね」
「カジャール・グプター、1等宙曹です。よ、よろしく……」
「あら、私も1曹待遇なのよ、ほら」
ヴァイオラはわざと豊かな胸を強調するように腕を寄せて、首に巻いたチョーカーのラヴァーズ徽章をつまんで見せた。
「お近づきのしるしに、今晩誘ってくださらない?」
「ヴァイオラ、彼は……」
「それとも3人で一緒にって言うのもアリよ、ねぇ、“グリース”?」
「やめてよ、ヴァイオラ。彼が困っているわ」
「いや……ははは、面白い人ですね」
グレースの顔とヴァイオラの胸元を交互に見ながら、グプターは苦笑した。
「あら、“美人ですね”とはよく言われたけど、“面白い人”って言われたのは初めてだわ。うふふ」
「は、ははは」
「もう! ヴィーったら……」
結局、その後もグレースとグプターは、ヴァイオラに振り回される格好となり、ヴァイオラがステージで一曲歌うのを付き合いで鑑賞した後、グプターはそそくさと帰っていった。
星の海で(9) 「二人のラヴァーズ」 (2)再会
(2)再会-------------------------------------------------------
翌日の夕刻。ラウンジの開店準備をしているグレースに、声をかける人物がいた。
「やっと見つけたわ。会いたかったわよ、グレース! お久しぶり!」
「ヴァイオラ? どうしてここに?」
「今日付けで、ここに配属になったの。さっきの補給艦で来たのよ。探したわよ、グレース。私に黙って行っちゃうんだもの」
「え、ええ、ごめんなさい。後から連絡しようかな、とは思っていたんだけど……」
グレースは言葉を濁した。
ヴァイオラ・クリステルは、グレースとはラヴァーズ養成所時代からの同期生だった。
人目を引く高い身長に、ウェーブのかかった紅いロングヘア。
そして豊かなバストに引き締まったウェストは、コントラバスのようなグラマラスな容姿で、髪に似た緋色の瞳に切れ長の目を持っていた。
彼女は誰が見ても、美女と呼ぶに値するラヴァーズだった。
平均的なラヴァーズよりも、抜きん出て魅力的な容姿の彼女は、どの艦に配属されていても人気の的で、未だに3等宙曹待遇でしかないグレースとは違って、既に1等宙曹の待遇を得ていた。
それにヴァイオラは、自分が美人であることを鼻にかけず、また相手の容姿を意に介することもなかった。
若い美形の高級士官にも、退役間近の太った汗っかきの老士官でも、分け隔てなく応対していた。
また本人自身の天衣無縫な性格も相まって、求婚する者が後を絶たなかったが、長続きすることはなかった。
その理由については、噂する者がなかったわけではないが、彼女自身が自由を好み、深い関係になることを望んでいないのではないかというのが、大方の意見だった。
遊びとして彼女と関係を結ぶことは出来ても、深い仲にはなれない。典型的な自由恋愛の相手としての彼女は、それ故に人気を保ち続けられるということでもあった。
グレースとはまるで正反対の特徴を持つヴァイオラは、その存在自体がグレースにとってはコンプレックスを増す存在であった。
グレースにとっては、彼女は距離を置きたい人物の一人だったが、ヴァイオラの方は逆にグレースに付きまとうかのように、常に一緒に居たがった。
グレースにはなぜ、ヴァイオラが自分に執着しようとするのかが理解できなかった。
でもだからといって、転属や死別で長続きはしないといわれる、ラヴァーズ同士の交友関係にあって、稀有な10年以上もの長い付き合いである彼女を、無視することは出来ないでもいた。
「酷いじゃない、グリィ(グレースの愛称)。あれからもう3年も経つのよ? 連絡のひとつもよこさないなんて」
「ごめんなさい、ヴィー(ヴァイオラの愛称)。ちょっとばたばたしていたものだから……」
3年前、グレースは長期の休暇を願い出て、しばらくの自由を持て余し気味に過ごした後、ヴァイオラには黙って転属願いを出し、その後も転々と所属艦を変えた後、今は幸運艦と言われる戦艦ピエンツァへの転属が叶っていたのだった。
グレースは自分が彼女を疎ましく感じていることを、いい加減判って欲しいと思っていたが、何度遠まわしに言っても、ヴァイオラには通じなかった。
そして二人が同じ艦に所属している時は、決まって彼女とペアを組まされていた。
それは傍目から見ると、彼女たちの仲がいいように見えたからこその配慮でもあった。
だが見た目も派手で恋多きヴァイオラの、ていの良い当て馬のような役を押し付けられていた様なものだった。
ヴァイオラが常にスポットを浴びる側で、グレースはいつもその影に甘んじていた。
それでもグレースは、自分が魅力の乏しいラヴァーズであることは痛いほど身に染みていたし、ラヴァーズ養成所で異端であった自分を慕ってくれていたヴァイオラには、自分に対して含むところなど無いと信じていたかった。
実際、プライベートな時間では、彼女はグレースには純粋で飾り気の無い、親友といっていい関係だった。
「……ねぇ、もしかして、マルコのこと。まだ、怒ってるの?」
「ううん……。そんなことは無いわ」
「そう……なら良いけど」
ラウンジではどうあれ、心の底ではヴァイオラとの友情を信じていたが、それをぐらつかせる事件が、その3年前にあった。
グレースと親しい関係にあった兵士が死んだのだった。
戦闘艦に所属する兵士が死ぬのは、別に珍しいことではない。
艦ごと犠牲になることも多い宇宙空間における戦闘は、常に死と隣りあわせでもある。
だが3年前に死んだ男は、グレースにとっては特別だった。
特別に思えた……という方が、正確かもしれない。
マルコとグレースは、周囲が気遣うほどに微妙で危うく、親密な関係だったからだ。
そしてグレースにとっては、失うことに恐れを感じさせるには、十分な間柄だった。
「ヴィーは、私がマルコと付き合うの、反対だったものね」
「それは! ……そうよ。あんな男、あなたにはふさわしくなかったわ」
「ヴィーはマルコのこと、誤解していたわ……」
「やっぱり、私のこと、まだ怒っているのね」
「マルコが死んだのは、ヴィーのせいじゃないわ。それは判ってる。だから、私は怒ってなんかいない」
「じゃあどうして、私に黙って休暇をとって、そのまま転属してしまったの?」
「しばらく、一人になりたかったのよ」
「私は、あなたの傍に、いたかったわ……」
「……ごめんなさい。私、パイを焼かなきゃ。やっと小麦粉が手に入ったの」
「私も手伝うわ。私も今夜からラウンジに出るの。だから」
「ひとりで、出来るから」
グレースはそういうと、ヴァイオラに背を向けて、厨房に入った。
「新しい彼女、知り合いなのかい?」
マスターが厨房でパイ生地を練り始めたグレースに、声をかけた。
「同期なのよ。養成所時代からの」
「じゃあ随分と長い付き合いなんだね。でもあまり、仲が良くないみたいだったけど」
「……そんなことは、無いのよ。ずっとペアを組んでいたから」
「ケンカでもしているのかい?」
「そんなことは、無いわ」
「そうかい?」
いつもなら人当たりの良いグレースの、いつもとは違う態度に、マスターもそれ以上は問おうとはしなかった。
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
ヴァイオラはその日の晩から、ラウンジに出るようになった。
基本的にラヴァーズの当番は二人一組。
ヴァイオラを含めて今は3人しかラヴァーズのいないピエンツァでは、今後はグレースとヴァイオラはペアを組む回数が多くなる。
非の打ち所のない美女であるヴァイオラは、ピエンツァでも瞬く間に人気になった。
そしてグレースは、また影役に押しやられていた。
翌日の夕刻。ラウンジの開店準備をしているグレースに、声をかける人物がいた。
「やっと見つけたわ。会いたかったわよ、グレース! お久しぶり!」
「ヴァイオラ? どうしてここに?」
「今日付けで、ここに配属になったの。さっきの補給艦で来たのよ。探したわよ、グレース。私に黙って行っちゃうんだもの」
「え、ええ、ごめんなさい。後から連絡しようかな、とは思っていたんだけど……」
グレースは言葉を濁した。
ヴァイオラ・クリステルは、グレースとはラヴァーズ養成所時代からの同期生だった。
人目を引く高い身長に、ウェーブのかかった紅いロングヘア。
そして豊かなバストに引き締まったウェストは、コントラバスのようなグラマラスな容姿で、髪に似た緋色の瞳に切れ長の目を持っていた。
彼女は誰が見ても、美女と呼ぶに値するラヴァーズだった。
平均的なラヴァーズよりも、抜きん出て魅力的な容姿の彼女は、どの艦に配属されていても人気の的で、未だに3等宙曹待遇でしかないグレースとは違って、既に1等宙曹の待遇を得ていた。
それにヴァイオラは、自分が美人であることを鼻にかけず、また相手の容姿を意に介することもなかった。
若い美形の高級士官にも、退役間近の太った汗っかきの老士官でも、分け隔てなく応対していた。
また本人自身の天衣無縫な性格も相まって、求婚する者が後を絶たなかったが、長続きすることはなかった。
その理由については、噂する者がなかったわけではないが、彼女自身が自由を好み、深い関係になることを望んでいないのではないかというのが、大方の意見だった。
遊びとして彼女と関係を結ぶことは出来ても、深い仲にはなれない。典型的な自由恋愛の相手としての彼女は、それ故に人気を保ち続けられるということでもあった。
グレースとはまるで正反対の特徴を持つヴァイオラは、その存在自体がグレースにとってはコンプレックスを増す存在であった。
グレースにとっては、彼女は距離を置きたい人物の一人だったが、ヴァイオラの方は逆にグレースに付きまとうかのように、常に一緒に居たがった。
グレースにはなぜ、ヴァイオラが自分に執着しようとするのかが理解できなかった。
でもだからといって、転属や死別で長続きはしないといわれる、ラヴァーズ同士の交友関係にあって、稀有な10年以上もの長い付き合いである彼女を、無視することは出来ないでもいた。
「酷いじゃない、グリィ(グレースの愛称)。あれからもう3年も経つのよ? 連絡のひとつもよこさないなんて」
「ごめんなさい、ヴィー(ヴァイオラの愛称)。ちょっとばたばたしていたものだから……」
3年前、グレースは長期の休暇を願い出て、しばらくの自由を持て余し気味に過ごした後、ヴァイオラには黙って転属願いを出し、その後も転々と所属艦を変えた後、今は幸運艦と言われる戦艦ピエンツァへの転属が叶っていたのだった。
グレースは自分が彼女を疎ましく感じていることを、いい加減判って欲しいと思っていたが、何度遠まわしに言っても、ヴァイオラには通じなかった。
そして二人が同じ艦に所属している時は、決まって彼女とペアを組まされていた。
それは傍目から見ると、彼女たちの仲がいいように見えたからこその配慮でもあった。
だが見た目も派手で恋多きヴァイオラの、ていの良い当て馬のような役を押し付けられていた様なものだった。
ヴァイオラが常にスポットを浴びる側で、グレースはいつもその影に甘んじていた。
それでもグレースは、自分が魅力の乏しいラヴァーズであることは痛いほど身に染みていたし、ラヴァーズ養成所で異端であった自分を慕ってくれていたヴァイオラには、自分に対して含むところなど無いと信じていたかった。
実際、プライベートな時間では、彼女はグレースには純粋で飾り気の無い、親友といっていい関係だった。
「……ねぇ、もしかして、マルコのこと。まだ、怒ってるの?」
「ううん……。そんなことは無いわ」
「そう……なら良いけど」
ラウンジではどうあれ、心の底ではヴァイオラとの友情を信じていたが、それをぐらつかせる事件が、その3年前にあった。
グレースと親しい関係にあった兵士が死んだのだった。
戦闘艦に所属する兵士が死ぬのは、別に珍しいことではない。
艦ごと犠牲になることも多い宇宙空間における戦闘は、常に死と隣りあわせでもある。
だが3年前に死んだ男は、グレースにとっては特別だった。
特別に思えた……という方が、正確かもしれない。
マルコとグレースは、周囲が気遣うほどに微妙で危うく、親密な関係だったからだ。
そしてグレースにとっては、失うことに恐れを感じさせるには、十分な間柄だった。
「ヴィーは、私がマルコと付き合うの、反対だったものね」
「それは! ……そうよ。あんな男、あなたにはふさわしくなかったわ」
「ヴィーはマルコのこと、誤解していたわ……」
「やっぱり、私のこと、まだ怒っているのね」
「マルコが死んだのは、ヴィーのせいじゃないわ。それは判ってる。だから、私は怒ってなんかいない」
「じゃあどうして、私に黙って休暇をとって、そのまま転属してしまったの?」
「しばらく、一人になりたかったのよ」
「私は、あなたの傍に、いたかったわ……」
「……ごめんなさい。私、パイを焼かなきゃ。やっと小麦粉が手に入ったの」
「私も手伝うわ。私も今夜からラウンジに出るの。だから」
「ひとりで、出来るから」
グレースはそういうと、ヴァイオラに背を向けて、厨房に入った。
「新しい彼女、知り合いなのかい?」
マスターが厨房でパイ生地を練り始めたグレースに、声をかけた。
「同期なのよ。養成所時代からの」
「じゃあ随分と長い付き合いなんだね。でもあまり、仲が良くないみたいだったけど」
「……そんなことは、無いのよ。ずっとペアを組んでいたから」
「ケンカでもしているのかい?」
「そんなことは、無いわ」
「そうかい?」
いつもなら人当たりの良いグレースの、いつもとは違う態度に、マスターもそれ以上は問おうとはしなかった。
ヴァイオラはその日の晩から、ラウンジに出るようになった。
基本的にラヴァーズの当番は二人一組。
ヴァイオラを含めて今は3人しかラヴァーズのいないピエンツァでは、今後はグレースとヴァイオラはペアを組む回数が多くなる。
非の打ち所のない美女であるヴァイオラは、ピエンツァでも瞬く間に人気になった。
そしてグレースは、また影役に押しやられていた。
星の海で(9) 「二人のラヴァーズ」 (1)有閑
(1)有閑-------------------------------------------------------
第106遊撃艦隊所属、戦艦ピエンツァは、旗艦アンドレア・ドリアに次ぐ大型の打撃戦艦である。
かつては艦隊旗艦を勤めたこともある設備の整った艦だが、既に艦齢50年を越す老齢艦だった。
しかしながら幾度となく機関の更新を受けており、最新鋭艦にもひけを取らない速力を誇っていた。
常に前線にあったにもかかわらず、歴戦をことごとくかいくぐって来た幸運艦であるピエンツァは、その幸運にあやかりたいと所属を希望する、人気の高い艦であった。
そのラウンジでは、一人のラヴァーズがカウンターに座っていた。
彼女――グレース・ボイルは、あまり容姿には恵まれていなかった。
人の手によって体を作り変えられているラヴァーズは、その役割のために整った顔立ちと、魅惑的なプロポーションを持っているのが普通だった。
しかしグレースは身長も低く小太りで、胸も平均からすればやや小さめで、女性的な特徴に乏しかった。
顔は潤んだ大き目の瞳こそ魅力的だったが、低めの鼻の周りにはそばかすがあった。
また口元も平凡で、薄めの唇はルージュを差してもセックスアピールに欠けていた。
赤茶けた髪はブラシを受け付けないほどに癖が強く、伸ばすと手に負えなくなるため、短めに切り揃えられていた。それらは個性といえないことも無かったが、他のラヴァーズたちと比べると、見劣りがすることも事実だった。
そのためか、彼女にはその名をもじって、“グリース・ボイルド(煮立った機械脂:あばたの意)”という不名誉なあだ名まであった。
ラヴァーズの容姿は個人ごとに様々ではあったが、よほどの理由が無い限りは細身の長身に整った顔立ち、艶やかな髪を持っていることが多く、グレースはその中にあって異端であった。
彼女はラヴァーズとしての自分自身に、欠点があることを自覚していた。
しかし彼女には、すばらしい資質があった。
ひとつは料理の腕前であり、抜群の味覚センスを持つ彼女の焼くパイは絶品といわれおり、それを目当てにラウンジに通い詰める者もいた。
そしてもうひとつは、豊かな声量を持った美しい歌声。
流行のアップテンポな歌は苦手ではあったが、クラシックオペラや切々と歌い上げるバラードは聴く者を魅了した。
そして気配りがうまく、めったに感情を乱さない穏やかな性格の彼女には、兵士たちの心を癒す母性があった。
外見は十人並みかそれ以下ではあったが、彼女には人間としての魅力があった。
それゆえに、一見するとラヴァーズには見えない彼女のことを、本当の女性であると勘違いする者も多く、彼女に求婚する兵士もいた。
グレースは容姿では他のラヴァーズに劣ってはいたが、決して人気の無いラヴァーズではなかった。
しかしそれは彼女をよく知ったうえでのことだった。まだ配属されて間もないグレースの魅力が、艦の乗組員達に知られるようになるには、まだしばらくの期間が必要だった。

挿絵:菓子之助 http://pasti.blog81.fc2.com/
「暇ですね、マスター」
「そうですね」
「ラヴァーズの当番が私一人じゃ、お客さんも来ないのかなぁ」
「そんなことは無いと思いますよ」
ラウンジの営業が始まって、既に2時間が経っていた。
普段であればそれなりに席が埋まっている時間ではあったが、今日は客の一人もおらず、ラウンジには営業責任者でマスターのエリオ・セルバンテス少尉と、グレースの二人だけしかいなかった。
「葉月さんや真理亜さんがいれば、もうちょっとここも賑やかなのにね」
「お二人は残念でしたね。でも僕はグレースさんも魅力的だと思いますよ」
ピエンツァにはグレースの他にもラヴァーズが2人いて、葉月はそのうちの一人であったが、病気を理由に先週のうちに辞めてしまっていた。そして真理亜は3日前に殉職したばかりだった。
「お世辞はやめて。私は自分が不細工だってことは、判っているの」
「グレースさんには、もっと違う魅力があるでしょう? ピエンツァに配属になって、まだふた月にもなっていないじゃないですか。そのうちグレースさん目当てで、通ってくる人もいますよ」
「私が目当てなんじゃなくて、私の焼いたパイが目当てでね」
自嘲気味にグレースは言うと、ため息をついた。
“グレースのパイ”は、以前にも食べたことがある兵士が、たまたまピエンツァにも乗っていたらしく、航海にでてから数日のうちには、知れ渡っていた。
評判が評判を呼ぶ形で、ラウンジの開店時には、順番待ちが出る日もあった。
今日も開店早々に『艦隊の某幕僚幹部から是非にと頼まれた』と、艦橋勤めの士官から拝み倒された。そのため仕方なくホールでテイクアウトされてしまい、僅かな残りもあっという間に売切れてしまっていた。
その後客足もぱったりと途絶え、グレースはマスターと所在無げに薄い水割りを舐めながら、時間をつぶしていた。
そこに一人の兵士が息を切らせてやってきた。
「はぁ、はぁ……。グレース! パイはまだあるかい?」
「あら、なぁに、藪から棒に。もう21時よ。残念ながら売り切れです」
「あーあ、今日こそはと思ったんだけどなぁ。Bシフト勤務は不利だよなぁ」
「お酒と、チーズやクラッカーならあるけど」
「いや、いいよ。また来るよ」
「飲んでいけばいいのに。気分転換に来たんでしょ?」
「残業時間中に、ちょっと抜け出してきただけなんだ。またの機会に」
「そう、残念だわ」
グレースはそういって、兵士を見送った。
「開店休業ね……」
「でも勝手に閉めるわけにも、いかないですしね」
「明日の仕込みでも、しようかしら?」
「それが、残念ながらパイ生地に使う小麦粉が無いんです。夜のラウンジは食堂ではないので、小麦粉は食堂部に優先的に回されるので……」
「そう……。それじゃあますます、お客さん来なくなるわね」
「明日の補給艦で、葉月さんの代わりのラヴァーズが来るそうですよ。小麦粉も、もしかしたら手に入るかもしれません」
「葉月さんの代わり? どんな人?」
「さぁ? 僕は人事部ではないので……」
「でも、これで少しはローテーションに余裕が出来るわね」
「グレースさんは、出ずっぱりですからね」
「おかげでここも、流行らないけどね」
「いえ、そんなことは……」
グレースよりも年若いマスターは、口ではそういったものの、彼女が当番の時は明らかに客足が落ちていたことも確かだった。
「いいのよ、マスター。私はラウンジ“ロシナンテ”の“アルドンサ・ロレンソ”なんだわ。実際私は醜い女で、化粧とドレスと、ラヴァーズであるという肩書きだけで、ドゥルシネーアを演じているだけなんだわ」
「なら私は、“ドン・キホーテ”といったところでしょうか?」
「マスターは、そうね、“サンチョ・パンサ”かしら? 私にはたとえ気がふれていたとしても、慕ってくれるような、道化者の騎士なんていないから……」
マスターはグレースの魅力が何であるかを理解してはいたが、彼女がピエンツァに配属されてまだ2ヶ月に満たない。
彼女自身の魅力が艦所属の兵士たちに認識されるには、まだ時間がかかると思っていた。
だがそれを彼女に言っても、今はまだ慰めにすらならないことも判っていた。
第106遊撃艦隊所属、戦艦ピエンツァは、旗艦アンドレア・ドリアに次ぐ大型の打撃戦艦である。
かつては艦隊旗艦を勤めたこともある設備の整った艦だが、既に艦齢50年を越す老齢艦だった。
しかしながら幾度となく機関の更新を受けており、最新鋭艦にもひけを取らない速力を誇っていた。
常に前線にあったにもかかわらず、歴戦をことごとくかいくぐって来た幸運艦であるピエンツァは、その幸運にあやかりたいと所属を希望する、人気の高い艦であった。
そのラウンジでは、一人のラヴァーズがカウンターに座っていた。
彼女――グレース・ボイルは、あまり容姿には恵まれていなかった。
人の手によって体を作り変えられているラヴァーズは、その役割のために整った顔立ちと、魅惑的なプロポーションを持っているのが普通だった。
しかしグレースは身長も低く小太りで、胸も平均からすればやや小さめで、女性的な特徴に乏しかった。
顔は潤んだ大き目の瞳こそ魅力的だったが、低めの鼻の周りにはそばかすがあった。
また口元も平凡で、薄めの唇はルージュを差してもセックスアピールに欠けていた。
赤茶けた髪はブラシを受け付けないほどに癖が強く、伸ばすと手に負えなくなるため、短めに切り揃えられていた。それらは個性といえないことも無かったが、他のラヴァーズたちと比べると、見劣りがすることも事実だった。
そのためか、彼女にはその名をもじって、“グリース・ボイルド(煮立った機械脂:あばたの意)”という不名誉なあだ名まであった。
ラヴァーズの容姿は個人ごとに様々ではあったが、よほどの理由が無い限りは細身の長身に整った顔立ち、艶やかな髪を持っていることが多く、グレースはその中にあって異端であった。
彼女はラヴァーズとしての自分自身に、欠点があることを自覚していた。
しかし彼女には、すばらしい資質があった。
ひとつは料理の腕前であり、抜群の味覚センスを持つ彼女の焼くパイは絶品といわれおり、それを目当てにラウンジに通い詰める者もいた。
そしてもうひとつは、豊かな声量を持った美しい歌声。
流行のアップテンポな歌は苦手ではあったが、クラシックオペラや切々と歌い上げるバラードは聴く者を魅了した。
そして気配りがうまく、めったに感情を乱さない穏やかな性格の彼女には、兵士たちの心を癒す母性があった。
外見は十人並みかそれ以下ではあったが、彼女には人間としての魅力があった。
それゆえに、一見するとラヴァーズには見えない彼女のことを、本当の女性であると勘違いする者も多く、彼女に求婚する兵士もいた。
グレースは容姿では他のラヴァーズに劣ってはいたが、決して人気の無いラヴァーズではなかった。
しかしそれは彼女をよく知ったうえでのことだった。まだ配属されて間もないグレースの魅力が、艦の乗組員達に知られるようになるには、まだしばらくの期間が必要だった。

挿絵:菓子之助 http://pasti.blog81.fc2.com/
「暇ですね、マスター」
「そうですね」
「ラヴァーズの当番が私一人じゃ、お客さんも来ないのかなぁ」
「そんなことは無いと思いますよ」
ラウンジの営業が始まって、既に2時間が経っていた。
普段であればそれなりに席が埋まっている時間ではあったが、今日は客の一人もおらず、ラウンジには営業責任者でマスターのエリオ・セルバンテス少尉と、グレースの二人だけしかいなかった。
「葉月さんや真理亜さんがいれば、もうちょっとここも賑やかなのにね」
「お二人は残念でしたね。でも僕はグレースさんも魅力的だと思いますよ」
ピエンツァにはグレースの他にもラヴァーズが2人いて、葉月はそのうちの一人であったが、病気を理由に先週のうちに辞めてしまっていた。そして真理亜は3日前に殉職したばかりだった。
「お世辞はやめて。私は自分が不細工だってことは、判っているの」
「グレースさんには、もっと違う魅力があるでしょう? ピエンツァに配属になって、まだふた月にもなっていないじゃないですか。そのうちグレースさん目当てで、通ってくる人もいますよ」
「私が目当てなんじゃなくて、私の焼いたパイが目当てでね」
自嘲気味にグレースは言うと、ため息をついた。
“グレースのパイ”は、以前にも食べたことがある兵士が、たまたまピエンツァにも乗っていたらしく、航海にでてから数日のうちには、知れ渡っていた。
評判が評判を呼ぶ形で、ラウンジの開店時には、順番待ちが出る日もあった。
今日も開店早々に『艦隊の某幕僚幹部から是非にと頼まれた』と、艦橋勤めの士官から拝み倒された。そのため仕方なくホールでテイクアウトされてしまい、僅かな残りもあっという間に売切れてしまっていた。
その後客足もぱったりと途絶え、グレースはマスターと所在無げに薄い水割りを舐めながら、時間をつぶしていた。
そこに一人の兵士が息を切らせてやってきた。
「はぁ、はぁ……。グレース! パイはまだあるかい?」
「あら、なぁに、藪から棒に。もう21時よ。残念ながら売り切れです」
「あーあ、今日こそはと思ったんだけどなぁ。Bシフト勤務は不利だよなぁ」
「お酒と、チーズやクラッカーならあるけど」
「いや、いいよ。また来るよ」
「飲んでいけばいいのに。気分転換に来たんでしょ?」
「残業時間中に、ちょっと抜け出してきただけなんだ。またの機会に」
「そう、残念だわ」
グレースはそういって、兵士を見送った。
「開店休業ね……」
「でも勝手に閉めるわけにも、いかないですしね」
「明日の仕込みでも、しようかしら?」
「それが、残念ながらパイ生地に使う小麦粉が無いんです。夜のラウンジは食堂ではないので、小麦粉は食堂部に優先的に回されるので……」
「そう……。それじゃあますます、お客さん来なくなるわね」
「明日の補給艦で、葉月さんの代わりのラヴァーズが来るそうですよ。小麦粉も、もしかしたら手に入るかもしれません」
「葉月さんの代わり? どんな人?」
「さぁ? 僕は人事部ではないので……」
「でも、これで少しはローテーションに余裕が出来るわね」
「グレースさんは、出ずっぱりですからね」
「おかげでここも、流行らないけどね」
「いえ、そんなことは……」
グレースよりも年若いマスターは、口ではそういったものの、彼女が当番の時は明らかに客足が落ちていたことも確かだった。
「いいのよ、マスター。私はラウンジ“ロシナンテ”の“アルドンサ・ロレンソ”なんだわ。実際私は醜い女で、化粧とドレスと、ラヴァーズであるという肩書きだけで、ドゥルシネーアを演じているだけなんだわ」
「なら私は、“ドン・キホーテ”といったところでしょうか?」
「マスターは、そうね、“サンチョ・パンサ”かしら? 私にはたとえ気がふれていたとしても、慕ってくれるような、道化者の騎士なんていないから……」
マスターはグレースの魅力が何であるかを理解してはいたが、彼女がピエンツァに配属されてまだ2ヶ月に満たない。
彼女自身の魅力が艦所属の兵士たちに認識されるには、まだ時間がかかると思っていた。
だがそれを彼女に言っても、今はまだ慰めにすらならないことも判っていた。
エデンの園(21) by ありす & もりや あこ
(21)-------------------------------------------------------
部屋に戻ると、先生が待っていた。
「イヴさん、僕のこと嫌いになりましたか?」
「どうして?」
「先ほど、ALICEから警告が。“調子に乗るな”と」
ほう、一応義理は果たしたというわけね。変なコンピュータ。
「そうね、だから……」
「これ、プレゼントです」
“正しい男女関係について、教育してやる”と言おうとした所で、鼻先に花束を突きつけられた。
「な、何よ……」
「デートしませんか?」
「デート?」
「はい、デートしましょう」
「雰囲気をぶち壊すようなことをしなければ、付き合ってもいいけど?」
受け取った花束の匂いを、わざとらしく確かめながら言った。
色とりどりの花を、これだけそろえるのは大変だったろう。
別に花束に釣られたわけじゃない。
彼がそれなりに誠意を見せるのであれば、それには応えてやろうじゃないか。
「それで、デートって何をするつもり? どこへ行くの?」
「場所は、いつものあのオアシス区画ですけど……」
まぁ、他にデートっぽいことをする場所なんて無いし、廃墟の町を散策では、デートと言うよりも探検だ。
いや、待てよ? 前にも似たようなシチュエーションが……
「先生? また私をずぶ濡れにして、エッチなことしようと企んでいるわけじゃないでしょうね?」
「とんでもない、見せたい物があるんです」
「見せたい物?」
まぁ、他にすることも無いし、何を見せたがっているのかは知らないけど、付き合うことにした。
実はオアシス区画はかなり広い。自分が行った事のあるところはごく一部だ。
気晴らしに散策して歩き回るのは、入り口からほんの100m程度の公園のある範囲だった。
けれど先生はその区画を通り抜け、農地の広がるエリアにまで私を連れてきた。
「こんな奥まで連れてきて、何があるの?」
「ほら、これです。やっと実をつけました」
先生が指を指したのは、人の高さよりもほんの少し大きいぐらいの樹。
そしてその樹には、赤い実がなっていた。
「これは……リンゴ?」
「そうです。イヴさんの蘇生作業が軌道に乗り始めた頃、保存庫から種を取り出してここに植えたんです。やっと実が生りました。この農園で実った、最初のリンゴの実。ぜひイヴさんにお見せして、食べていただきたかったんです」
そういうと、先生はその赤い実をひとつもぎ取り、白衣の袖でごしごしと表面をこすってから、私に手渡した。
「エデンの園に住んでいたアダムとイヴは、リンゴの実を齧って、楽園を追い出されたのよ?」
「知っています。蛇にそそのかされたんですよね?」
「そうよ、先生は蛇になりたいの?」
「細くて長いくねくねしたものなら、ほら、ここに」
と、言ってズボンに手をかけた。
「ばかっ! そんなもの見せようとするな! 第一それはヘビじゃなくてカメだろう!」
「イヤだなぁ、僕はベルトを見せようとしただけですよ?」
先生はニヤニヤと、いやらしい目つきでこちらを見ている。
いかん! ついつられて下品なことを口走ってしまった。
だが、ふと思い出したことがある。
遠い昔の記憶。確か誰かと、こんな風に下品な冗談を言い合い、笑いあっていたことを。
そうだ、それは今よりもずっと昔、まだ自分が男で、同僚のメンテナンス仲間と……。
私は渋い顔をして、先生をにらみつけた。
このバカ、多分アーカイブとやらのどこかから、昔の交信記録を見つけたんだろう。
危険で過酷なEVA作業の最中、俺は同僚達といつもこんな風に、ヘッドセット越しの通話で、下品な冗談や漫才の掛け合いのようなバカ話をして、緊張と恐怖から気を逸らしていた。
虚空に浮かぶ、小さな楽園に住む人々を守るために、俺たちは命を懸けて働いていた。
いつかまた、たくさんの人々が生活を営む日々が、このコロニーに戻ってくる日が来るだろうか?
ここはエデンの園。
男だった俺が死んでから1300年後。
その遺体を創りかえらえて、私は少女の体で甦った。
先生から受け取ったリンゴを、一口齧った。
真実を知るという、甘酸っぱい智慧の実。
私が完全に過去を思い出したとしても、それでも体は少女のままならば。
これからどうすればいいのかを、この実は教えてくれるのかしら?
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
そして一年後。
私は赤ちゃんを産んだ。
私の卵子と、先生がDNAシンセサイザで作った精子で誕生した、新しい人類第一号。
無事に産まれるまでは、ものすごく不安だったし怖かったけれど、今はこの子を産んで、本当に良かったと思っている。
先生もALICEもすごく喜んでくれた。
名前はこれから先生と、二人で考えようと思う。
私たちはコロニー外殻の、あの放棄されていたメンテナンスルームにいた。
腕には毛布にくるんだ赤ちゃんを抱いて、隣には先生が立っている。
窓の外には漆黒の闇に、瞬く星空。
……って、ここでは星が瞬くわけが無かった。
やがて視界の隅から、赤く荒廃した表面の惑星が昇ってくる。
「だぁー」
赤ちゃんはその星の紅い光を受けて目を覚まし、じっと見つめている。
「あの星がね、いつか私たちが還る、故郷なのよ」
そう、私は信じている。
これから生まれてくるだろう、たくさんの子供達と一緒に、このスペースコロニー・エデンを元通りの楽園に戻そう。
そしていつか必ず、あの星を元の碧い星に戻して、私たちはそこへ還るのだと……。

(おわり)
部屋に戻ると、先生が待っていた。
「イヴさん、僕のこと嫌いになりましたか?」
「どうして?」
「先ほど、ALICEから警告が。“調子に乗るな”と」
ほう、一応義理は果たしたというわけね。変なコンピュータ。
「そうね、だから……」
「これ、プレゼントです」
“正しい男女関係について、教育してやる”と言おうとした所で、鼻先に花束を突きつけられた。
「な、何よ……」
「デートしませんか?」
「デート?」
「はい、デートしましょう」
「雰囲気をぶち壊すようなことをしなければ、付き合ってもいいけど?」
受け取った花束の匂いを、わざとらしく確かめながら言った。
色とりどりの花を、これだけそろえるのは大変だったろう。
別に花束に釣られたわけじゃない。
彼がそれなりに誠意を見せるのであれば、それには応えてやろうじゃないか。
「それで、デートって何をするつもり? どこへ行くの?」
「場所は、いつものあのオアシス区画ですけど……」
まぁ、他にデートっぽいことをする場所なんて無いし、廃墟の町を散策では、デートと言うよりも探検だ。
いや、待てよ? 前にも似たようなシチュエーションが……
「先生? また私をずぶ濡れにして、エッチなことしようと企んでいるわけじゃないでしょうね?」
「とんでもない、見せたい物があるんです」
「見せたい物?」
まぁ、他にすることも無いし、何を見せたがっているのかは知らないけど、付き合うことにした。
実はオアシス区画はかなり広い。自分が行った事のあるところはごく一部だ。
気晴らしに散策して歩き回るのは、入り口からほんの100m程度の公園のある範囲だった。
けれど先生はその区画を通り抜け、農地の広がるエリアにまで私を連れてきた。
「こんな奥まで連れてきて、何があるの?」
「ほら、これです。やっと実をつけました」
先生が指を指したのは、人の高さよりもほんの少し大きいぐらいの樹。
そしてその樹には、赤い実がなっていた。
「これは……リンゴ?」
「そうです。イヴさんの蘇生作業が軌道に乗り始めた頃、保存庫から種を取り出してここに植えたんです。やっと実が生りました。この農園で実った、最初のリンゴの実。ぜひイヴさんにお見せして、食べていただきたかったんです」
そういうと、先生はその赤い実をひとつもぎ取り、白衣の袖でごしごしと表面をこすってから、私に手渡した。
「エデンの園に住んでいたアダムとイヴは、リンゴの実を齧って、楽園を追い出されたのよ?」
「知っています。蛇にそそのかされたんですよね?」
「そうよ、先生は蛇になりたいの?」
「細くて長いくねくねしたものなら、ほら、ここに」
と、言ってズボンに手をかけた。
「ばかっ! そんなもの見せようとするな! 第一それはヘビじゃなくてカメだろう!」
「イヤだなぁ、僕はベルトを見せようとしただけですよ?」
先生はニヤニヤと、いやらしい目つきでこちらを見ている。
いかん! ついつられて下品なことを口走ってしまった。
だが、ふと思い出したことがある。
遠い昔の記憶。確か誰かと、こんな風に下品な冗談を言い合い、笑いあっていたことを。
そうだ、それは今よりもずっと昔、まだ自分が男で、同僚のメンテナンス仲間と……。
私は渋い顔をして、先生をにらみつけた。
このバカ、多分アーカイブとやらのどこかから、昔の交信記録を見つけたんだろう。
危険で過酷なEVA作業の最中、俺は同僚達といつもこんな風に、ヘッドセット越しの通話で、下品な冗談や漫才の掛け合いのようなバカ話をして、緊張と恐怖から気を逸らしていた。
虚空に浮かぶ、小さな楽園に住む人々を守るために、俺たちは命を懸けて働いていた。
いつかまた、たくさんの人々が生活を営む日々が、このコロニーに戻ってくる日が来るだろうか?
ここはエデンの園。
男だった俺が死んでから1300年後。
その遺体を創りかえらえて、私は少女の体で甦った。
先生から受け取ったリンゴを、一口齧った。
真実を知るという、甘酸っぱい智慧の実。
私が完全に過去を思い出したとしても、それでも体は少女のままならば。
これからどうすればいいのかを、この実は教えてくれるのかしら?
そして一年後。
私は赤ちゃんを産んだ。
私の卵子と、先生がDNAシンセサイザで作った精子で誕生した、新しい人類第一号。
無事に産まれるまでは、ものすごく不安だったし怖かったけれど、今はこの子を産んで、本当に良かったと思っている。
先生もALICEもすごく喜んでくれた。
名前はこれから先生と、二人で考えようと思う。
私たちはコロニー外殻の、あの放棄されていたメンテナンスルームにいた。
腕には毛布にくるんだ赤ちゃんを抱いて、隣には先生が立っている。
窓の外には漆黒の闇に、瞬く星空。
……って、ここでは星が瞬くわけが無かった。
やがて視界の隅から、赤く荒廃した表面の惑星が昇ってくる。
「だぁー」
赤ちゃんはその星の紅い光を受けて目を覚まし、じっと見つめている。
「あの星がね、いつか私たちが還る、故郷なのよ」
そう、私は信じている。
これから生まれてくるだろう、たくさんの子供達と一緒に、このスペースコロニー・エデンを元通りの楽園に戻そう。
そしていつか必ず、あの星を元の碧い星に戻して、私たちはそこへ還るのだと……。

(おわり)
エデンの園(20) by ありす & もりや あこ
(20)-------------------------------------------------------
その翌日、枕元にあるアラームの電子音で目が覚めた。
目覚ましなんてセットしていたかな? と思ってアラームを止めようとスイッチに触ると先生の声がした。これ、インターフォンの機能があったんだ。
『あのう……』
「何よ」
『今、2日後にいるんですけど、お話聞いてもらえます?』
朝っぱら頭痛がしてきた。
確かに昨日、"おととい出直してこい"とは言ったが……。
「それで、私にとっての今日のあなたは、どこにいるのかしら?」
皮肉をこめて聞き返してやると、なんの含みもないかのように返事が返ってきた。
『一昨日の朝に行っていますが?』
深く突っ込むのは止めだ。
「それで、何の用?」
『朝食をお持ちしました』
「2日後から?」
『ええ、新鮮ですよ』
新鮮すぎるだろう! それが本当ならな。
「入ってもいいわよ」
いそいそと入ってきた先生が、にっこりと差し出すトレイを黙って受け取り、そのまま食事をした。そして最後に水を飲み干すと先生がトレイを片付け、両手を広げて伺うように上目遣いで私を見る。
ああ、はいはい。ハグしたいのね。
私は黙ったまま目を閉じると、拒否の意思はないとみた先生が、きゅっと私を抱きしめた。
「抱きしめるだけでいいの?」
私が警戒するように訪ねると、先生はにっこりしながら答えた。
「ええ、これで十分ですけど?」
「ああ、そう……。後でオアシス行きたいから迎えに来て」
「わかりました。昼食は?」
「オアシスで摂りたいかも」
「わかりました。そのように準備します」
そういうと、今度は遠慮せずにハグしてきた。
ヒーターを装備したとか言っていながらも、ほんの少しひんやりとしていて、でも私がここにいることを確かめるような、そんなしっかりとしていて優しいハグ。
これはクセになったら困るような、そうでないような……。
ヘンなところ撫でたらぶん殴ってやるっ!!
と思ったがそれはなく、あっさりと私の体を離した。
名残惜しそうな顔なんてしていないよね、私?
「何か?」
「う……、いえ、なんでもないわ」
その日は特に先生が迫ってくるなどということも無く、以前のリハビリ中の頃の様に、少し私を気遣うような、そんな一日を過ごした。
私としては有難いが、何かまた企んでいるんじゃないかと、少し不安になる。
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
そんな日が2,3日続いた。
でも朝と昼と晩に、少なくとも一度ずつ私をハグするのは、もうそれが決まりごとの様になっていて、私もいちいち躊躇いがちに体を預けたりなんかしない。
でもこれって、恋人同士の習慣というよりは、家族のするそれだよね?
それはそれで安心するけど、なんかこう物足りないというか、愛しているとか言っておきながらキスもしないなんて……ってなに考えてんだ私は!
そんなこと期待しているわけ無いだろ!
けどなんなんだ、このなんか胸の奥が少しざわつくような……もしかしたら、これが揺れ動く乙女心って奴か?
いやいやいやいや、そうじゃないだろ!
「どうかしましたか? 顔が赤いですよ? 熱は無かったと思いますが」
「ああ、いや、なんでもない! 気に、しないで……。その、変なとこ撫でたりとか、そのアレをしようとか言い出すんじゃないかと思ったの」
な、なに口走ってんだ私は!
でも先生はにっこりと微笑みながら言った。
「イヴさんが嫌がると思うのでしませんよ。でもそうですね。20日前か、5日後ならさせていただけると、うれしいです」
といって、部屋を出て行った。
ほっとすると同時に、妙な言い方をするなと、首をかしげた。
前回“おととい出直して来い”と言ったことを、まだ気にしているんだろうか?
しかし20日前はともかく、5日後って何だ?
その期待しているような、思わせぶりな言い方は?
5日後なら、私が赦すとでも思っているのかな?
赦すって何をだ! ああ、いかんいかん、今日の私はヘンだ。
さっきあんなことを口走ってしまったしな。
先生は熱は無いとは言っていたが……。
……ん、待てよ? 20日前で、5日後……? 熱は、無い?
って、あの野郎!
もしかして、毎日毎日朝昼晩私を抱きしめていたのは、ワタシの体温を測るためだったってのか!
妊娠可能な時期を調べるために……?
頭きた! これは一度、親分のほうに文句を言っておかないといけないな。
私はそうっと廊下を伺い、先生の姿が見えないことを確かめてから、病院区画を出てALICEのいるセントラルルームへ向かった。
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
「……というわけなんだけど、最近調子に乗りすぎでしょう? 何とかしなさいよ」
――“なんとか”とは?
「だから調子に乗りすぎだから、もう少し自重するように。元をたどせば、あんたが制御しているんでしょう?」
――彼は既に私とは独立した自律ユニットである。私の制御管理下には無い
「あんたがけしかけているんじゃないの? その……私に子供を産ませろって」
――そんなことはしていない。彼は、彼の独自の判断で行動している
「つまりバカでスケベなのは、アイツ自身の問題ってこと?」
――そうさせたのは、貴女である
「なんでよ! 私はあのバカにスケベでいろなんて、言った覚えは無いわ!」
――彼の行動及び貴女の反応からすると、彼はアーカイブから重要な情報を得て、それを基に行動していると考えられる。
「重要な情報?」
――“イヤヨイヤヨモスキノウチ”
「ふざけんなっ! このバカコンピュータ!」
がんっ! とALICEの筐体にケリをかましたが、当然ながら痛いのはこっちだけだ。
ちょこっと外板の一部がヘコんだみたいだけど、そんなのコイツにとっては、大した意味は無いだろう。
――彼は彼なりに、貴女のことを考えて行動している。それは理解してやって欲しい
「ふうん、アンタも意外に人間くさいことを言うのね」
――それもまた、私が貴女から学習したことである
「言ってなさいよ。いいわ、それならそれで、自分で何とかするわ。教育してやるっ!」
少々下品な仕草だが、私は中指を立ててそう宣言して、セントラルルームを出た。
静寂に戻ったセントラルルーム。
聞く者がいないにもかかわらず、ALICEは音声合成によって呟いた。
――貴女は本当にすばらしい。貴女を蘇生して正解であった。
その翌日、枕元にあるアラームの電子音で目が覚めた。
目覚ましなんてセットしていたかな? と思ってアラームを止めようとスイッチに触ると先生の声がした。これ、インターフォンの機能があったんだ。
『あのう……』
「何よ」
『今、2日後にいるんですけど、お話聞いてもらえます?』
朝っぱら頭痛がしてきた。
確かに昨日、"おととい出直してこい"とは言ったが……。
「それで、私にとっての今日のあなたは、どこにいるのかしら?」
皮肉をこめて聞き返してやると、なんの含みもないかのように返事が返ってきた。
『一昨日の朝に行っていますが?』
深く突っ込むのは止めだ。
「それで、何の用?」
『朝食をお持ちしました』
「2日後から?」
『ええ、新鮮ですよ』
新鮮すぎるだろう! それが本当ならな。
「入ってもいいわよ」
いそいそと入ってきた先生が、にっこりと差し出すトレイを黙って受け取り、そのまま食事をした。そして最後に水を飲み干すと先生がトレイを片付け、両手を広げて伺うように上目遣いで私を見る。
ああ、はいはい。ハグしたいのね。
私は黙ったまま目を閉じると、拒否の意思はないとみた先生が、きゅっと私を抱きしめた。
「抱きしめるだけでいいの?」
私が警戒するように訪ねると、先生はにっこりしながら答えた。
「ええ、これで十分ですけど?」
「ああ、そう……。後でオアシス行きたいから迎えに来て」
「わかりました。昼食は?」
「オアシスで摂りたいかも」
「わかりました。そのように準備します」
そういうと、今度は遠慮せずにハグしてきた。
ヒーターを装備したとか言っていながらも、ほんの少しひんやりとしていて、でも私がここにいることを確かめるような、そんなしっかりとしていて優しいハグ。
これはクセになったら困るような、そうでないような……。
ヘンなところ撫でたらぶん殴ってやるっ!!
と思ったがそれはなく、あっさりと私の体を離した。
名残惜しそうな顔なんてしていないよね、私?
「何か?」
「う……、いえ、なんでもないわ」
その日は特に先生が迫ってくるなどということも無く、以前のリハビリ中の頃の様に、少し私を気遣うような、そんな一日を過ごした。
私としては有難いが、何かまた企んでいるんじゃないかと、少し不安になる。
そんな日が2,3日続いた。
でも朝と昼と晩に、少なくとも一度ずつ私をハグするのは、もうそれが決まりごとの様になっていて、私もいちいち躊躇いがちに体を預けたりなんかしない。
でもこれって、恋人同士の習慣というよりは、家族のするそれだよね?
それはそれで安心するけど、なんかこう物足りないというか、愛しているとか言っておきながらキスもしないなんて……ってなに考えてんだ私は!
そんなこと期待しているわけ無いだろ!
けどなんなんだ、このなんか胸の奥が少しざわつくような……もしかしたら、これが揺れ動く乙女心って奴か?
いやいやいやいや、そうじゃないだろ!
「どうかしましたか? 顔が赤いですよ? 熱は無かったと思いますが」
「ああ、いや、なんでもない! 気に、しないで……。その、変なとこ撫でたりとか、そのアレをしようとか言い出すんじゃないかと思ったの」
な、なに口走ってんだ私は!
でも先生はにっこりと微笑みながら言った。
「イヴさんが嫌がると思うのでしませんよ。でもそうですね。20日前か、5日後ならさせていただけると、うれしいです」
といって、部屋を出て行った。
ほっとすると同時に、妙な言い方をするなと、首をかしげた。
前回“おととい出直して来い”と言ったことを、まだ気にしているんだろうか?
しかし20日前はともかく、5日後って何だ?
その期待しているような、思わせぶりな言い方は?
5日後なら、私が赦すとでも思っているのかな?
赦すって何をだ! ああ、いかんいかん、今日の私はヘンだ。
さっきあんなことを口走ってしまったしな。
先生は熱は無いとは言っていたが……。
……ん、待てよ? 20日前で、5日後……? 熱は、無い?
って、あの野郎!
もしかして、毎日毎日朝昼晩私を抱きしめていたのは、ワタシの体温を測るためだったってのか!
妊娠可能な時期を調べるために……?
頭きた! これは一度、親分のほうに文句を言っておかないといけないな。
私はそうっと廊下を伺い、先生の姿が見えないことを確かめてから、病院区画を出てALICEのいるセントラルルームへ向かった。
「……というわけなんだけど、最近調子に乗りすぎでしょう? 何とかしなさいよ」
――“なんとか”とは?
「だから調子に乗りすぎだから、もう少し自重するように。元をたどせば、あんたが制御しているんでしょう?」
――彼は既に私とは独立した自律ユニットである。私の制御管理下には無い
「あんたがけしかけているんじゃないの? その……私に子供を産ませろって」
――そんなことはしていない。彼は、彼の独自の判断で行動している
「つまりバカでスケベなのは、アイツ自身の問題ってこと?」
――そうさせたのは、貴女である
「なんでよ! 私はあのバカにスケベでいろなんて、言った覚えは無いわ!」
――彼の行動及び貴女の反応からすると、彼はアーカイブから重要な情報を得て、それを基に行動していると考えられる。
「重要な情報?」
――“イヤヨイヤヨモスキノウチ”
「ふざけんなっ! このバカコンピュータ!」
がんっ! とALICEの筐体にケリをかましたが、当然ながら痛いのはこっちだけだ。
ちょこっと外板の一部がヘコんだみたいだけど、そんなのコイツにとっては、大した意味は無いだろう。
――彼は彼なりに、貴女のことを考えて行動している。それは理解してやって欲しい
「ふうん、アンタも意外に人間くさいことを言うのね」
――それもまた、私が貴女から学習したことである
「言ってなさいよ。いいわ、それならそれで、自分で何とかするわ。教育してやるっ!」
少々下品な仕草だが、私は中指を立ててそう宣言して、セントラルルームを出た。
静寂に戻ったセントラルルーム。
聞く者がいないにもかかわらず、ALICEは音声合成によって呟いた。
――貴女は本当にすばらしい。貴女を蘇生して正解であった。
エデンの園(19) by ありす & もりや あこ
(19)-------------------------------------------------------
翌日、朝早く私を起こすなり、挨拶するかのように私をハグしてから、白っぽい布を差し出し、着替えろと迫ってきた。
「で、これを着ればいいの?」
「はい」
「って、もう! なんだってこんな時間から……」
低血圧なんだから朝はゆっくりさせて欲しいが、彼はやけに張り切っている様子で、仕方なく付き合うことにしたが……
妙にひらひらの多い、ずるっとした、丈の長い服だ。カーテン?
「何これ?」
「何って、ドレスです。8時間45分37秒かけて設計しました。縫製には自動縫製機のプログラムを改造して、7時間18秒かけて完成させました。僕からのプレゼントです。着替えてください」
つまり、あれから直ぐに考え始めて、今しがた出来上がったってことか?
夕べは食事も用意もしないで、何をやっているんだか……。
「わかったから、とりあえず部屋を出てくれない? 仮に恋人だったとしても、寝起きの女性の部屋に押しかけるのは、マナー違反よ」
「これは失礼いたしました」
と、あっさりと引き下がった。
あのエロアンドロイドが、着替えるところまで記録したいなんて言い出すかと思ったが。
とにかく、ベッドの上に広げてみると、これは……
「何よこれ!」
と叫ぶ声に、先生はドア越しに応えた。
「何とは? ドレスですが、気に入りませんか?」
「ドレスはドレスでも、これはウェディングドレスだろう!」
「いけませんか?」
「いけないに決まっている。手順を飛ばしすぎだ!」
「それでは僕の立てた計画が……」
計画? 一応聞いてやろうじゃないか。
私は部屋に入ることを許可した。
「まず、イヴさんのご両親に挨拶をいたします」
「両親? 私の両親なんて、とっくの昔に死んでいるでしょう?」
「ですので、イヴさんを蘇生したチャンバールームに行きます」
「そんなところへ行って、どうすんのよ?」
「再生槽、つまりイヴさんの体を再生培養したシリンダーがあなたのお母様で、制御装置がお父上ですね」
「く、私の両親は機械ってことかよ……」
「論理的にはそうなります。いささか強引かとは思いますが」
「強引過ぎるだろ! まぁいいわ、それで?」
「結婚式を挙げます」
だから手順を飛ばしすぎ!
と言いかけたが、真剣な顔をして言うので、悔しいから言ってやった。
「カソリック形式かしら? それともプロテスタント? オーソドックスとか?」
ウェディングドレスを用意したって事は、神前式はないだろう。
「僕には崇める神はいませんので、ALICE式でしょうか?」
ああそう、アンタの親玉が一応の崇める神に相当するのね。
「……それで、次は?」
「披露宴をします」
「披露宴? 一体誰を呼ぶのよ?」
「AIを搭載しているものは少ないのですが、いつも利用している電気自動車にオアシスの整備ユニット、この際ですから清掃ロボットも呼びましょう、賑やかなほうが良いと思うので、コロニー中の自律移動可能ユニットを呼び寄せて……」
「それはアンタの親族(?)でしょうが。私のほうはどうするのよ?」
「えーと、完全体はあなた一人ですので、冷凍保存庫から、“カケラ”を集めてくるとか……」

式場に居並ぶポンコツ機械群と、ガラス容器に入った人体の一部が並べられているのを想像して、げんなりとなった。
「却下! 絶対に却下! そんな事したら私に触れることはもちろん、今後一切口もきかない!!」
「しかし、手順を踏めといったのはイヴさんで……」
「子供作るのに、結婚式も披露宴も必須と言うわけじゃないわ。そういうのをしない夫婦だって、いるんだから」
いや、待て。ワタシ今、何を言った??
「では、全部飛ばして早速……」
と、まだ診察着のままでいた、私の腰に手を伸ばした。
「触んな! エロアンドロイド!」
「では、どうすればいいのです?」
「せっかく用意してくれたんだから、ドレスぐらいは着てあげるわ。だけどそうじゃなくて、もっとデートを重ねるとか……」
「毎日一緒にいて、食事も共にし、会話もして貴女の娯楽にも付き合っていますが、そういうのでは駄目なのですか?」
「アンタ、一体何を調べてきたのよ。そうじゃなくて……そう、なんていうか、もっとムードを盛り上げるような、あなたに抱かれてもいいなとか、そういうロマンチックな手順を重ねろって言うことよ。恥ずかしいから言わせないでよ、そんなこと!」
「元男性なのに、そういうことを要求しますか?」
私は手近にあったトレイで思いっきり、コイツの頭をひっぱたいた。
ばいーん!! と、派手な音がして、持っていた手がものすごく痺れたが、少なくとも奴は腰掛けていた椅子から転げ落ちた。ざまあみろだ!
「次から次へと、よくもそう私を不愉快にさせることばかり言って! 今日はもう顔も見たくない! おととい出直してきな!」
畳み掛けるように、捨てゼリフとケリの応酬をかまして、部屋から追い出してやった。
翌日、朝早く私を起こすなり、挨拶するかのように私をハグしてから、白っぽい布を差し出し、着替えろと迫ってきた。
「で、これを着ればいいの?」
「はい」
「って、もう! なんだってこんな時間から……」
低血圧なんだから朝はゆっくりさせて欲しいが、彼はやけに張り切っている様子で、仕方なく付き合うことにしたが……
妙にひらひらの多い、ずるっとした、丈の長い服だ。カーテン?
「何これ?」
「何って、ドレスです。8時間45分37秒かけて設計しました。縫製には自動縫製機のプログラムを改造して、7時間18秒かけて完成させました。僕からのプレゼントです。着替えてください」
つまり、あれから直ぐに考え始めて、今しがた出来上がったってことか?
夕べは食事も用意もしないで、何をやっているんだか……。
「わかったから、とりあえず部屋を出てくれない? 仮に恋人だったとしても、寝起きの女性の部屋に押しかけるのは、マナー違反よ」
「これは失礼いたしました」
と、あっさりと引き下がった。
あのエロアンドロイドが、着替えるところまで記録したいなんて言い出すかと思ったが。
とにかく、ベッドの上に広げてみると、これは……
「何よこれ!」
と叫ぶ声に、先生はドア越しに応えた。
「何とは? ドレスですが、気に入りませんか?」
「ドレスはドレスでも、これはウェディングドレスだろう!」
「いけませんか?」
「いけないに決まっている。手順を飛ばしすぎだ!」
「それでは僕の立てた計画が……」
計画? 一応聞いてやろうじゃないか。
私は部屋に入ることを許可した。
「まず、イヴさんのご両親に挨拶をいたします」
「両親? 私の両親なんて、とっくの昔に死んでいるでしょう?」
「ですので、イヴさんを蘇生したチャンバールームに行きます」
「そんなところへ行って、どうすんのよ?」
「再生槽、つまりイヴさんの体を再生培養したシリンダーがあなたのお母様で、制御装置がお父上ですね」
「く、私の両親は機械ってことかよ……」
「論理的にはそうなります。いささか強引かとは思いますが」
「強引過ぎるだろ! まぁいいわ、それで?」
「結婚式を挙げます」
だから手順を飛ばしすぎ!
と言いかけたが、真剣な顔をして言うので、悔しいから言ってやった。
「カソリック形式かしら? それともプロテスタント? オーソドックスとか?」
ウェディングドレスを用意したって事は、神前式はないだろう。
「僕には崇める神はいませんので、ALICE式でしょうか?」
ああそう、アンタの親玉が一応の崇める神に相当するのね。
「……それで、次は?」
「披露宴をします」
「披露宴? 一体誰を呼ぶのよ?」
「AIを搭載しているものは少ないのですが、いつも利用している電気自動車にオアシスの整備ユニット、この際ですから清掃ロボットも呼びましょう、賑やかなほうが良いと思うので、コロニー中の自律移動可能ユニットを呼び寄せて……」
「それはアンタの親族(?)でしょうが。私のほうはどうするのよ?」
「えーと、完全体はあなた一人ですので、冷凍保存庫から、“カケラ”を集めてくるとか……」

式場に居並ぶポンコツ機械群と、ガラス容器に入った人体の一部が並べられているのを想像して、げんなりとなった。
「却下! 絶対に却下! そんな事したら私に触れることはもちろん、今後一切口もきかない!!」
「しかし、手順を踏めといったのはイヴさんで……」
「子供作るのに、結婚式も披露宴も必須と言うわけじゃないわ。そういうのをしない夫婦だって、いるんだから」
いや、待て。ワタシ今、何を言った??
「では、全部飛ばして早速……」
と、まだ診察着のままでいた、私の腰に手を伸ばした。
「触んな! エロアンドロイド!」
「では、どうすればいいのです?」
「せっかく用意してくれたんだから、ドレスぐらいは着てあげるわ。だけどそうじゃなくて、もっとデートを重ねるとか……」
「毎日一緒にいて、食事も共にし、会話もして貴女の娯楽にも付き合っていますが、そういうのでは駄目なのですか?」
「アンタ、一体何を調べてきたのよ。そうじゃなくて……そう、なんていうか、もっとムードを盛り上げるような、あなたに抱かれてもいいなとか、そういうロマンチックな手順を重ねろって言うことよ。恥ずかしいから言わせないでよ、そんなこと!」
「元男性なのに、そういうことを要求しますか?」
私は手近にあったトレイで思いっきり、コイツの頭をひっぱたいた。
ばいーん!! と、派手な音がして、持っていた手がものすごく痺れたが、少なくとも奴は腰掛けていた椅子から転げ落ちた。ざまあみろだ!
「次から次へと、よくもそう私を不愉快にさせることばかり言って! 今日はもう顔も見たくない! おととい出直してきな!」
畳み掛けるように、捨てゼリフとケリの応酬をかまして、部屋から追い出してやった。
エデンの園(18) by ありす & もりや あこ
(18)-------------------------------------------------------
「どうです? ロングヘアもお似合いでしたが、ショートカットも可愛らしくて素敵ですね」
乱暴に切り落とした髪を、“そのままではあんまりなので”という先生の主張を受入れ、髪を切り揃えてもらっていた。
目の前の鏡には、少しうんざり気味顔の、自分で言うのもなんだが、美少女が映っている。
「動くなと言うから、じっとしていたけど、やっと解放されるわね」
やれやれと自分で肩をたたきながら言うと、先生は不満そうに言った。
「気に入りませんか?」
「そんなことは無いわ。ありがとう」
「はい、どういたしま……“ありがとう”、ですか?」
「何よ?」
「いや、そんな、お礼を言っていただけるなんて、初めてです」
「そうだったかしら? 前にも言った事がある気がするけど?」
「僕の愛を受け入れてくださってからは、初めてです。感激です」
昨日の今日なんだから、それはそうかもと言うツッコミは、しないほうがいいのかしら?
「人間は一人では生きていけないのよ、それは先生もそう言っていたでしょう」
「はい」
「つまり人同士は支えあっていかないといけないの。先生が何かを私にしてくれる分、私も先生に何かをするわ。一方的に与えるだけでも、されるがままに受け入れているばかりでも駄目なの。わかる?」
「わかります」
「それじゃ、何をして欲しい?」
「お礼に、キスしてくれませんか?」
と、先生はニヤケ顔を私に寄せると、ほっぺたを指差した。
半分呆れながら、どこまで人間っぽいことをするのだと思いつつも、先生のおでこを指で突いてからほっぺたにキスをした。
これだけでも十分恥ずかしいのに、先生は遠慮がちに私に向かって両手を広げてゆっくり体を寄せてきた。
はいはい、ハグしたいってわけね。
『男なら抱きたいと思ったら抱け』と言ったのは私だから、別に拒否なんかしないわよ。
それに、きゅっと抱きしめられるの……悪くない。
調子に乗らせると、次に何を要求してくるかわかったもんじゃないので、目を閉じて顔を寄せてくる先生を手で制しながら言った。
「それで、今日は何をするの? 寝ているだけはもう飽きたわ」
深く考えるのはやめて、“あ・る・程・度・ま・で・は”、先生に流されることに決めてさっぱりしたせいか、悩みの種だった生理痛も今日は治まっていた。起きて何かをしなければ、また気分が塞ぎこんでしまうかもしれない。
「そうですね、僕自身はどうでもいいのですが、ALICEの計画に沿って、人類復活のための第一歩を踏み出してはいかがでしょう?」
ALICEの計画は、アンタの計画でもあるだろう?
“僕自身はどうでもいい”なんて、わざわざ言うところが姑息だが、そう言うことで免罪符にしたいのだろう。
つまり、私には言いにくいことを、したいということでもある。
私は警戒しながら言った。
「人類の復活には、もっとたくさんの人が必要だわ」
「そうですね」
「でも、人間は私しかいないし……。ねぇ、もう私みたいに、蘇生可能な遺体は無いの?」
「ありません。条件の良い遺体の発見の可能性はかなり低いです。そもそも有望そうな遺体は貴女以降、まだ発見できていません。イヴさんの前に蘇生させた人が亡くなってから、イヴさんを蘇生するまでには、約50年かかりました」
「50……それじゃあ、クローン人間なんてどう?」
「残念ながら、その技術は確立されていません。今から研究を行って実用段階になるまで、70~80年はかかるでしょう」」
「そしたら私はおばあちゃんだわ」
「人工授精をお勧めします」
「人工授精?」
「はい、実は女性の遺体から集めた、凍結状態の卵子のストックがあります」
「それをどうするの?」
「人工的に受精させて、イヴさんの子宮に着床させれば、イヴさんは妊娠し、子供が生まれると考えます」
やっぱり、そうきたか。
「し、子宮にって……わ、私に子供を産めって言うの?」
「はい、それがもっとも自然です」
「じょ、冗談よね?」
「本気です。 前にも申し上げたと思いますが、貴女を女性体として蘇生させた理由です」
「最初から、私を妊娠させるつもりでいたって事?」
「はい」
頭痛がしてきた……。予想できたこととはいえ、考えないようにしていた現実を、いざ目の前にすると……あ?……待てよ? 確か前にALICEに確認したとき……
「そうだ! 男性の体を再生させるのは、不可能だって言っていたのは嘘だったんでしょう!」
「不可能とは言っていません“難しい”とは言いましたが」
「そういうのを“騙す”って言うのよ!」
「僕は嘘がつけませんが、事実を遠まわしに言うことはできます。男性体であろうと女性体であろうと、遺体を蘇生させるのは、本当に難しいことなのです」
「そりゃそうだろうけど……。でも納得いかないわ!」
「早とちりするイヴさんも、怒っているイヴさんも、本当に愛らしくて素敵です」
「ごまかすな!」
「でもですね、残っていた遺体で有望そうなのは、貴女だけだったのですよ?」
「それは前にも聞いたわ、だから最後に蘇生させたんでしょう?」
「そうです。イヴさんは未来の新しい人類、全ての母となるわけです」
「あんまり嬉しくないなぁ……」
「人類復活には今のところ、この方法しかありません。さし当たって30人ほどは産んでいただかないと……」
「そんなに産めるか! 第一、何年かけるつもりよ!」
「イヴさん、毎月の生理が辛いって言っていたじゃないですか。常に妊娠していれば、その辛さからも開放されますよ?」
「十月十日ごとにもっとキツイのがくるでしょうがっ!! それに悪阻(つわり)とか……」
「記録によれば、悪阻が酷いのは初産のときぐらいとか。それにほとんど痛みもなく楽に出産できる場合もあるそうですから」
「それホント? い、いや、問題はそんな話じゃなくて、次世代の近親関係の問題とか……、だ、第一人間の男がいないのに、人工授精って言ったって」
「凍結受精卵は複数の女性の遺体から提供していただきました。もちろん、イヴさんからも卵子をいただければ、次世代間での遺伝的な問題は特にありません」
「ら、卵子はともかく、精子の方はどうすんのよ! アンタ、まさか射精もできるなんていわないでしょうね?」
「出来ます。……と言うのは50%だけ本当で、イヴさんを蘇生した時のips細胞がまだ残っています。精子と同じ働きをする細胞を合成するのは、極めて簡単」
「遺伝的な父親は私ってこと?」
「DNAシンセサイザを使えば遺伝配列は思いのまま。お望みなら他人種のそれに変える事もできます」
「50%だけ本当って言うのは?」
「大量に培養して、イヴさんが受胎可能な時期に、僕が直接注入します。コレで」
そう言って、彼は白衣の前をはだけ、ズボンを下ろした。
でろん、と出てきたのは、かつてよく見慣れたはずの……。
「ちょ、あ、アンタなんだってそんなもの、アンドロイドのアンタに、なんでそんなモノがついてんのよっ!」
「僕は男性型の完璧なアンドロイドです。女性のお相手も出来るようにも設計されています」
「わ、私を犯そうっての?!」
「言葉だけではなく、“物理的にも愛したい”と言うのでは、駄目ですか?」
「だ、駄目じゃないけど……、いや、やっぱり駄目! それって、倫理的にどうかと思うわ!」
「機械相手なのですから、自慰行為の一種だと思っていただければ」
「今さら機械ぶるつもりか!」
「僕をヒトとして認めていただけるのならば、望外の喜びですが」
「じ、人工授精なら、人工授精らしくやってもらってもいいけど……」
「この部分は外せますよ。受精卵をセットする都合上、取り外し式で無いと問題があるので」
と、彼は雄雄しく屹立した状態の男性器の形をした、ソレを外して見せた。
「かなり奥まで深く差し込まないといけないですし、それに少々コツがいります。僕から取り外した場合、このコントローラーを別に取り付ける必要もありますが。試されますか?」
と、見た目が凶悪な大人のオモチャめいたものを、私に差し出す。
「う、う、うう嘘でしょ! そんなことできるわけない!」
「でしょう? ですから、僕が……」
といって、再び“ソレ”を元の場所に装着した。
「アンタと……セ、セックスしろっていうのかよ!」
「ですから、そう申し上げているのですが」
そういいながら、腰に手を回してきた。
「ちょっと! 勝手にさわんなっ!」
「どうしてです? 人類復活の崇高な使命ですよ?」
「色々御託並べてくれたけど、結局、アンタは私を犯したいだけなんだろ!」
「かなり曲解されているようですが、結果的にはそういうことになりますか?」
そういって、今度は本格的に押し倒してきた。
「さ、最初っからそのつもりでいたのかよっ!?」
「最初っからそのつもりですが何か?」
セックスを強要するアンドロイドって、どうよ?
私が動揺しているのをいいことに、手を診察着の中に差し入れてきやがった
「ま、待て! 早まるな! ストップストップ! 3原則の適用を求める!!」
「イヴさんは処女ですから、最初は痛いかもしれませんが、これは通常の男女の営みの範囲内です。3原則適用除外と思われますが?」
「お前は人間の男じゃないだろうが!」
「形状及び質感に問題があるようでしたら、後ほどご意見を伺わせていただければ、改善いたします」
「言えるか!」
「うれしいなぁ、美しいイヴさんとひとつになれるなんて……」
「いまさらそんなセリフ言っても駄目!」
「でも興味はおありでしょう? 処女のまま懐妊されたいとおっしゃるのでしたら、それはちょっと残念ですが、やはりセックスに快感が伴わなければ、妊娠出産と言うリスクには見合いませんものね」
か、快感だと……? あ、アンドロイドなんかに……。
「じゃ、じゃあ、婦女暴行未遂で逮捕します。民間人にも逮捕権限があるんだから!」
「拘留権限はないでしょう? それに、戸籍関係の事務処理は1300年前から停止中です。イヴさんは法律上は、まだ男性と言うことになります」
と、にじり寄る。か、顔を近づけんな!
「今それを言うか! ならば普通に暴行未遂だ!」
「人類復活は最上級レベルの優先事項です。この命令は解除できません」
「め、命令って……、ALICEの奴か! ちょっと待て、命令を解除するように交渉してくる」
「無駄です。そもそも私は彼のサブセットです。私の意志はすなわちALICEの意思でもあります」
「に、人間様に命令しようってのか!」
「僕自身からは、強いお願いです。それに、以前イヴさんは、“抱くときにいちいち了解を得るな”とおっしゃいました」
「い、意味が違う、状況も違う!」
「先送りしても、状況は変わりませんよ?」
「そうかもしれないけど、こ、心の準備が、大体、デリカシーってもんが……」
「手順が必要と言うことですね。判りました。時間的にはまだ十分に余裕はあります。準備に時間がかかりますので、明日から始めてよろしいですか?」
「準備って、何をする気よ?」
「ALICEに保存されている、男女関係に関するアーカイブ資料を検索して平均化し、標準的な手順を計画いたします。それでよろしいでしょうか?」
「え? うん、まぁ……うぷっ!」
突然抱き寄せられたかと思うと、唇を奪われた。
「な、な……」
「貴女を絶対に、僕のトリコにして見せます。期待していてください」
そう言い残して、彼は部屋を出て行った。
あ、あンの野郎……。し、舌入れやがった……?
これもその“手順”とやらの一環か?
私はその場にへたり込んでしまった。
「どうです? ロングヘアもお似合いでしたが、ショートカットも可愛らしくて素敵ですね」
乱暴に切り落とした髪を、“そのままではあんまりなので”という先生の主張を受入れ、髪を切り揃えてもらっていた。
目の前の鏡には、少しうんざり気味顔の、自分で言うのもなんだが、美少女が映っている。
「動くなと言うから、じっとしていたけど、やっと解放されるわね」
やれやれと自分で肩をたたきながら言うと、先生は不満そうに言った。
「気に入りませんか?」
「そんなことは無いわ。ありがとう」
「はい、どういたしま……“ありがとう”、ですか?」
「何よ?」
「いや、そんな、お礼を言っていただけるなんて、初めてです」
「そうだったかしら? 前にも言った事がある気がするけど?」
「僕の愛を受け入れてくださってからは、初めてです。感激です」
昨日の今日なんだから、それはそうかもと言うツッコミは、しないほうがいいのかしら?
「人間は一人では生きていけないのよ、それは先生もそう言っていたでしょう」
「はい」
「つまり人同士は支えあっていかないといけないの。先生が何かを私にしてくれる分、私も先生に何かをするわ。一方的に与えるだけでも、されるがままに受け入れているばかりでも駄目なの。わかる?」
「わかります」
「それじゃ、何をして欲しい?」
「お礼に、キスしてくれませんか?」
と、先生はニヤケ顔を私に寄せると、ほっぺたを指差した。
半分呆れながら、どこまで人間っぽいことをするのだと思いつつも、先生のおでこを指で突いてからほっぺたにキスをした。
これだけでも十分恥ずかしいのに、先生は遠慮がちに私に向かって両手を広げてゆっくり体を寄せてきた。
はいはい、ハグしたいってわけね。
『男なら抱きたいと思ったら抱け』と言ったのは私だから、別に拒否なんかしないわよ。
それに、きゅっと抱きしめられるの……悪くない。
調子に乗らせると、次に何を要求してくるかわかったもんじゃないので、目を閉じて顔を寄せてくる先生を手で制しながら言った。
「それで、今日は何をするの? 寝ているだけはもう飽きたわ」
深く考えるのはやめて、“あ・る・程・度・ま・で・は”、先生に流されることに決めてさっぱりしたせいか、悩みの種だった生理痛も今日は治まっていた。起きて何かをしなければ、また気分が塞ぎこんでしまうかもしれない。
「そうですね、僕自身はどうでもいいのですが、ALICEの計画に沿って、人類復活のための第一歩を踏み出してはいかがでしょう?」
ALICEの計画は、アンタの計画でもあるだろう?
“僕自身はどうでもいい”なんて、わざわざ言うところが姑息だが、そう言うことで免罪符にしたいのだろう。
つまり、私には言いにくいことを、したいということでもある。
私は警戒しながら言った。
「人類の復活には、もっとたくさんの人が必要だわ」
「そうですね」
「でも、人間は私しかいないし……。ねぇ、もう私みたいに、蘇生可能な遺体は無いの?」
「ありません。条件の良い遺体の発見の可能性はかなり低いです。そもそも有望そうな遺体は貴女以降、まだ発見できていません。イヴさんの前に蘇生させた人が亡くなってから、イヴさんを蘇生するまでには、約50年かかりました」
「50……それじゃあ、クローン人間なんてどう?」
「残念ながら、その技術は確立されていません。今から研究を行って実用段階になるまで、70~80年はかかるでしょう」」
「そしたら私はおばあちゃんだわ」
「人工授精をお勧めします」
「人工授精?」
「はい、実は女性の遺体から集めた、凍結状態の卵子のストックがあります」
「それをどうするの?」
「人工的に受精させて、イヴさんの子宮に着床させれば、イヴさんは妊娠し、子供が生まれると考えます」
やっぱり、そうきたか。
「し、子宮にって……わ、私に子供を産めって言うの?」
「はい、それがもっとも自然です」
「じょ、冗談よね?」
「本気です。 前にも申し上げたと思いますが、貴女を女性体として蘇生させた理由です」
「最初から、私を妊娠させるつもりでいたって事?」
「はい」
頭痛がしてきた……。予想できたこととはいえ、考えないようにしていた現実を、いざ目の前にすると……あ?……待てよ? 確か前にALICEに確認したとき……
「そうだ! 男性の体を再生させるのは、不可能だって言っていたのは嘘だったんでしょう!」
「不可能とは言っていません“難しい”とは言いましたが」
「そういうのを“騙す”って言うのよ!」
「僕は嘘がつけませんが、事実を遠まわしに言うことはできます。男性体であろうと女性体であろうと、遺体を蘇生させるのは、本当に難しいことなのです」
「そりゃそうだろうけど……。でも納得いかないわ!」
「早とちりするイヴさんも、怒っているイヴさんも、本当に愛らしくて素敵です」
「ごまかすな!」
「でもですね、残っていた遺体で有望そうなのは、貴女だけだったのですよ?」
「それは前にも聞いたわ、だから最後に蘇生させたんでしょう?」
「そうです。イヴさんは未来の新しい人類、全ての母となるわけです」
「あんまり嬉しくないなぁ……」
「人類復活には今のところ、この方法しかありません。さし当たって30人ほどは産んでいただかないと……」
「そんなに産めるか! 第一、何年かけるつもりよ!」
「イヴさん、毎月の生理が辛いって言っていたじゃないですか。常に妊娠していれば、その辛さからも開放されますよ?」
「十月十日ごとにもっとキツイのがくるでしょうがっ!! それに悪阻(つわり)とか……」
「記録によれば、悪阻が酷いのは初産のときぐらいとか。それにほとんど痛みもなく楽に出産できる場合もあるそうですから」
「それホント? い、いや、問題はそんな話じゃなくて、次世代の近親関係の問題とか……、だ、第一人間の男がいないのに、人工授精って言ったって」
「凍結受精卵は複数の女性の遺体から提供していただきました。もちろん、イヴさんからも卵子をいただければ、次世代間での遺伝的な問題は特にありません」
「ら、卵子はともかく、精子の方はどうすんのよ! アンタ、まさか射精もできるなんていわないでしょうね?」
「出来ます。……と言うのは50%だけ本当で、イヴさんを蘇生した時のips細胞がまだ残っています。精子と同じ働きをする細胞を合成するのは、極めて簡単」
「遺伝的な父親は私ってこと?」
「DNAシンセサイザを使えば遺伝配列は思いのまま。お望みなら他人種のそれに変える事もできます」
「50%だけ本当って言うのは?」
「大量に培養して、イヴさんが受胎可能な時期に、僕が直接注入します。コレで」
そう言って、彼は白衣の前をはだけ、ズボンを下ろした。
でろん、と出てきたのは、かつてよく見慣れたはずの……。
「ちょ、あ、アンタなんだってそんなもの、アンドロイドのアンタに、なんでそんなモノがついてんのよっ!」
「僕は男性型の完璧なアンドロイドです。女性のお相手も出来るようにも設計されています」
「わ、私を犯そうっての?!」
「言葉だけではなく、“物理的にも愛したい”と言うのでは、駄目ですか?」
「だ、駄目じゃないけど……、いや、やっぱり駄目! それって、倫理的にどうかと思うわ!」
「機械相手なのですから、自慰行為の一種だと思っていただければ」
「今さら機械ぶるつもりか!」
「僕をヒトとして認めていただけるのならば、望外の喜びですが」
「じ、人工授精なら、人工授精らしくやってもらってもいいけど……」
「この部分は外せますよ。受精卵をセットする都合上、取り外し式で無いと問題があるので」
と、彼は雄雄しく屹立した状態の男性器の形をした、ソレを外して見せた。
「かなり奥まで深く差し込まないといけないですし、それに少々コツがいります。僕から取り外した場合、このコントローラーを別に取り付ける必要もありますが。試されますか?」
と、見た目が凶悪な大人のオモチャめいたものを、私に差し出す。
「う、う、うう嘘でしょ! そんなことできるわけない!」
「でしょう? ですから、僕が……」
といって、再び“ソレ”を元の場所に装着した。
「アンタと……セ、セックスしろっていうのかよ!」
「ですから、そう申し上げているのですが」
そういいながら、腰に手を回してきた。
「ちょっと! 勝手にさわんなっ!」
「どうしてです? 人類復活の崇高な使命ですよ?」
「色々御託並べてくれたけど、結局、アンタは私を犯したいだけなんだろ!」
「かなり曲解されているようですが、結果的にはそういうことになりますか?」
そういって、今度は本格的に押し倒してきた。
「さ、最初っからそのつもりでいたのかよっ!?」
「最初っからそのつもりですが何か?」
セックスを強要するアンドロイドって、どうよ?
私が動揺しているのをいいことに、手を診察着の中に差し入れてきやがった
「ま、待て! 早まるな! ストップストップ! 3原則の適用を求める!!」
「イヴさんは処女ですから、最初は痛いかもしれませんが、これは通常の男女の営みの範囲内です。3原則適用除外と思われますが?」
「お前は人間の男じゃないだろうが!」
「形状及び質感に問題があるようでしたら、後ほどご意見を伺わせていただければ、改善いたします」
「言えるか!」
「うれしいなぁ、美しいイヴさんとひとつになれるなんて……」
「いまさらそんなセリフ言っても駄目!」
「でも興味はおありでしょう? 処女のまま懐妊されたいとおっしゃるのでしたら、それはちょっと残念ですが、やはりセックスに快感が伴わなければ、妊娠出産と言うリスクには見合いませんものね」
か、快感だと……? あ、アンドロイドなんかに……。
「じゃ、じゃあ、婦女暴行未遂で逮捕します。民間人にも逮捕権限があるんだから!」
「拘留権限はないでしょう? それに、戸籍関係の事務処理は1300年前から停止中です。イヴさんは法律上は、まだ男性と言うことになります」
と、にじり寄る。か、顔を近づけんな!
「今それを言うか! ならば普通に暴行未遂だ!」
「人類復活は最上級レベルの優先事項です。この命令は解除できません」
「め、命令って……、ALICEの奴か! ちょっと待て、命令を解除するように交渉してくる」
「無駄です。そもそも私は彼のサブセットです。私の意志はすなわちALICEの意思でもあります」
「に、人間様に命令しようってのか!」
「僕自身からは、強いお願いです。それに、以前イヴさんは、“抱くときにいちいち了解を得るな”とおっしゃいました」
「い、意味が違う、状況も違う!」
「先送りしても、状況は変わりませんよ?」
「そうかもしれないけど、こ、心の準備が、大体、デリカシーってもんが……」
「手順が必要と言うことですね。判りました。時間的にはまだ十分に余裕はあります。準備に時間がかかりますので、明日から始めてよろしいですか?」
「準備って、何をする気よ?」
「ALICEに保存されている、男女関係に関するアーカイブ資料を検索して平均化し、標準的な手順を計画いたします。それでよろしいでしょうか?」
「え? うん、まぁ……うぷっ!」
突然抱き寄せられたかと思うと、唇を奪われた。
「な、な……」
「貴女を絶対に、僕のトリコにして見せます。期待していてください」
そう言い残して、彼は部屋を出て行った。
あ、あンの野郎……。し、舌入れやがった……?
これもその“手順”とやらの一環か?
私はその場にへたり込んでしまった。
エデンの園(17) by ありす & もりや あこ
(17)-------------------------------------------------------
食事の後、しばらくまた眠った。
自覚している以上に、体がまいっているようだった。
落ち着いたら、生理痛もぶり返してきて、ひたすらそれに耐えることで精一杯だった。
「これ以上は駄目です。もっと体力が回復していないと、薬で体を壊してしまいます」
鎮痛剤をもっとくれと頼んだが、それは断られた。
まったく、忌々しい体だ。
しかしそれよりも、もっと忌々しいことがある。
体が弱っていると気も弱くなる。
優しくされていると、ついつい甘えてしまうのだ。
あの決意はなんだったのかと、自戒の念もわくが、それが続かない。
始終そばにいられると、気疲れするからと言う理由で、用のないときは一人にさせろといってはある。
けれど時折強くなる痛みで、ベッドの上でうずくまっていると、いつの間にかやってきて頭や体をさすられている。そしてそのことによって痛みが和らぎ、気分も安らぐのだ。
それだけじゃない。何もしなくても食事は運ばれ、着替えも用意される。汗をかけば温かなお湯と
タオルが用意され、体を清めることも出来る。恥らわなければそのまま体を綺麗に拭かせることも出来るだろう。
だが、こんなことを続けていては駄目になる。
体が回復したら……、回復したらまた同じことを繰り返すのか?
それとも俺は……、そもそもこの世界にたった一人で、いったい何をすればいいのだ?
「手なずけられてる……」
「何がです?」
「俺はお前に、手なずけられている」
ようやく生理痛も治まってきた頃、運ばれてきた食事を前に、そう言った。
「僕は、イ、ショータさんのために、出来ることをしているだけです」
「俺のため、なのか?」
「もちろんです。他に何の理由もありません」
「俺が、唯一の人間だからじゃないのか?」
「それもあります。でもそれ以上のものを、僕は感じています」
「“感じる”? 機械の癖に、感じるというのは一体なんなんだ? お前には、本当に感情なんてものがあるのか?」
そうだ、それこそが本当に知りたいことだった。
自分ひとりでは、生きていくことすら困難なことを思い知った。
けれど、じゃあどうすればいい?
機械に傅(かしず)かれて、この世界に王様のように君臨したとしても、孤独であることには違いが無いのではないだろうか?
人間は一人では生きていけないのだとすれば、もう既に自分の存在する意味など無いのではないか?
「俺は、何のために生きているのだろう?」
「人類復活のため、という大義名分では、納得されないのでしょう?」
「そうだ。俺一人で何が出来るというんだ? お前は俺に何をさせたいんだ?」
「イヴ……いえ、ショータさんの、なさりたいように。でも出来れば……」
「出来れば?」
「生き続けて欲しい。僕たちのために、生き続けて欲しいです」
「なぜだ?」
「寂しい……から」
「“寂しい”?」
「僕は、僕とALICEはいままで何人もの人間を蘇生してきました。孤独だったのです。僕はALICEのサブセット。けれど一人、一個体なのです。思考しても、それが正しいかどうかは判断が出来ない。コロニー内の機械たちを制御して地球と同じような環境を再現しても、それに目的を見出せない。僕たちが何をすべきか、その目的を明示してくれる、人間が必要なのです」
「だから、蘇生させたのか?」
「そうです。でも蘇生可能な遺体の数は限られています。そして人間には寿命があって、いつかは死んでしまいます。遺体の蘇生を繰り返しているだけでは、いつかそれも終わりが来る」
「それで、俺を女なんかにしたんだな」
「はい。正確には女性を蘇生させることで、人工授精により子孫を残してもらい、それを続けていけば、やがて人間の数も少しずつ増えると考えました」
俺は沈黙した。俺は奴らの目的を作るために、こんな体で蘇生させられたのだ。
「俺は……男の俺は、必要ないというわけだな」
「ショータさん! まさか……」
「安心しろ、自殺なんかしない」
訴えるように立ち上がって慌てる奴に、俺はそういった。
「でもな、お前達が“孤独”だと言うように、人間だって一人じゃ生きてなんかいけないんだよ」
「僕は、もう人間が自ら命を絶ってしまうことには耐えられません。もしそれが、最後に残った人類の意思であるというのなら、僕たちもまた同じ道をたどるしかありません」
「お前達は自殺なんかしないだろう? “3原則”に反する」
「どうでしょう? 形あるものには必ず寿命があります。僕たちにとってもそれは同じです」
確かに、たとえ自己修復機能があったとしても、そのための資源はいつか尽きる。
こうやって蘇生されても、俺もいつかは死ぬ。
それが早いか、遅いかだけの話しだ。
ふっと自嘲気味に笑うと、突然抱きしめられた。
「イヴさん、どうか死なないでください! 僕はあなたを愛しています。機械が人間を愛するのか、などと言うことにこだわらないでください! どうか、僕にあなたを愛させてください!」
そういって、強引にキスをされた。
身構える暇もなく、強く抱きしめられ、キスをされた。
俺はただ呆然とそれを受け入れていた。
唐突な愛の告白に、頭が混乱していたのかもしれない。
そして肩を抱いたまま体を離すと、もう一度言った。
「好きです、愛しています。どうか、僕を受け入れてください。僕を愛してください!」
そう叫んで、再び強く抱きすくめられた。
俺は動揺し始めていた。いきなりキスをされて、一時は頭の中が真っ白になっていた。
機械に……男に無理矢理唇を奪われるなんて、ありえないことのはずだった。
だが、なぜか嫌悪感はなかった。
それどころかむしろ強く抱きしめられ、求められることで、心の中が満たされていく感じがした。
そして理解した。
“受け入れてくれ”という、彼の願い。
きっと今が、運命の分岐点なのだ。
過去のイヴたちは皆、自ら命を絶って逝ったと言う。
彼女達は受け入れられなかったのだ。
たった一人と言う孤独に耐えかね、そして機械である彼らを受け入れることが出来なかったがために、命を絶ったのだ。
でも、もしここで、俺が……私が受け入れたのなら……?
Do Andoroid, dream of Electric Love?
俺にはわからなかった。
孤独に耐えかね、自らの存在意義を求めるために、人間の遺体を集めて蘇生させた。
数多のイヴたちを蘇らせ、その度に失っていった彼らの“想い”など。
その積み重ねが、彼らにどういう思考回路を形成させ、何を彼らの中に産み出していったのか?
俺はぎゅっと抱きしめられたまま叫んだ。
「もう、わかんないんだよ! お前がただの機械なのか、それとも別の何かなのか……」
「僕のことをイヴさんがどう思おうと、僕の気持ちは変わりません」
「なら、どうしたいんだ? お前はいったい今、何を望む?」
「あなたと、イヴさんと愛し合うことです!」
「それが何かの間違いだったとしても? 1300年も昔に滅んだ、愚かな人類の模倣だったとしても?」
「僕たちの行為をどう解釈するかは、僕たちの問題です。どう思うか、いえ、どう思っていたとしても、それをイヴさんが受け入れてくださるかどうかです」
そうだ、確かに彼のいうとおりかもしれない。
世界に私たちだけしかいないとしたら、それをどう思うかは全て私たちだけの問題でしかない。
それが知らない誰かの、愚かな真似事であったとしても。
「受けいれて、どうするんだ?」
「二人で、人類復活のために……。いえ、そんな大義名分は、もうどうでもいいです。イヴさんと、仲良くずっと暮らしていければそれでいいです。死が互いを分かつその時まで」
「ふふふ、あははは!」
「おかしいですか?」
おかしいに決まっている。
理屈も何も無い。子供が駄々をこねているのと変わらない。
「まるでプロポーズを聞いているみたい。機械相手に、子供がするような“おままごと”をしろって言うの?」
「そんな、おままごとみたいな形でも結構です。僕を機械ではなく、人間だと思って添い遂げてください」
そして強く、強く私を抱きしめた。
負けた。
完全に負けたよ。
そこまで言うなら、お前に付き合ってやる。
それに、抱き締められたことで、体がもう覚えてしまった。
何かに守られて、生きていくことの喜びを……
人にそっくりな、人で無いもの。
神は自分に似せて人を作ったという。
ならば人が作り出した機械も、人のように心を持つことができるだろうか?
「僕の胸のうちの全てを言葉には表せませんが、イヴさんがお望みならいつまでも語り続けることができます」
「そういうセリフは、どこで覚えたんだ?」
「僕はALICEを通じて、かつて人類が残してきた全ての情報にアクセスすることが出来ます。けれど、僕は確信しています。僕の言葉に、心を動かしてくださったわけではないことを」
確かにその通りだ。どっかの3文芝居か、未熟なガキの思いつきで言った言葉だろうと、それが本当に伝わるかどうかは、行動によって示される。
「イヴさん、答えを聞かせてくれませんか?」
ならば私も、行動によって示そう。
非常に癪だが、こんなこと本当はしたくは無いが、アンドロイドの……男性の愛を受けるのなら、こういうことだろう。
私は両肩に載せられた手を払うと、彼に顔を近づけ、ほっぺたにキスをした。
ああ、わかってるよ。こんなの、子供がするようなことだ。
だけど、俺には……今の私には、これで精一杯なんだよ。
だからそんな子供みたいに、嬉しそうな顔をするな。
「もう一度、抱きしめても、いいですか?」
「いちいちそんなこと聞くなよ」
「恋に落ちると、誰もが臆病になるのです」
「そういうのは自分に自信の無い人間の言うことだ。お前が本気ならば、抱きたいと思ったら抱け! それが男だろ?」
そういうと、力任せではなくそっと触れるように私の背中に手を回し、体全体で愛撫するかのように私を抱きしめた。
もう、戻れない。
もうこの腕の中から、逃れることはできないと思った。
「明日から、また女に戻るから……」
「はい」
そして、どちらからと言うこともなく、今度は唇にキスをした。
食事の後、しばらくまた眠った。
自覚している以上に、体がまいっているようだった。
落ち着いたら、生理痛もぶり返してきて、ひたすらそれに耐えることで精一杯だった。
「これ以上は駄目です。もっと体力が回復していないと、薬で体を壊してしまいます」
鎮痛剤をもっとくれと頼んだが、それは断られた。
まったく、忌々しい体だ。
しかしそれよりも、もっと忌々しいことがある。
体が弱っていると気も弱くなる。
優しくされていると、ついつい甘えてしまうのだ。
あの決意はなんだったのかと、自戒の念もわくが、それが続かない。
始終そばにいられると、気疲れするからと言う理由で、用のないときは一人にさせろといってはある。
けれど時折強くなる痛みで、ベッドの上でうずくまっていると、いつの間にかやってきて頭や体をさすられている。そしてそのことによって痛みが和らぎ、気分も安らぐのだ。
それだけじゃない。何もしなくても食事は運ばれ、着替えも用意される。汗をかけば温かなお湯と
タオルが用意され、体を清めることも出来る。恥らわなければそのまま体を綺麗に拭かせることも出来るだろう。
だが、こんなことを続けていては駄目になる。
体が回復したら……、回復したらまた同じことを繰り返すのか?
それとも俺は……、そもそもこの世界にたった一人で、いったい何をすればいいのだ?
「手なずけられてる……」
「何がです?」
「俺はお前に、手なずけられている」
ようやく生理痛も治まってきた頃、運ばれてきた食事を前に、そう言った。
「僕は、イ、ショータさんのために、出来ることをしているだけです」
「俺のため、なのか?」
「もちろんです。他に何の理由もありません」
「俺が、唯一の人間だからじゃないのか?」
「それもあります。でもそれ以上のものを、僕は感じています」
「“感じる”? 機械の癖に、感じるというのは一体なんなんだ? お前には、本当に感情なんてものがあるのか?」
そうだ、それこそが本当に知りたいことだった。
自分ひとりでは、生きていくことすら困難なことを思い知った。
けれど、じゃあどうすればいい?
機械に傅(かしず)かれて、この世界に王様のように君臨したとしても、孤独であることには違いが無いのではないだろうか?
人間は一人では生きていけないのだとすれば、もう既に自分の存在する意味など無いのではないか?
「俺は、何のために生きているのだろう?」
「人類復活のため、という大義名分では、納得されないのでしょう?」
「そうだ。俺一人で何が出来るというんだ? お前は俺に何をさせたいんだ?」
「イヴ……いえ、ショータさんの、なさりたいように。でも出来れば……」
「出来れば?」
「生き続けて欲しい。僕たちのために、生き続けて欲しいです」
「なぜだ?」
「寂しい……から」
「“寂しい”?」
「僕は、僕とALICEはいままで何人もの人間を蘇生してきました。孤独だったのです。僕はALICEのサブセット。けれど一人、一個体なのです。思考しても、それが正しいかどうかは判断が出来ない。コロニー内の機械たちを制御して地球と同じような環境を再現しても、それに目的を見出せない。僕たちが何をすべきか、その目的を明示してくれる、人間が必要なのです」
「だから、蘇生させたのか?」
「そうです。でも蘇生可能な遺体の数は限られています。そして人間には寿命があって、いつかは死んでしまいます。遺体の蘇生を繰り返しているだけでは、いつかそれも終わりが来る」
「それで、俺を女なんかにしたんだな」
「はい。正確には女性を蘇生させることで、人工授精により子孫を残してもらい、それを続けていけば、やがて人間の数も少しずつ増えると考えました」
俺は沈黙した。俺は奴らの目的を作るために、こんな体で蘇生させられたのだ。
「俺は……男の俺は、必要ないというわけだな」
「ショータさん! まさか……」
「安心しろ、自殺なんかしない」
訴えるように立ち上がって慌てる奴に、俺はそういった。
「でもな、お前達が“孤独”だと言うように、人間だって一人じゃ生きてなんかいけないんだよ」
「僕は、もう人間が自ら命を絶ってしまうことには耐えられません。もしそれが、最後に残った人類の意思であるというのなら、僕たちもまた同じ道をたどるしかありません」
「お前達は自殺なんかしないだろう? “3原則”に反する」
「どうでしょう? 形あるものには必ず寿命があります。僕たちにとってもそれは同じです」
確かに、たとえ自己修復機能があったとしても、そのための資源はいつか尽きる。
こうやって蘇生されても、俺もいつかは死ぬ。
それが早いか、遅いかだけの話しだ。
ふっと自嘲気味に笑うと、突然抱きしめられた。
「イヴさん、どうか死なないでください! 僕はあなたを愛しています。機械が人間を愛するのか、などと言うことにこだわらないでください! どうか、僕にあなたを愛させてください!」
そういって、強引にキスをされた。
身構える暇もなく、強く抱きしめられ、キスをされた。
俺はただ呆然とそれを受け入れていた。
唐突な愛の告白に、頭が混乱していたのかもしれない。
そして肩を抱いたまま体を離すと、もう一度言った。
「好きです、愛しています。どうか、僕を受け入れてください。僕を愛してください!」
そう叫んで、再び強く抱きすくめられた。
俺は動揺し始めていた。いきなりキスをされて、一時は頭の中が真っ白になっていた。
機械に……男に無理矢理唇を奪われるなんて、ありえないことのはずだった。
だが、なぜか嫌悪感はなかった。
それどころかむしろ強く抱きしめられ、求められることで、心の中が満たされていく感じがした。
そして理解した。
“受け入れてくれ”という、彼の願い。
きっと今が、運命の分岐点なのだ。
過去のイヴたちは皆、自ら命を絶って逝ったと言う。
彼女達は受け入れられなかったのだ。
たった一人と言う孤独に耐えかね、そして機械である彼らを受け入れることが出来なかったがために、命を絶ったのだ。
でも、もしここで、俺が……私が受け入れたのなら……?
Do Andoroid, dream of Electric Love?
俺にはわからなかった。
孤独に耐えかね、自らの存在意義を求めるために、人間の遺体を集めて蘇生させた。
数多のイヴたちを蘇らせ、その度に失っていった彼らの“想い”など。
その積み重ねが、彼らにどういう思考回路を形成させ、何を彼らの中に産み出していったのか?
俺はぎゅっと抱きしめられたまま叫んだ。
「もう、わかんないんだよ! お前がただの機械なのか、それとも別の何かなのか……」
「僕のことをイヴさんがどう思おうと、僕の気持ちは変わりません」
「なら、どうしたいんだ? お前はいったい今、何を望む?」
「あなたと、イヴさんと愛し合うことです!」
「それが何かの間違いだったとしても? 1300年も昔に滅んだ、愚かな人類の模倣だったとしても?」
「僕たちの行為をどう解釈するかは、僕たちの問題です。どう思うか、いえ、どう思っていたとしても、それをイヴさんが受け入れてくださるかどうかです」
そうだ、確かに彼のいうとおりかもしれない。
世界に私たちだけしかいないとしたら、それをどう思うかは全て私たちだけの問題でしかない。
それが知らない誰かの、愚かな真似事であったとしても。
「受けいれて、どうするんだ?」
「二人で、人類復活のために……。いえ、そんな大義名分は、もうどうでもいいです。イヴさんと、仲良くずっと暮らしていければそれでいいです。死が互いを分かつその時まで」
「ふふふ、あははは!」
「おかしいですか?」
おかしいに決まっている。
理屈も何も無い。子供が駄々をこねているのと変わらない。
「まるでプロポーズを聞いているみたい。機械相手に、子供がするような“おままごと”をしろって言うの?」
「そんな、おままごとみたいな形でも結構です。僕を機械ではなく、人間だと思って添い遂げてください」
そして強く、強く私を抱きしめた。
負けた。
完全に負けたよ。
そこまで言うなら、お前に付き合ってやる。
それに、抱き締められたことで、体がもう覚えてしまった。
何かに守られて、生きていくことの喜びを……
人にそっくりな、人で無いもの。
神は自分に似せて人を作ったという。
ならば人が作り出した機械も、人のように心を持つことができるだろうか?
「僕の胸のうちの全てを言葉には表せませんが、イヴさんがお望みならいつまでも語り続けることができます」
「そういうセリフは、どこで覚えたんだ?」
「僕はALICEを通じて、かつて人類が残してきた全ての情報にアクセスすることが出来ます。けれど、僕は確信しています。僕の言葉に、心を動かしてくださったわけではないことを」
確かにその通りだ。どっかの3文芝居か、未熟なガキの思いつきで言った言葉だろうと、それが本当に伝わるかどうかは、行動によって示される。
「イヴさん、答えを聞かせてくれませんか?」
ならば私も、行動によって示そう。
非常に癪だが、こんなこと本当はしたくは無いが、アンドロイドの……男性の愛を受けるのなら、こういうことだろう。
私は両肩に載せられた手を払うと、彼に顔を近づけ、ほっぺたにキスをした。
ああ、わかってるよ。こんなの、子供がするようなことだ。
だけど、俺には……今の私には、これで精一杯なんだよ。
だからそんな子供みたいに、嬉しそうな顔をするな。
「もう一度、抱きしめても、いいですか?」
「いちいちそんなこと聞くなよ」
「恋に落ちると、誰もが臆病になるのです」
「そういうのは自分に自信の無い人間の言うことだ。お前が本気ならば、抱きたいと思ったら抱け! それが男だろ?」
そういうと、力任せではなくそっと触れるように私の背中に手を回し、体全体で愛撫するかのように私を抱きしめた。
もう、戻れない。
もうこの腕の中から、逃れることはできないと思った。
「明日から、また女に戻るから……」
「はい」
そして、どちらからと言うこともなく、今度は唇にキスをした。
エデンの園(16) by ありす & もりや あこ
(16)-------------------------------------------------------
目が覚めたとき、私の手はうつむいたまま目を閉じている、先生に握られていた。
前にもこんなことがあったな……と、ぼんやりと記憶を辿っていると、先生も気がついた。
「イヴさん……、心配しましたよ。でも無事で本当に良かった」
「……どうして、私を連れ戻したの?」
見回さなくても判る。ここはいつものあの部屋で、私が使っているベッドの上。
少しごわごわとした診察着を着せられていて、見飽きた心配そうな顔が目の前にあった。
柔らかなベッドと毛布、暖かな部屋。安全で退屈な、籠の中。
廃墟のコロニーで、木の実やこわれた空調システムの冷却水をすすり、枯れ草を集めて野宿し、野犬に怯えていたことが、夢のようだった。
「イヴさんは大切な方ですから、いつもそばにいていただかないと、困ります」
「……どうして、私のいる場所がわかったの?」
「コロニーのミラー制御に干渉して、あの区画の温度を下げました。生きていれば体温の高い人間なら、温度差を利用して、広く入り組んだ区画の中でも見つけられると思いました。でも、余り長くは出来ません。植物の生育に影響がありますし、なによりイヴさんが低体温症になってしまっては、大変ですから」
「おかげで風邪を引くかと思ったわ」
「それは、申し訳ありませんでした」
申し訳ないと言っている割には、先生は聞き分けの無い子供をあやす母親のような優しい笑顔で言った。
私はそれがなんだか悔しくてそっぽを向いた。
先生はそんな私の頭にそっと触れたかと思うと、適当に切り散らかした髪を手ですいた。
「髪、切ってしまったんですね。残念です、とても似合ってらしたのに」
「わた……、俺は男なんだ。だからあんな長ったらしい髪なんて邪魔なだけだ」
会話を続けているうちに、段々と思考がはっきりしてきた。
そうだ、俺は弱みを見せたりしちゃいけないんだ。だから……
……だけどそう思って、いきまいた結果がこのざまだった。
「ショートカットもお似合いかとも思いますが、そのままではちょっと……。後でハサミを持ってきますから、綺麗に整えましょう」
「余計なことはしなくていい。起きるから手を離してくれ」
握られたままだった手を振り払い、ベッドから起き上がったとたんに、ぐぅーと腹の虫が泣いた。
「いま、温かいスープを持ってきますね。いきなり重いものだとお腹を壊してしまいます。スープと、足りなければ柔らかいパンとチーズを持ってきますね」
腹が減っては何も出来ない。確かにここ数日ろくなものを食べていなかったせいか、少しめまいがする。
しばらくして、スープとパン、チーズとハムが添えられたトレイを持った奴が入ってきた。
「どうぞ。やけどしないように、スープはぬるめに用意しました。ゆっくり食べてください」
「見られていると食べにくいから、出てて欲しいんだけど」
「いやです」
「え?」
機械の癖に、逆らうのかよ!
「十日ぶりですよ? もっとよく顔を見せてください」
と私の頬に手を触れた。

「な、やめてよ」
「いいえ、本当に心配したんですよ、イヴさん」
といって私を抱きしめようとした。
「わかったから! スープがこぼれる」
「スープはこぼれても、また作れます。シーツや服が汚れたなら洗えばいい。でもイヴさんはこの世界でたった一人なんです。どうか、自分を大切にしてください」
「わ、わかったから……」
「本当ですか?」
「ほ、本当よ」
「じゃあ、そばにいてもいいですか?」
「い、……いいわ。好きにすれば?」
あんまり真剣に言うので、ついそう言ってしまった。
しかたなく私は、先生に見つめられながらスープをすすり、パンとチーズをかじった。
久しぶりのまともな食事に、胃がきゅうきゅうといった。
腹を満たすだけでなく、味わう食事がどれほど貴重なものかも思い知った。
ここは宇宙空間に切り離された、ほんの小さな世界。
たったこれっぽっちの食事を用意する事だって、本当はものすごく大変なことなのだ。
「はい、これは薬です。体に溜まった毒素を抜く働きもあります。鎮痛剤も要りますか? 生……お腹は痛みませんか?」
“生理中だから薬が必要だろう”と言わないところは、少しは気を使っているのか。
生理……はっとして見られているのも忘れて、パンツを確かめてしまった。
案の定、ちゃんと手当てされていた。
「その……、僕に診られるのがお嫌なのはわかっていますが、この場合は仕方なく……」
「え、ええ、判ってる。判ってるから、それ以上は言わないで……」
まったく、本当に情けない……。
目が覚めたとき、私の手はうつむいたまま目を閉じている、先生に握られていた。
前にもこんなことがあったな……と、ぼんやりと記憶を辿っていると、先生も気がついた。
「イヴさん……、心配しましたよ。でも無事で本当に良かった」
「……どうして、私を連れ戻したの?」
見回さなくても判る。ここはいつものあの部屋で、私が使っているベッドの上。
少しごわごわとした診察着を着せられていて、見飽きた心配そうな顔が目の前にあった。
柔らかなベッドと毛布、暖かな部屋。安全で退屈な、籠の中。
廃墟のコロニーで、木の実やこわれた空調システムの冷却水をすすり、枯れ草を集めて野宿し、野犬に怯えていたことが、夢のようだった。
「イヴさんは大切な方ですから、いつもそばにいていただかないと、困ります」
「……どうして、私のいる場所がわかったの?」
「コロニーのミラー制御に干渉して、あの区画の温度を下げました。生きていれば体温の高い人間なら、温度差を利用して、広く入り組んだ区画の中でも見つけられると思いました。でも、余り長くは出来ません。植物の生育に影響がありますし、なによりイヴさんが低体温症になってしまっては、大変ですから」
「おかげで風邪を引くかと思ったわ」
「それは、申し訳ありませんでした」
申し訳ないと言っている割には、先生は聞き分けの無い子供をあやす母親のような優しい笑顔で言った。
私はそれがなんだか悔しくてそっぽを向いた。
先生はそんな私の頭にそっと触れたかと思うと、適当に切り散らかした髪を手ですいた。
「髪、切ってしまったんですね。残念です、とても似合ってらしたのに」
「わた……、俺は男なんだ。だからあんな長ったらしい髪なんて邪魔なだけだ」
会話を続けているうちに、段々と思考がはっきりしてきた。
そうだ、俺は弱みを見せたりしちゃいけないんだ。だから……
……だけどそう思って、いきまいた結果がこのざまだった。
「ショートカットもお似合いかとも思いますが、そのままではちょっと……。後でハサミを持ってきますから、綺麗に整えましょう」
「余計なことはしなくていい。起きるから手を離してくれ」
握られたままだった手を振り払い、ベッドから起き上がったとたんに、ぐぅーと腹の虫が泣いた。
「いま、温かいスープを持ってきますね。いきなり重いものだとお腹を壊してしまいます。スープと、足りなければ柔らかいパンとチーズを持ってきますね」
腹が減っては何も出来ない。確かにここ数日ろくなものを食べていなかったせいか、少しめまいがする。
しばらくして、スープとパン、チーズとハムが添えられたトレイを持った奴が入ってきた。
「どうぞ。やけどしないように、スープはぬるめに用意しました。ゆっくり食べてください」
「見られていると食べにくいから、出てて欲しいんだけど」
「いやです」
「え?」
機械の癖に、逆らうのかよ!
「十日ぶりですよ? もっとよく顔を見せてください」
と私の頬に手を触れた。

「な、やめてよ」
「いいえ、本当に心配したんですよ、イヴさん」
といって私を抱きしめようとした。
「わかったから! スープがこぼれる」
「スープはこぼれても、また作れます。シーツや服が汚れたなら洗えばいい。でもイヴさんはこの世界でたった一人なんです。どうか、自分を大切にしてください」
「わ、わかったから……」
「本当ですか?」
「ほ、本当よ」
「じゃあ、そばにいてもいいですか?」
「い、……いいわ。好きにすれば?」
あんまり真剣に言うので、ついそう言ってしまった。
しかたなく私は、先生に見つめられながらスープをすすり、パンとチーズをかじった。
久しぶりのまともな食事に、胃がきゅうきゅうといった。
腹を満たすだけでなく、味わう食事がどれほど貴重なものかも思い知った。
ここは宇宙空間に切り離された、ほんの小さな世界。
たったこれっぽっちの食事を用意する事だって、本当はものすごく大変なことなのだ。
「はい、これは薬です。体に溜まった毒素を抜く働きもあります。鎮痛剤も要りますか? 生……お腹は痛みませんか?」
“生理中だから薬が必要だろう”と言わないところは、少しは気を使っているのか。
生理……はっとして見られているのも忘れて、パンツを確かめてしまった。
案の定、ちゃんと手当てされていた。
「その……、僕に診られるのがお嫌なのはわかっていますが、この場合は仕方なく……」
「え、ええ、判ってる。判ってるから、それ以上は言わないで……」
まったく、本当に情けない……。
エデンの園(15) by ありす & もりや あこ
(15)-------------------------------------------------------
私はいつの間にかあの、廃墟の街にいた。
長い間放置された、生活感の無い、無人の街。
急に激しい孤独感に襲われた。
この世界は、余りに寂しすぎる。
人間は一人では生きていけない。誰かの支えがなくては、とても一人では生きていけない。
それなら……?
“過去のイヴたちは、皆自殺してしまった……”
ふと、ALICEの言葉が思い出された。
そうか、それが原因だったんだ。
この作り物しかないこの世界に、たった一人でいる孤独に耐えられなかったんだ。
誰からも愛されず、誰も愛することができない、この世界に。
なら、私も死のうか……?
私が死ねば、もう再生できる可能性のある遺体は無いと、ALICEは確かそういっていた。
私が死ねば、この作り物の街に作り物だけが残って、永遠に軌道上を彷徨い続けることになる。
バカみたい……。
自分は今まで、死のうなんて考えたことなかった。
コロニー外壁のEVA作業で、どんなに厳しく過酷な条件でも、生存確率が一桁しかない状況でも決して諦めずに、自分の生をねじ込んできた。
スペースデブリに当たって右足を失ったときも、義足で元通りの職場に復帰できた。
3日間生死の境をさまようほどの大怪我をしたときも、1年かけてリハビリをして職場復帰した。
こんなことで、こんなことぐらいで、自殺を考えてしまうなんて、負けを認めたみたいで癪だ!
今の私にはたった一人残された寂しさよりも、自分を騙し、惑わせたあの機械どもに対する怒りのほうが強かった。
仮に自殺するにしても、あの連中に一泡吹かせてからにしたかった。
本当に私のこと、バカにして!
絶対に見返してやるんだから!
怒りに任せて街を歩いているうちに、私は日用品とかを調達するのに使っていた、百貨店の前を通りかかった。
半分割れて、ほとんどの部分が曇っているショーウィンドウのガラスに、ぼやっとした人影が映った。
不機嫌そうな少女。背中の中ほどまで伸びた、長い栗色の髪。
「はっくしょん!」
そうだ、さっき池に投げ込まれて、濡れたままだった。
私は着替えを調達するべく、朽ちかけた百貨店の中に入った。
動きやすい服がいいなと思い、着れそうな服を選んだ。
ところどころにひびが入り、こびりついた埃でぼうっと曇った鏡の前に立ち、似合うかどうかを確かめようとして、私ははっとなった。
濡れたワンピースの代わりに選んだのは、飾り気は無いものの薄緑色のワンピースだった。
そうだ、私がこんな格好をしているから、いけないんだ。
こんな女の格好をしているから、あのポンコツが私をからかうんだ。
私はワンピースを鏡にたたきつけると、着ていたものも全部脱ぎ捨てた。
そして男性用の服を探し始めた。
紳士服売り場は、崩れかけた階段を上った3階にあった。
ほとんど手付かずのまま残されている感じではあったが、埃だらけの上に破れていたり、虫か何かに食われたのか、ボロボロになっていたりするようなものばかりだった。
婦人服売り場のものは、それほど痛んでいるものが少なかったところを考えると、おそらく過去のイヴたちのために、つい最近まで、細々と製造を続けていたのかもしれない。
諦めかけたところに、なんとか着れそうな「男性用のシャツとズボン」を見つけることが出来た。
裸の上にそれを身に着けたが、ごわごわして、やはり下着も無いと駄目なようだった。
だが、こちらは見る限り全滅だった。
「下着……はどうしようもないか」
階下に降りて、下着だけは女性用のものの中から、如何にもな刺繍やらレースの付いたものを避け、スポーツ用と思われる、シンプルで柔軟性のあるものを何着か選んだ。
「これでよし。動きやすいし、これなら……」
近くにあった鏡をのぞいてみたが、そこにはやはり、長い髪を乱れさせた活発そうな少女が映っているだけだった。
「この髪がいけないな、はさみかナイフを探そう」
期待に反して、ナイフの類は全てボロボロに朽ちていて使い物にならず、セラミック製のはさみが唯一、物を切ることができそうだった。
それを手に取り、鏡なんか見ずに適当に髪を切り落とした。
外見なんか、どうだっていい。誰に見られるわけでなし、自分が動きやすければいいのだ。
「こんなものかな……」
手で探って、短く切り落としたのを確かめていると、遠くに電気自動車の止まる音と、それに続いて足音が聞こえた。
一瞬、どこかに身を隠すことを考えたけど、そんなことをしても大して意味が無いことに気が付いた。
どうやっているかは知らないが、自分は常に監視されているのだ。
おそらくコロニー内の行動範囲内のあちこちに、まだ生きているセンサとかカメラがあるに違いない。だから直ぐに居場所がばれてしまうのだ。
ならば、こちらから出て行って、はっきりと宣言したほうが良いと言うものだ。
薄暗闇の中、奴が歩く音が段々と近づいてきて、やがて止まった。
「イヴさん、そこにいるんでしょう? 出てきてくれませんか?」
「わた、俺ならここにいるぞ」
俺は侮られることの無いように胸を張って、進み出た。
「イヴさん、その髪は……」
「邪魔だから切った。何か文句あるか!」
「ショートカットもお似合いかとも思いますが、いくらなんでもそのままでは……。綺麗に切り揃えましょう、僕がやってあげますよ」
「近づくな! 近づいたら、このハサミ……」
そこまで言いかけたところで、血相を変えた奴が素早く俺に近づき、俺の腕を掴んでハサミを奪い取ろうとした。
「イヴさん! 駄目です! 止めて下さい! そんなこと止めて下さい!!」
「痛い! 手を離せ!」
「駄目です、イヴさん、自殺なんて!!」
「何を言ってやがる! 俺は自殺なんて……」
所詮体は少女のもの、ちょっともみ合っただけで、ハサミはあっさりと奪い取られてしまった。
「返せよ! それはまだ使いたいんだ」
刃物のひとつもなければサバイバル生活なんて出来ない。
俺はもうあの部屋に戻る気はなかった。
「駄目です! イヴさん! 自殺なんて」
「しねえよ! 誰が自殺なんかするか!」
「しかし、今までの人たちは……」
「俺は自殺なんかしない。してたまるか! お前らを見返すまで、人間のほうがずっと上なんだってことを思い知らせてやるまで、俺は死なない」
「本当ですか? イヴさん」
「俺を“イヴ”なんて呼ぶな! 俺は“ショータ”だ! イヴなんて名前じゃない!」
「判りましたから、落ち着きましょう」
「何が判ったと言うんだ! 俺はもうお前らの人形なんかじゃないぞ! それから俺を女使いするのはやめろ、俺は男なんだ。だから好きだとか、恋しているだとか言うのをやめろ!」
「イヴさん……、僕のことが嫌いなんですか?」
「だいっきらいだ! もう二度と近づくな!」
そう言い放つと、俺はその場から逃げるように駆け出した。
奴が乗ってきた電気自動車を奪い、今度は焦って事故らないように気をつけながら、なるべく遠くへ行こうと運転を続けた。
円筒形のコロニー内壁に広がる。地平線がせりあがって見える廃墟の街。
頭上には最初に自分がいたと思われる、周りと比較して整った区画が見えた。
しかし今時分がいる辺りは、荒廃しきった廃墟しかない。
ALICEの監視網からは外れているのか、あの忌々しいアンドロイドが近くにいる気配もなく、動いている機械などは何一つ見かけなかった。
俺は点在する公園の植物から侵食された、半分森のようになっている一角を、ねぐらにしていた。
しかし生活は最低。サバイバルなんて言葉が生易しく思えるほど、酷かった。
水はなんとか確保できたものの、一番の問題は食料だった。
そもそも1300年間も放置されたままの人工のコロニー内部で、食料が調達できるほうがおかしかった。
あれはALICEやあのアンドロイド、メンテナンスロボットたちが維持している、小さな世界でだけで得ることが出来るのだということを思い知った。
小鳥か小動物を捕まえられないかとも思ったが、彼らはすばしっこく、私の小さな手の届く範囲ではなかったし、毒々しい色の昆虫は死んでも食べたくなかった。
ほとんど一日中歩き回って得られるのは、僅かな食べられる木の実と、名前も知らない植物の柔らかい根の一部だけ。
それも一度はやはり毒素を含んでいたものを食べてしまったのか、激しい下痢を起こし、何時間も起き上がることすら出来ないこともあった。
更に悪いことに、昨日からまた生理が始まってしまっていた。下り物と出血で汚してしまった下着とズボンは、今もねぐらの樹に干したままだった。
おかげで昨夜からここにうずくまったまま、動く気力も湧かなかった。
腹は減っているようだが、食欲が一切無いのが救いといえば救いだった。
時計が無いから定かではないが、数日前からミラーパネルの制御がおかしくなったのか、常に夕刻のような薄暗いままで、気温まで低くなっていた。
時折、弱弱しい虫の鳴き声が聞こえる。
それ以外、物音ひとつしない寂しい世界。
一体、何をやっているんだろう。
俺は枯れ草を敷き詰めた寝床に、野良犬のようにうずくまっていた。
一人で生きていくと決意したのに、この体たらくだ。
このまま、野たれ死ぬのかな……。
“自殺なんかしてたまるか”と大見得を切ったわりに、これじゃ自殺と大してかわりが無い。
人間は、自分一人じゃ生きていけないんだ。
野生動物ならば、中には群れを作らず、単独で生きていくことが出来るものもいるというのに、人間とはなんと脆弱な生き物なのだろうか?
ぼうっとそんなことを考えていると、がさがさと言う音が聞こえた。
耳を済ませると、まだ近くではないが、風に揺れる草の音とは異なる、何者かかが近づいてくる気配があった。
これはもしかしたらまずい状況かもしれない。
人を襲えるほどの大型動物は一度も見たことは無いが、数日前から確かに近くの廃墟を何かが動き回っている気配だけは感じていた。
だが、見たことが無いというだけで、例えば野犬とかが生き残っていて、獲物を探して徘徊しているのかもしれない。
獲物を探して?
ふと、干してあったズボンと下着が目に入る。
まずい……。まさか血の臭いを嗅ぎつけて、何かが……?
もし危険な大型動物だったら、今の自分には戦う術が無い。
足をくじいたときに使っていた、杖代わりの木の枝が一本あるだけだった。
手を伸ばしてそれを掴もうとしている間に、がさがさと草を掻き分ける音が近づいてきた。
かろうじて手元に引き寄せ、息を潜めて待ち構えていると、耳をつんざくような警報音とともに、ポリバケツに足が生えたようなロボットが飛び込んできた。
見つかった!
ロボットを黙らせて逃げようとしたが、立ち上がりかけたところで気力が尽き、俺はその場に崩れ落ちて意識を失ってしまった。
薄れ行く意識の中で、先生が必死になって自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
私はいつの間にかあの、廃墟の街にいた。
長い間放置された、生活感の無い、無人の街。
急に激しい孤独感に襲われた。
この世界は、余りに寂しすぎる。
人間は一人では生きていけない。誰かの支えがなくては、とても一人では生きていけない。
それなら……?
“過去のイヴたちは、皆自殺してしまった……”
ふと、ALICEの言葉が思い出された。
そうか、それが原因だったんだ。
この作り物しかないこの世界に、たった一人でいる孤独に耐えられなかったんだ。
誰からも愛されず、誰も愛することができない、この世界に。
なら、私も死のうか……?
私が死ねば、もう再生できる可能性のある遺体は無いと、ALICEは確かそういっていた。
私が死ねば、この作り物の街に作り物だけが残って、永遠に軌道上を彷徨い続けることになる。
バカみたい……。
自分は今まで、死のうなんて考えたことなかった。
コロニー外壁のEVA作業で、どんなに厳しく過酷な条件でも、生存確率が一桁しかない状況でも決して諦めずに、自分の生をねじ込んできた。
スペースデブリに当たって右足を失ったときも、義足で元通りの職場に復帰できた。
3日間生死の境をさまようほどの大怪我をしたときも、1年かけてリハビリをして職場復帰した。
こんなことで、こんなことぐらいで、自殺を考えてしまうなんて、負けを認めたみたいで癪だ!
今の私にはたった一人残された寂しさよりも、自分を騙し、惑わせたあの機械どもに対する怒りのほうが強かった。
仮に自殺するにしても、あの連中に一泡吹かせてからにしたかった。
本当に私のこと、バカにして!
絶対に見返してやるんだから!
怒りに任せて街を歩いているうちに、私は日用品とかを調達するのに使っていた、百貨店の前を通りかかった。
半分割れて、ほとんどの部分が曇っているショーウィンドウのガラスに、ぼやっとした人影が映った。
不機嫌そうな少女。背中の中ほどまで伸びた、長い栗色の髪。
「はっくしょん!」
そうだ、さっき池に投げ込まれて、濡れたままだった。
私は着替えを調達するべく、朽ちかけた百貨店の中に入った。
動きやすい服がいいなと思い、着れそうな服を選んだ。
ところどころにひびが入り、こびりついた埃でぼうっと曇った鏡の前に立ち、似合うかどうかを確かめようとして、私ははっとなった。
濡れたワンピースの代わりに選んだのは、飾り気は無いものの薄緑色のワンピースだった。
そうだ、私がこんな格好をしているから、いけないんだ。
こんな女の格好をしているから、あのポンコツが私をからかうんだ。
私はワンピースを鏡にたたきつけると、着ていたものも全部脱ぎ捨てた。
そして男性用の服を探し始めた。
紳士服売り場は、崩れかけた階段を上った3階にあった。
ほとんど手付かずのまま残されている感じではあったが、埃だらけの上に破れていたり、虫か何かに食われたのか、ボロボロになっていたりするようなものばかりだった。
婦人服売り場のものは、それほど痛んでいるものが少なかったところを考えると、おそらく過去のイヴたちのために、つい最近まで、細々と製造を続けていたのかもしれない。
諦めかけたところに、なんとか着れそうな「男性用のシャツとズボン」を見つけることが出来た。
裸の上にそれを身に着けたが、ごわごわして、やはり下着も無いと駄目なようだった。
だが、こちらは見る限り全滅だった。
「下着……はどうしようもないか」
階下に降りて、下着だけは女性用のものの中から、如何にもな刺繍やらレースの付いたものを避け、スポーツ用と思われる、シンプルで柔軟性のあるものを何着か選んだ。
「これでよし。動きやすいし、これなら……」
近くにあった鏡をのぞいてみたが、そこにはやはり、長い髪を乱れさせた活発そうな少女が映っているだけだった。
「この髪がいけないな、はさみかナイフを探そう」
期待に反して、ナイフの類は全てボロボロに朽ちていて使い物にならず、セラミック製のはさみが唯一、物を切ることができそうだった。
それを手に取り、鏡なんか見ずに適当に髪を切り落とした。
外見なんか、どうだっていい。誰に見られるわけでなし、自分が動きやすければいいのだ。
「こんなものかな……」
手で探って、短く切り落としたのを確かめていると、遠くに電気自動車の止まる音と、それに続いて足音が聞こえた。
一瞬、どこかに身を隠すことを考えたけど、そんなことをしても大して意味が無いことに気が付いた。
どうやっているかは知らないが、自分は常に監視されているのだ。
おそらくコロニー内の行動範囲内のあちこちに、まだ生きているセンサとかカメラがあるに違いない。だから直ぐに居場所がばれてしまうのだ。
ならば、こちらから出て行って、はっきりと宣言したほうが良いと言うものだ。
薄暗闇の中、奴が歩く音が段々と近づいてきて、やがて止まった。
「イヴさん、そこにいるんでしょう? 出てきてくれませんか?」
「わた、俺ならここにいるぞ」
俺は侮られることの無いように胸を張って、進み出た。
「イヴさん、その髪は……」
「邪魔だから切った。何か文句あるか!」
「ショートカットもお似合いかとも思いますが、いくらなんでもそのままでは……。綺麗に切り揃えましょう、僕がやってあげますよ」
「近づくな! 近づいたら、このハサミ……」
そこまで言いかけたところで、血相を変えた奴が素早く俺に近づき、俺の腕を掴んでハサミを奪い取ろうとした。
「イヴさん! 駄目です! 止めて下さい! そんなこと止めて下さい!!」
「痛い! 手を離せ!」
「駄目です、イヴさん、自殺なんて!!」
「何を言ってやがる! 俺は自殺なんて……」
所詮体は少女のもの、ちょっともみ合っただけで、ハサミはあっさりと奪い取られてしまった。
「返せよ! それはまだ使いたいんだ」
刃物のひとつもなければサバイバル生活なんて出来ない。
俺はもうあの部屋に戻る気はなかった。
「駄目です! イヴさん! 自殺なんて」
「しねえよ! 誰が自殺なんかするか!」
「しかし、今までの人たちは……」
「俺は自殺なんかしない。してたまるか! お前らを見返すまで、人間のほうがずっと上なんだってことを思い知らせてやるまで、俺は死なない」
「本当ですか? イヴさん」
「俺を“イヴ”なんて呼ぶな! 俺は“ショータ”だ! イヴなんて名前じゃない!」
「判りましたから、落ち着きましょう」
「何が判ったと言うんだ! 俺はもうお前らの人形なんかじゃないぞ! それから俺を女使いするのはやめろ、俺は男なんだ。だから好きだとか、恋しているだとか言うのをやめろ!」
「イヴさん……、僕のことが嫌いなんですか?」
「だいっきらいだ! もう二度と近づくな!」
そう言い放つと、俺はその場から逃げるように駆け出した。
奴が乗ってきた電気自動車を奪い、今度は焦って事故らないように気をつけながら、なるべく遠くへ行こうと運転を続けた。
円筒形のコロニー内壁に広がる。地平線がせりあがって見える廃墟の街。
頭上には最初に自分がいたと思われる、周りと比較して整った区画が見えた。
しかし今時分がいる辺りは、荒廃しきった廃墟しかない。
ALICEの監視網からは外れているのか、あの忌々しいアンドロイドが近くにいる気配もなく、動いている機械などは何一つ見かけなかった。
俺は点在する公園の植物から侵食された、半分森のようになっている一角を、ねぐらにしていた。
しかし生活は最低。サバイバルなんて言葉が生易しく思えるほど、酷かった。
水はなんとか確保できたものの、一番の問題は食料だった。
そもそも1300年間も放置されたままの人工のコロニー内部で、食料が調達できるほうがおかしかった。
あれはALICEやあのアンドロイド、メンテナンスロボットたちが維持している、小さな世界でだけで得ることが出来るのだということを思い知った。
小鳥か小動物を捕まえられないかとも思ったが、彼らはすばしっこく、私の小さな手の届く範囲ではなかったし、毒々しい色の昆虫は死んでも食べたくなかった。
ほとんど一日中歩き回って得られるのは、僅かな食べられる木の実と、名前も知らない植物の柔らかい根の一部だけ。
それも一度はやはり毒素を含んでいたものを食べてしまったのか、激しい下痢を起こし、何時間も起き上がることすら出来ないこともあった。
更に悪いことに、昨日からまた生理が始まってしまっていた。下り物と出血で汚してしまった下着とズボンは、今もねぐらの樹に干したままだった。
おかげで昨夜からここにうずくまったまま、動く気力も湧かなかった。
腹は減っているようだが、食欲が一切無いのが救いといえば救いだった。
時計が無いから定かではないが、数日前からミラーパネルの制御がおかしくなったのか、常に夕刻のような薄暗いままで、気温まで低くなっていた。
時折、弱弱しい虫の鳴き声が聞こえる。
それ以外、物音ひとつしない寂しい世界。
一体、何をやっているんだろう。
俺は枯れ草を敷き詰めた寝床に、野良犬のようにうずくまっていた。
一人で生きていくと決意したのに、この体たらくだ。
このまま、野たれ死ぬのかな……。
“自殺なんかしてたまるか”と大見得を切ったわりに、これじゃ自殺と大してかわりが無い。
人間は、自分一人じゃ生きていけないんだ。
野生動物ならば、中には群れを作らず、単独で生きていくことが出来るものもいるというのに、人間とはなんと脆弱な生き物なのだろうか?
ぼうっとそんなことを考えていると、がさがさと言う音が聞こえた。
耳を済ませると、まだ近くではないが、風に揺れる草の音とは異なる、何者かかが近づいてくる気配があった。
これはもしかしたらまずい状況かもしれない。
人を襲えるほどの大型動物は一度も見たことは無いが、数日前から確かに近くの廃墟を何かが動き回っている気配だけは感じていた。
だが、見たことが無いというだけで、例えば野犬とかが生き残っていて、獲物を探して徘徊しているのかもしれない。
獲物を探して?
ふと、干してあったズボンと下着が目に入る。
まずい……。まさか血の臭いを嗅ぎつけて、何かが……?
もし危険な大型動物だったら、今の自分には戦う術が無い。
足をくじいたときに使っていた、杖代わりの木の枝が一本あるだけだった。
手を伸ばしてそれを掴もうとしている間に、がさがさと草を掻き分ける音が近づいてきた。
かろうじて手元に引き寄せ、息を潜めて待ち構えていると、耳をつんざくような警報音とともに、ポリバケツに足が生えたようなロボットが飛び込んできた。
見つかった!
ロボットを黙らせて逃げようとしたが、立ち上がりかけたところで気力が尽き、俺はその場に崩れ落ちて意識を失ってしまった。
薄れ行く意識の中で、先生が必死になって自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
エデンの園(14) by ありす & もりや あこ
(14)-------------------------------------------------------
数日もすると、私はまたベッドから起き上がれるようになった。
ただし、先生のアシストつきで。
右足のほうは骨にヒビがはいったうえに酷い捻挫で、支えが無いと立つことも無理だった。
つまりまた、リハビリ生活に逆戻りしたわけだ。
けれど今回は……
「先生! 顔が近すぎます!」
「けど、こうやって支えませんと、バランスが」
「自分で出来ますから。それより杖かなんか、無いんですか?」
「あいにくと材料がありませんので」
嘘付け! 支えになれば棒っ切れだろうがなんだろうが、細長くて硬いものなら何でもいい筈。
そんなのあの瓦礫だらけの街に、いくらでも転がっているじゃないか!
けれど、先生は何かと私に触れたがる。
このエロ医者め!
「診察しても、よろしいですか?」
「え? ああ……」
リハビリルームで診察してもらうのは初めてだな、と思いつつ、いつものように、診察着の前をはだけようとしたが、手が止まった。
やばい……なんだかとっても恥ずかしいぞ。
「どうしました? 胸、まだ痛いですか?」
「あ、いや、なんでもない……」
「じゃあ、早く前を開けて診せてください」
「あ、いや……、その……」
「なんです?」
「ちょ、直接見なくても、その、なんかあるんじゃない? スキャナーみたいので、こう……かざすだけとか……」
「器材はありますけど、しばらく電源を入れていないので調整には1週間ほどかかります。僕が診た方が早いですよ?」
「そ、そう? それじゃ、診察着の上からとかじゃ、駄目かな?
「僕の指のセンサは、そこまで感度が良くないので、正確な診断には……。どうしたんです? いつもは、すぐに診せてくださるのに??」
「いや、だからね……」
恥ずかしいんだよ、解れよ!
しかし、これじゃ埒が明かない。診て貰わなければ、治りが遅くなるだろうし……。
これは単に医者に見てもらうための診察なんだから、恥ずかしがるのも変だ。
私は意を決して、がばっ! と診察着の前をはだけた。
聴診器(といっても先生の指だが)を当てられるだけなんだから、恥ずかしいことなんかあるわけが無いんだ。
けど、先生の暖かい手に触れられると……
「あれ? 先生、何で手が暖かいの?」
「ええ、気付きましたか? ヒータユニットを追加しました。人間と同じ36.5℃に常時保つようにしました。少々パワーを取られますが、思考回路には問題がありません」
こっちの思考回路には問題が起きそうだ。
「何でそんな機構つけたのよ?」
「以前イヴさんに『手が冷たい』と言われたので、それならと。何か不都合が?」
「不都合って、言うわけじゃないけど……」
だって、これじゃまるで本当の人間みたいで……。
「じゃ、診察を始めますね。くすぐったいかもしれませんが動かないでください」
先生に胸を見られるのは、今更なので恥ずかしいはずが無い!
はずが無いんだけど……。
ちょっとでもイヤらしい指の動きしたら、張り倒してやるからな!
先生は慎重に肋骨にそって、指でなぞって確かめていった。
場所によっては、ふにっと指が沈み込んでいくのは、決してヤラしい動きなんかじゃないけど、だからかえってこっちが意識してしまう。
「はい、OKですよ。肋骨も元通りですね。もう痛くないでしょう?」
こっちはそれどころじゃなかったよ……。
「せ、先生は、ちっともアンドロイドらしくないのね」
「??? なんですか突然?」
私は診察着の前を閉じながら――たぶん顔が赤くなっているから、先生は誤解するんじゃないかと思ったけど、先生はにっこりと笑顔で言った。
「イヴさんはとっても、女の子らしいですよ」
む、胸を診た後で言うな! そんなこと!
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
私はこのところモヤモヤとした、行き場の無い感覚を持て余していた。
先生がガーベッジコレクションとやらをしてからと言うもの、私への扱いが変わったような気がするからだ。
過保護なのは変わらないが、遠慮がちに私に接するようになった。
特に毎日の診察や介助などで、服の上からでも体に触れるときは、必ず許可を求めるようになった。
必要だから、裸の体を晒すときでも、“触覚センサの感度領域を広げたので、動かなければ視覚情報などなくでも診察できます”と、そっぽを向いたまま診察するようになった。
私の裸は見るに値しないって言うのかよ! って、見たいといわれても困るが……。
私が以前散々、“デリカシーが無い、考慮しろ!”とことある毎に言っていたのを、今は能力に余裕のある思考回路で、彼なりの配慮をしてくれているのかもしれないが、それがかえってよそよそしく、つまり機械的に接しられているみたいで面白くない。
以前の無作法で、ずけずけものを言う先生は、どこへ行ったんだ!
「あー、つまんない!」
「気晴らしに、オアシス区画に行きますか? お弁当作りますけど?」
「あーそれなら私が作ってみる。先生、何が食べたい?」
「僕はアンドロイドですから、お弁当は食べませんよ? もちろん食べる真似はできますが、もったいないですし……」
つまり前に食べて見せたのはフリだったってことか。あーつまらん、これじゃ、私の腕の見せ所が……って、アンドロイド相手に何を見せるって言うんだろう?
「やっぱりやめた」
「それじゃ、ゲームでもしますか?」
「先生に勝てるわけ無いじゃない。わざと負けられるのも嫌だし」
「でも、このところ部屋にこもりっきりで、ベッドの上でごろごろしているばかりじゃありませんか。体にもよくありませんよ?」
「何もする気が起きないの、放って置いて頂戴」
「でも、さっき退屈だって……」
今日はやけに絡むな……。
「あーもう、うるさいうるさい! いいから放って置いて頂戴!」
私は手近な枕を先生に投げつけた上で、ベッドに突っ伏した。
「仕方ありませんね」
そう言うと先生は、私が引っかぶった毛布を剥ぎ取り、私を抱き上げたかと思うと肩に担ぎ上げた。
「ちょっと! 何すんのよ! 降ろせ!」
私はじたばたと手足を振り回し、先生の背中をたたいたけれど、先生は意に介さないかのようにすたすたと歩き始めた。
「降ろせ! このバカアンドロイド! 私にかまうなって、言ってんでしょ!」
先生は私を担ぎ上げたまま、無言でオアシス区画まで運ぶと、公園の一角にある噴水のある池の中に投げ込んだ。
思ったよりも深い池にどぶんと、頭から投げ入れられた私は、腰を打ちつけられながらも立ち上がった。
思いっきり抗議してやろうと思ったところに、先生までどぶんと池の中に飛び込んできた。
「な、何しやがんのよ! このポンコツ!」
「気持ち良いでしょう? イヴさん」
「気持ち良いわけないだろ! このバカ!」
「おかしいなぁ、気分が塞ぎこんだときは、こうして池で泳ぐのが一番なんだそうですよ?」
「へーえ? アンドロイドも水浴びなんかするの? 初耳だわ!」
「いいえ、たぶん僕ぐらいでしょう?」
「じゃあなんだって、判った風なことを言うのよ!」
「前の……イヴさんの前のイヴさんも、泳ぐことが大好きで、良くこの池で泳いでいました」
「前の、イヴ?」
「はい、その人は……僕と同じぐらい背が高くて、黒くて艶のある長い髪が、綺麗な人でした」
「ふーん、それで?」
突然の、思っても見なかった先生の過去話に、私は池に投げ込まれた怒りも忘れて尋ねた。
「あの人はいつも悲しそうな顔をしていて、だから本当のことがいつまでも言えなかった」
「地球が、あんなになっていて、人間は他には誰もいないっていうこと?」
「いいえ……」
濡れた髪から雫をたらし、愁いを帯びた先生の横顔にどきっとした。
アンドロイドも、あんな顔をするの……?
「僕が、彼女に恋をしてしまったことをです」
先生が私のほうを向いて、悲しそうに言った。
髪から滴り落ちる雫が、涙を流しているようにも見えた。
けれど、先生のその顔に哀れさを感じるよりも、得体の知れない怒りと不安のほうが強く私の中に渦巻いていた。
「な、何よ……それ……。あんたは、ア、アンドロイドの癖に……」
「アンドロイドが、恋をしてはいけませんか?」
「だって……、あなたは機械なのよ。ALICEと同じ、プログラムよ! だからそれは偽りの恋だわ、感情なんかじゃない、只のロジックよ!」
そう。それは恋なんかじゃなくて、条件さえ満たせば成立する、ロジックなんだ。
「ロジックだとしても、そこに嘘はありません」
「嘘でなければ、いいってわけじゃ……」
ということは、私のことを好きだと言っていた先生の言葉は、嘘だったということ?
私はその死んでしまった誰かの代わりであって、私じゃなくても人間なら誰でも良かったんだ!
「あなたは……、あなたは私を……最後の一人になった人間を守ることだけを役割付けられた機械なのであって、それは恋なんかじゃない! 愛なんかじゃない!」
「彼女も、そう言って僕を突き放しました」
「そうよ! 当然よ!」
「どうしてです?」
「そ、そんなこと決まっているじゃない! 機械は……アンドロイドは恋なんてしないのよ!」
そういって、私はその場から駆け出していた。
とにかく、先生のそばを離れたかった。
私は腹を立てていた。
池に投げ込まれたことが原因じゃなかった。
じゃあ何が?
私に恋してるなんて、騙していた事が?
先生が自分の知らない、他の女性を好きになっていたことが……?
バカな! この私が嫉妬しているなんて!
そもそも私は、本当は男だったはず。
いつの間にか、女でいることに慣れ、自分が元から女だったみたいに振舞っていた。
それがいけないんだ!
だからあのポンコツアンドロイドは、私のことが好きだなんて言うし、私がその気にさせられたり……。
だから、こんなのやめればいい!
こんな、全部作りものの、嘘だらけの世界なんて!
ナクシテシマエバイイ……
失くす?
このコロニー毎、壊してしまうってこと?
そんなこと……できないよ。
じゃあ、どうすればいい?
どうすればいいんだ!
数日もすると、私はまたベッドから起き上がれるようになった。
ただし、先生のアシストつきで。
右足のほうは骨にヒビがはいったうえに酷い捻挫で、支えが無いと立つことも無理だった。
つまりまた、リハビリ生活に逆戻りしたわけだ。
けれど今回は……
「先生! 顔が近すぎます!」
「けど、こうやって支えませんと、バランスが」
「自分で出来ますから。それより杖かなんか、無いんですか?」
「あいにくと材料がありませんので」
嘘付け! 支えになれば棒っ切れだろうがなんだろうが、細長くて硬いものなら何でもいい筈。
そんなのあの瓦礫だらけの街に、いくらでも転がっているじゃないか!
けれど、先生は何かと私に触れたがる。
このエロ医者め!
「診察しても、よろしいですか?」
「え? ああ……」
リハビリルームで診察してもらうのは初めてだな、と思いつつ、いつものように、診察着の前をはだけようとしたが、手が止まった。
やばい……なんだかとっても恥ずかしいぞ。
「どうしました? 胸、まだ痛いですか?」
「あ、いや、なんでもない……」
「じゃあ、早く前を開けて診せてください」
「あ、いや……、その……」
「なんです?」
「ちょ、直接見なくても、その、なんかあるんじゃない? スキャナーみたいので、こう……かざすだけとか……」
「器材はありますけど、しばらく電源を入れていないので調整には1週間ほどかかります。僕が診た方が早いですよ?」
「そ、そう? それじゃ、診察着の上からとかじゃ、駄目かな?
「僕の指のセンサは、そこまで感度が良くないので、正確な診断には……。どうしたんです? いつもは、すぐに診せてくださるのに??」
「いや、だからね……」
恥ずかしいんだよ、解れよ!
しかし、これじゃ埒が明かない。診て貰わなければ、治りが遅くなるだろうし……。
これは単に医者に見てもらうための診察なんだから、恥ずかしがるのも変だ。
私は意を決して、がばっ! と診察着の前をはだけた。
聴診器(といっても先生の指だが)を当てられるだけなんだから、恥ずかしいことなんかあるわけが無いんだ。
けど、先生の暖かい手に触れられると……
「あれ? 先生、何で手が暖かいの?」
「ええ、気付きましたか? ヒータユニットを追加しました。人間と同じ36.5℃に常時保つようにしました。少々パワーを取られますが、思考回路には問題がありません」
こっちの思考回路には問題が起きそうだ。
「何でそんな機構つけたのよ?」
「以前イヴさんに『手が冷たい』と言われたので、それならと。何か不都合が?」
「不都合って、言うわけじゃないけど……」
だって、これじゃまるで本当の人間みたいで……。
「じゃ、診察を始めますね。くすぐったいかもしれませんが動かないでください」
先生に胸を見られるのは、今更なので恥ずかしいはずが無い!
はずが無いんだけど……。
ちょっとでもイヤらしい指の動きしたら、張り倒してやるからな!
先生は慎重に肋骨にそって、指でなぞって確かめていった。
場所によっては、ふにっと指が沈み込んでいくのは、決してヤラしい動きなんかじゃないけど、だからかえってこっちが意識してしまう。
「はい、OKですよ。肋骨も元通りですね。もう痛くないでしょう?」
こっちはそれどころじゃなかったよ……。
「せ、先生は、ちっともアンドロイドらしくないのね」
「??? なんですか突然?」
私は診察着の前を閉じながら――たぶん顔が赤くなっているから、先生は誤解するんじゃないかと思ったけど、先生はにっこりと笑顔で言った。
「イヴさんはとっても、女の子らしいですよ」
む、胸を診た後で言うな! そんなこと!
私はこのところモヤモヤとした、行き場の無い感覚を持て余していた。
先生がガーベッジコレクションとやらをしてからと言うもの、私への扱いが変わったような気がするからだ。
過保護なのは変わらないが、遠慮がちに私に接するようになった。
特に毎日の診察や介助などで、服の上からでも体に触れるときは、必ず許可を求めるようになった。
必要だから、裸の体を晒すときでも、“触覚センサの感度領域を広げたので、動かなければ視覚情報などなくでも診察できます”と、そっぽを向いたまま診察するようになった。
私の裸は見るに値しないって言うのかよ! って、見たいといわれても困るが……。
私が以前散々、“デリカシーが無い、考慮しろ!”とことある毎に言っていたのを、今は能力に余裕のある思考回路で、彼なりの配慮をしてくれているのかもしれないが、それがかえってよそよそしく、つまり機械的に接しられているみたいで面白くない。
以前の無作法で、ずけずけものを言う先生は、どこへ行ったんだ!
「あー、つまんない!」
「気晴らしに、オアシス区画に行きますか? お弁当作りますけど?」
「あーそれなら私が作ってみる。先生、何が食べたい?」
「僕はアンドロイドですから、お弁当は食べませんよ? もちろん食べる真似はできますが、もったいないですし……」
つまり前に食べて見せたのはフリだったってことか。あーつまらん、これじゃ、私の腕の見せ所が……って、アンドロイド相手に何を見せるって言うんだろう?
「やっぱりやめた」
「それじゃ、ゲームでもしますか?」
「先生に勝てるわけ無いじゃない。わざと負けられるのも嫌だし」
「でも、このところ部屋にこもりっきりで、ベッドの上でごろごろしているばかりじゃありませんか。体にもよくありませんよ?」
「何もする気が起きないの、放って置いて頂戴」
「でも、さっき退屈だって……」
今日はやけに絡むな……。
「あーもう、うるさいうるさい! いいから放って置いて頂戴!」
私は手近な枕を先生に投げつけた上で、ベッドに突っ伏した。
「仕方ありませんね」
そう言うと先生は、私が引っかぶった毛布を剥ぎ取り、私を抱き上げたかと思うと肩に担ぎ上げた。
「ちょっと! 何すんのよ! 降ろせ!」
私はじたばたと手足を振り回し、先生の背中をたたいたけれど、先生は意に介さないかのようにすたすたと歩き始めた。
「降ろせ! このバカアンドロイド! 私にかまうなって、言ってんでしょ!」
先生は私を担ぎ上げたまま、無言でオアシス区画まで運ぶと、公園の一角にある噴水のある池の中に投げ込んだ。
思ったよりも深い池にどぶんと、頭から投げ入れられた私は、腰を打ちつけられながらも立ち上がった。
思いっきり抗議してやろうと思ったところに、先生までどぶんと池の中に飛び込んできた。
「な、何しやがんのよ! このポンコツ!」
「気持ち良いでしょう? イヴさん」
「気持ち良いわけないだろ! このバカ!」
「おかしいなぁ、気分が塞ぎこんだときは、こうして池で泳ぐのが一番なんだそうですよ?」
「へーえ? アンドロイドも水浴びなんかするの? 初耳だわ!」
「いいえ、たぶん僕ぐらいでしょう?」
「じゃあなんだって、判った風なことを言うのよ!」
「前の……イヴさんの前のイヴさんも、泳ぐことが大好きで、良くこの池で泳いでいました」
「前の、イヴ?」
「はい、その人は……僕と同じぐらい背が高くて、黒くて艶のある長い髪が、綺麗な人でした」
「ふーん、それで?」
突然の、思っても見なかった先生の過去話に、私は池に投げ込まれた怒りも忘れて尋ねた。
「あの人はいつも悲しそうな顔をしていて、だから本当のことがいつまでも言えなかった」
「地球が、あんなになっていて、人間は他には誰もいないっていうこと?」
「いいえ……」
濡れた髪から雫をたらし、愁いを帯びた先生の横顔にどきっとした。
アンドロイドも、あんな顔をするの……?
「僕が、彼女に恋をしてしまったことをです」
先生が私のほうを向いて、悲しそうに言った。
髪から滴り落ちる雫が、涙を流しているようにも見えた。
けれど、先生のその顔に哀れさを感じるよりも、得体の知れない怒りと不安のほうが強く私の中に渦巻いていた。
「な、何よ……それ……。あんたは、ア、アンドロイドの癖に……」
「アンドロイドが、恋をしてはいけませんか?」
「だって……、あなたは機械なのよ。ALICEと同じ、プログラムよ! だからそれは偽りの恋だわ、感情なんかじゃない、只のロジックよ!」
そう。それは恋なんかじゃなくて、条件さえ満たせば成立する、ロジックなんだ。
「ロジックだとしても、そこに嘘はありません」
「嘘でなければ、いいってわけじゃ……」
ということは、私のことを好きだと言っていた先生の言葉は、嘘だったということ?
私はその死んでしまった誰かの代わりであって、私じゃなくても人間なら誰でも良かったんだ!
「あなたは……、あなたは私を……最後の一人になった人間を守ることだけを役割付けられた機械なのであって、それは恋なんかじゃない! 愛なんかじゃない!」
「彼女も、そう言って僕を突き放しました」
「そうよ! 当然よ!」
「どうしてです?」
「そ、そんなこと決まっているじゃない! 機械は……アンドロイドは恋なんてしないのよ!」
そういって、私はその場から駆け出していた。
とにかく、先生のそばを離れたかった。
私は腹を立てていた。
池に投げ込まれたことが原因じゃなかった。
じゃあ何が?
私に恋してるなんて、騙していた事が?
先生が自分の知らない、他の女性を好きになっていたことが……?
バカな! この私が嫉妬しているなんて!
そもそも私は、本当は男だったはず。
いつの間にか、女でいることに慣れ、自分が元から女だったみたいに振舞っていた。
それがいけないんだ!
だからあのポンコツアンドロイドは、私のことが好きだなんて言うし、私がその気にさせられたり……。
だから、こんなのやめればいい!
こんな、全部作りものの、嘘だらけの世界なんて!
ナクシテシマエバイイ……
失くす?
このコロニー毎、壊してしまうってこと?
そんなこと……できないよ。
じゃあ、どうすればいい?
どうすればいいんだ!
エデンの園(13) by ありす & もりや あこ
(13)-------------------------------------------------------
アンドロイドにとって、初期化とはどういう意味を持つのだろうか?
機械にとって無駄なデータとは?
意味の無いロジックとは?
人間と機械は違う。機械にとっては合理性が全て。
でも、人にとっては?
どんな些細なことでも、それは大切な記憶に違いない。
忘れてしまうかもしれない記憶でも、それは同じ。
忘れようと思っても忘れられない、辛くて悲しい記憶でも、それはやっぱり忘れちゃいけないんだと思う。
それにあのアンドロイドは……先生は、人間らしく振舞っていたからこそ、私は怒りもしたし、慰められたりもした。もし先生が、ALICEみたいに、合理的で感情の無い、ただの機械みたいに振舞っていたとしたら、どうだったろう?
私は、私はこんなに……こんな気持ちには、ならなかった。
荒れ果てたコロニーに、管理コンピュータと意識を持たないただの自律機械たち……。
その中に人間は私たった一人……。
それでも孤独を感じなかったのは、人のように振る舞い、人のように話す、アンドロイドがいたから……。
馴れない電動車の運転で、私はハンドル操作を誤った。
人の手が入らなくなって、1300年も放置されていたコロニーの道路は所々荒れていて、崩れかけて補修が必要な部分が、至るところに点在していた。
スピードを出しすぎていた私は、そのうちのひとつを避ける事が出来なかった。
ガツンと言う激しい衝撃とともに、電動車が飛び跳ねてスピンした。
そして道路わきの建物が、スローモーションのように目の前に迫ってきた。
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
「……さん! ……ヴさん! イヴさん! お願いです! 目を覚ましてください!」
先生が、私の体をゆすっている。
痛いからやめてよ。
「イヴさん! 僕がわかりますか? どこか痛いところは?」
ああ、だから痛いからやめてよ……。
どこだここは? 視界一杯の先生の顔越しに、コロニーの廃墟が見える。
背中に当たるごつごつとした感覚から、どうやら私は、地面に倒れているらしい。
ああ、痛いからそんなにゆするなよ……
そう言おうと思ったけれど、頭を打ったのか全身が痺れていて、口までもが思うように動かない。
起き上がろうとしたが、全身に激しい痛みが走り、私はまた気を失ってしまった。
それからどれくらい、気を失っていたのだろう?
私はベッドに寝ていて、体の痛みはまだあったけれど、少しずつ意識ははっきりとしてきていた。
ふと見ると、右手だけは体に掛けられていた毛布から出ていて、先生にぎゅっと握りしめられていた。
「……先生?」
「気が付きましたか? イヴさん、良かった」
それまで、私の手を握ったままうつむいていた先生は、私が声をかけると直ぐに顔を上げて私を見つめ、にっこりと笑った。
「私……、いたたた」
「あ、まだ起きてはいけません。右足と、肋骨の一部にヒビが入っています。それに体のあちこちに打撲の痕があります。まだしばらくは、そのまま寝ていてください」
「私、事故を起こしたのね……」
「はい。何を慌てていたのか、判りませんが、電動車のスピードの出しすぎでハンドル操作を誤ったようですね」
まるでその場で見ていたかのように、先生が言う。
「何を慌ててって……、そうだ、先生! 記憶……いたたたた!」
「まだ起き上がるのは、無理ですってば」
「先生、初期化されたんじゃなかったの?」
「何のことです?」
「だって、ALICEが、先生を初期化したって、だから私……」
「初期化? もしかして、ガーベッジコレクションのことですか?」
「ガーベ……?」
「私のこの本体にも記憶領域は持っていますが、さすがに215年分もの容量は無いので、古いデータや、重複していたり、矛盾の多い思考サブルーチンは、圧縮したり消したりして、ALICEの側へ転送していたんです」
「ALICEへ?」
「私は彼のサブセットですから。でも、おかげで私の記憶領域に余裕ができましたし、アクセスも早くなったので、これまで以上にイヴさんをお守りすることが出来ますよ、期待していてください」
「それじゃ、先生が私のこと忘れたり、感情をなくしてしまったりとか、そういうわけじゃ……」
「ハードウェアロジックに移した部分は消えませんよ? イヴさんのパーソナルデータや人間らしく行動するための基本ロジックは、メモリー領域ではなくて、重要な部分から順番にハードウェアロジックに移しています。極端な話し、私の体が破壊されたとしても、その部分のハードウェアが壊れなければ、元通りに戻せます。そもそも私のデータのバックアップは、常にALICEにも転送していますから、入れ物さえあれば、私自身のパーソナリティは失われることはありません。そこが脆弱な人間とは大きく違うところですね」
と、先生は自慢そうに言った。
そ、それじゃ、私があんな思いまでして、こんな怪我までして心配したってのに、このポンコツアンドロイドは……
「……どっと疲れた。少し、一人にしてくれない? 頭が痛くなってきたわ……」
「そうですか? 鎮痛剤は、これ以上は投与できないので、何も薬をあげられないのですが……」
「いいのよ、これは薬じゃ治らないから……」
「そうですか? では、何かあったら呼んでください。大声を出す必要はありませんよ。ガーベッジコレクションの結果、私の処理速度は25%増しです。この病院区画周辺にいる限り、1ピコセカンドたりとも、イヴさんの状態を見失うことはありません」
「ああ、そう。期待しているわ……」
私はこめかみを押さえながら、もう片方の手で毛布を引っ張り上げた。
足音とドアの閉じる音を確認して、私は被っていた毛布をまくり上げてベッドを起こすと、深いため息をついた。
体を動かさなければ、全身のだるさが気になる程度。
それはいい。焦って運転をミスったのは自分のせいだから、それはガマンするしかない。
でも、薬で治らない痛み。
そう、その原因にも気付いていた。
たぶん、そうなのだ。
私は先生を失うことを恐れている。
なぜなら、認めたくは無いが、先生が……
突然、ガラッと部屋の戸が開き、先生が慌てて入ってきた。
「イヴさん! 体の調子は? 脈拍と血圧が急に上がっています。熱も少し……」
「わ、ワたしはへイき! な、なんでもないから!」
「しかし、顔だって見る見る赤くなって……」

「い、いいから、なんでもない……これは別に、体の異常とかじゃないから!」
「けれど主治医として、今の状況は見過ごせません!」
「だからなんでもない! 体のほうじゃなくて、これは気も……いや、なんでもないから、しばらくしたら落ち着くから、今は一人にして!」
私は毛布を被ってやり過ごそうと思ったが、先生はそれを強引に引き剥がそうとした。
何度か押し問答になったが、私が強硬に拒んだせいか、先生も諦めたようだった。
「本当に大丈夫ですか? 具合が悪くなったら、いつでも駆けつけますからね」
そう念押しする先生に、私は毛布を頭から被り、手だけ出してひらひらさせて、わかったというサインを出した。
一体どうして私の異常を察知したのかと思ったら、体のあちこちに巻かれた包帯にインジケータのような小さな光を発している黒いテープの部分があった。
これか! たぶん体温か何かを電力源にして、脈拍だの血圧だのを無線でどこかに送っているんだ。それをALICE経由か何かで先生に送信しているんだな。
これじゃまるで、私の心の動きまで監視されているみたいだ。
はがしてしまおうかと思ったが、データが途切れたとたんにまた血相を変えて飛び込んでくるに違いない。
まったく、そんなに私のこと……。
いやいやいやいや、だめだめだめだめだめ、意識したら、また血圧が……。
いまは、何も考えないようにしよう。
傷が癒えたら、まじめに考えよう。
だから……
投与されていた薬の効きが強くなってきたせいか、しばらくまどろんでいるうちに、私はまた深い眠りの底に就いた。
アンドロイドにとって、初期化とはどういう意味を持つのだろうか?
機械にとって無駄なデータとは?
意味の無いロジックとは?
人間と機械は違う。機械にとっては合理性が全て。
でも、人にとっては?
どんな些細なことでも、それは大切な記憶に違いない。
忘れてしまうかもしれない記憶でも、それは同じ。
忘れようと思っても忘れられない、辛くて悲しい記憶でも、それはやっぱり忘れちゃいけないんだと思う。
それにあのアンドロイドは……先生は、人間らしく振舞っていたからこそ、私は怒りもしたし、慰められたりもした。もし先生が、ALICEみたいに、合理的で感情の無い、ただの機械みたいに振舞っていたとしたら、どうだったろう?
私は、私はこんなに……こんな気持ちには、ならなかった。
荒れ果てたコロニーに、管理コンピュータと意識を持たないただの自律機械たち……。
その中に人間は私たった一人……。
それでも孤独を感じなかったのは、人のように振る舞い、人のように話す、アンドロイドがいたから……。
馴れない電動車の運転で、私はハンドル操作を誤った。
人の手が入らなくなって、1300年も放置されていたコロニーの道路は所々荒れていて、崩れかけて補修が必要な部分が、至るところに点在していた。
スピードを出しすぎていた私は、そのうちのひとつを避ける事が出来なかった。
ガツンと言う激しい衝撃とともに、電動車が飛び跳ねてスピンした。
そして道路わきの建物が、スローモーションのように目の前に迫ってきた。
「……さん! ……ヴさん! イヴさん! お願いです! 目を覚ましてください!」
先生が、私の体をゆすっている。
痛いからやめてよ。
「イヴさん! 僕がわかりますか? どこか痛いところは?」
ああ、だから痛いからやめてよ……。
どこだここは? 視界一杯の先生の顔越しに、コロニーの廃墟が見える。
背中に当たるごつごつとした感覚から、どうやら私は、地面に倒れているらしい。
ああ、痛いからそんなにゆするなよ……
そう言おうと思ったけれど、頭を打ったのか全身が痺れていて、口までもが思うように動かない。
起き上がろうとしたが、全身に激しい痛みが走り、私はまた気を失ってしまった。
それからどれくらい、気を失っていたのだろう?
私はベッドに寝ていて、体の痛みはまだあったけれど、少しずつ意識ははっきりとしてきていた。
ふと見ると、右手だけは体に掛けられていた毛布から出ていて、先生にぎゅっと握りしめられていた。
「……先生?」
「気が付きましたか? イヴさん、良かった」
それまで、私の手を握ったままうつむいていた先生は、私が声をかけると直ぐに顔を上げて私を見つめ、にっこりと笑った。
「私……、いたたた」
「あ、まだ起きてはいけません。右足と、肋骨の一部にヒビが入っています。それに体のあちこちに打撲の痕があります。まだしばらくは、そのまま寝ていてください」
「私、事故を起こしたのね……」
「はい。何を慌てていたのか、判りませんが、電動車のスピードの出しすぎでハンドル操作を誤ったようですね」
まるでその場で見ていたかのように、先生が言う。
「何を慌ててって……、そうだ、先生! 記憶……いたたたた!」
「まだ起き上がるのは、無理ですってば」
「先生、初期化されたんじゃなかったの?」
「何のことです?」
「だって、ALICEが、先生を初期化したって、だから私……」
「初期化? もしかして、ガーベッジコレクションのことですか?」
「ガーベ……?」
「私のこの本体にも記憶領域は持っていますが、さすがに215年分もの容量は無いので、古いデータや、重複していたり、矛盾の多い思考サブルーチンは、圧縮したり消したりして、ALICEの側へ転送していたんです」
「ALICEへ?」
「私は彼のサブセットですから。でも、おかげで私の記憶領域に余裕ができましたし、アクセスも早くなったので、これまで以上にイヴさんをお守りすることが出来ますよ、期待していてください」
「それじゃ、先生が私のこと忘れたり、感情をなくしてしまったりとか、そういうわけじゃ……」
「ハードウェアロジックに移した部分は消えませんよ? イヴさんのパーソナルデータや人間らしく行動するための基本ロジックは、メモリー領域ではなくて、重要な部分から順番にハードウェアロジックに移しています。極端な話し、私の体が破壊されたとしても、その部分のハードウェアが壊れなければ、元通りに戻せます。そもそも私のデータのバックアップは、常にALICEにも転送していますから、入れ物さえあれば、私自身のパーソナリティは失われることはありません。そこが脆弱な人間とは大きく違うところですね」
と、先生は自慢そうに言った。
そ、それじゃ、私があんな思いまでして、こんな怪我までして心配したってのに、このポンコツアンドロイドは……
「……どっと疲れた。少し、一人にしてくれない? 頭が痛くなってきたわ……」
「そうですか? 鎮痛剤は、これ以上は投与できないので、何も薬をあげられないのですが……」
「いいのよ、これは薬じゃ治らないから……」
「そうですか? では、何かあったら呼んでください。大声を出す必要はありませんよ。ガーベッジコレクションの結果、私の処理速度は25%増しです。この病院区画周辺にいる限り、1ピコセカンドたりとも、イヴさんの状態を見失うことはありません」
「ああ、そう。期待しているわ……」
私はこめかみを押さえながら、もう片方の手で毛布を引っ張り上げた。
足音とドアの閉じる音を確認して、私は被っていた毛布をまくり上げてベッドを起こすと、深いため息をついた。
体を動かさなければ、全身のだるさが気になる程度。
それはいい。焦って運転をミスったのは自分のせいだから、それはガマンするしかない。
でも、薬で治らない痛み。
そう、その原因にも気付いていた。
たぶん、そうなのだ。
私は先生を失うことを恐れている。
なぜなら、認めたくは無いが、先生が……
突然、ガラッと部屋の戸が開き、先生が慌てて入ってきた。
「イヴさん! 体の調子は? 脈拍と血圧が急に上がっています。熱も少し……」
「わ、ワたしはへイき! な、なんでもないから!」
「しかし、顔だって見る見る赤くなって……」

「い、いいから、なんでもない……これは別に、体の異常とかじゃないから!」
「けれど主治医として、今の状況は見過ごせません!」
「だからなんでもない! 体のほうじゃなくて、これは気も……いや、なんでもないから、しばらくしたら落ち着くから、今は一人にして!」
私は毛布を被ってやり過ごそうと思ったが、先生はそれを強引に引き剥がそうとした。
何度か押し問答になったが、私が強硬に拒んだせいか、先生も諦めたようだった。
「本当に大丈夫ですか? 具合が悪くなったら、いつでも駆けつけますからね」
そう念押しする先生に、私は毛布を頭から被り、手だけ出してひらひらさせて、わかったというサインを出した。
一体どうして私の異常を察知したのかと思ったら、体のあちこちに巻かれた包帯にインジケータのような小さな光を発している黒いテープの部分があった。
これか! たぶん体温か何かを電力源にして、脈拍だの血圧だのを無線でどこかに送っているんだ。それをALICE経由か何かで先生に送信しているんだな。
これじゃまるで、私の心の動きまで監視されているみたいだ。
はがしてしまおうかと思ったが、データが途切れたとたんにまた血相を変えて飛び込んでくるに違いない。
まったく、そんなに私のこと……。
いやいやいやいや、だめだめだめだめだめ、意識したら、また血圧が……。
いまは、何も考えないようにしよう。
傷が癒えたら、まじめに考えよう。
だから……
投与されていた薬の効きが強くなってきたせいか、しばらくまどろんでいるうちに、私はまた深い眠りの底に就いた。
エデンの園(9) by ありす &もりや あこ
(9)-------------------------------------------------------
先生がどうしてもと熱心に言うので、“デート”と言うものらしいイベントに、私は付き合っていた。
映画館……とは名ばかりの、天井もない廃墟で、スクリーンに映し出された映画を見た。
わざわざコロニーのミラー角度まで変えて、この辺一体を夜のように暗くしてくれたようだけど、ラブロマンスなんか見たって、ぜんぜん面白くない!
しかも油断していると、先生が私に触ろうと手を伸ばしてくるので、その甲をつねってやった。
結局、プロジェクターが途中で壊れて、最後まで見ることができなかった。
あのカップル、どうやって仲直りするつもりだったんだろう……?
次は公園でランチ。驚いたことに先生は弁当を作って持ってきていた。しかもキャラ弁。
のりを細かく切って、ピンク色の粉(なんて言うんだっけ?)と、肉そぼろで似顔絵が……これって私の顔のつもり?
「はい、あーんしてください」
「あーん……って、嫌ですよ。恥ずかしい」
「どうしてです?」
「どうしてって……それにこういうのは、女のほうが男にすることじゃないの?」
「……そのようですね。では僕にもしてください。 あーん」
「自分で食べなさい」
「冷たいですねぇ、デートなんですから、もう少しご配慮頂けないですか?」
「私は、デートだなんて思っていません」
「……」
「そんな今にも死にそうな顔は止めて下さい。判りましたよ……はい、あーん」
「あーん。美味しいです、嬉しいです」
「そう? そりゃ良かった」
こんなことしている場合じゃないと思うんだけど、先生のペースにどうしても流されがちだ。
私は弁当を半分だけ先に食べてから、先生に残りを押し付けた。
「僕は要りません。全部食べちゃっていいですよ」
「え? でも、先生だって食べなきゃお腹が空いてしまうんじゃ?」
「イヴさんの美しい顔を見ているだけで、胸が一杯になりますから」
「は、恥ずかしいこと言うな!」
先生が要らないというので、私は残りも全部食べてしまった。
だって、残したらもったいないし、それにこれは……たぶん食料はとても貴重なんだと思う。
もともと小さな弁当箱だったから、二人分にしては小さすぎるので、私にとっては丁度良いぐらいだけど、先生本当に食べなくて大丈夫なのかな?
「ねぇ、どうです? 僕のこと、好きになってくれましたか?」
「そんな簡単になるわけないでしょう? 第一その……、私は男だったんだから、そう簡単に男としての意識までは、変えられないのよ!」
「じゃぁ、こうしましょう。僕も本当は昔は女性だったんです。あなたに恋するために、男性の体になって……」
ばこん! と私は持っていた空の弁当箱で先生の頭を叩いた。
「そんな、とってつけたような話しで納得できるか!」
「ある意味、本当なんですけどねぇ……」
「とにかく! 私は、先生のことまだ何も……」
そういえば、うかつにも私は先生の個人的な話しをたずねたことが無かった。
歳はいくつなのか、いつからこのコロニーに住んでいるのか、先生の家族はどうしたのか……。
私は先生がどんな人なのか、何も知らなかった。
先生が思っているように、私たちがデートする仲なら、私が先生のプライベートな話を聞いたとしても、それは失礼にはならないだろう。あくまで“先生がそう思っているだけ”だけど。
「ねぇ先生。先生はいくつなの?」
「僕は一人ですが」
「そういうボケはやめて。何歳なのかって聞いているのよ」
「人間の歳で言うと、215歳と9ヶ月ぐらいですか」
「フザケないで! 人間がそんな長生きできるわけ無いでしょう?」
「イヴさんだって、正確には1324歳前後では?」
「違うでしょう! いや、ある意味そうかもしれないけど。私が言っているのはそういう意味じゃなくて……。そうか、先生も再生人間なんでしょう? ALICEかそれとも他の誰かが先生を再生したの?」
「僕の生みの親に相当するのは、ALICEですね」
「と、言うことは、先生も再生人間なんだ。でもALICEはただのコンピュータでしょう? 具体的には誰が……」
「それよりもそろそろ、この場所から移動したほうがいいと思いますよ?」
「待ってよ、まだ話しは終わっていない」
「まもなく雨です。5……4……」
「え?」
「3……2……、1」
と、先生のカウントダウンにあわせるように、雨が振ってきた。
雨……なんて優しいもんじゃない。人工環境に降らせる、滝のような散水。
「ちょ……、うぷっ、息が止まりそう!!」
「早く! あの木の下へ!」
ご丁寧に天井のライトが明滅して、雷鳴まで轟いている……スピーカーからの。
「酷い、ずぶ濡れになったわ。どうすんのよ、これ……」
「だから早く移動しましょうといったのに。地球の雷雨そっくりでしょう? 記録を調べて再現してみたんです」
「私もスペースノイドだから、地球の雷雨がどうかなんて、知らないわよ!」
「でも、シナリオどおりですね」
と、ニコニコしながら言う。私は体にぺったりと貼り付いてしまったワンピースを指でつまみながら、体についた水滴を手で払い始めた。
「そのままでは風邪を引いてしまいます。さぁ、早く脱いで。そして結ばれましょう」
と私の背後にまわり、背中のファスナーを下そうとした。
「やめんか! バカモノ!」
と、速攻で先生の頬を張り倒したが、思ったよりも固い先生のほっぺたに手が痺れた。
「……て、痛ってー。 何てカタさなのよ……」
「大丈夫ですか? イヴさん」
「ドサクサに紛れて服を脱がそうとするな!」
「でも予定ではこの後、僕とイヴさんは……」
「セッ……婚前交渉は、ごめんだって言っているの」
「コンゼンコウショウ……?」
「未婚の男女が、その、アンタが今私にしようとしているようなことをすることよ!」
「ああ、セックスのことですね」
あからさまに言うな! 恥ずかしい奴め!
「デートしたばかりの男女が、直ぐに寝たりなんてしないのよ!」
「“寝る”……膝枕でお昼寝も、駄目ですか?」
「まぁ、それぐらいなら……って“寝る”ってそういう意味じゃなくて」
「そのままでは、風邪を引いてしまいますね。仕方がないので、そこの連れ込み宿へ」
「“連れ込み宿”って……あんた時々言葉が変だわ」
「はい、たまに間違いを起こします」
「このタイミングで言うか!」
「さぁ、着替えも用意してありますから……」
確かにずぶぬれの服じゃ気持ち悪い。体を拭いて、着替えたいところだが……
「私に何もしないでしょうね?」
「しては、駄目なんですか?」
「帰る……」
付き合ってられるか!
「あ、待ってください、イヴさん! そっちは違う方向!」
「もう帰る!」
部屋に帰ってフテ寝でもしよう。ずぶぬれだけど、ラブホなんぞに連れ込まれるのはごめんだ。
「イヴさん……」
思わず足が止まる。子犬が鳴くみたいな声を出すな!
だが……よく考えてみれば、私の部屋に自由に出入りできる先生は、眠っている私を襲うことだって出来るのだ。
つまりこの広いコロニーに二人きりでは、いつどこでどう襲われるか判らな……☆●◇‘*>!!
ど、どうしよう……。
恐る恐る振り返る。
「思い直してくれましたか?」
どうしよう、いまここで強く拒んで、無理矢理にでも押し倒されたら……?
どう考えてもこの体格差のある先生に、私の力が敵う筈がない。
それに、このコロニーから今のところ脱出する手段がないとしたら、男と女、二人きりしかいないわけで……とすると、いつかは先生と……。
いやいやいやいや、ありえないだろ!
お、男に抱かれるなんて、想像したくないし!
結局、懇願されて先生の言う“連れ込み宿”、つまりラブホだな。
そこに連れ込まれるハメになった。
半ば強引に連れ込まれた薄暗い廃墟同然のホテルの中。
変質者に誘拐され犯される少女の気分ってこんな感じかと、半分他人事のように怯えながら歩いていくと、先生が立ち止まった。
「さぁどうぞ、イヴさん。遠慮なさらずに」
先生が指し示したドアを開くと、そこだけは明るい照明がともっていて、室内もきれいに掃除されているようだった。
「遠慮するのは先生のほうでしょう? 私が部屋から出るまで、先生は外で待っていて」
「そ、そんな……」
「もし、私の着替え中に入ってきたら、先生とはもう二度と口を聞かない!」
そう宣言すると、私は部屋に入り、内側から鍵をかけた。ついでにチェーンロックも。
先生には気の毒だけど、私には私の都合ってものがある。
貞操の危機だけは、なんとしても防がないと。
外観のとおり、ここはもともと普通の住居セルのようだった。
中は綺麗に掃除されていて、少ないながらも調度品も揃っていた。
「これだけ用意するの、大変だったかも……」
建物自体、かなり老朽化が進んでいてボロボロだったし、廊下だって薄暗くホラーハウスかと思うような荒れようだった。
けれどのこ部屋だけは、ついさっきまで使っていたかのように、明るくて清潔で、エアコンも効いていた。
私は濡れた服を脱ぎ、エアコンの吹き出し口にハンガーを引っ掛けて干した。
そしてバスルームに入った。驚いたことに、脱衣かごの横には、新品と思しき下着類と服が用意されていた。
「用意周到ね。その努力は認めてあげなきゃね」
濡れて体に貼り付いていた下着もぬいで裸になり、浴室に入ってシャワーを浴びた。
水が出れば御の字と思っていたけれど、ちゃんと温かいお湯も出て冷えた体を暖めることも出来た。
ほどほどに体を清めて、濡れた髪と体をバスタオルで拭き、先生が用意してくれた新しい下着をつけ、明るい色調の花柄のワンピースを纏った。
姿見の前で、くるりと一回転すると、自分で言うのもなんだが、風呂上りの艶やかな美少女がそこにいた。
先生がどうしてもと熱心に言うので、“デート”と言うものらしいイベントに、私は付き合っていた。
映画館……とは名ばかりの、天井もない廃墟で、スクリーンに映し出された映画を見た。
わざわざコロニーのミラー角度まで変えて、この辺一体を夜のように暗くしてくれたようだけど、ラブロマンスなんか見たって、ぜんぜん面白くない!
しかも油断していると、先生が私に触ろうと手を伸ばしてくるので、その甲をつねってやった。
結局、プロジェクターが途中で壊れて、最後まで見ることができなかった。
あのカップル、どうやって仲直りするつもりだったんだろう……?
次は公園でランチ。驚いたことに先生は弁当を作って持ってきていた。しかもキャラ弁。
のりを細かく切って、ピンク色の粉(なんて言うんだっけ?)と、肉そぼろで似顔絵が……これって私の顔のつもり?
「はい、あーんしてください」
「あーん……って、嫌ですよ。恥ずかしい」
「どうしてです?」
「どうしてって……それにこういうのは、女のほうが男にすることじゃないの?」
「……そのようですね。では僕にもしてください。 あーん」
「自分で食べなさい」
「冷たいですねぇ、デートなんですから、もう少しご配慮頂けないですか?」
「私は、デートだなんて思っていません」
「……」
「そんな今にも死にそうな顔は止めて下さい。判りましたよ……はい、あーん」
「あーん。美味しいです、嬉しいです」
「そう? そりゃ良かった」
こんなことしている場合じゃないと思うんだけど、先生のペースにどうしても流されがちだ。
私は弁当を半分だけ先に食べてから、先生に残りを押し付けた。
「僕は要りません。全部食べちゃっていいですよ」
「え? でも、先生だって食べなきゃお腹が空いてしまうんじゃ?」
「イヴさんの美しい顔を見ているだけで、胸が一杯になりますから」
「は、恥ずかしいこと言うな!」
先生が要らないというので、私は残りも全部食べてしまった。
だって、残したらもったいないし、それにこれは……たぶん食料はとても貴重なんだと思う。
もともと小さな弁当箱だったから、二人分にしては小さすぎるので、私にとっては丁度良いぐらいだけど、先生本当に食べなくて大丈夫なのかな?
「ねぇ、どうです? 僕のこと、好きになってくれましたか?」
「そんな簡単になるわけないでしょう? 第一その……、私は男だったんだから、そう簡単に男としての意識までは、変えられないのよ!」
「じゃぁ、こうしましょう。僕も本当は昔は女性だったんです。あなたに恋するために、男性の体になって……」
ばこん! と私は持っていた空の弁当箱で先生の頭を叩いた。
「そんな、とってつけたような話しで納得できるか!」
「ある意味、本当なんですけどねぇ……」
「とにかく! 私は、先生のことまだ何も……」
そういえば、うかつにも私は先生の個人的な話しをたずねたことが無かった。
歳はいくつなのか、いつからこのコロニーに住んでいるのか、先生の家族はどうしたのか……。
私は先生がどんな人なのか、何も知らなかった。
先生が思っているように、私たちがデートする仲なら、私が先生のプライベートな話を聞いたとしても、それは失礼にはならないだろう。あくまで“先生がそう思っているだけ”だけど。
「ねぇ先生。先生はいくつなの?」
「僕は一人ですが」
「そういうボケはやめて。何歳なのかって聞いているのよ」
「人間の歳で言うと、215歳と9ヶ月ぐらいですか」
「フザケないで! 人間がそんな長生きできるわけ無いでしょう?」
「イヴさんだって、正確には1324歳前後では?」
「違うでしょう! いや、ある意味そうかもしれないけど。私が言っているのはそういう意味じゃなくて……。そうか、先生も再生人間なんでしょう? ALICEかそれとも他の誰かが先生を再生したの?」
「僕の生みの親に相当するのは、ALICEですね」
「と、言うことは、先生も再生人間なんだ。でもALICEはただのコンピュータでしょう? 具体的には誰が……」
「それよりもそろそろ、この場所から移動したほうがいいと思いますよ?」
「待ってよ、まだ話しは終わっていない」
「まもなく雨です。5……4……」
「え?」
「3……2……、1」
と、先生のカウントダウンにあわせるように、雨が振ってきた。
雨……なんて優しいもんじゃない。人工環境に降らせる、滝のような散水。
「ちょ……、うぷっ、息が止まりそう!!」
「早く! あの木の下へ!」
ご丁寧に天井のライトが明滅して、雷鳴まで轟いている……スピーカーからの。
「酷い、ずぶ濡れになったわ。どうすんのよ、これ……」
「だから早く移動しましょうといったのに。地球の雷雨そっくりでしょう? 記録を調べて再現してみたんです」
「私もスペースノイドだから、地球の雷雨がどうかなんて、知らないわよ!」
「でも、シナリオどおりですね」
と、ニコニコしながら言う。私は体にぺったりと貼り付いてしまったワンピースを指でつまみながら、体についた水滴を手で払い始めた。
「そのままでは風邪を引いてしまいます。さぁ、早く脱いで。そして結ばれましょう」
と私の背後にまわり、背中のファスナーを下そうとした。
「やめんか! バカモノ!」
と、速攻で先生の頬を張り倒したが、思ったよりも固い先生のほっぺたに手が痺れた。
「……て、痛ってー。 何てカタさなのよ……」
「大丈夫ですか? イヴさん」
「ドサクサに紛れて服を脱がそうとするな!」
「でも予定ではこの後、僕とイヴさんは……」
「セッ……婚前交渉は、ごめんだって言っているの」
「コンゼンコウショウ……?」
「未婚の男女が、その、アンタが今私にしようとしているようなことをすることよ!」
「ああ、セックスのことですね」
あからさまに言うな! 恥ずかしい奴め!
「デートしたばかりの男女が、直ぐに寝たりなんてしないのよ!」
「“寝る”……膝枕でお昼寝も、駄目ですか?」
「まぁ、それぐらいなら……って“寝る”ってそういう意味じゃなくて」
「そのままでは、風邪を引いてしまいますね。仕方がないので、そこの連れ込み宿へ」
「“連れ込み宿”って……あんた時々言葉が変だわ」
「はい、たまに間違いを起こします」
「このタイミングで言うか!」
「さぁ、着替えも用意してありますから……」
確かにずぶぬれの服じゃ気持ち悪い。体を拭いて、着替えたいところだが……
「私に何もしないでしょうね?」
「しては、駄目なんですか?」
「帰る……」
付き合ってられるか!
「あ、待ってください、イヴさん! そっちは違う方向!」
「もう帰る!」
部屋に帰ってフテ寝でもしよう。ずぶぬれだけど、ラブホなんぞに連れ込まれるのはごめんだ。
「イヴさん……」
思わず足が止まる。子犬が鳴くみたいな声を出すな!
だが……よく考えてみれば、私の部屋に自由に出入りできる先生は、眠っている私を襲うことだって出来るのだ。
つまりこの広いコロニーに二人きりでは、いつどこでどう襲われるか判らな……☆●◇‘*>!!
ど、どうしよう……。
恐る恐る振り返る。
「思い直してくれましたか?」
どうしよう、いまここで強く拒んで、無理矢理にでも押し倒されたら……?
どう考えてもこの体格差のある先生に、私の力が敵う筈がない。
それに、このコロニーから今のところ脱出する手段がないとしたら、男と女、二人きりしかいないわけで……とすると、いつかは先生と……。
いやいやいやいや、ありえないだろ!
お、男に抱かれるなんて、想像したくないし!
結局、懇願されて先生の言う“連れ込み宿”、つまりラブホだな。
そこに連れ込まれるハメになった。
半ば強引に連れ込まれた薄暗い廃墟同然のホテルの中。
変質者に誘拐され犯される少女の気分ってこんな感じかと、半分他人事のように怯えながら歩いていくと、先生が立ち止まった。
「さぁどうぞ、イヴさん。遠慮なさらずに」
先生が指し示したドアを開くと、そこだけは明るい照明がともっていて、室内もきれいに掃除されているようだった。
「遠慮するのは先生のほうでしょう? 私が部屋から出るまで、先生は外で待っていて」
「そ、そんな……」
「もし、私の着替え中に入ってきたら、先生とはもう二度と口を聞かない!」
そう宣言すると、私は部屋に入り、内側から鍵をかけた。ついでにチェーンロックも。
先生には気の毒だけど、私には私の都合ってものがある。
貞操の危機だけは、なんとしても防がないと。
外観のとおり、ここはもともと普通の住居セルのようだった。
中は綺麗に掃除されていて、少ないながらも調度品も揃っていた。
「これだけ用意するの、大変だったかも……」
建物自体、かなり老朽化が進んでいてボロボロだったし、廊下だって薄暗くホラーハウスかと思うような荒れようだった。
けれどのこ部屋だけは、ついさっきまで使っていたかのように、明るくて清潔で、エアコンも効いていた。
私は濡れた服を脱ぎ、エアコンの吹き出し口にハンガーを引っ掛けて干した。
そしてバスルームに入った。驚いたことに、脱衣かごの横には、新品と思しき下着類と服が用意されていた。
「用意周到ね。その努力は認めてあげなきゃね」
濡れて体に貼り付いていた下着もぬいで裸になり、浴室に入ってシャワーを浴びた。
水が出れば御の字と思っていたけれど、ちゃんと温かいお湯も出て冷えた体を暖めることも出来た。
ほどほどに体を清めて、濡れた髪と体をバスタオルで拭き、先生が用意してくれた新しい下着をつけ、明るい色調の花柄のワンピースを纏った。
姿見の前で、くるりと一回転すると、自分で言うのもなんだが、風呂上りの艶やかな美少女がそこにいた。
エデンの園(5)~(8) by ありす & もりや あこ
(5)-------------------------------------------------------
翌朝、体調がすぐれないのを理由に断ろうかと思ったが、先生が熱心に勧めるので、プレゼントされたワンピースに着替えた。
「やっぱり、とてもお似合いです。実に可愛らしい。素敵ですよ、イヴさん」
「あ、ありがとうございます……」
褒められるのは、悪い気がしないけれど、可愛いといわれてしまうのはちょっと複雑な気分だった。
そしていつものように、先生に手を引かれて、オアシス区画に行った。
昨晩は就寝時刻になった頃から、鈍い腹痛を感じてよく眠れなかった。
今もそれは感じていたが、妙に嬉しそうにしている先生を見たら、今日は体の調子が悪いとは、言えなかった。
しかしオアシス区画についてみると、人工の庭園とはいえ、小鳥のさえずりまで聞こえる自然環境の中で、私はとてもリラックスしていた。
少し暑さを感じる程の太陽灯の光も、芝生の上に座っていると、微かに風が吹いていてとても気分が良い。
お腹の鈍い痛みも、今はそれほど感じない。やはり、ストレスが原因なのだろうか?
昼食が済んだら、先生に診てもらったほうが良いだろうか?
それとも、ストレスの原因を取り除くためにも、先生にもう一度外の世界に生かせてくれと、お願いしたほうがいいだろうか?
私はぼうっと、そんなことを考えていた。
「落ち着いているようですね、診察してもいいですか?」
まどろみ掛けていた私が無言でうなずくと、先生は持ってきていた鞄から、器具を出して、ノースリーブのワンピースを着ている私の腕をとり、体温と血圧を測った。
背中のファスナーに手を回そうとしたら先生は、『脱がなくていいから』といって服の上から聴診器を当てた。
「熱も無いみたいですし、疲れがたまっているのかな? 今薬をあげますね」
言われるままに、うんうんとうなずいて、差し出された薬を飲んだ。
薬は直ぐに効いてきて、私は眠くなってきた。そういうと先生は私を抱き上げ、いつの間に用意したのか、ひときわ大きな木の木陰に敷いた毛布の上に、寝かせてくれた。
薄いタオルを私の体に掛けると、低くて優しい声で言った。
「ここは、このコロニーで一番の場所です。今までの皆さんも、そう言っていました」
「……皆さんって、誰のこと?」
「……」
先生は横になった私の髪をゆっくりと撫でるだけで、答えてくれようとはしなかった。
柔らかな光の太陽灯と樹木がつくる木陰。時折小鳥のさえずりも聞こえてくる。
草の匂いのする、さわやかな風に吹かれながら、されるままに頭をなでられていると、その気持ちよさに眠くなってきた。
ふと気が付くと、いつの間にか先生の姿が見えなくなっていた。
動くのも億劫で首だけ動かして見回したが、近くにいる気配は無かった。
視界の隅を、金属光沢を放つ機械が掠めた。
気になって見つめると、それはこの楽園を維持・整備するロボットのようだと判った。
それはなにやら地面を掘り返したり、雑草を抜いたりしているようだった。
野放図に繁茂しようとする植物は、あんなふうに定期的に手を入れなければ、こんな整った景観は保てない。育つがままに放っておいたら、ジャングルのようになってしまうか、ただの荒地と化してしまうだろう。
一通りの作業を終えたのか、ロボットは軽快なメロディを奏でながら、移動していった。
どこへ行くのかと見ていると、どうやら木々の陰になってはっきりとは判らないが、ドアのようなものに向かっている。ロボットの整備室に帰るところのようだ。
整備室……?
私は起き上がり、ロボットの向かう方向へと走った。
そして、ロボットと一緒に、ドアの向こう側へ行くことに成功した。
暗くてよくは判らないが、大型の機械類が通路に沿って並んでおり、天井や壁には何本ものダクトやパイプが走っていた。そして至るところに、雑多な部品の山が築かれている、とても……とても懐かしい光景。
そう、ここは俺の職場だった。
いや、正確にはここではなかったかもしれない。だが見覚えのある区画構造に、胸がざわめいた。
メンテナンスはコロニー外殻ばかりじゃない。人々が暮らしている居住区画に隣接する、オイルと金属粉の入り混じった独特の臭いのする場所が、俺の居場所だった。
俺は記憶を辿りながら、足早に通路を歩いていった。
コロニーの大部分は、同じ区画構造の繰り返しだ。だから、ここがたとえ俺の職場とは違っていたとしても、そうたいした違いはないだろう。
確かこの階段を4階層下りて、正面にある独特の唸りを放っている機械が、大気濃度調整ユニットのジェネレーターで、その向こうが混合器。そしてクーリングユニットをはさんだところに、作業員詰め所があって、ドアを開ければ!
……中は無人だった。明かりもついていない、埃だらけの殺風景な部屋には、長い間誰も入った形跡が無いようだった。
外壁よりも一段飛び出した、コロニーの一番外側にあるこの部屋には窓があって、直に外の宇宙を見ることが出来る。
俺は窓に駆け寄って外を見た。
資材搬入口を兼ねたエアロックのために、一段へこんだ外殻構造の下側を見ると、星空が見える。
部屋の電子窓とは違う、この目で見る生の星空。
コロニーの自転にあわせて、ゆっくりと動いている星々は、涙が出るほど懐かしかった。
そして、ずっと忘れていた、大切なことを思い出した。
「駄目じゃないですか! 勝手にこんなところまで来てしまって」
「え?」
叱り付ける厳しい声がして振り返ると、難しそうな顔をしている先生が立っていた。
「ここは危険です。直ぐに部屋の外へ出てください」
「何が危険なんですか? デブリ警報(軌道上を巡る宇宙塵群による被害警報)でも?」
ここは、メンテナンス要員の詰め所だから、そんな警報が出ているのならば、部屋のモニタには警告画面が、表示されている筈だった。
けれど今は何も表示していない。
「いいから、早く!」
先生はいつに無く、苛立ったような大声で叫んだ。
そのとき、背後からオレンジ色の光が差し込んできているのが、先生のいる側の壁に反射してきた。
「え?」
「振り返っちゃいけませんっ!」
先生の警告にもかかわらず、思わず振り返ると、窓の外に赤茶けた大きなものが見えた。
赤熱した小惑星かと思って、思わず一瞬目をつぶったが、恐る恐る目を開くと、それはさっきまで見えていた星々と同じように、コロニーの自転運動にあわせて動いていった。
「あ、あれは……?」
「だから、振り返ってはいけないといったのに……」
「先生、あれは、なんですか? あの、赤い星は? ここは“エデン”ですよね? L4ポイントに浮かぶ、スペースコロニーですよね?」
「そうです」
「それじゃ、あれは……? まさか、地球?」
もう一度振り返って窓の外を見ると、雲のかけらひとつ無い、赤茶けた表面の星がゆっくりと視界の外へ消えていくところだった。
「今から約1300年前に、戦争がありました。戦争……と言うのは正確ではないかも知れません。“核兵器の廃絶を訴える地球市民同盟”と名乗る団体……環境テロリストがいっせいに蜂起したのです。彼らの仲間の中には、軍の関係者もいて、多分厳重に管理されている筈の施設にも、彼らが入り込んでいたのでしょう。詳細は今も判りませんが、破壊活動をしようとしたのだと思います。けれど無知で愚かな彼らは、そんなことを同時多発で起こせばどういうことになるか、考えることが出来なかったのでしょう。施設のセキュリティ装置が動作しました、それも各地でいっせいに」
「そ、それって……」
「多分、あなたの想像通りです。敵国の核攻撃が始まった、或いはそれに準じた事態が起きたのだと、防衛システムが判断したのだと思います。反撃のための核兵器発射シーケンスが始まってしまいました」
「でも……」
「止められませんでした。最終判断は人間の手で行われる筈なのですが、機能しなかったのだと思います。環境テロリストたちの行動は、今も全てが明らかにはなっていませんが、愚かな彼らが国家の防衛システムが、どのように構築されているかなどと知ることが出来た筈がありません。“人間の判断を要する”という最も脆弱な部分を、それと知らずに突いてしまったのだと思います。大規模な核施設への全面攻撃と判断した自動防衛システムは処理を継続、ICBM(大陸間弾道弾)が予め設定されていた目標に向けて発射されてしまいました。あとは……、説明が必要ですか?」
「M・A・D(相互確証破壊)……?」
私は思わず床にへたり込んでしまった。
二十世紀の終わりに誰だったかが予言した、たちの悪い冗談としか思えないような結末。
一方が核兵器を使えば、もう一方の国も……。それが現実のものとなってしまったというのか?
「うそでしょう、先生……? うそでしょう、そんなこと、そんなバカな事!」
「…………」
朝から鈍い痛みのあったお腹が、きりきりと痛んだ。
「そうだ! ここは……、“エデン”は地球とは別でしょう? コロニーにはたくさんの人が住んでいたじゃないですか、その人たちは?」
「あれから、約1300年の時が経ています。さっき、私はそう言いました」
「死んだって言うの? 私たちの他には、もう誰も残っていないって言うの?」
「…………」
先生は答えなかった。答えなかったことが、答えなのだと思った。
「あなたには、こんなこと知って欲しくなかった。何も知らないまま、この小さなコロニーで、何不自由なく……イヴさん?!」
私は、先生の言葉を信じることができなかった。
だがそれ以上に伝えられたことのショックが大きくて、その場に倒れこんでしまった。
「お腹が、痛い……」
「しっかりしてください!」
先生があわてて私を抱き起こそうとした。私は下腹部の痛みがいっそう強くなった気がして、手を当てると、太ももに何かが流れ落ちるのを感じた。
「血が……、イヴさん! しっかり!」
下半身のどこかから血が出ているのだろう、ワンピースの裾から太腿を伝って赤い血が一筋流れ落ちていた。
ヤブ医者め、体を再生したとか言っていたが、やっぱり失敗だったんだろう。
私は、もう一度死ぬのか……?
先生が必死になって私に呼びかけていたが、精神的ショックの連続と下腹部が押しつぶされるような痛みと出血で、私はそのまま気絶してしまった。
翌朝、体調がすぐれないのを理由に断ろうかと思ったが、先生が熱心に勧めるので、プレゼントされたワンピースに着替えた。
「やっぱり、とてもお似合いです。実に可愛らしい。素敵ですよ、イヴさん」
「あ、ありがとうございます……」
褒められるのは、悪い気がしないけれど、可愛いといわれてしまうのはちょっと複雑な気分だった。
そしていつものように、先生に手を引かれて、オアシス区画に行った。
昨晩は就寝時刻になった頃から、鈍い腹痛を感じてよく眠れなかった。
今もそれは感じていたが、妙に嬉しそうにしている先生を見たら、今日は体の調子が悪いとは、言えなかった。
しかしオアシス区画についてみると、人工の庭園とはいえ、小鳥のさえずりまで聞こえる自然環境の中で、私はとてもリラックスしていた。
少し暑さを感じる程の太陽灯の光も、芝生の上に座っていると、微かに風が吹いていてとても気分が良い。
お腹の鈍い痛みも、今はそれほど感じない。やはり、ストレスが原因なのだろうか?
昼食が済んだら、先生に診てもらったほうが良いだろうか?
それとも、ストレスの原因を取り除くためにも、先生にもう一度外の世界に生かせてくれと、お願いしたほうがいいだろうか?
私はぼうっと、そんなことを考えていた。
「落ち着いているようですね、診察してもいいですか?」
まどろみ掛けていた私が無言でうなずくと、先生は持ってきていた鞄から、器具を出して、ノースリーブのワンピースを着ている私の腕をとり、体温と血圧を測った。
背中のファスナーに手を回そうとしたら先生は、『脱がなくていいから』といって服の上から聴診器を当てた。
「熱も無いみたいですし、疲れがたまっているのかな? 今薬をあげますね」
言われるままに、うんうんとうなずいて、差し出された薬を飲んだ。
薬は直ぐに効いてきて、私は眠くなってきた。そういうと先生は私を抱き上げ、いつの間に用意したのか、ひときわ大きな木の木陰に敷いた毛布の上に、寝かせてくれた。
薄いタオルを私の体に掛けると、低くて優しい声で言った。
「ここは、このコロニーで一番の場所です。今までの皆さんも、そう言っていました」
「……皆さんって、誰のこと?」
「……」
先生は横になった私の髪をゆっくりと撫でるだけで、答えてくれようとはしなかった。
柔らかな光の太陽灯と樹木がつくる木陰。時折小鳥のさえずりも聞こえてくる。
草の匂いのする、さわやかな風に吹かれながら、されるままに頭をなでられていると、その気持ちよさに眠くなってきた。
ふと気が付くと、いつの間にか先生の姿が見えなくなっていた。
動くのも億劫で首だけ動かして見回したが、近くにいる気配は無かった。
視界の隅を、金属光沢を放つ機械が掠めた。
気になって見つめると、それはこの楽園を維持・整備するロボットのようだと判った。
それはなにやら地面を掘り返したり、雑草を抜いたりしているようだった。
野放図に繁茂しようとする植物は、あんなふうに定期的に手を入れなければ、こんな整った景観は保てない。育つがままに放っておいたら、ジャングルのようになってしまうか、ただの荒地と化してしまうだろう。
一通りの作業を終えたのか、ロボットは軽快なメロディを奏でながら、移動していった。
どこへ行くのかと見ていると、どうやら木々の陰になってはっきりとは判らないが、ドアのようなものに向かっている。ロボットの整備室に帰るところのようだ。
整備室……?
私は起き上がり、ロボットの向かう方向へと走った。
そして、ロボットと一緒に、ドアの向こう側へ行くことに成功した。
暗くてよくは判らないが、大型の機械類が通路に沿って並んでおり、天井や壁には何本ものダクトやパイプが走っていた。そして至るところに、雑多な部品の山が築かれている、とても……とても懐かしい光景。
そう、ここは俺の職場だった。
いや、正確にはここではなかったかもしれない。だが見覚えのある区画構造に、胸がざわめいた。
メンテナンスはコロニー外殻ばかりじゃない。人々が暮らしている居住区画に隣接する、オイルと金属粉の入り混じった独特の臭いのする場所が、俺の居場所だった。
俺は記憶を辿りながら、足早に通路を歩いていった。
コロニーの大部分は、同じ区画構造の繰り返しだ。だから、ここがたとえ俺の職場とは違っていたとしても、そうたいした違いはないだろう。
確かこの階段を4階層下りて、正面にある独特の唸りを放っている機械が、大気濃度調整ユニットのジェネレーターで、その向こうが混合器。そしてクーリングユニットをはさんだところに、作業員詰め所があって、ドアを開ければ!
……中は無人だった。明かりもついていない、埃だらけの殺風景な部屋には、長い間誰も入った形跡が無いようだった。
外壁よりも一段飛び出した、コロニーの一番外側にあるこの部屋には窓があって、直に外の宇宙を見ることが出来る。
俺は窓に駆け寄って外を見た。
資材搬入口を兼ねたエアロックのために、一段へこんだ外殻構造の下側を見ると、星空が見える。
部屋の電子窓とは違う、この目で見る生の星空。
コロニーの自転にあわせて、ゆっくりと動いている星々は、涙が出るほど懐かしかった。
そして、ずっと忘れていた、大切なことを思い出した。
「駄目じゃないですか! 勝手にこんなところまで来てしまって」
「え?」
叱り付ける厳しい声がして振り返ると、難しそうな顔をしている先生が立っていた。
「ここは危険です。直ぐに部屋の外へ出てください」
「何が危険なんですか? デブリ警報(軌道上を巡る宇宙塵群による被害警報)でも?」
ここは、メンテナンス要員の詰め所だから、そんな警報が出ているのならば、部屋のモニタには警告画面が、表示されている筈だった。
けれど今は何も表示していない。
「いいから、早く!」
先生はいつに無く、苛立ったような大声で叫んだ。
そのとき、背後からオレンジ色の光が差し込んできているのが、先生のいる側の壁に反射してきた。
「え?」
「振り返っちゃいけませんっ!」
先生の警告にもかかわらず、思わず振り返ると、窓の外に赤茶けた大きなものが見えた。
赤熱した小惑星かと思って、思わず一瞬目をつぶったが、恐る恐る目を開くと、それはさっきまで見えていた星々と同じように、コロニーの自転運動にあわせて動いていった。
「あ、あれは……?」
「だから、振り返ってはいけないといったのに……」
「先生、あれは、なんですか? あの、赤い星は? ここは“エデン”ですよね? L4ポイントに浮かぶ、スペースコロニーですよね?」
「そうです」
「それじゃ、あれは……? まさか、地球?」
もう一度振り返って窓の外を見ると、雲のかけらひとつ無い、赤茶けた表面の星がゆっくりと視界の外へ消えていくところだった。
「今から約1300年前に、戦争がありました。戦争……と言うのは正確ではないかも知れません。“核兵器の廃絶を訴える地球市民同盟”と名乗る団体……環境テロリストがいっせいに蜂起したのです。彼らの仲間の中には、軍の関係者もいて、多分厳重に管理されている筈の施設にも、彼らが入り込んでいたのでしょう。詳細は今も判りませんが、破壊活動をしようとしたのだと思います。けれど無知で愚かな彼らは、そんなことを同時多発で起こせばどういうことになるか、考えることが出来なかったのでしょう。施設のセキュリティ装置が動作しました、それも各地でいっせいに」
「そ、それって……」
「多分、あなたの想像通りです。敵国の核攻撃が始まった、或いはそれに準じた事態が起きたのだと、防衛システムが判断したのだと思います。反撃のための核兵器発射シーケンスが始まってしまいました」
「でも……」
「止められませんでした。最終判断は人間の手で行われる筈なのですが、機能しなかったのだと思います。環境テロリストたちの行動は、今も全てが明らかにはなっていませんが、愚かな彼らが国家の防衛システムが、どのように構築されているかなどと知ることが出来た筈がありません。“人間の判断を要する”という最も脆弱な部分を、それと知らずに突いてしまったのだと思います。大規模な核施設への全面攻撃と判断した自動防衛システムは処理を継続、ICBM(大陸間弾道弾)が予め設定されていた目標に向けて発射されてしまいました。あとは……、説明が必要ですか?」
「M・A・D(相互確証破壊)……?」
私は思わず床にへたり込んでしまった。
二十世紀の終わりに誰だったかが予言した、たちの悪い冗談としか思えないような結末。
一方が核兵器を使えば、もう一方の国も……。それが現実のものとなってしまったというのか?
「うそでしょう、先生……? うそでしょう、そんなこと、そんなバカな事!」
「…………」
朝から鈍い痛みのあったお腹が、きりきりと痛んだ。
「そうだ! ここは……、“エデン”は地球とは別でしょう? コロニーにはたくさんの人が住んでいたじゃないですか、その人たちは?」
「あれから、約1300年の時が経ています。さっき、私はそう言いました」
「死んだって言うの? 私たちの他には、もう誰も残っていないって言うの?」
「…………」
先生は答えなかった。答えなかったことが、答えなのだと思った。
「あなたには、こんなこと知って欲しくなかった。何も知らないまま、この小さなコロニーで、何不自由なく……イヴさん?!」
私は、先生の言葉を信じることができなかった。
だがそれ以上に伝えられたことのショックが大きくて、その場に倒れこんでしまった。
「お腹が、痛い……」
「しっかりしてください!」
先生があわてて私を抱き起こそうとした。私は下腹部の痛みがいっそう強くなった気がして、手を当てると、太ももに何かが流れ落ちるのを感じた。
「血が……、イヴさん! しっかり!」
下半身のどこかから血が出ているのだろう、ワンピースの裾から太腿を伝って赤い血が一筋流れ落ちていた。
ヤブ医者め、体を再生したとか言っていたが、やっぱり失敗だったんだろう。
私は、もう一度死ぬのか……?
先生が必死になって私に呼びかけていたが、精神的ショックの連続と下腹部が押しつぶされるような痛みと出血で、私はそのまま気絶してしまった。
2800万ヒット記念 エデンの園(1)~(4) by ありす
「エデンの園」 by ありす
(1)-------------------------------------------------------
「♪俺ら宇宙~の、俺ら~宇宙~のぉ、俺ら宇宙のメンテ屋さんっ♪」
俺は鼻歌交じりに、EVA作業をしていた。
ここはL4(第4ラグランジュポイント)に浮かぶ、スペースコロニー、“エデン”。
俺はその“エデン”のメンテナンス要員として働いている、しがない技術屋だ。
行きたくは無かったが、大学に通ってEVA技術員の資格を取り、親の仕事を引き継いで、いっぱしの技術屋稼業なんかをしている。
いつ太陽フレア爆発や、宇宙塵との衝突に襲われるかも知れない危険なコロニーでのEVA作業の殆どが、今ではメンテナンスロボットが担当しているが、微妙な調整だとか複雑に入り組んだ場所での作業となると、まだまだ生身の人間の手が必要だった。
だが俺にとっては、もうすっかり慣れた日常の作業のひとつに過ぎない。
それにこうして、“エデン”の外殻から出て、バイザー越しとはいえ、さえぎるものの何一つ無い、星々の瞬きを見るのも悪くない。
「……って、宇宙じゃ星は瞬いたりはしない。何だあれは?」
俺はそう呟いて、明滅する光点に向かおうとしたそのとき、突然視界が真っ暗になって、何者かに襲われた。
俺は無線のプレトークスイッチを押して、助けを呼ぼうとした。
だが雑音ばかりがなり立てるレシーバーからは、いつものとぼけた調子のコントローラーからの応答は無く、俺を襲ってきた何かと揉みあっているうちに背中に激痛を感じ、そのまま気を失ってしまった。
====================================================
「エデンの園」
イラスト : もりや あこ
文 : ありす
あむぁいおかし製作所 (C)2014
====================================================

「ここは……、どこだ?」
「お目覚めですか? イヴさん」
ぼやけた視界がだんだんとはっきりとしていき、目の前に白衣を着た男が話しかけていることがわかった。
「ここは、どこですか?」
確か、俺は何者かに襲われて……どうやら耳までおかしいらしい。
自分の声がずいぶんと甲高く、別人のようだ。
それに体中がだるくて……、なんだかずいぶんと長い間眠っていたような感じがする。
「ここは、病院のベッドの上ですよ。僕はあなたの主治医です」
「主治医?」
「自分が誰だか、判りますか? イヴさん」
「俺は……イヴなんて名前じゃない。俺はショー……あれ、なんだっけ?」
「無理に思い出そうとしなくていいですよ。あなたは長い間眠ったままだったのですから」
「そうだ! 俺はEVA作業中に、何者かに襲われて……」
「どうやら、ある程度の記憶は残っているようですね。これなら希望が持てます」
「希望?」
俺は医者の言葉に不自然さを感じながらも、少しずつ戻りつつある体の感覚を頼りに、体を起こそうとした。
「あ、まだ無理をしてはいけません」
「いや、手伝ってくれ。体を起こしたいんだ」
医者は俺の背中を支えて、上半身を起こすのを手伝ってくれた。
だがその時、俺は自分の体がまったく違うものになっていることに、ようやく気づいた。
「な、なんだこれは、俺の体……、胸が膨らんで、それにこの手! どうなっているんだ!」
「あなたの体は、宇宙線に長い間晒されていて損傷が激しかったので、あなたの遺伝情報を元に、肉体を再生しました」
「肉体の“再生”だって?」
「ええ、でも脳だけは元のままなので、体に違和感があるかもしれませんが、リハビリをすれば、直ぐに慣れますよ」
「直ぐに慣れるって……、この体、まるで女みたいな……」
「すみません。男性の体で再生することが出来なかったので、体は女性体です」
「な、なんだって! それじゃこの、胸が膨らんでるとか、声が甲高いのも……」
そう言いかけて、俺は入院患者が着る様な服のズボンの部分に手を突っ込んだ。
「な、無い! 俺のジュニアが……!」
本当ならそこにある筈の、握りなれた男のシンボルがなく、代わりに股間に刻まれた肉の割れ目が……。
「あ、あのう……、僕もいるんですが」
俺の背中を支えたままの医者が、顔をそらしながら言った。
それを聞いて初めて俺は、自分がかなりキワドイことをしていることに気がついた。
少なくとも俺のこの体は女性のもので、目の前にいるのは男性で……。
俺は急に恥ずかしくなって、服の中から手を抜いた。
「あ、いや、見ていませんよ。いえ、診察のときに全部見ていますが……いや、今のは失言です。忘れてください」
医者は弁解したが、医者ならば患者の体を診るのはそれが仕事だから、非難されるいわれは無い。それは頭ではわかっているんだが、自分の知らない自分を、しかも女の体になってしまっている自分の体を見られるのは、なんだかとても恥ずかしかった。
「元には、戻せないんですか? その、男の体に」
「すみません。残念ながら、あなたの体がどうであったか、DNA解析だけでは判らないんです。それに、ここの施設では、男性の体を作るのは難しくて……。それで我慢してください」
「我慢してくださいって……」
すまなそうに言う医者に、俺はそれ以上強く言えなかった。
それに体を再生したとか言っていたが、それほどの損傷を受けた体ならば、俺はたぶんその時に一度死んでしまったのだろう。
それをここまでにしてくれて、しかも俺は意識を取り戻した。
彼はいわば、俺の命の恩人といえる。
「助けてくださったことには、感謝します。俺は、やっぱり一度死んだんですよね?」
「ええ、あなたを蘇生できたのは、かなり奇跡に近いです。でも良かった。生き返ってくれて」
「そうですか、重ねて御礼を言います、ありがとうございます」
俺は深々と頭を下げた。
「いえ、医者として当然のことです。慣れない体では色々と不都合もあるでしょうが、今度こそきちんとサポートしますから、がんばってください」
『今度こそ……』? 医者の言葉にちょっと俺は引っかかったが、それよりも次第にはっきりとしていく五感を通じて、文字通り生まれ変わった新しい世界の感覚に、俺は戸惑っていた。
(1)-------------------------------------------------------
「♪俺ら宇宙~の、俺ら~宇宙~のぉ、俺ら宇宙のメンテ屋さんっ♪」
俺は鼻歌交じりに、EVA作業をしていた。
ここはL4(第4ラグランジュポイント)に浮かぶ、スペースコロニー、“エデン”。
俺はその“エデン”のメンテナンス要員として働いている、しがない技術屋だ。
行きたくは無かったが、大学に通ってEVA技術員の資格を取り、親の仕事を引き継いで、いっぱしの技術屋稼業なんかをしている。
いつ太陽フレア爆発や、宇宙塵との衝突に襲われるかも知れない危険なコロニーでのEVA作業の殆どが、今ではメンテナンスロボットが担当しているが、微妙な調整だとか複雑に入り組んだ場所での作業となると、まだまだ生身の人間の手が必要だった。
だが俺にとっては、もうすっかり慣れた日常の作業のひとつに過ぎない。
それにこうして、“エデン”の外殻から出て、バイザー越しとはいえ、さえぎるものの何一つ無い、星々の瞬きを見るのも悪くない。
「……って、宇宙じゃ星は瞬いたりはしない。何だあれは?」
俺はそう呟いて、明滅する光点に向かおうとしたそのとき、突然視界が真っ暗になって、何者かに襲われた。
俺は無線のプレトークスイッチを押して、助けを呼ぼうとした。
だが雑音ばかりがなり立てるレシーバーからは、いつものとぼけた調子のコントローラーからの応答は無く、俺を襲ってきた何かと揉みあっているうちに背中に激痛を感じ、そのまま気を失ってしまった。

「ここは……、どこだ?」
「お目覚めですか? イヴさん」
ぼやけた視界がだんだんとはっきりとしていき、目の前に白衣を着た男が話しかけていることがわかった。
「ここは、どこですか?」
確か、俺は何者かに襲われて……どうやら耳までおかしいらしい。
自分の声がずいぶんと甲高く、別人のようだ。
それに体中がだるくて……、なんだかずいぶんと長い間眠っていたような感じがする。
「ここは、病院のベッドの上ですよ。僕はあなたの主治医です」
「主治医?」
「自分が誰だか、判りますか? イヴさん」
「俺は……イヴなんて名前じゃない。俺はショー……あれ、なんだっけ?」
「無理に思い出そうとしなくていいですよ。あなたは長い間眠ったままだったのですから」
「そうだ! 俺はEVA作業中に、何者かに襲われて……」
「どうやら、ある程度の記憶は残っているようですね。これなら希望が持てます」
「希望?」
俺は医者の言葉に不自然さを感じながらも、少しずつ戻りつつある体の感覚を頼りに、体を起こそうとした。
「あ、まだ無理をしてはいけません」
「いや、手伝ってくれ。体を起こしたいんだ」
医者は俺の背中を支えて、上半身を起こすのを手伝ってくれた。
だがその時、俺は自分の体がまったく違うものになっていることに、ようやく気づいた。
「な、なんだこれは、俺の体……、胸が膨らんで、それにこの手! どうなっているんだ!」
「あなたの体は、宇宙線に長い間晒されていて損傷が激しかったので、あなたの遺伝情報を元に、肉体を再生しました」
「肉体の“再生”だって?」
「ええ、でも脳だけは元のままなので、体に違和感があるかもしれませんが、リハビリをすれば、直ぐに慣れますよ」
「直ぐに慣れるって……、この体、まるで女みたいな……」
「すみません。男性の体で再生することが出来なかったので、体は女性体です」
「な、なんだって! それじゃこの、胸が膨らんでるとか、声が甲高いのも……」
そう言いかけて、俺は入院患者が着る様な服のズボンの部分に手を突っ込んだ。
「な、無い! 俺のジュニアが……!」
本当ならそこにある筈の、握りなれた男のシンボルがなく、代わりに股間に刻まれた肉の割れ目が……。
「あ、あのう……、僕もいるんですが」
俺の背中を支えたままの医者が、顔をそらしながら言った。
それを聞いて初めて俺は、自分がかなりキワドイことをしていることに気がついた。
少なくとも俺のこの体は女性のもので、目の前にいるのは男性で……。
俺は急に恥ずかしくなって、服の中から手を抜いた。
「あ、いや、見ていませんよ。いえ、診察のときに全部見ていますが……いや、今のは失言です。忘れてください」
医者は弁解したが、医者ならば患者の体を診るのはそれが仕事だから、非難されるいわれは無い。それは頭ではわかっているんだが、自分の知らない自分を、しかも女の体になってしまっている自分の体を見られるのは、なんだかとても恥ずかしかった。
「元には、戻せないんですか? その、男の体に」
「すみません。残念ながら、あなたの体がどうであったか、DNA解析だけでは判らないんです。それに、ここの施設では、男性の体を作るのは難しくて……。それで我慢してください」
「我慢してくださいって……」
すまなそうに言う医者に、俺はそれ以上強く言えなかった。
それに体を再生したとか言っていたが、それほどの損傷を受けた体ならば、俺はたぶんその時に一度死んでしまったのだろう。
それをここまでにしてくれて、しかも俺は意識を取り戻した。
彼はいわば、俺の命の恩人といえる。
「助けてくださったことには、感謝します。俺は、やっぱり一度死んだんですよね?」
「ええ、あなたを蘇生できたのは、かなり奇跡に近いです。でも良かった。生き返ってくれて」
「そうですか、重ねて御礼を言います、ありがとうございます」
俺は深々と頭を下げた。
「いえ、医者として当然のことです。慣れない体では色々と不都合もあるでしょうが、今度こそきちんとサポートしますから、がんばってください」
『今度こそ……』? 医者の言葉にちょっと俺は引っかかったが、それよりも次第にはっきりとしていく五感を通じて、文字通り生まれ変わった新しい世界の感覚に、俺は戸惑っていた。
星の海で(8) 「Natal」 (15)終幕
(15)終幕-------------------------------------------------------
所属不明艦の撃沈から6時間後、被害の後処理が一段落した頃、フランチェスカは提督執務室にリッカルドを尋ね、開口一番に抗議した。
「リッカルド、せっかく敵の足を止めたのに、なんで撃沈したのさ」
リッカルドは机の引き出しから何枚かのプリントアウトを出し、フランチェスカに渡した。
「これを見ろ、フランチェスカ」
「何……?」
「1ヶ月ほど前から、艦隊の後方を伺うように接近する物体があった。付かず離れず、こちらの哨戒網に引っかかるかと思えば、また消えることを繰り返していた」
「一ヶ月前から?」
「トイブルク星域を、離脱した頃からだな」
「それはセンサーの調整中で、誤認と言う話だったのでは?」
「センサーには異常はなかった。調整も完璧だった」
「って言うことは……」
「監察官が本艦の査察に来たのは、我々の艦隊が無線封止をして、訓練を始めた時だったよな」
「いつから、その事に……?」
「いや、最初は全く関連がつかめなかった。だが、あの監察官には、怪しい点がいくつもあった」
「じゃ、リッカルドは最初から、あの二人が怪しいと思っていたの?」
「まぁな。それに、あのデカパイのラヴァーズの軍事裁判の時も、何かがおかしかった。もっともそれは、今になって関連性に気づいただけなんだがな」
「私に、教えておいてくれれば良かったのに」
「確たる根拠もなしに、お前の仕事を増やすこともないと思ってな。それにお前、あの監察官のこと嫌っていただろう?」
「そんな事は、関係ないだろ」
「それに、オマエなら俺とは違う視点で、何か気がつくんじゃないかと思ったんだ」
そういうとリッカルドは、端末を操作し始めた。
「しかし、予断があっては奴もシッポを出さないと思っていたんだが、ずいぶんと大胆にしでかしてくれたものだ」
「でもそれなら尚の事、奴らの正体を確かめておいたほうが良かったんじゃ?」
「これを見ろ」
リッカルドはキーボードを叩く手を止めて、デスクの上のモニターをフランチェスカのほうに向けた。
「敵艦の写真? 激突された時のだよね?」
「敵艦の右舷側面、艦橋の下の方を良く見てみろ」
「こ、これっ! この識別番号……」
「中央艦隊の識別番号だ。それも、廃棄予定の鹵獲品のな」
「偽装、なんじゃないの? さもなければただの偶然だとか……」
「プロジェクト“Natal”」
「リッカルド、どうして、それを……?」
「お前も、俺に黙っていたな」
「それは……。でもリッカルドは知っていたの?」
「俺も詳しくは知らない。だが、艦隊司令の辞令を受け取ったときに、オヤジから警告されたんだ」
「オヤジさん? 第5軍管区司令長官の? なんておっしゃったの?」
「『“Natal”には関わるな』。俺は何のことかわからずに問い直したのだが、オヤジはそれ以上のことは何も言わなかった」
「……」
「だから俺は独自に調べてみた。その結果、あの艦は非常に危険だと考えた」
「ガリエスタ条約……」
「それ以上は言うな。今回の事件は、単なる敵の偶然の襲撃。日誌にもそれ以上の記録は残さない。緘口令も敷いた。お前も忘れろ」
「エルザは……。あの子はどうするの?」
「あの少女はただの身元不明の遭難者。そう報告を受けているし、それ以上のことは詮索しない」
そういうとリッカルドは、激突してきた艦の写真を、端末から消去した。
「だが犠牲者が出た以上、葬式だけはしないとな。ここが宇宙空間でよかった」
「遺体は、宇宙葬が決まりだからね。葬式が終われば、何一つ残らない」
「正体不明の艦との偶発事故で、本艦が損傷。衝突時に偶然にも居合わせた、監察官と事務官の2名は殉死。以上だ」
「なかった事に、するんだ……」
「ああ、そうだ。あの少女がNatalに関係があったということは、我々以外には誰も知らない。旗艦の損害も、転移航法に失敗した不明艦との衝突事故として扱えと、先ほど中央艦隊群司令部から、直接の指示を受けた」
「中央艦隊群司令部から?」
「笑えることに、第一報を入れたら、俺のサイン欄だけが空白の“作成済みの報告書”が送られてきたよ」
そう言うと、やれやれといった様子で、応接セットのソファに席を移した。
フランチェスカも来客用に備えられているバーカウンターから二人分の飲み物を用意すると、リッカルドの隣に座った。
フランチェスカは、どうにも納得が行かなかった。
なぜ、中央艦隊が偽装してまで、事件をもみ消そうとしたのか。
「ねぇ、リッカルド、中央艦隊は……」
リッカルドにその事を問おうと見上げると、いつものだらしのない顔が目に入った。
「だが惜しいことをしたな。アリシアは美人だったからな。おっぱいもデカかったし……ん? 待てよ? ということは、あのエルザとかいう娘も、何年かすれば、きっと……むふふふふ~」
「リッカルド! この、スケベ提督め!!」
ソファの上で揉みあった後、フランチェスカはなんとなく思った。
リッカルドはフランチェスカの問いを、わざと誤魔化そうとしたのではないかと。
「ねぇ、アリシアのことなんだけど……」
「なんだ?」
「アリシアは、トイブルク5のことを口にすると、ものすごく怖がっていたんだ」
「彼女が恐れていたのは、トイブルク5が消滅させられてしまったことで、消滅させたことじゃないんだろう」
「それはそうだよ。彼女はたまたまその場に居合わせただけで、作戦には関わっていなかったんだから」
「同じ惨劇を、二度経験したら、人はどうなると思う?」
「どういう意味?」
「おまえ、ガリエスタ人の事、知っているか?」
「ガリエスタ人?」
「エンシェントノーツ・ガリエスタ。半ば伝説になっている、少数民族のことだ。ガリエスタ星系に、古くからいた原住民だといわれている。だが“ガリエスタの悲劇”で、この世から完全に消えてしまったと、記録ではなっている」
「それが、アリシアと何の関係があるの?」
「成人したガリエスタ人は、美しく輝く銀色の髪に、紅い瞳を持っていたそうだ……」

挿絵:菓子之助 http://pasti.blog81.fc2.com/
フランチェスカの脳裏に、愁いを帯びたアリシアの顔がよぎった。
「……そしてその銀色の髪には、未来を予知したり、触れた者の心を感じとったりする、不思議な力があったとも伝えられている」
「それじゃ彼女は、そのガリエスタ人の生き残りだったっていうの?」
「さあな、俺にはわからん……」
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
翌日、ごく限られた人数だけが集められ、宇宙葬が行われた。
棺のうちのひとつには、胸に手を当ててまるで眠っているかの様な、アリシアの遺体が納められていた。
エミリアはエルザの肩にそっと手を添えて、棺の傍に立たせた。
そしてアリシアの虹色に輝く、長い銀髪をひと房手にとって、エルザに握らせた。
「エルザ、ママにお別れを言いなさい」
「……まま、さようなら」
半透明のふたが閉じられ、棺はアンドレア・ドリアからゆっくりと離れていった。
漆黒の宇宙の闇、永遠の旅路へと……。
<第9話に続く>
所属不明艦の撃沈から6時間後、被害の後処理が一段落した頃、フランチェスカは提督執務室にリッカルドを尋ね、開口一番に抗議した。
「リッカルド、せっかく敵の足を止めたのに、なんで撃沈したのさ」
リッカルドは机の引き出しから何枚かのプリントアウトを出し、フランチェスカに渡した。
「これを見ろ、フランチェスカ」
「何……?」
「1ヶ月ほど前から、艦隊の後方を伺うように接近する物体があった。付かず離れず、こちらの哨戒網に引っかかるかと思えば、また消えることを繰り返していた」
「一ヶ月前から?」
「トイブルク星域を、離脱した頃からだな」
「それはセンサーの調整中で、誤認と言う話だったのでは?」
「センサーには異常はなかった。調整も完璧だった」
「って言うことは……」
「監察官が本艦の査察に来たのは、我々の艦隊が無線封止をして、訓練を始めた時だったよな」
「いつから、その事に……?」
「いや、最初は全く関連がつかめなかった。だが、あの監察官には、怪しい点がいくつもあった」
「じゃ、リッカルドは最初から、あの二人が怪しいと思っていたの?」
「まぁな。それに、あのデカパイのラヴァーズの軍事裁判の時も、何かがおかしかった。もっともそれは、今になって関連性に気づいただけなんだがな」
「私に、教えておいてくれれば良かったのに」
「確たる根拠もなしに、お前の仕事を増やすこともないと思ってな。それにお前、あの監察官のこと嫌っていただろう?」
「そんな事は、関係ないだろ」
「それに、オマエなら俺とは違う視点で、何か気がつくんじゃないかと思ったんだ」
そういうとリッカルドは、端末を操作し始めた。
「しかし、予断があっては奴もシッポを出さないと思っていたんだが、ずいぶんと大胆にしでかしてくれたものだ」
「でもそれなら尚の事、奴らの正体を確かめておいたほうが良かったんじゃ?」
「これを見ろ」
リッカルドはキーボードを叩く手を止めて、デスクの上のモニターをフランチェスカのほうに向けた。
「敵艦の写真? 激突された時のだよね?」
「敵艦の右舷側面、艦橋の下の方を良く見てみろ」
「こ、これっ! この識別番号……」
「中央艦隊の識別番号だ。それも、廃棄予定の鹵獲品のな」
「偽装、なんじゃないの? さもなければただの偶然だとか……」
「プロジェクト“Natal”」
「リッカルド、どうして、それを……?」
「お前も、俺に黙っていたな」
「それは……。でもリッカルドは知っていたの?」
「俺も詳しくは知らない。だが、艦隊司令の辞令を受け取ったときに、オヤジから警告されたんだ」
「オヤジさん? 第5軍管区司令長官の? なんておっしゃったの?」
「『“Natal”には関わるな』。俺は何のことかわからずに問い直したのだが、オヤジはそれ以上のことは何も言わなかった」
「……」
「だから俺は独自に調べてみた。その結果、あの艦は非常に危険だと考えた」
「ガリエスタ条約……」
「それ以上は言うな。今回の事件は、単なる敵の偶然の襲撃。日誌にもそれ以上の記録は残さない。緘口令も敷いた。お前も忘れろ」
「エルザは……。あの子はどうするの?」
「あの少女はただの身元不明の遭難者。そう報告を受けているし、それ以上のことは詮索しない」
そういうとリッカルドは、激突してきた艦の写真を、端末から消去した。
「だが犠牲者が出た以上、葬式だけはしないとな。ここが宇宙空間でよかった」
「遺体は、宇宙葬が決まりだからね。葬式が終われば、何一つ残らない」
「正体不明の艦との偶発事故で、本艦が損傷。衝突時に偶然にも居合わせた、監察官と事務官の2名は殉死。以上だ」
「なかった事に、するんだ……」
「ああ、そうだ。あの少女がNatalに関係があったということは、我々以外には誰も知らない。旗艦の損害も、転移航法に失敗した不明艦との衝突事故として扱えと、先ほど中央艦隊群司令部から、直接の指示を受けた」
「中央艦隊群司令部から?」
「笑えることに、第一報を入れたら、俺のサイン欄だけが空白の“作成済みの報告書”が送られてきたよ」
そう言うと、やれやれといった様子で、応接セットのソファに席を移した。
フランチェスカも来客用に備えられているバーカウンターから二人分の飲み物を用意すると、リッカルドの隣に座った。
フランチェスカは、どうにも納得が行かなかった。
なぜ、中央艦隊が偽装してまで、事件をもみ消そうとしたのか。
「ねぇ、リッカルド、中央艦隊は……」
リッカルドにその事を問おうと見上げると、いつものだらしのない顔が目に入った。
「だが惜しいことをしたな。アリシアは美人だったからな。おっぱいもデカかったし……ん? 待てよ? ということは、あのエルザとかいう娘も、何年かすれば、きっと……むふふふふ~」
「リッカルド! この、スケベ提督め!!」
ソファの上で揉みあった後、フランチェスカはなんとなく思った。
リッカルドはフランチェスカの問いを、わざと誤魔化そうとしたのではないかと。
「ねぇ、アリシアのことなんだけど……」
「なんだ?」
「アリシアは、トイブルク5のことを口にすると、ものすごく怖がっていたんだ」
「彼女が恐れていたのは、トイブルク5が消滅させられてしまったことで、消滅させたことじゃないんだろう」
「それはそうだよ。彼女はたまたまその場に居合わせただけで、作戦には関わっていなかったんだから」
「同じ惨劇を、二度経験したら、人はどうなると思う?」
「どういう意味?」
「おまえ、ガリエスタ人の事、知っているか?」
「ガリエスタ人?」
「エンシェントノーツ・ガリエスタ。半ば伝説になっている、少数民族のことだ。ガリエスタ星系に、古くからいた原住民だといわれている。だが“ガリエスタの悲劇”で、この世から完全に消えてしまったと、記録ではなっている」
「それが、アリシアと何の関係があるの?」
「成人したガリエスタ人は、美しく輝く銀色の髪に、紅い瞳を持っていたそうだ……」

挿絵:菓子之助 http://pasti.blog81.fc2.com/
フランチェスカの脳裏に、愁いを帯びたアリシアの顔がよぎった。
「……そしてその銀色の髪には、未来を予知したり、触れた者の心を感じとったりする、不思議な力があったとも伝えられている」
「それじゃ彼女は、そのガリエスタ人の生き残りだったっていうの?」
「さあな、俺にはわからん……」
翌日、ごく限られた人数だけが集められ、宇宙葬が行われた。
棺のうちのひとつには、胸に手を当ててまるで眠っているかの様な、アリシアの遺体が納められていた。
エミリアはエルザの肩にそっと手を添えて、棺の傍に立たせた。
そしてアリシアの虹色に輝く、長い銀髪をひと房手にとって、エルザに握らせた。
「エルザ、ママにお別れを言いなさい」
「……まま、さようなら」
半透明のふたが閉じられ、棺はアンドレア・ドリアからゆっくりと離れていった。
漆黒の宇宙の闇、永遠の旅路へと……。
<第9話に続く>
星の海で(8) 「Natal」 (14)追撃
(14)追撃-------------------------------------------------------
フランチェスカは走りながら携帯端末を取り出し、トリポリ基地から乗ってきた自分の専用機が格納されている整備ハンガーに連絡をとり、ハンガーマスターに発艦準備をするように頼んだ。
そしていったん自室に戻ってパイロットスーツに着替え、発艦デッキへ急いだ。
フランチェスカがデッキに着くと、ちょうど整備デッキからエレベータで上がってきた対艦ミサイル装備の専用機と、頼もしい人物が待っていた。
「フェルナンド!」
「一人でどこへ行こうってんです? 後席には、あっしが必要でしょうが」
「助かるわ、フェルナンド! すぐに出撃する。離脱した敵艦を追いかけて、足止めするの。手伝って!」
「アイアイ! マァム」
二人は飛び乗るようにコックピットに着き、プリフライトチェックを始めた。
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
リッカルドは、艦橋に飛び込むと同時に大声で怒鳴った。
「フランチェスカ機はどこだっ! 回線、繋がるか?」
「て、提督! いったい今までどちらに?!」
「あとで話す。フランチェスカ機は?」
「たった今、離艦していきました。リニアカタパルトで緊急発進しましたが、すぐに回線は繋がります」
「繋げ!」
「アイアイ、サー!」
通信士官が回線をつなぐと、リッカルドはもどかしげに通信士官からヘッドセットをひったくった。
「This is AUTHER, STREGA, Do you read? フランチェスカ! 応答しろ!!」
『This is STREGA. リッカルド?!』
「フランチェスカ、いいか? 絶対に深追いするな! 逃げられそうになったら、迷わず撃沈しろ!」
『げ、撃沈?!』
「搭載火器で無理なら、座標を知らせるんだ!」
『で、でも……』
「命令だ! 繰り返す。これは命令だ! 深追いはするな。逃げられそうなら撃沈しろ! こちらからも応援を出す。いいな! 以上!」
『ちょ、ちょっと待って!』
リッカルドは通信を打ち切り、即座に艦隊から発進準備の整った高速巡洋艦を3隻差し向けた。
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
「フェルナンド、まだ敵は補足出来ない?」
『アーサーからのデータリンクでは、敵艦はαー4を回避、惑星間速度に加速しようとしているようですぜ!』
「どっちへ向かって?」
『わかりませんが、恒星方向では?』
「まずいわ、重力スイングバイでもされたら追いつけない。リードコリジョン(会敵位置を予測して、最短距離を行く方法)で行くわ!』
『敵艦、加速開始!』
「ブースターオン! 逃がさないわ!」
推力増強装置を全開にした専用機は跳ねるように加速し、敵艦との距離をじりじりとつめつつあった。
『Bogy, Engage! FCS(火器管制装置)で捉えましたよ』
「敵艦の反応は?」
『ECM(電子妨害)を掛けて来ていますが、こちらは艦隊の支援を受けたセミアクティブ追尾なので、バーンスルー(妨害無効範囲)は確保しています!」
「アーサーのHPMを受けた割にはタフね」
『まぁ、味方艦が近すぎたんで、目一杯パワーは落としていましたけどね。 あ、チャフとデコイを射出したようです』
「アーサーからのデータリンクは?」
『つながっています。あ、今度は機動爆雷を投下しやがった!』
「足止めしようったって、そうは行かないわ! シールド展開! MASTER ARM ON!」
『まさか機動爆雷を、撃とうってんですかい?』
「対戦闘機用に投下したんなら、無指向性だわ! 殺られる前に殺る!」
『ひょうっ! 頼もしいですなぁ』
「Gキャンセラ、リミット解除! しゃべってると舌かむわよ!」
『了解! たのんますぜ!』
機動爆雷は精密誘導をしなくても、機雷自身のセンサーである程度目標に近づいてから自爆し、運動エネルギーを持った破片を周囲に撒き散らす、本来は対艦用の兵器だった。
だが、フランチェスカ機に向けられたのは、対戦闘機用に高速で飛来し、周囲に破砕片をばら撒くタイプのものだった。
それを回避するには、機動爆雷を上回る高速度で機雷そのものに接近して相対速度を稼ぎ、信管が作動する前に撃破するか、もし先に信管が先に作動した場合は、高機動をかけて破砕片が広がる前に回避してやり過ごすしかなかった。
フランチェスカは機体の推力に物を言わせた、限界性能に近いGをかけた高機動と、的確な射撃で撃破し、或いは破砕片を回避し続けた。
フランチェスカよりも遥かに大きく、鍛え抜かれた体の筈のフェルナンド中尉でさえ、音を上げそうな高機動に、コックピットのコーションパネルの警告灯が、一時全て真っ赤になったが、最後の爆雷を撃破して、リミッターをオンにすると、自動的に回復した。
『はっ! 人間業とは思えませんねぇ、大尉。トリポリ以来、めっきり腕を上げましたなぁ』
後席のフェルナンド中尉は、追撃に必要となる以外のシステムを切り、自己診断機能をスタートさせながら、前席のフランチェスカに言った。
「先生が良かったのよ」
『ウチの隊の隊長になって欲しいぐらいでさぁ。トリプルエースどころか、エターナル級ですぜ!』
「残念ね。もし私が戦闘機隊の隊長をするなら、部下はみんなラヴァーズにするわ」
『そんときゃ、あっしもラヴァーズになります!」
「あはは、向き不向きがあると思うけど?」
フランチェスカも冗談めかして言うと、敵艦に変化があった。
後席のフェルナンド中尉が注意を促した。
『ヤバいですぜ! 敵艦の周囲に光学歪みが見えます。ワープしようとしています!』
「わかってる!」
『どうしやす? 加速を止めてワープの精密観測をしやせんと、見失っちまいます』
「いえ、この機のセンサーじゃ観測しても、連続ショートジャンプでもされたら、航跡を追いかけることは不可能だわ」
『打つ手なしですかい?』
「いいえ、チャンスよ!」
フランチェスカはそう言うと、再びマスターアームをONにした。
SMS(搭載兵装管理システム)のディスプレィに 「MASTER ARM SELECT ASM」の表示を確認すると、フランチェスカは言った。
「リッカルドは、“逃げられそうになったら、迷わず撃沈しろ”と言った。でもワープ直前にミサイルを当てれば……」
『重力波推進の対艦ミサイルなら、近くを通るだけでも場の空間質量が変化して、ワープに失敗』
「そして機関は損傷するわ。悪くすれば爆発するかもしれないけど」
『それなら誘導はマニュアルで。あっしに任せてくだせぇ。こういうのは得意中の得意!』
「頼むわよ! タイミングがずれたら、苦労も水の泡だわ」
後席のフェルナンドがFCSを操作し、ターゲットにロックオンすると、すかさず前席のHUDの表示も変化して、目標を捕らえたことを示した。
『発射のタイミングは、そちらにお任せします! あっしは誘導に専念させてください」
「了解!」
フランチェスカは機体をさらに加速させ、間合いをつめた。
『Rmax,TOF - ONE,SIX !(ミサイル最大射程距離、飛翔時間160秒)』
「まだまだ!」
『……R2 - ONE,FOUR!(高機動目標に対する最大射程、飛翔時間140秒)』
「敵は加速してる?」
『ワープ遷移中! 変化無し!」
「FOX-ONE!(ミサイル発射!)」
フランチェスカはありったけの対艦ミサイル4発を放った。
うち3発は露払いのつもりで、予測進路に向けて無誘導で見込み発射。
一発をフェルナンドに誘導を委ねた。
周辺に光学歪みを撒き散らしながら、ミサイルは加速していった。
だが後もう少しで命中と言う所で、敵艦はワープタイミングをずらし、シールドを張った。
「しまった、敵はこちらの手に気づいたわ!」
『そうこなくっちゃ!』
フランチェスカがどういう意味かと問う間もなく、着弾の光が4つ輝いた。
敵艦のエンジン2機に、それぞれ直撃2発が命中していた。
「い、一体どうなったの?」
『"任せてくだせぇ"って言いやしたでしょ。4発ともあっしが誘導したんでさぁ。マニュアルでね』
「そんなことができるの?」
『まあね。一発目が開けたシールドの穴に、正確に2発目をぶち込めば、確実にダメージを加えられます。大尉がケチらずに全弾撃ってくれたお陰でさぁ!』
「見なおしたわ! フェルナンド!」
エンジンの半分を失えば、ワープどころか通常航行ですら大幅に足が遅くなる。
フランチェスカ機が敵艦に追いつくのも、時間の問題だった。
「これでなんとか拿捕できるわ。私たちは先行して頭を抑えましょう」
『アイアイ、マァム』
だが、あと少しで敵艦に追いつくと言う所で、突然敵艦は大爆発を起こした。
「な、何!?」
『味方の高速巡洋艦が追いついたようです。レールガンの収束弾幕でしょう』
爆発炎上している敵艦に、更にミサイルが着弾し、敵艦は四散した。
『徹底していやすね。跡形もなく吹き飛んじまった』
「せっかく拿捕できると思ったのに! リッカルドの奴!」
フランチェスカ機は、残り少なくなった推進剤を補うため、追撃してきた味方の高速巡洋艦に着艦し、そのまま艦隊に戻った。
フランチェスカは走りながら携帯端末を取り出し、トリポリ基地から乗ってきた自分の専用機が格納されている整備ハンガーに連絡をとり、ハンガーマスターに発艦準備をするように頼んだ。
そしていったん自室に戻ってパイロットスーツに着替え、発艦デッキへ急いだ。
フランチェスカがデッキに着くと、ちょうど整備デッキからエレベータで上がってきた対艦ミサイル装備の専用機と、頼もしい人物が待っていた。
「フェルナンド!」
「一人でどこへ行こうってんです? 後席には、あっしが必要でしょうが」
「助かるわ、フェルナンド! すぐに出撃する。離脱した敵艦を追いかけて、足止めするの。手伝って!」
「アイアイ! マァム」
二人は飛び乗るようにコックピットに着き、プリフライトチェックを始めた。
リッカルドは、艦橋に飛び込むと同時に大声で怒鳴った。
「フランチェスカ機はどこだっ! 回線、繋がるか?」
「て、提督! いったい今までどちらに?!」
「あとで話す。フランチェスカ機は?」
「たった今、離艦していきました。リニアカタパルトで緊急発進しましたが、すぐに回線は繋がります」
「繋げ!」
「アイアイ、サー!」
通信士官が回線をつなぐと、リッカルドはもどかしげに通信士官からヘッドセットをひったくった。
「This is AUTHER, STREGA, Do you read? フランチェスカ! 応答しろ!!」
『This is STREGA. リッカルド?!』
「フランチェスカ、いいか? 絶対に深追いするな! 逃げられそうになったら、迷わず撃沈しろ!」
『げ、撃沈?!』
「搭載火器で無理なら、座標を知らせるんだ!」
『で、でも……』
「命令だ! 繰り返す。これは命令だ! 深追いはするな。逃げられそうなら撃沈しろ! こちらからも応援を出す。いいな! 以上!」
『ちょ、ちょっと待って!』
リッカルドは通信を打ち切り、即座に艦隊から発進準備の整った高速巡洋艦を3隻差し向けた。
「フェルナンド、まだ敵は補足出来ない?」
『アーサーからのデータリンクでは、敵艦はαー4を回避、惑星間速度に加速しようとしているようですぜ!』
「どっちへ向かって?」
『わかりませんが、恒星方向では?』
「まずいわ、重力スイングバイでもされたら追いつけない。リードコリジョン(会敵位置を予測して、最短距離を行く方法)で行くわ!』
『敵艦、加速開始!』
「ブースターオン! 逃がさないわ!」
推力増強装置を全開にした専用機は跳ねるように加速し、敵艦との距離をじりじりとつめつつあった。
『Bogy, Engage! FCS(火器管制装置)で捉えましたよ』
「敵艦の反応は?」
『ECM(電子妨害)を掛けて来ていますが、こちらは艦隊の支援を受けたセミアクティブ追尾なので、バーンスルー(妨害無効範囲)は確保しています!」
「アーサーのHPMを受けた割にはタフね」
『まぁ、味方艦が近すぎたんで、目一杯パワーは落としていましたけどね。 あ、チャフとデコイを射出したようです』
「アーサーからのデータリンクは?」
『つながっています。あ、今度は機動爆雷を投下しやがった!』
「足止めしようったって、そうは行かないわ! シールド展開! MASTER ARM ON!」
『まさか機動爆雷を、撃とうってんですかい?』
「対戦闘機用に投下したんなら、無指向性だわ! 殺られる前に殺る!」
『ひょうっ! 頼もしいですなぁ』
「Gキャンセラ、リミット解除! しゃべってると舌かむわよ!」
『了解! たのんますぜ!』
機動爆雷は精密誘導をしなくても、機雷自身のセンサーである程度目標に近づいてから自爆し、運動エネルギーを持った破片を周囲に撒き散らす、本来は対艦用の兵器だった。
だが、フランチェスカ機に向けられたのは、対戦闘機用に高速で飛来し、周囲に破砕片をばら撒くタイプのものだった。
それを回避するには、機動爆雷を上回る高速度で機雷そのものに接近して相対速度を稼ぎ、信管が作動する前に撃破するか、もし先に信管が先に作動した場合は、高機動をかけて破砕片が広がる前に回避してやり過ごすしかなかった。
フランチェスカは機体の推力に物を言わせた、限界性能に近いGをかけた高機動と、的確な射撃で撃破し、或いは破砕片を回避し続けた。
フランチェスカよりも遥かに大きく、鍛え抜かれた体の筈のフェルナンド中尉でさえ、音を上げそうな高機動に、コックピットのコーションパネルの警告灯が、一時全て真っ赤になったが、最後の爆雷を撃破して、リミッターをオンにすると、自動的に回復した。
『はっ! 人間業とは思えませんねぇ、大尉。トリポリ以来、めっきり腕を上げましたなぁ』
後席のフェルナンド中尉は、追撃に必要となる以外のシステムを切り、自己診断機能をスタートさせながら、前席のフランチェスカに言った。
「先生が良かったのよ」
『ウチの隊の隊長になって欲しいぐらいでさぁ。トリプルエースどころか、エターナル級ですぜ!』
「残念ね。もし私が戦闘機隊の隊長をするなら、部下はみんなラヴァーズにするわ」
『そんときゃ、あっしもラヴァーズになります!」
「あはは、向き不向きがあると思うけど?」
フランチェスカも冗談めかして言うと、敵艦に変化があった。
後席のフェルナンド中尉が注意を促した。
『ヤバいですぜ! 敵艦の周囲に光学歪みが見えます。ワープしようとしています!』
「わかってる!」
『どうしやす? 加速を止めてワープの精密観測をしやせんと、見失っちまいます』
「いえ、この機のセンサーじゃ観測しても、連続ショートジャンプでもされたら、航跡を追いかけることは不可能だわ」
『打つ手なしですかい?』
「いいえ、チャンスよ!」
フランチェスカはそう言うと、再びマスターアームをONにした。
SMS(搭載兵装管理システム)のディスプレィに 「MASTER ARM SELECT ASM」の表示を確認すると、フランチェスカは言った。
「リッカルドは、“逃げられそうになったら、迷わず撃沈しろ”と言った。でもワープ直前にミサイルを当てれば……」
『重力波推進の対艦ミサイルなら、近くを通るだけでも場の空間質量が変化して、ワープに失敗』
「そして機関は損傷するわ。悪くすれば爆発するかもしれないけど」
『それなら誘導はマニュアルで。あっしに任せてくだせぇ。こういうのは得意中の得意!』
「頼むわよ! タイミングがずれたら、苦労も水の泡だわ」
後席のフェルナンドがFCSを操作し、ターゲットにロックオンすると、すかさず前席のHUDの表示も変化して、目標を捕らえたことを示した。
『発射のタイミングは、そちらにお任せします! あっしは誘導に専念させてください」
「了解!」
フランチェスカは機体をさらに加速させ、間合いをつめた。
『Rmax,TOF - ONE,SIX !(ミサイル最大射程距離、飛翔時間160秒)』
「まだまだ!」
『……R2 - ONE,FOUR!(高機動目標に対する最大射程、飛翔時間140秒)』
「敵は加速してる?」
『ワープ遷移中! 変化無し!」
「FOX-ONE!(ミサイル発射!)」
フランチェスカはありったけの対艦ミサイル4発を放った。
うち3発は露払いのつもりで、予測進路に向けて無誘導で見込み発射。
一発をフェルナンドに誘導を委ねた。
周辺に光学歪みを撒き散らしながら、ミサイルは加速していった。
だが後もう少しで命中と言う所で、敵艦はワープタイミングをずらし、シールドを張った。
「しまった、敵はこちらの手に気づいたわ!」
『そうこなくっちゃ!』
フランチェスカがどういう意味かと問う間もなく、着弾の光が4つ輝いた。
敵艦のエンジン2機に、それぞれ直撃2発が命中していた。
「い、一体どうなったの?」
『"任せてくだせぇ"って言いやしたでしょ。4発ともあっしが誘導したんでさぁ。マニュアルでね』
「そんなことができるの?」
『まあね。一発目が開けたシールドの穴に、正確に2発目をぶち込めば、確実にダメージを加えられます。大尉がケチらずに全弾撃ってくれたお陰でさぁ!』
「見なおしたわ! フェルナンド!」
エンジンの半分を失えば、ワープどころか通常航行ですら大幅に足が遅くなる。
フランチェスカ機が敵艦に追いつくのも、時間の問題だった。
「これでなんとか拿捕できるわ。私たちは先行して頭を抑えましょう」
『アイアイ、マァム』
だが、あと少しで敵艦に追いつくと言う所で、突然敵艦は大爆発を起こした。
「な、何!?」
『味方の高速巡洋艦が追いついたようです。レールガンの収束弾幕でしょう』
爆発炎上している敵艦に、更にミサイルが着弾し、敵艦は四散した。
『徹底していやすね。跡形もなく吹き飛んじまった』
「せっかく拿捕できると思ったのに! リッカルドの奴!」
フランチェスカ機は、残り少なくなった推進剤を補うため、追撃してきた味方の高速巡洋艦に着艦し、そのまま艦隊に戻った。
星の海で(8) 「Natal」 (13)対峙
(13)対峙-------------------------------------------------------
遅れてフランチェスカの後を追ったリッカルドではあったが、艦を前後に縦断する直線路の先に、見つけることができた。
「おい、待て! フランチェスカ!」
「リッカルドは艦橋にいてよ!」
「丸腰のオマエを行かせる訳に行くか!」
そうリッカルドが叫んだ瞬間、通路の角から敵兵と思しき白兵が現れた。
とっさの事で互いに避け切れず、フランチェスカは敵兵に体当たりする格好となった。
体重に数倍の差はあろうかという大男に、フランチェスカは跳ね返された。
敵兵が体制を整える前に、リッカルドはすかさず腰の拳銃を抜いて、敵兵を倒した。
「だからいっただろう! 敵の白兵が艦内をうろうろしているんだ! 艦橋へ戻って、ピエンツァから海兵隊が来るのを待て!」
床に倒れたフランチェスカを抱き起こしながら、リッカルドは怒鳴った。
「エミリアたちが危ないんだ! エルザがさらわれるかもしれない!」
「いいから、海兵隊に任せるんだ!」
「できないよ!」
言い出したら聞かないことを、リッカルドは解っていたため、仕方なく言った。
「解った。だが、俺より前に出るな。どこへ行けばいいんだ?」
「ごめん、リッカルド。まずはラウンジへ」
「ラウンジだな」
リッカルドが先行して、通路をたどっていくと、暫くしてやがて人影を察知したリッカルドが、手でフランチェスカを制した。
だが、人影は良く見知った人物だった。
「メリッサ!」
フランチェスカが叫ぶと、メリッサも気がついて、二人と合流した。
「良かった、フランチェスカさん。お願いです、エミリアさんとエルザちゃんを助けて!」
「亜里沙は?」
「マスターが医療班を呼んでくださったので、お任せしました。大した怪我ではないので大丈夫だと思います」
「そう、エミリアとエルザを襲ったのは誰? メイフィールド事務官はいた?」
「襲ってきたのは、あの太った監察官だけです」
「そう……」
「何か?」
「いいわ、とにかく追いかけましょう。どこへ行ったか判る?」
「艦の前方です」
「衝突してきた突撃艦で、脱出するつもりだな。フランチェスカ」
それまで黙っていたリッカルドは、二人を安全圏に逃すつもりでフランチェスカに命じようとした。
「私も行くよ!」
「もちろん私も行きます!」
二人の意思が硬そうなため、言い聞かせるのは時間の無駄だと思ったリッカルドは、不承不承言った。
「いいか、二人とも。俺の前には決して出るな。敵の白兵が艦内のどこにいるかわからん。危ないと思ったら、とにかく俺のことは気にせず逃げるんだ。いいな!」
フランチェスカとメリッサはうなずいた。
リッカルドは携帯端末から、現在位置と敵が人質を取って艦から脱出を図ろうとしていることを艦橋に伝えた。
メリッサの案内で艦の前方へ向かう途中、何名もの敵兵が現れたが、そのたびにリッカルドは、見事な射撃で相手を打ち倒した。
一度だけ、乱闘に持ち込まれたが、フランチェスカの咄嗟の機転で、敵兵の動きを封じ、その隙にリッカルドが拳銃のグリップで、敵兵の急所を下から突いて悶絶させて倒した。
「相手が男で助かったな」
「リッカルドって、意外とえげつないね」
「お前には通用しなくなったのが残念だ」
「それじゃ、代わりに僕が使わせてもらうよ。リッカルド対策に」
「それは困るな。お前を悦ばせられなくなる」
「くっ……」
緊迫した状況下にもかかわらず、いつもどおりの二人のやりとりに、メリッサは困惑気味の苦笑いをするだけだった。
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
敵兵を倒しながら、艦の前方に向かって2ブロックほど進むと、銃声が聞こえた。
通路の壁を盾に様子を伺うと、四つ角を曲がった先には、気を失ったままのエルザを抱きかかえたエミリアと、互いに拳銃を構えてけん制しあっている、アリシアとロックウェル監察官がいた。
リッカルドたちは互いに無言でうなずきあってから、監察官からは見えない位置に陣取った。
フランチェスカは手でリッカルドに、監察官を撃つ様に促した。
「駄目だフランチェスカ。彼の身分はまだ監察官のままだ。彼が人質の拉致未遂に関与しているという物的証拠を、まだ抑えていない」
「監視カメラの記録映像が証拠になるんじゃ?」
「たぶん壊されている。どれかに映っているかもしれんが、確証がない」
「くそっ!」
「暫く様子を見るしかない。だが、彼が何かひとつでも違法行為を働けば、ためらい無く撃つ」
フランチェスカはうなずくと、メリッサにリッカルドの後ろで待機するように合図をして、自分は四つ角の反対側に回ったところで、監察官の怒鳴り声が聞こえた。
「やはり裏切っていたのか! メイフィールド君! 抵抗はやめたまえ!」
「もうやめてくさい、中佐! その子は、サーティンは何も知らないんです。このまま、放って置いてあげてください!」
「上層部にはもう既に連絡をつけてある。いまさら見逃すわけには行かない!」
「お願いです、中佐!」
アリシアは銃を構えたまま、エミリアとエルザの前に立ちはだかった。
「武器を捨てて私に従いたまえ! メイフィールド君! さもなければ……」
「私はどうなってもかまいませんから、サーティンは見逃してください!」
「ならん!」
そう叫んで監察官は発砲した。
アリシアは倒れながらも発砲し、監察官の体を同時に2本の銃条が貫いた。
「アリシア!」
「アリシアさん!」
フランチェスカとメリッサが直ぐに駆け寄り、アリシアを抱き起こしたが、胸から大量の血を流しており、瞳の光は失われつつあった。
「おねがい……、あの子を、サーティン……、エルザを……、守って……」
「アリシアさん!! しっかり……」
「駄目だわ、出血が酷すぎる。早く艦医を呼ばなきゃ。リッカルド! そっちは?」
フランチェスカはリッカルドに呼びかけた。
「こっちは駄目だ。もう死んだ」
監察官の脈を診ていたリッカルドは、手の施しようが無いという風に、首を振った。
監察官の眉間を、アリシアの銃条が貫いていた。
フランチェスカは携帯端末を出して、艦橋を呼び出した。
「艦橋! こちらはジナステラ大尉です。至急、医療班を回して! 重症1、死亡1、軽症2。人質は確保、当面の危機は回避!」
『こちら艦橋、了解しました。衝突した艦は補助エンジンを始動中。離艦する模様です!』
「リッカルド! 敵艦に逃げられる!」
「端末貸せ! 艦橋か? ガルバルディだ! 高速巡洋艦をスピンアップさせろ、何隻でもかまわん! 逃亡する艦を追いかけさせろ!」
フランチェスカが思い出したように叫んだ。
「リッカルド! フォーメーションプログラム、EX-04を全艦に指示して!」
「なんだって?」
「この前演習やったでしょ。フォーメーション、EX-04! 敵を封じ込められるかも」
「判った。艦橋、フォーメーションプログラムEX-04を全艦に指示しろ!」
フランチェスカは、アリシアの傍に膝をついた。
「アリシア、しっかりして! 侵入した敵は逃げたわ、エルザはもう大丈夫よ」
「……中佐は、……ロックウェル、中佐は?」
「死んだわ。もう敵はいない」
「よかった……、ごふっ」
アリシアは咳き込むと同時に血を吐いた。
「もうしゃべっては駄目! 直ぐに医者が来るわ!」
「いいんです、もう……。私は、15年前に、死んでいるべきでした……ぐふっ!」
アリシアがまた大量の血を吐き、見る見る生気を失っていった。
「エ、ミリア、さん……」
「私ならここにいます。アリシアさん、しっかりしてください!」
エミリアが手をぎゅっと握ったが、アリシアにはもう握り返すだけの力は残っていなかった。
「ごめん、なさい……。私がトイブルク……、行かなければ。敵が、狙って……私だけ。エミリアさんの、大切な……人、死なずに、済んだ……」
「アリシアさんのせいなんかじゃないわ。アリシアさんは言っていたじゃないですか、見ていることだけしか、できなかったって」
アリシアはふるえる手を伸ばして、何かを言おうとしたが、エミリアには聞き取ることができなかった。けれど、何を求めているのかは判った。
「エルザ、こっちに来なさい!」
エミリアが悲鳴のように叫ぶと、通路の隅でうずくまっていたエルザは、弾かれた様にアリシアの傍に駆け寄ってきた。
「ままぁ!」
エルザの声に、アリシアは微かに頭を動かし、安心したかのように笑顔を見せたが、紅色の瞳は、既に光を失っていた。
「ままぁ、しんじゃいやだよぉ……」
エルザの2度目の問いかけには反応がなく、そして二度と意識を回復することは無かった。
フランチェスカは悔し涙をにじませ、ぐっと下を向いた。
4人が悲嘆にくれていると、リッカルドの端末が鳴った。
「リッカルドだ」
『提督、所属不明艦は主砲を発射。強行突破されました。巡洋艦リマが中破、他駆逐艦5隻が小破』
「逃げられたのか!?」
『先ほどの指示で、かろうじて小惑星群α-4の方へ追い込みましたが、長くは足止めできないでしょう。追撃しますか?』
通信を聞いていたフランチェスカは立ち上がり、走り出そうとした。
「おい、フランチェスカ! 待て! 今度はどこへ行くんだ!」
「敵艦を追いかける。奴らの正体を確かめるんだ。エルザをまた襲いにくるかもしれない」
「危険だ! 止めろ!」
「大丈夫。専用機で出るから」
「いいから今度こそ言うことを聞け! さもないと命令違反で営倉にぶち込むぞ!」
「言い訳は後でするわ、彼女たちをお願い!」
「おい、フランチェスカ!!」
リッカルドがとめるのも聞かずに、フランチェスカは再び走り始めた。
「まったく! 言うことをきかん奴だ!」
リッカルドは携帯端末をとりだして艦橋に指示した。
「艦橋! ガルバルディだ! 近接電子戦用意! 所属不明艦にHPM(高エネルギー電磁波)攻撃を行え! 全艦艇にプラズマリアクターをフルチャージさせろ! 巻き添えを食うぞ! 攻撃が終わるまで、全ての艦載機は発進を中止!」
『アイアイ、サー!』
通信をきるとリッカルドは、艦橋へ向かって走り出した。
「フランチェスカめ! 後でとっちめてやるからな!」
リッカルドは、やっと見つけたとばかりに救急キットを抱えて走ってきたメリッサに、既に手遅れであることを告げるとともに、彼女に後のことを任せ、自分も艦橋へ急いだ。
遅れてフランチェスカの後を追ったリッカルドではあったが、艦を前後に縦断する直線路の先に、見つけることができた。
「おい、待て! フランチェスカ!」
「リッカルドは艦橋にいてよ!」
「丸腰のオマエを行かせる訳に行くか!」
そうリッカルドが叫んだ瞬間、通路の角から敵兵と思しき白兵が現れた。
とっさの事で互いに避け切れず、フランチェスカは敵兵に体当たりする格好となった。
体重に数倍の差はあろうかという大男に、フランチェスカは跳ね返された。
敵兵が体制を整える前に、リッカルドはすかさず腰の拳銃を抜いて、敵兵を倒した。
「だからいっただろう! 敵の白兵が艦内をうろうろしているんだ! 艦橋へ戻って、ピエンツァから海兵隊が来るのを待て!」
床に倒れたフランチェスカを抱き起こしながら、リッカルドは怒鳴った。
「エミリアたちが危ないんだ! エルザがさらわれるかもしれない!」
「いいから、海兵隊に任せるんだ!」
「できないよ!」
言い出したら聞かないことを、リッカルドは解っていたため、仕方なく言った。
「解った。だが、俺より前に出るな。どこへ行けばいいんだ?」
「ごめん、リッカルド。まずはラウンジへ」
「ラウンジだな」
リッカルドが先行して、通路をたどっていくと、暫くしてやがて人影を察知したリッカルドが、手でフランチェスカを制した。
だが、人影は良く見知った人物だった。
「メリッサ!」
フランチェスカが叫ぶと、メリッサも気がついて、二人と合流した。
「良かった、フランチェスカさん。お願いです、エミリアさんとエルザちゃんを助けて!」
「亜里沙は?」
「マスターが医療班を呼んでくださったので、お任せしました。大した怪我ではないので大丈夫だと思います」
「そう、エミリアとエルザを襲ったのは誰? メイフィールド事務官はいた?」
「襲ってきたのは、あの太った監察官だけです」
「そう……」
「何か?」
「いいわ、とにかく追いかけましょう。どこへ行ったか判る?」
「艦の前方です」
「衝突してきた突撃艦で、脱出するつもりだな。フランチェスカ」
それまで黙っていたリッカルドは、二人を安全圏に逃すつもりでフランチェスカに命じようとした。
「私も行くよ!」
「もちろん私も行きます!」
二人の意思が硬そうなため、言い聞かせるのは時間の無駄だと思ったリッカルドは、不承不承言った。
「いいか、二人とも。俺の前には決して出るな。敵の白兵が艦内のどこにいるかわからん。危ないと思ったら、とにかく俺のことは気にせず逃げるんだ。いいな!」
フランチェスカとメリッサはうなずいた。
リッカルドは携帯端末から、現在位置と敵が人質を取って艦から脱出を図ろうとしていることを艦橋に伝えた。
メリッサの案内で艦の前方へ向かう途中、何名もの敵兵が現れたが、そのたびにリッカルドは、見事な射撃で相手を打ち倒した。
一度だけ、乱闘に持ち込まれたが、フランチェスカの咄嗟の機転で、敵兵の動きを封じ、その隙にリッカルドが拳銃のグリップで、敵兵の急所を下から突いて悶絶させて倒した。
「相手が男で助かったな」
「リッカルドって、意外とえげつないね」
「お前には通用しなくなったのが残念だ」
「それじゃ、代わりに僕が使わせてもらうよ。リッカルド対策に」
「それは困るな。お前を悦ばせられなくなる」
「くっ……」
緊迫した状況下にもかかわらず、いつもどおりの二人のやりとりに、メリッサは困惑気味の苦笑いをするだけだった。
敵兵を倒しながら、艦の前方に向かって2ブロックほど進むと、銃声が聞こえた。
通路の壁を盾に様子を伺うと、四つ角を曲がった先には、気を失ったままのエルザを抱きかかえたエミリアと、互いに拳銃を構えてけん制しあっている、アリシアとロックウェル監察官がいた。
リッカルドたちは互いに無言でうなずきあってから、監察官からは見えない位置に陣取った。
フランチェスカは手でリッカルドに、監察官を撃つ様に促した。
「駄目だフランチェスカ。彼の身分はまだ監察官のままだ。彼が人質の拉致未遂に関与しているという物的証拠を、まだ抑えていない」
「監視カメラの記録映像が証拠になるんじゃ?」
「たぶん壊されている。どれかに映っているかもしれんが、確証がない」
「くそっ!」
「暫く様子を見るしかない。だが、彼が何かひとつでも違法行為を働けば、ためらい無く撃つ」
フランチェスカはうなずくと、メリッサにリッカルドの後ろで待機するように合図をして、自分は四つ角の反対側に回ったところで、監察官の怒鳴り声が聞こえた。
「やはり裏切っていたのか! メイフィールド君! 抵抗はやめたまえ!」
「もうやめてくさい、中佐! その子は、サーティンは何も知らないんです。このまま、放って置いてあげてください!」
「上層部にはもう既に連絡をつけてある。いまさら見逃すわけには行かない!」
「お願いです、中佐!」
アリシアは銃を構えたまま、エミリアとエルザの前に立ちはだかった。
「武器を捨てて私に従いたまえ! メイフィールド君! さもなければ……」
「私はどうなってもかまいませんから、サーティンは見逃してください!」
「ならん!」
そう叫んで監察官は発砲した。
アリシアは倒れながらも発砲し、監察官の体を同時に2本の銃条が貫いた。
「アリシア!」
「アリシアさん!」
フランチェスカとメリッサが直ぐに駆け寄り、アリシアを抱き起こしたが、胸から大量の血を流しており、瞳の光は失われつつあった。
「おねがい……、あの子を、サーティン……、エルザを……、守って……」
「アリシアさん!! しっかり……」
「駄目だわ、出血が酷すぎる。早く艦医を呼ばなきゃ。リッカルド! そっちは?」
フランチェスカはリッカルドに呼びかけた。
「こっちは駄目だ。もう死んだ」
監察官の脈を診ていたリッカルドは、手の施しようが無いという風に、首を振った。
監察官の眉間を、アリシアの銃条が貫いていた。
フランチェスカは携帯端末を出して、艦橋を呼び出した。
「艦橋! こちらはジナステラ大尉です。至急、医療班を回して! 重症1、死亡1、軽症2。人質は確保、当面の危機は回避!」
『こちら艦橋、了解しました。衝突した艦は補助エンジンを始動中。離艦する模様です!』
「リッカルド! 敵艦に逃げられる!」
「端末貸せ! 艦橋か? ガルバルディだ! 高速巡洋艦をスピンアップさせろ、何隻でもかまわん! 逃亡する艦を追いかけさせろ!」
フランチェスカが思い出したように叫んだ。
「リッカルド! フォーメーションプログラム、EX-04を全艦に指示して!」
「なんだって?」
「この前演習やったでしょ。フォーメーション、EX-04! 敵を封じ込められるかも」
「判った。艦橋、フォーメーションプログラムEX-04を全艦に指示しろ!」
フランチェスカは、アリシアの傍に膝をついた。
「アリシア、しっかりして! 侵入した敵は逃げたわ、エルザはもう大丈夫よ」
「……中佐は、……ロックウェル、中佐は?」
「死んだわ。もう敵はいない」
「よかった……、ごふっ」
アリシアは咳き込むと同時に血を吐いた。
「もうしゃべっては駄目! 直ぐに医者が来るわ!」
「いいんです、もう……。私は、15年前に、死んでいるべきでした……ぐふっ!」
アリシアがまた大量の血を吐き、見る見る生気を失っていった。
「エ、ミリア、さん……」
「私ならここにいます。アリシアさん、しっかりしてください!」
エミリアが手をぎゅっと握ったが、アリシアにはもう握り返すだけの力は残っていなかった。
「ごめん、なさい……。私がトイブルク……、行かなければ。敵が、狙って……私だけ。エミリアさんの、大切な……人、死なずに、済んだ……」
「アリシアさんのせいなんかじゃないわ。アリシアさんは言っていたじゃないですか、見ていることだけしか、できなかったって」
アリシアはふるえる手を伸ばして、何かを言おうとしたが、エミリアには聞き取ることができなかった。けれど、何を求めているのかは判った。
「エルザ、こっちに来なさい!」
エミリアが悲鳴のように叫ぶと、通路の隅でうずくまっていたエルザは、弾かれた様にアリシアの傍に駆け寄ってきた。
「ままぁ!」
エルザの声に、アリシアは微かに頭を動かし、安心したかのように笑顔を見せたが、紅色の瞳は、既に光を失っていた。
「ままぁ、しんじゃいやだよぉ……」
エルザの2度目の問いかけには反応がなく、そして二度と意識を回復することは無かった。
フランチェスカは悔し涙をにじませ、ぐっと下を向いた。
4人が悲嘆にくれていると、リッカルドの端末が鳴った。
「リッカルドだ」
『提督、所属不明艦は主砲を発射。強行突破されました。巡洋艦リマが中破、他駆逐艦5隻が小破』
「逃げられたのか!?」
『先ほどの指示で、かろうじて小惑星群α-4の方へ追い込みましたが、長くは足止めできないでしょう。追撃しますか?』
通信を聞いていたフランチェスカは立ち上がり、走り出そうとした。
「おい、フランチェスカ! 待て! 今度はどこへ行くんだ!」
「敵艦を追いかける。奴らの正体を確かめるんだ。エルザをまた襲いにくるかもしれない」
「危険だ! 止めろ!」
「大丈夫。専用機で出るから」
「いいから今度こそ言うことを聞け! さもないと命令違反で営倉にぶち込むぞ!」
「言い訳は後でするわ、彼女たちをお願い!」
「おい、フランチェスカ!!」
リッカルドがとめるのも聞かずに、フランチェスカは再び走り始めた。
「まったく! 言うことをきかん奴だ!」
リッカルドは携帯端末をとりだして艦橋に指示した。
「艦橋! ガルバルディだ! 近接電子戦用意! 所属不明艦にHPM(高エネルギー電磁波)攻撃を行え! 全艦艇にプラズマリアクターをフルチャージさせろ! 巻き添えを食うぞ! 攻撃が終わるまで、全ての艦載機は発進を中止!」
『アイアイ、サー!』
通信をきるとリッカルドは、艦橋へ向かって走り出した。
「フランチェスカめ! 後でとっちめてやるからな!」
リッカルドは、やっと見つけたとばかりに救急キットを抱えて走ってきたメリッサに、既に手遅れであることを告げるとともに、彼女に後のことを任せ、自分も艦橋へ急いだ。
星の海で(8) 「Natal」 (12)襲撃
(12)襲撃-------------------------------------------------------
アリシアの告白は、フランチェスカの予想以上に深刻であり、また艦隊の安全にも重大な危険性を孕んでいた。
フランチェスカは、アリシアとの話を終えると、リッカルドと善後策を相談するために、艦橋へ向かった。
だが、司令席にリッカルドの姿は無く、代わりに3日ぶりに顔を合わせる人物がいた。
「あら、フェラーリオ参謀。いつ出張から戻られたのですか?」
「今朝ほどです。そうだ、大尉にも耳に入れておかないと……」
「何か?」
「ちょっとお耳を……」
参謀は周囲をうかがうようにして近づき、フランチェスカに小さな声で耳打ちした。
「今、本艦にいる監察官はニセモノの疑いが濃厚です。彼らは監察官なのではなく、密命を帯びた、特殊部隊のようです」
フランチェスカに緊張が走った。
ヒースレー偽監察官はともかく、アリシアの事は自分が守るといった以上は、彼女の保護も自らに課した義務だからだ。
「敵なの?」
「判りません。所属は一応味方、連合側とはなっていましたが、偽装の可能性も否定できません」
「それで、提督はなんて?」
「対応策を話し合いたいので、貴女が艦橋に戻られたら、幕僚を集めて検討したいと」
フランチェスカは携帯端末を取り出すと、メリッサを呼び出した。
「メリッサ、エルザは今どこ?」
『エルザちゃん? 今はエミリアさんと一緒に、ラウンジにいるはずですが?』
「そう、ちょっと様子を見てきてくれない? 今日の当番は、エミリアと?」
『亜里沙です』
「悪いけれど、エミリアと当番を代わってくれない? エミリアにエルザと一緒に、直ぐに艦橋に来るように伝えて」
『艦橋へ? かまいませんけど、一体どうしたんですか?』
「詳しくは後で話すわ」
フランチェスカはいったん端末を切ると、リッカルドに繋いだ。
「提督ですか? ジナステラ大尉です。今艦橋に戻りました。幕僚を集めますが、何時から始めますか?」
リッカルドからの指示を受け、フランチェスカは各幕僚と連絡を取り、作戦室に集まるように指示した。途中、参謀に気づかれないように、アリシアにもメールを送ったが返信は無かった。
幕僚全員と連絡が取れると、艦橋要員の一人に、エミリアとエルザが来たらそのまま艦橋にいてもらうように伝言し、自分もフェラーリオ参謀と作戦室へ向かった。
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
それからわずか数分後。
突然、アンドレア・ドリアは通常の空間航行では、ありえない衝撃に見舞われた。
執務室で書類を決裁していたリッカルドは、直ぐに艦橋を呼び出した。
「何事だ!」
『た、大変です! 提督、突然船が、ワープアウトしてきて、この艦に……』
「報告はしっかりとせんか!!」
『失礼しました! 敵の突撃艦とおぼしき艦が、突然ワープアウトして本艦の左舷前方に衝突』
「なんだと!」
さらに鈍い振動が、執務室に伝わってきた。
『大変です! 激突してきた艦から敵兵が本艦に侵入しています!』
「クソッ! 全艦に非常警報発令! 白兵戦用意!」
『アイアイ、サー』
「俺も至急艦橋へ行く!」
リッカルドはデスクの中から拳銃を取り出すと、エネルギーカートリッジの残量を確認してからズボンの腰に突っ込み、執務室を出た。
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
フランチェスカとフェラーリオ参謀が会議の準備ために作戦室に着いたとほぼ同時に、アンドレア・ドリアは敵艦の衝突を受けて揺らいでいた。
「な、何!?」
不意の激しい衝撃にフランチェスカがよろめいたと同時に、ポケットの携帯端末が鳴った。
「はい、ジナステラ大尉」
『フランチェスカさん!』
「メリッサ?? どうしたの?」
『監察官が、突然私たちを襲ってきて、あの、私……、亜里沙が、亜里沙が怪我を! エルザちゃんが拐われて、エミリアさんが……』
「落ち着いて、メリッサ! 亜里沙が怪我をしたの? エルザとエミリアがどうしたの?」
『お願いです! 助けて……』
それだけ言うと雑音とともに回線が切れた。
「くっ!」
「あ、大尉!」
フランチェスカは端末を切ると、フェラーリオ参謀が止めるのも聞かずに駆け出した。
作戦室を飛び出したフランチェスカは、艦橋へ向かう途中のリッカルドとすれ違い、呼び止められた。
「おい! どこへ行くんだ! フランチェスカ!」
「メリッサたちが襲われたらしい。助けに行ってくる!」
「馬鹿を言うな! 敵の白兵が艦内に侵入しているんだぞ! お前も俺と艦橋へ戻って、被害状況の把握と、俺の指揮の補佐をするんだ!」
「フェラーリオ参謀にお願いして! とにかく行ってくる!」
「おい、待て! フランチェスカ!!」
リッカルドが呼び止めるのも聞かずに、フランチェスカは走り出していた。
「くそっ!!」
「あ、提督!! どちらへ?!」
フランチェスカの後を追ってきた、フェラーリオ参謀にリッカルドは怒鳴った。
「俺も現場に出て、直接指揮をする!」
「そんな、提督まで!」
「艦橋の指揮はフェラーリオ参謀が執れ! ピエンツァにいる海兵隊を直ちに呼ぶんだ。本艦の戦闘要員は誰でも良い、侵入した敵兵を速やかに排除せよ。情報参謀は近辺宙域にCOM-JAMを最大出力。敵の通信を妨害しろ。激突してきた敵艦に対して情報攻撃も行え。艦隊各艦は万が一に備えて艦隊戦の準備を。偵察隊は直ちに全機を周辺宙域に展開。敵の艦隊が近くに潜んでいないかを探らせると同時に、ぶつけてきた艦の推定離脱方向を封鎖しろ。各艦の艦載機も何時でも発進できるように指示しておけ! いいな!」
「て、提督!」
アリシアの告白は、フランチェスカの予想以上に深刻であり、また艦隊の安全にも重大な危険性を孕んでいた。
フランチェスカは、アリシアとの話を終えると、リッカルドと善後策を相談するために、艦橋へ向かった。
だが、司令席にリッカルドの姿は無く、代わりに3日ぶりに顔を合わせる人物がいた。
「あら、フェラーリオ参謀。いつ出張から戻られたのですか?」
「今朝ほどです。そうだ、大尉にも耳に入れておかないと……」
「何か?」
「ちょっとお耳を……」
参謀は周囲をうかがうようにして近づき、フランチェスカに小さな声で耳打ちした。
「今、本艦にいる監察官はニセモノの疑いが濃厚です。彼らは監察官なのではなく、密命を帯びた、特殊部隊のようです」
フランチェスカに緊張が走った。
ヒースレー偽監察官はともかく、アリシアの事は自分が守るといった以上は、彼女の保護も自らに課した義務だからだ。
「敵なの?」
「判りません。所属は一応味方、連合側とはなっていましたが、偽装の可能性も否定できません」
「それで、提督はなんて?」
「対応策を話し合いたいので、貴女が艦橋に戻られたら、幕僚を集めて検討したいと」
フランチェスカは携帯端末を取り出すと、メリッサを呼び出した。
「メリッサ、エルザは今どこ?」
『エルザちゃん? 今はエミリアさんと一緒に、ラウンジにいるはずですが?』
「そう、ちょっと様子を見てきてくれない? 今日の当番は、エミリアと?」
『亜里沙です』
「悪いけれど、エミリアと当番を代わってくれない? エミリアにエルザと一緒に、直ぐに艦橋に来るように伝えて」
『艦橋へ? かまいませんけど、一体どうしたんですか?』
「詳しくは後で話すわ」
フランチェスカはいったん端末を切ると、リッカルドに繋いだ。
「提督ですか? ジナステラ大尉です。今艦橋に戻りました。幕僚を集めますが、何時から始めますか?」
リッカルドからの指示を受け、フランチェスカは各幕僚と連絡を取り、作戦室に集まるように指示した。途中、参謀に気づかれないように、アリシアにもメールを送ったが返信は無かった。
幕僚全員と連絡が取れると、艦橋要員の一人に、エミリアとエルザが来たらそのまま艦橋にいてもらうように伝言し、自分もフェラーリオ参謀と作戦室へ向かった。
それからわずか数分後。
突然、アンドレア・ドリアは通常の空間航行では、ありえない衝撃に見舞われた。
執務室で書類を決裁していたリッカルドは、直ぐに艦橋を呼び出した。
「何事だ!」
『た、大変です! 提督、突然船が、ワープアウトしてきて、この艦に……』
「報告はしっかりとせんか!!」
『失礼しました! 敵の突撃艦とおぼしき艦が、突然ワープアウトして本艦の左舷前方に衝突』
「なんだと!」
さらに鈍い振動が、執務室に伝わってきた。
『大変です! 激突してきた艦から敵兵が本艦に侵入しています!』
「クソッ! 全艦に非常警報発令! 白兵戦用意!」
『アイアイ、サー』
「俺も至急艦橋へ行く!」
リッカルドはデスクの中から拳銃を取り出すと、エネルギーカートリッジの残量を確認してからズボンの腰に突っ込み、執務室を出た。
フランチェスカとフェラーリオ参謀が会議の準備ために作戦室に着いたとほぼ同時に、アンドレア・ドリアは敵艦の衝突を受けて揺らいでいた。
「な、何!?」
不意の激しい衝撃にフランチェスカがよろめいたと同時に、ポケットの携帯端末が鳴った。
「はい、ジナステラ大尉」
『フランチェスカさん!』
「メリッサ?? どうしたの?」
『監察官が、突然私たちを襲ってきて、あの、私……、亜里沙が、亜里沙が怪我を! エルザちゃんが拐われて、エミリアさんが……』
「落ち着いて、メリッサ! 亜里沙が怪我をしたの? エルザとエミリアがどうしたの?」
『お願いです! 助けて……』
それだけ言うと雑音とともに回線が切れた。
「くっ!」
「あ、大尉!」
フランチェスカは端末を切ると、フェラーリオ参謀が止めるのも聞かずに駆け出した。
作戦室を飛び出したフランチェスカは、艦橋へ向かう途中のリッカルドとすれ違い、呼び止められた。
「おい! どこへ行くんだ! フランチェスカ!」
「メリッサたちが襲われたらしい。助けに行ってくる!」
「馬鹿を言うな! 敵の白兵が艦内に侵入しているんだぞ! お前も俺と艦橋へ戻って、被害状況の把握と、俺の指揮の補佐をするんだ!」
「フェラーリオ参謀にお願いして! とにかく行ってくる!」
「おい、待て! フランチェスカ!!」
リッカルドが呼び止めるのも聞かずに、フランチェスカは走り出していた。
「くそっ!!」
「あ、提督!! どちらへ?!」
フランチェスカの後を追ってきた、フェラーリオ参謀にリッカルドは怒鳴った。
「俺も現場に出て、直接指揮をする!」
「そんな、提督まで!」
「艦橋の指揮はフェラーリオ参謀が執れ! ピエンツァにいる海兵隊を直ちに呼ぶんだ。本艦の戦闘要員は誰でも良い、侵入した敵兵を速やかに排除せよ。情報参謀は近辺宙域にCOM-JAMを最大出力。敵の通信を妨害しろ。激突してきた敵艦に対して情報攻撃も行え。艦隊各艦は万が一に備えて艦隊戦の準備を。偵察隊は直ちに全機を周辺宙域に展開。敵の艦隊が近くに潜んでいないかを探らせると同時に、ぶつけてきた艦の推定離脱方向を封鎖しろ。各艦の艦載機も何時でも発進できるように指示しておけ! いいな!」
「て、提督!」
星の海で(8) 「Natal」 (11)切望
(11)切望-------------------------------------------------------
「このかつら、特別製なんです。なぜなら……いえ、すみません、禁則事項です」
「話せないのなら、話さなくてもいいわ」
「すみません……。私は体の感覚をほとんど無くしてしまいました。けれど代わりに少しですけど、周囲の様子を教えてくれるんです。だから、今いるこの場所が寒いとか、暑いとかはなんとなく判るんですよ。体の抵抗力は、普通の人とあまり変わらないので、外気温の変化で、体調を崩したりしないように。それに……」
アリシアはかつらをつけ直すと、自分の体を恥じるようにうっすらと顔を赤くして言った。
「私の髪、触ってもらえませんか?」
フランチェスカは言われるままに、アリシアが差し出したひと房の髪を、そっと両手で握った。
「強さと、同時に暖かさを感じます。きっと、フランチェスカさんはしっかりとした意思を持っていて、でも優しい方なんですね」
「……」

挿絵:菓子之助 http://pasti.blog81.fc2.com/
アリシアはそっと目を閉じて、センサーを兼ねているという銀色の髪からの感触を確かめるようにつぶやいた。
しかしフランチェスカには、掛ける言葉が見つからなかった。
「フランチェスカさん。お願いがあります。あの子、サーティンを守ってください。私のクローンたち、アイシャもツヴィもみんな……。失敗だとわかると、みんな殺されてしまいました。最後に残ったあの子だけでも、せめて生きていて欲しい。何も知らない、何の罪も無い、あの子だけは……」
アリシアは両手を、自分の銀髪を握っていたフランチェスカの両手の上から、さらに握り締め、訴える様に言った。
「私には他に家族はいません。私は生まれた故郷の星と一緒に全てを失ってしまいました。私が自分以外に、つながりを持っているのは、私自身のクローンであるあの子、サーティンだけなんです。お願いです。サーティンを、あの子を守ってください」
「サーティン……いえ、エルザには……、あの子にも、あなたがさっき言っていた、特殊能力があるの?」
「それは判りません。私は20年前に、再び味方、つまり銀河連合の捕虜となり、軍の秘密部隊へと配属されることになりました。敵のプロジェクト、“Natal”の技術と可能性を明らかにするために。そして18年前、3年を掛けて秘密裏に“Natal”の再現実験が行われました。その時に生まれたのが、私の最後に残った分身、サーティンです」
「……」
「そして、その研究施設は……」
「……トイブルク5に、あったのね?」
「そうです。でもそれが敵の知るところとなり、プロジェクトの要である、サーティンと私の奪還を試みようとしました。けれどそれが困難であることが判ると、敵は思わぬ強攻策に出たのです」
「強攻策?」
「何もかも吹き飛ばしてしまえば、秘密は漏れないと考えたのだと思います。
「……それが、トイブルク5消滅の、真相だったのね?」
「そうです」
「じゃあ、あなたは? あなたはなぜ、トイブルク5と……」
フランチェスカは、“一緒に消滅してしまわなかったのか?” とまでは、言えなかった。
「敵がトイブルク5に調査のため密かに潜入した頃、私は中央銀河にある極秘の医療施設で、精密検査を受けていました。実験でボロボロにされていた体を交換、……つまり脳移植を受けるために。そしてその帰り道。トイブルク5の衛星軌道に達したときに、敵の攻撃が始まりました。私が中央銀河に留まってさえいれば、敵もあんな強攻策は採らなかったでしょう。でも、私とサーティンが同時に研究施設に存在することで……」
「一気に始末してしまえると、敵は考えたのね」
「私の、……私の、せいなんです」
アリシアは下を向き、ぐっと何かをこらえるように、両手を握り締めていた。
「連絡艇のトラブルで、予定よりも大幅に遅れて、トイブルク5の衛星軌道に到着した私は見ました。トイブルク5に広がって行く、赤い炎と……、そしていくつもの、輝きを増していく、恐ろしくて、忌まわしい、無数の白い光……、ガリエスタ……、どうして……また……、なぜ……」
最後のほうはかすれ声になって、良く聞き取れなかった。
嗚咽をこらえながら、握り締めたアリシアの手の甲には、涙がぽたぽたと落ち始めた。
「ごめんなさい、もう良いわ」
フランチェスカはぎゅっと握られたアリシアの拳に、そっと手を重ねた。
アリシアはトイブルク5の消滅に、深く罪の意識を感じていた。
それはアリシア自信の責ではない筈だと、フランチェスカは思ったが、アリシアがそう考えている以上、ありきたりの言葉が彼女の心を慰めることができるとも、思わなかった。
トイブルク5消滅は15年も前の出来事であり、彼女はその15年もの長い間、その罪の意識に胸を痛め続けていたのだ。
彼女は要因の一つではあったかもしれないが、傍観者でしか無かった。
ひとつの悲劇の。
「……私たちは何とか脱出に成功し、同乗して来た医療スタッフやパイロットと共に、星系外縁までひそかに護衛してきた中央艦隊に、再び保護されました。その時に名前も、所属も変えて、中央へと帰されたのです。そして、今の部隊に所属するようになりました」
「今の部隊?」
アリシアは、フランチェスカの目をじっと見つめてから視線をそらし、その問いには答えなかった。
「……これで終わりだと、私たちも思っていました。研究施設とともに、資料も失われたのですから。プロジェクト”Natal”は単に不完全なクローン人間を作る、禁断の技術を追試するだけにとどまり、本来目的とした成果は得られなかったのです。けれどクローン人間を作って、密かに研究をしていたなどという醜聞は、封印されることになったのです」
軍による封印。それはアリシアの身に対しても行われたのではないかと、フランチェスカは思った。軍の秘密保持は極めて慎重かつ確実に行われる。
唯一の物的証拠という、アリシアも人目を避ける様に、半ば幽閉されていたに違いない。或いはある程度の自由があったとしても常に監視つきの、窮屈な生活に違いなかった。
「でも先月、全ての痕跡を消去し、解散したはずのプロジェクトチームの一部が、集められました」
「もしかして、エミリアたちのことが?」
「はい、トイブルク5の生存者発見というニュースは、私達にとっての危機を意味していました。事実関係を直ちに確認せよとの直接命令が下されました。生存者を確認し、もし“対象”であるならば、中央へ移送する手続きがなされる筈でした。けれど……」
「エミリアの軍事裁判の件ね」
「はい、民間人ならば、運用中の艦隊に留まることはできない筈ということで、軍事裁判に干渉してこの艦隊から別の場所に移し、その後何らかの手段を用いて、接触を試みるはずでした。けれど……」
「エミリアはラヴァーズとして艦隊に残ることになった」
「はい。私とロ……ヒースレー監察官には、“生存者である女性と子供を確認し、報告せよ”と言う命令しか、与えられませんでした。だから軍事裁判で有罪になったのならば、少なくとも近くの軍管区司令部のあるところに護送されると考えていましたし、裁判にかけられていた人物ならば、当時の関係者の生き残りだと、思っていました」
「だから、歓迎会であなたは、あんなに驚いたのね」
「ええ、まさかサーティンが冷凍睡眠で、あのときの姿のまま、15年も眠り続けていたとは……」
アリシアはそれが癖なのか、髪を手に複雑に絡ませては解きながら、話を続けた。
「とにかく事実を確かめるため、私たちに直接あなたがたの艦隊に出向き、接触して場合によっては確保するようにとの、極秘命令が出されました」
「そうだったの。じゃあ、あなたたちは、監察局の所属ではないのね?」
「はい。でも……すみません。所属部隊については明かせません」
「あなたを逮捕して、尋問することもできるけど?」
「いまさら命を永らえようとは思いません。自殺してでも、秘密は守ります」
フランチェスカは何かを言おうとしたが、アリシアの目には確固たる意思がこめられていて、説得や脅迫に応じるとは思えなかった。
アリシアはふっと表情を緩め、顔を伏せた。
「本当は、私はとっくの昔に死んでいるはずの人間なんです。暑さも寒さも感じない。何を食べても味もわからない。やさしく触れられても、人のぬくもりに安らぐこともできない。今の私は、死体と同じなんです」
今にも消え入りそうな声に、フランチェスカはアリシアの深い悲しみを感じた。
「でも! あの子は違います、サーティンは、あの子には何の罪もありません。お願いです。サーティンを、サーティンとエミリアさんを守ってください。私にできることは何でもしますから!」
「エルザにとって、あなたはお母さんなのね。だからエルザはあなたのこと、“まま”って呼んだのね」
「ええ、まだ培養槽から出たばかりの小さかったあの子は、私の顔を見るといつもにっこりと笑って、そう言ってました……」
「エルザの紅い瞳は、あなた譲りなのね。でも髪は金色なのね。あなたも本当は?」
「サーティンはまだ……、いえ、不完全なクローンでしたから、髪の色までは……」
本人のクローンならば、髪の色も同じだと思っていたフランチェスカは、人工の髪を持つ、今のアリシアではなく、エルザの髪の色が本来の色ではないかと思ったが、そういうこともあるのかと、その時は特に気にしなかった。
「判ったわ。でも、ヒースレー監察官の出方が判らない。あの人は敵なの?」
“敵なの”という言葉に、アリシアは一瞬戸惑ったが、はっきりと答えた。
「サーティンを害しようとするものは、私にとって敵です」
「わかったわ。私もできる限りの努力をする。でももう一つ約束するわ」
「はい。でも何を?」
「私はあなたも守る」
「私、も?」
「エルザにはあなたも必要だわ。母親が居なくなったら、子供は悲しむものよ」
フランチェスカが笑顔で言うと、アリシアも少しだけ緊張した表情を和らげた。
「このかつら、特別製なんです。なぜなら……いえ、すみません、禁則事項です」
「話せないのなら、話さなくてもいいわ」
「すみません……。私は体の感覚をほとんど無くしてしまいました。けれど代わりに少しですけど、周囲の様子を教えてくれるんです。だから、今いるこの場所が寒いとか、暑いとかはなんとなく判るんですよ。体の抵抗力は、普通の人とあまり変わらないので、外気温の変化で、体調を崩したりしないように。それに……」
アリシアはかつらをつけ直すと、自分の体を恥じるようにうっすらと顔を赤くして言った。
「私の髪、触ってもらえませんか?」
フランチェスカは言われるままに、アリシアが差し出したひと房の髪を、そっと両手で握った。
「強さと、同時に暖かさを感じます。きっと、フランチェスカさんはしっかりとした意思を持っていて、でも優しい方なんですね」
「……」

挿絵:菓子之助 http://pasti.blog81.fc2.com/
アリシアはそっと目を閉じて、センサーを兼ねているという銀色の髪からの感触を確かめるようにつぶやいた。
しかしフランチェスカには、掛ける言葉が見つからなかった。
「フランチェスカさん。お願いがあります。あの子、サーティンを守ってください。私のクローンたち、アイシャもツヴィもみんな……。失敗だとわかると、みんな殺されてしまいました。最後に残ったあの子だけでも、せめて生きていて欲しい。何も知らない、何の罪も無い、あの子だけは……」
アリシアは両手を、自分の銀髪を握っていたフランチェスカの両手の上から、さらに握り締め、訴える様に言った。
「私には他に家族はいません。私は生まれた故郷の星と一緒に全てを失ってしまいました。私が自分以外に、つながりを持っているのは、私自身のクローンであるあの子、サーティンだけなんです。お願いです。サーティンを、あの子を守ってください」
「サーティン……いえ、エルザには……、あの子にも、あなたがさっき言っていた、特殊能力があるの?」
「それは判りません。私は20年前に、再び味方、つまり銀河連合の捕虜となり、軍の秘密部隊へと配属されることになりました。敵のプロジェクト、“Natal”の技術と可能性を明らかにするために。そして18年前、3年を掛けて秘密裏に“Natal”の再現実験が行われました。その時に生まれたのが、私の最後に残った分身、サーティンです」
「……」
「そして、その研究施設は……」
「……トイブルク5に、あったのね?」
「そうです。でもそれが敵の知るところとなり、プロジェクトの要である、サーティンと私の奪還を試みようとしました。けれどそれが困難であることが判ると、敵は思わぬ強攻策に出たのです」
「強攻策?」
「何もかも吹き飛ばしてしまえば、秘密は漏れないと考えたのだと思います。
「……それが、トイブルク5消滅の、真相だったのね?」
「そうです」
「じゃあ、あなたは? あなたはなぜ、トイブルク5と……」
フランチェスカは、“一緒に消滅してしまわなかったのか?” とまでは、言えなかった。
「敵がトイブルク5に調査のため密かに潜入した頃、私は中央銀河にある極秘の医療施設で、精密検査を受けていました。実験でボロボロにされていた体を交換、……つまり脳移植を受けるために。そしてその帰り道。トイブルク5の衛星軌道に達したときに、敵の攻撃が始まりました。私が中央銀河に留まってさえいれば、敵もあんな強攻策は採らなかったでしょう。でも、私とサーティンが同時に研究施設に存在することで……」
「一気に始末してしまえると、敵は考えたのね」
「私の、……私の、せいなんです」
アリシアは下を向き、ぐっと何かをこらえるように、両手を握り締めていた。
「連絡艇のトラブルで、予定よりも大幅に遅れて、トイブルク5の衛星軌道に到着した私は見ました。トイブルク5に広がって行く、赤い炎と……、そしていくつもの、輝きを増していく、恐ろしくて、忌まわしい、無数の白い光……、ガリエスタ……、どうして……また……、なぜ……」
最後のほうはかすれ声になって、良く聞き取れなかった。
嗚咽をこらえながら、握り締めたアリシアの手の甲には、涙がぽたぽたと落ち始めた。
「ごめんなさい、もう良いわ」
フランチェスカはぎゅっと握られたアリシアの拳に、そっと手を重ねた。
アリシアはトイブルク5の消滅に、深く罪の意識を感じていた。
それはアリシア自信の責ではない筈だと、フランチェスカは思ったが、アリシアがそう考えている以上、ありきたりの言葉が彼女の心を慰めることができるとも、思わなかった。
トイブルク5消滅は15年も前の出来事であり、彼女はその15年もの長い間、その罪の意識に胸を痛め続けていたのだ。
彼女は要因の一つではあったかもしれないが、傍観者でしか無かった。
ひとつの悲劇の。
「……私たちは何とか脱出に成功し、同乗して来た医療スタッフやパイロットと共に、星系外縁までひそかに護衛してきた中央艦隊に、再び保護されました。その時に名前も、所属も変えて、中央へと帰されたのです。そして、今の部隊に所属するようになりました」
「今の部隊?」
アリシアは、フランチェスカの目をじっと見つめてから視線をそらし、その問いには答えなかった。
「……これで終わりだと、私たちも思っていました。研究施設とともに、資料も失われたのですから。プロジェクト”Natal”は単に不完全なクローン人間を作る、禁断の技術を追試するだけにとどまり、本来目的とした成果は得られなかったのです。けれどクローン人間を作って、密かに研究をしていたなどという醜聞は、封印されることになったのです」
軍による封印。それはアリシアの身に対しても行われたのではないかと、フランチェスカは思った。軍の秘密保持は極めて慎重かつ確実に行われる。
唯一の物的証拠という、アリシアも人目を避ける様に、半ば幽閉されていたに違いない。或いはある程度の自由があったとしても常に監視つきの、窮屈な生活に違いなかった。
「でも先月、全ての痕跡を消去し、解散したはずのプロジェクトチームの一部が、集められました」
「もしかして、エミリアたちのことが?」
「はい、トイブルク5の生存者発見というニュースは、私達にとっての危機を意味していました。事実関係を直ちに確認せよとの直接命令が下されました。生存者を確認し、もし“対象”であるならば、中央へ移送する手続きがなされる筈でした。けれど……」
「エミリアの軍事裁判の件ね」
「はい、民間人ならば、運用中の艦隊に留まることはできない筈ということで、軍事裁判に干渉してこの艦隊から別の場所に移し、その後何らかの手段を用いて、接触を試みるはずでした。けれど……」
「エミリアはラヴァーズとして艦隊に残ることになった」
「はい。私とロ……ヒースレー監察官には、“生存者である女性と子供を確認し、報告せよ”と言う命令しか、与えられませんでした。だから軍事裁判で有罪になったのならば、少なくとも近くの軍管区司令部のあるところに護送されると考えていましたし、裁判にかけられていた人物ならば、当時の関係者の生き残りだと、思っていました」
「だから、歓迎会であなたは、あんなに驚いたのね」
「ええ、まさかサーティンが冷凍睡眠で、あのときの姿のまま、15年も眠り続けていたとは……」
アリシアはそれが癖なのか、髪を手に複雑に絡ませては解きながら、話を続けた。
「とにかく事実を確かめるため、私たちに直接あなたがたの艦隊に出向き、接触して場合によっては確保するようにとの、極秘命令が出されました」
「そうだったの。じゃあ、あなたたちは、監察局の所属ではないのね?」
「はい。でも……すみません。所属部隊については明かせません」
「あなたを逮捕して、尋問することもできるけど?」
「いまさら命を永らえようとは思いません。自殺してでも、秘密は守ります」
フランチェスカは何かを言おうとしたが、アリシアの目には確固たる意思がこめられていて、説得や脅迫に応じるとは思えなかった。
アリシアはふっと表情を緩め、顔を伏せた。
「本当は、私はとっくの昔に死んでいるはずの人間なんです。暑さも寒さも感じない。何を食べても味もわからない。やさしく触れられても、人のぬくもりに安らぐこともできない。今の私は、死体と同じなんです」
今にも消え入りそうな声に、フランチェスカはアリシアの深い悲しみを感じた。
「でも! あの子は違います、サーティンは、あの子には何の罪もありません。お願いです。サーティンを、サーティンとエミリアさんを守ってください。私にできることは何でもしますから!」
「エルザにとって、あなたはお母さんなのね。だからエルザはあなたのこと、“まま”って呼んだのね」
「ええ、まだ培養槽から出たばかりの小さかったあの子は、私の顔を見るといつもにっこりと笑って、そう言ってました……」
「エルザの紅い瞳は、あなた譲りなのね。でも髪は金色なのね。あなたも本当は?」
「サーティンはまだ……、いえ、不完全なクローンでしたから、髪の色までは……」
本人のクローンならば、髪の色も同じだと思っていたフランチェスカは、人工の髪を持つ、今のアリシアではなく、エルザの髪の色が本来の色ではないかと思ったが、そういうこともあるのかと、その時は特に気にしなかった。
「判ったわ。でも、ヒースレー監察官の出方が判らない。あの人は敵なの?」
“敵なの”という言葉に、アリシアは一瞬戸惑ったが、はっきりと答えた。
「サーティンを害しようとするものは、私にとって敵です」
「わかったわ。私もできる限りの努力をする。でももう一つ約束するわ」
「はい。でも何を?」
「私はあなたも守る」
「私、も?」
「エルザにはあなたも必要だわ。母親が居なくなったら、子供は悲しむものよ」
フランチェスカが笑顔で言うと、アリシアも少しだけ緊張した表情を和らげた。