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僕の秘密日記(17) by A.I.
僕の秘密日記(17)
金玉がころんと転がり落ちた。言っとくけど僕の体から落ちたわけじゃないからね。だいたいもうついてないんだから落とすはずもない。猟奇的な事件があったわけでもないよ。
「おおあたりぃっ!」
「まさか特賞が当たるなんて……!」
からんからんと騒がしい鐘の音が商店街に鳴り響いた。デパートで服を買ったときにもらった抽選券のことを思い出し、商店街に設置された福引所に行ってみたのだ。
「へぇ、ペアの温泉旅行券かぁ」
「年内しか使えないのでギフトセットとの交換でもいいですよ。ただ旅行内容は豪華って話ですから、行けるようでしたら是非どうぞ」
鉢巻をした福引のにーちゃんの話を聞いて、使用期限が年内なのはやけに慌しいと思った。どこかの旅館でも潰れかけているのだろうか。
「なんでもカニ尽くしの料理が出るって話ですよ」
「脚が十本あって甲羅があるあのカニのことですかっ!」
「え、ええ、その通りですよ」
僕の突然の剣幕に福引のにーちゃんは両手をあげて仰け反った。うわぁ、めっちゃカニ食べたい。僕の食べ物ランキングでカニは断トツの一番だ。ずびびびっ、考えただけでもう涎が垂れてきている。
「その旅行券をください!」
ためらいもなく僕は叫んだ。
まではいいのだが、誰と行こうかね。どうしてこういうチケットはペアなんだろう。一人で行ってもいいじゃんね。二人分のカニぐらい片づけてみせる!
意気込みだけあっても仕方ないので、誘う相手を考えてみた。仕事で忙しい父親は除外。無難なところは母親だろう。あとは僕の体の事情を知るとおるかゆうきってところかな。ゆうきは未だに女装だと思っているようだけどね。
「普通に考えれば母さんなんだけどね。ここはとおるを誘うか……」
デパートで服を買ったときの抽選券というのがネックだ。僕が持っていた抽選券には、とおるが服を買ってくれた分も含まれている。つまりあいつにも半分権利があるといっていい。
「声だけかけてみるかな。結果はわかりきっているような気がするけど……」
松沢家の玄関まで行きインターホンを鳴らそうとすると、自動ドアのように扉が開いた。
「あれ、これから出かけるの?」
「俺のあきらセンサーが反応したんだ」
「また役に立ちそうもない能力だねぇ」
とおるは僕のスリーサイズだけではなく接近までわかるのか。もっと別のほうに能力を開花させたほうがいいと思うよ。
「話があってね。あがらせてもらっていいかな?」
「あきらに閉ざすような扉を俺は持たない。いつでも歓迎だ」
とおるの部屋に足を一歩踏み入れて、僕は北極に防寒具なしで放りこまれたように凍りついた。僕が僕を見返している。
「……なにこれ?」
「あきらが退院してから寂しくてならないからな。ポスターにして貼りつけたんだ」
「限度ってものがあるだろう……」
アイドルでもあるまいし部屋のあちらこちらに僕のポスターを飾っても仕方ないと思う。もし僕が知り合いに全方位から見られているとしたら落ち着かなくなりそうだ。ポスターの目が動いたりしたら裸足で逃げ出すね。
「天井にはこの間のデートの画像を引き伸ばして貼るつもりだ」
「……剥がせ。今すぐ剥がせ! この部屋にほかの誰かが来たらどうするんだよ」
イブのときにゆうきがこの部屋に入らなくて本当に良かった。大騒ぎになっていたに違いない。
「この部屋にはあきら以外は通さないから大丈夫だ」
「僕が心理的に圧迫を受けるんだよ。どこを向いても自分自身に見られているのは気分が悪い。それに男のときの写真もあるよね」
「俺はあきらの全てが好きだからな」
とおるの愛は性別を超越していたらしい。でも、結婚するには女性でないといけないから性転換薬を開発したのだろう。
「等身大の男の僕はあまり見ていたくないね。過去の僕に責められている気分になる……」
後ろめたさは当分の間、いや生涯消えないかもしれない。
「それはすまなかった。すぐにポスターは剥がす」
「わかってくれたならいいよ。コルクボードに写真を貼るぐらいならいいからさ」
「前向きに検討する」
とおるの前向きは信用ならない。
「写真のサイズは六切までだからね。コルクボードもMサイズより大きいのは認めない」
「……うっ」
「写真を引き伸ばされたりしたら同じことだからね。僕としたらこれでも譲歩しているつもりだよ?」
部屋からポスターが取り除かれると、さざめいた心が安らぎを取り戻した。
僕はここに何しに来たんだっけ。いきなりの精神攻撃に用件を忘れかけたよ。ベッドにどさりと腰を下ろして大きく息を吐く。重くなりそうな頭に手を当てて、温泉旅行に誘いに来たんだよねと思い出した。
話を切り出そうとした僕は、掛け布団からはみ出ている物体に目を釘づけにされた。筒状の布袋に弾力のある素材を入れたいわゆる抱き枕で、これ自体はベッドにあるのは不思議ではない。問題はネグリジェ姿の僕の寝姿がプリントされているということだ。唇の部分だけやけに色が滲んでいる気がするのはどうしてだろう。眉間にしわが寄るのがわかった。
「これはなにかな?」
鳥肌が立って自分でも声が震えるのがわかる。
「あきらの抱き枕だな。このお陰で俺は毎日快適な目覚めを迎えることができるぞ」
「うへぇ、破棄してくれよ」
僕は悪夢にうなされそうだ。
「これ以上部屋からアキライオンの供給が途絶えると、俺の活動に支障が出る」
「そんな謎物質を放出している覚えはない!」
マイナスイオンという言葉はあるけど、アキライオンなんて初耳だ。
「あきらと会わないと、アキライオン欠乏症にかかるからな。それを防ぐためには仕方ないんだ」
「その欠乏症にかかるとどうなるんだよ?」
「あきらに会うために全ての障害を実力で排除して会いに行くぞ。一度アキライオンが消耗し尽されると、あきらに直接触れない限り回復しないからな」
なにを真顔でとんでもないこと言いやがりますか。
「……はぁ、お前に暴走されるよりはましなのかね」
抱き枕の存在を認めたくないが、狂ったとおるに襲われるよりはましか。どうして僕はこいつと友達なのだろうかと一週間に十回は考えたくなるね。
「わかったよ。これ以上目のつく範囲にそういった物を置かないなら見ない振りをする。あと来客がありそうなときは抱き枕とかは隠してくれよ」
「もちろんだ。俺の宝物を他人の目に触れさせたくはないからな」
「はいはい、そうですか」
呆れ顔で両腕を左右に広げて肩をすくめたあと、抱き枕に布団を隙間なくかぶせて見えないようにしておいた。抱き枕に苛立ちをぶつけようとも思ったけど、自分の顔を殴るのはねぇ。
「ったく、話そうとした用件を忘れそうになるね」
「どんな話なんだ? あきらのためならなんでもするぞ。薬の開発か? 調査か? 闇討ちか?」
「前にも思ったけど、お前は忍者の末裔か! そんな物騒なことじゃないよ。僕は平穏無事な人生を送りたいだけだしね」
ここ一ヶ月あまり僕の心は安らかとはほど遠いけど。
「この間服を買いに行ったときにもらった抽選券。あれの景品をとおると山分けしようと思ってね」
「別に気にしなくていいぞ。あきらが全て使ってくれればいい」
とおるなら僕に全てくれると言うとは思っていたけど、服の代金はかなりしたからね。はいそうですかともらえるほど、僕は欲深ではないつもりだよ。一瞬は母親と行こうと思ったけどね。
「そう言わずに受け取ってもらえるかな」
景品を掌に隠して、とおるの手を押し包むようにして乗せてみる。案の定、僕の手の温もりに興奮したこいつは鼻血を吹き出した。
「ほら、ポケットティッシュ。よく使うだろう」
「……ありがとう」
とおるは手渡したポケットティッシュを使わずに、あきら箱と書かれたダンボール箱に入れている。ハズレの品を宝物のように扱われても、顔の表情に困るんだけどなぁ。それにそのダンボールに何が入っているか気になる。好奇心は僕を殺しそうな気がするから、意識の外に追いやったけどね。
「ティッシュは使うもんだよ。それに本題の前に感謝されてもね」
「あきらがくれた品は大切にしないとならないからな」
ここまで来ておいて僕は温泉旅行のことを切り出さないで帰ったほうがいいという気はしていた。とおるの反応が過剰すぎて、長年のつき合いのある僕でも引く。それでも話さないで帰ったらきっと後悔する。
「これは服を買ってもらったから、賞品の権利はとおるにもあると思って言うだけだよ。大切なのはカニだ。わかったら復唱すること!」
「た、大切なのはカニだ?」
とおるはたじろぎながらも繰り返したが声が小さかった。
「もう一回、大きな声で!」
「大切なのはカニだ!」
「よろしい。それをくれぐれも忘れないようにね。ここにペアの温泉旅行券がある。年内にしか行けないらしい。夕飯は豪華なカニ尽くしという話だよ」
僕は本題の温泉旅行について話した。やれやれこの話題をするまでにとおるの部屋に入ってから一時間以上経過しているんじゃないかな。
「あきらと泊まり?」
「はい、そこ。重要なのは?」
「か、カニだ!」
忘れてもらっては困る。二人で泊まるのが目的ではないのだ。
「その通り。この旅行はカニが全てと言っていいからね。とおるの都合が悪くなければ一緒にと思ったのだけど、無理には勧めないよ」
「あきら、目が血走っているぞ。しかし、あきらと一緒に温泉か。つまり混浴!」
「……とおるが温泉で失血死すれば、カニを独り占めできるかな」
そんな展開になっても構わない気がしてきた。
「くっ、あきらの目が本気だ。俺はあきらと添い遂げて曾孫の代まで生きるつもりだからな。温泉で死ぬつもりはないぞ」
「共犯者に簡単に死なれては僕も困るからね。新学年になるまでは生きていてもらわないと。それで旅行はどうする?」
「もちろん行くぞ。あきらあるところにとおるありだ!」
とおるは燃えるような瞳で力強く答えた。
「それじゃ決まりね。ああ、カニが楽しみだよ。カニ刺し、焼きガニ、カニの天ぷら――」
見たことのない料理の数々が出されるんだろうなぁ。じゅるるっ、涎が止まらなくなりそうだ。
「……あきらの可憐な顔を崩壊させるなんて、カニはなんて恐ろしいヤツなんだ!」
夢見心地で顔をだらしなく緩ませる僕を見て、とおるはカニに対して敵意を燃やすのだった。
温泉旅行に行きたいと両親に伝えると、父親にはあまりいい顔をされなかった。腕組みをしたまま苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。高校生二人で旅行というのは危険だと思われたかな。
「とおる君はいい子だとは思うが、おつき合いするにまだは早いんじゃないのか」
父親の反対理由を聞いて、僕は意識を宇宙にまで飛ばしそうになった。ありえない。
「年々未婚率は上昇しているから、恋愛をするのは悪いことではないと思うわ。とおる君は将来有望そうですしね」
「そうはいうがな。可愛い一人娘にもしものことがあったらと思うと……」
恋愛にまで発展するわけがない。一人娘なんて言われると背がむず痒くなるよ。
「お母さんは早く孫の顔を見たいわ。名前はどういうのがいいかしら?」
「おいおい、気が早すぎるぞ。まずは結婚式場と花嫁衣装を決めてからだろう」
「……いや、どちらにせよ早すぎると思うよ」
両親の会話を僕は頭を抱えて聞いていた。おかしい。僕の安息の空間が少しずつ異界に侵食されている気がする。これは僕が女になったことへの罰なのか。それとも、娘がいる家庭では一般的な会話なのか?
「あきらはとおる君と恋人ではないのか?」
「僕はとおるを友人としか考えていないし、まだお互いに高校一年だよ。将来を決めるには早すぎだって」
結婚を考えるような年でないことは確かだ。
「とおる君のほうはあきらにお熱のようだったわよ」
「気のせいに決まっているって。それに僕の女の子としての年を考えたら0歳もいいところだよ。恋愛感情を持つなんてありえないね」
「恋愛に年は関係ないわ」
グッと拳を握り締める母親を僕は引きつった顔で見ていた。両親が僕のことを女の子扱いしてくれるのはいい。それは僕も望んでいたことだ。ただ女の子としての僕の扱いにズレがあるような気がしてならない。いきなり女になってしまった事態に対して、両親は前向きに行動していると好意的に捉えるしかないのかな。そもそも悪いのは僕なんだから。
「僕はカニを食べに行きたいだけだからね。カニ好きだってよく知っているでしょ?」
「ああ、それなら仕方ないか。ちゃんと避妊具の用意はしておくんだぞ」
「それなら仕方ないわね。あきら、女は度胸よ。頑張ってね」
温泉旅行を許可してもらえたのにちっとも喜べない。カニで納得はされたくなかった。それにクリスマスプレゼントの件で、誤った認識を持たれたのは想像に難くない。
とおるは僕の両親の受けがいいからなぁ。ことあるごとにお土産を持って遊びに来るし、成績は優秀、顔も悪くはないときたもんだ。性格については、とおるが暴走しても愛嬌と見られている節がある。小さいころから知っているので、多分に色眼鏡がかかっているのは仕方ない。
まぁいい、まぁいいさ。カニを食べられるということで多少のことには目を瞑るさ。
<つづく>
金玉がころんと転がり落ちた。言っとくけど僕の体から落ちたわけじゃないからね。だいたいもうついてないんだから落とすはずもない。猟奇的な事件があったわけでもないよ。
「おおあたりぃっ!」
「まさか特賞が当たるなんて……!」
からんからんと騒がしい鐘の音が商店街に鳴り響いた。デパートで服を買ったときにもらった抽選券のことを思い出し、商店街に設置された福引所に行ってみたのだ。
「へぇ、ペアの温泉旅行券かぁ」
「年内しか使えないのでギフトセットとの交換でもいいですよ。ただ旅行内容は豪華って話ですから、行けるようでしたら是非どうぞ」
鉢巻をした福引のにーちゃんの話を聞いて、使用期限が年内なのはやけに慌しいと思った。どこかの旅館でも潰れかけているのだろうか。
「なんでもカニ尽くしの料理が出るって話ですよ」
「脚が十本あって甲羅があるあのカニのことですかっ!」
「え、ええ、その通りですよ」
僕の突然の剣幕に福引のにーちゃんは両手をあげて仰け反った。うわぁ、めっちゃカニ食べたい。僕の食べ物ランキングでカニは断トツの一番だ。ずびびびっ、考えただけでもう涎が垂れてきている。
「その旅行券をください!」
ためらいもなく僕は叫んだ。
まではいいのだが、誰と行こうかね。どうしてこういうチケットはペアなんだろう。一人で行ってもいいじゃんね。二人分のカニぐらい片づけてみせる!
意気込みだけあっても仕方ないので、誘う相手を考えてみた。仕事で忙しい父親は除外。無難なところは母親だろう。あとは僕の体の事情を知るとおるかゆうきってところかな。ゆうきは未だに女装だと思っているようだけどね。
「普通に考えれば母さんなんだけどね。ここはとおるを誘うか……」
デパートで服を買ったときの抽選券というのがネックだ。僕が持っていた抽選券には、とおるが服を買ってくれた分も含まれている。つまりあいつにも半分権利があるといっていい。
「声だけかけてみるかな。結果はわかりきっているような気がするけど……」
松沢家の玄関まで行きインターホンを鳴らそうとすると、自動ドアのように扉が開いた。
「あれ、これから出かけるの?」
「俺のあきらセンサーが反応したんだ」
「また役に立ちそうもない能力だねぇ」
とおるは僕のスリーサイズだけではなく接近までわかるのか。もっと別のほうに能力を開花させたほうがいいと思うよ。
「話があってね。あがらせてもらっていいかな?」
「あきらに閉ざすような扉を俺は持たない。いつでも歓迎だ」
とおるの部屋に足を一歩踏み入れて、僕は北極に防寒具なしで放りこまれたように凍りついた。僕が僕を見返している。
「……なにこれ?」
「あきらが退院してから寂しくてならないからな。ポスターにして貼りつけたんだ」
「限度ってものがあるだろう……」
アイドルでもあるまいし部屋のあちらこちらに僕のポスターを飾っても仕方ないと思う。もし僕が知り合いに全方位から見られているとしたら落ち着かなくなりそうだ。ポスターの目が動いたりしたら裸足で逃げ出すね。
「天井にはこの間のデートの画像を引き伸ばして貼るつもりだ」
「……剥がせ。今すぐ剥がせ! この部屋にほかの誰かが来たらどうするんだよ」
イブのときにゆうきがこの部屋に入らなくて本当に良かった。大騒ぎになっていたに違いない。
「この部屋にはあきら以外は通さないから大丈夫だ」
「僕が心理的に圧迫を受けるんだよ。どこを向いても自分自身に見られているのは気分が悪い。それに男のときの写真もあるよね」
「俺はあきらの全てが好きだからな」
とおるの愛は性別を超越していたらしい。でも、結婚するには女性でないといけないから性転換薬を開発したのだろう。
「等身大の男の僕はあまり見ていたくないね。過去の僕に責められている気分になる……」
後ろめたさは当分の間、いや生涯消えないかもしれない。
「それはすまなかった。すぐにポスターは剥がす」
「わかってくれたならいいよ。コルクボードに写真を貼るぐらいならいいからさ」
「前向きに検討する」
とおるの前向きは信用ならない。
「写真のサイズは六切までだからね。コルクボードもMサイズより大きいのは認めない」
「……うっ」
「写真を引き伸ばされたりしたら同じことだからね。僕としたらこれでも譲歩しているつもりだよ?」
部屋からポスターが取り除かれると、さざめいた心が安らぎを取り戻した。
僕はここに何しに来たんだっけ。いきなりの精神攻撃に用件を忘れかけたよ。ベッドにどさりと腰を下ろして大きく息を吐く。重くなりそうな頭に手を当てて、温泉旅行に誘いに来たんだよねと思い出した。
話を切り出そうとした僕は、掛け布団からはみ出ている物体に目を釘づけにされた。筒状の布袋に弾力のある素材を入れたいわゆる抱き枕で、これ自体はベッドにあるのは不思議ではない。問題はネグリジェ姿の僕の寝姿がプリントされているということだ。唇の部分だけやけに色が滲んでいる気がするのはどうしてだろう。眉間にしわが寄るのがわかった。
「これはなにかな?」
鳥肌が立って自分でも声が震えるのがわかる。
「あきらの抱き枕だな。このお陰で俺は毎日快適な目覚めを迎えることができるぞ」
「うへぇ、破棄してくれよ」
僕は悪夢にうなされそうだ。
「これ以上部屋からアキライオンの供給が途絶えると、俺の活動に支障が出る」
「そんな謎物質を放出している覚えはない!」
マイナスイオンという言葉はあるけど、アキライオンなんて初耳だ。
「あきらと会わないと、アキライオン欠乏症にかかるからな。それを防ぐためには仕方ないんだ」
「その欠乏症にかかるとどうなるんだよ?」
「あきらに会うために全ての障害を実力で排除して会いに行くぞ。一度アキライオンが消耗し尽されると、あきらに直接触れない限り回復しないからな」
なにを真顔でとんでもないこと言いやがりますか。
「……はぁ、お前に暴走されるよりはましなのかね」
抱き枕の存在を認めたくないが、狂ったとおるに襲われるよりはましか。どうして僕はこいつと友達なのだろうかと一週間に十回は考えたくなるね。
「わかったよ。これ以上目のつく範囲にそういった物を置かないなら見ない振りをする。あと来客がありそうなときは抱き枕とかは隠してくれよ」
「もちろんだ。俺の宝物を他人の目に触れさせたくはないからな」
「はいはい、そうですか」
呆れ顔で両腕を左右に広げて肩をすくめたあと、抱き枕に布団を隙間なくかぶせて見えないようにしておいた。抱き枕に苛立ちをぶつけようとも思ったけど、自分の顔を殴るのはねぇ。
「ったく、話そうとした用件を忘れそうになるね」
「どんな話なんだ? あきらのためならなんでもするぞ。薬の開発か? 調査か? 闇討ちか?」
「前にも思ったけど、お前は忍者の末裔か! そんな物騒なことじゃないよ。僕は平穏無事な人生を送りたいだけだしね」
ここ一ヶ月あまり僕の心は安らかとはほど遠いけど。
「この間服を買いに行ったときにもらった抽選券。あれの景品をとおると山分けしようと思ってね」
「別に気にしなくていいぞ。あきらが全て使ってくれればいい」
とおるなら僕に全てくれると言うとは思っていたけど、服の代金はかなりしたからね。はいそうですかともらえるほど、僕は欲深ではないつもりだよ。一瞬は母親と行こうと思ったけどね。
「そう言わずに受け取ってもらえるかな」
景品を掌に隠して、とおるの手を押し包むようにして乗せてみる。案の定、僕の手の温もりに興奮したこいつは鼻血を吹き出した。
「ほら、ポケットティッシュ。よく使うだろう」
「……ありがとう」
とおるは手渡したポケットティッシュを使わずに、あきら箱と書かれたダンボール箱に入れている。ハズレの品を宝物のように扱われても、顔の表情に困るんだけどなぁ。それにそのダンボールに何が入っているか気になる。好奇心は僕を殺しそうな気がするから、意識の外に追いやったけどね。
「ティッシュは使うもんだよ。それに本題の前に感謝されてもね」
「あきらがくれた品は大切にしないとならないからな」
ここまで来ておいて僕は温泉旅行のことを切り出さないで帰ったほうがいいという気はしていた。とおるの反応が過剰すぎて、長年のつき合いのある僕でも引く。それでも話さないで帰ったらきっと後悔する。
「これは服を買ってもらったから、賞品の権利はとおるにもあると思って言うだけだよ。大切なのはカニだ。わかったら復唱すること!」
「た、大切なのはカニだ?」
とおるはたじろぎながらも繰り返したが声が小さかった。
「もう一回、大きな声で!」
「大切なのはカニだ!」
「よろしい。それをくれぐれも忘れないようにね。ここにペアの温泉旅行券がある。年内にしか行けないらしい。夕飯は豪華なカニ尽くしという話だよ」
僕は本題の温泉旅行について話した。やれやれこの話題をするまでにとおるの部屋に入ってから一時間以上経過しているんじゃないかな。
「あきらと泊まり?」
「はい、そこ。重要なのは?」
「か、カニだ!」
忘れてもらっては困る。二人で泊まるのが目的ではないのだ。
「その通り。この旅行はカニが全てと言っていいからね。とおるの都合が悪くなければ一緒にと思ったのだけど、無理には勧めないよ」
「あきら、目が血走っているぞ。しかし、あきらと一緒に温泉か。つまり混浴!」
「……とおるが温泉で失血死すれば、カニを独り占めできるかな」
そんな展開になっても構わない気がしてきた。
「くっ、あきらの目が本気だ。俺はあきらと添い遂げて曾孫の代まで生きるつもりだからな。温泉で死ぬつもりはないぞ」
「共犯者に簡単に死なれては僕も困るからね。新学年になるまでは生きていてもらわないと。それで旅行はどうする?」
「もちろん行くぞ。あきらあるところにとおるありだ!」
とおるは燃えるような瞳で力強く答えた。
「それじゃ決まりね。ああ、カニが楽しみだよ。カニ刺し、焼きガニ、カニの天ぷら――」
見たことのない料理の数々が出されるんだろうなぁ。じゅるるっ、涎が止まらなくなりそうだ。
「……あきらの可憐な顔を崩壊させるなんて、カニはなんて恐ろしいヤツなんだ!」
夢見心地で顔をだらしなく緩ませる僕を見て、とおるはカニに対して敵意を燃やすのだった。
温泉旅行に行きたいと両親に伝えると、父親にはあまりいい顔をされなかった。腕組みをしたまま苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。高校生二人で旅行というのは危険だと思われたかな。
「とおる君はいい子だとは思うが、おつき合いするにまだは早いんじゃないのか」
父親の反対理由を聞いて、僕は意識を宇宙にまで飛ばしそうになった。ありえない。
「年々未婚率は上昇しているから、恋愛をするのは悪いことではないと思うわ。とおる君は将来有望そうですしね」
「そうはいうがな。可愛い一人娘にもしものことがあったらと思うと……」
恋愛にまで発展するわけがない。一人娘なんて言われると背がむず痒くなるよ。
「お母さんは早く孫の顔を見たいわ。名前はどういうのがいいかしら?」
「おいおい、気が早すぎるぞ。まずは結婚式場と花嫁衣装を決めてからだろう」
「……いや、どちらにせよ早すぎると思うよ」
両親の会話を僕は頭を抱えて聞いていた。おかしい。僕の安息の空間が少しずつ異界に侵食されている気がする。これは僕が女になったことへの罰なのか。それとも、娘がいる家庭では一般的な会話なのか?
「あきらはとおる君と恋人ではないのか?」
「僕はとおるを友人としか考えていないし、まだお互いに高校一年だよ。将来を決めるには早すぎだって」
結婚を考えるような年でないことは確かだ。
「とおる君のほうはあきらにお熱のようだったわよ」
「気のせいに決まっているって。それに僕の女の子としての年を考えたら0歳もいいところだよ。恋愛感情を持つなんてありえないね」
「恋愛に年は関係ないわ」
グッと拳を握り締める母親を僕は引きつった顔で見ていた。両親が僕のことを女の子扱いしてくれるのはいい。それは僕も望んでいたことだ。ただ女の子としての僕の扱いにズレがあるような気がしてならない。いきなり女になってしまった事態に対して、両親は前向きに行動していると好意的に捉えるしかないのかな。そもそも悪いのは僕なんだから。
「僕はカニを食べに行きたいだけだからね。カニ好きだってよく知っているでしょ?」
「ああ、それなら仕方ないか。ちゃんと避妊具の用意はしておくんだぞ」
「それなら仕方ないわね。あきら、女は度胸よ。頑張ってね」
温泉旅行を許可してもらえたのにちっとも喜べない。カニで納得はされたくなかった。それにクリスマスプレゼントの件で、誤った認識を持たれたのは想像に難くない。
とおるは僕の両親の受けがいいからなぁ。ことあるごとにお土産を持って遊びに来るし、成績は優秀、顔も悪くはないときたもんだ。性格については、とおるが暴走しても愛嬌と見られている節がある。小さいころから知っているので、多分に色眼鏡がかかっているのは仕方ない。
まぁいい、まぁいいさ。カニを食べられるということで多少のことには目を瞑るさ。
<つづく>