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いつだって僕らは 1-4 by 猫野 丸太丸
4.

挿絵:シガハナコ
冬休みに入り、冬期講習とかでばたばたしているうちに日が過ぎて、正月になった。その年の正月は自分の家で迎えた。近所の神社に行きたくなって、僕はダウンジャケットを着こみ、父さんといっしょに家を出た。
太平洋側に住んでいたからだろうか、それとも気持ちの問題だろうか。人生で、お正月が嵐だった覚えは一度もない。真冬の冷たさで肌が痛くなってもおかしくないのに、暗闇はどこかお行儀良く、静かに街を包んでいた。
「蕎麦屋、やっていないかな」
「出前で取らないとだめだろ。家に帰ってから、いまからでも開いている店を探すか」
「年が明けたらもう無理じゃない」
近所では人気の神社だからか、近づくにつれ、家族連れとすれ違う数が増えてきた。僕は早くお賽銭の列に並びたくて、ひとり先走ってしまう。鳥居をくぐれば、お守りや七味唐辛子を売る仮設のテントが幕を半開きにして並んでいる。
狭くなった境内で、ぼくは足の遅い着物姿をやり過ごそうとして、
ピンク色の衝撃がふたたびだった。
和服を着た山下がふり返っていた。ピンク色といっても全身その色なわけじゃなくて、銀鼠の地に梅の柄なんだけど、疑うまでもなく女の子の着物だった。
脚が見えなくて、裾から白い足袋だけが出ている。腕も見えない。そんな露出の少ない衣装なのに、帯が胸で締められているだけでなんて性別を主張しているのだろう。髪は和服姿にしては短いのが残念だった。立ち止まってきょとんとこちらを見返しているので、僕は不安になった。
父さんは、人ごみの後ろにいてこちらに気づいていない。確認してから山下に話しかけた。
「あけましておめでとう」
「おめでとうございます」
「着物とか、着ているんだな」
「うん。お正月って、着物を着るとすごく素敵になるんだよ。新井くんもどうかな」
「どうかなって、男の着物をかよ、それとも女の着物って意味か?」
「えへへ」
時間がない。僕は「お賽銭のあと、裏のお稲荷さんで」とすばやく耳打ちし、山下から離れた。そのまま人ごみに入りこむ。しばらくして、足の遅い父さんが追いついてきた。
山下のことは父さんにばれなかったようだ。僕たちは当たり障りのない会話をしながら、賽銭箱の前まで来た。ポケットからふたり分の十円玉を出し、父さんにひとつ渡してから、自分のを手のひらではさんで願いをこめる。願いはいつものやつにしておいた。
隠しごとの、お願いだ。
父さんはきっと、家族みんなが幸せでいられますようにとお願いしているはずだ。
普通ならそれでいいのだろう。けれど……、家族みんなの願いがそれぞればらばらだったら、各自の願いが相反するものだったなら、「みんなで幸せ」ってありえるのだろうか?
失礼かもしれないけれど僕は、自分自身のお願いを父さんに打ち明けたことがない。
目を開いたら、父さんが「もういいか」と言いたげにこちらを見ていた。
「だいじょうぶ」
「おう」
鳥居まで戻ったところで、僕は父さんにお稲荷さんも拝んでいきたいとせがんだ。普段から急にそういうことを言う性格だったから、父さんは僕を疑わずに許してくれた。
神社の参道から左へそれた林のなかに、小さなやしろがあった。わざわざ枝社に来る人は少なかったから、僕は古い布と木でできた神様の家の形をまっすぐ正面から見ることができる。なかに置かれた稲荷様の像は闇に隠れて見えなかった。
僕は呼吸を落ち着けて、これから起こることをじっくりとシミュレートした。
十秒後、目を開くと僕のとなりに山下がいた。
何度たしかめても山下は女の子の姿で、ピンクの着物からは整えられた襟足が見えている。冷たい風に乗って、衣装箪笥と樟脳の匂いが漂ってきた。そして口に出すまでもなく、山下は僕がなにをしたいかを察してくれたのだ。
深夜の林に囲まれて、女装を見とがめる通行人もいない。僕たちはふたりで賽銭を投げて、お祈りした。
目を開けて僕は言った。
「この神社はな、お稲荷さんにお参りするのが通なんだ」
自分で言っていて意味不明な台詞だ。けれど山下は、近所の神社のことなど言われなくても分かっているだろうに、僕の言葉にうなずいてくれた。
お稲荷さんの前に立ったまま、僕と山下は冬休み中にあったできごとなんかを適当に話す。山下が最後にたずねてきた。
「新井くんは、なにをお祈りしたの?」
「べつに? たいしたことないけど」
いつもの口調で言ってから、後悔した。たいしたことない、なんてない。もっとまじめに答えてみよう。
「おまえと同じお願いかもしれないぜ」
きっと山下にとっても予想外だったのだろう、山下は目を見開いた。それから初対面のときと同じ寂しい表情を、すこし、見せてすぐにうち消した。
「やったぁ。そうじゃん。新井くんもおんなじお願い、したんだよね!」
そうだ。期待をこめて僕も答える。
「和久や篠塚もいたらよかったな!」
「うん。来年は絶対にいっしょだね!」
背後に気配がした。その人物からの呼びかけに山下は元気に返事した。
驚いたのはそれが山下の母親だったことだ。着物を着たおとなしい女の人で、山下の話を聞いてからこちらに頭を下げてきた。
「いつも息子がお世話になっております」
母親はしっかりと山下のことを見ていた。ときおり息子が顔に浮かべたのと同じ寂しい表情が頬をよぎったけれど、強い意志を持った眼差しを自分の子どもに向けていたのだ。
動揺していた僕は、「こちらこそお世話になっております」とかの、決まり文句を返せなかった。
「山下、おまえ……、親、公認かよ」
「そうだよ」
あっさりと返事をして、山下は母親といっしょに帰っていった。
ひとり残ったお稲荷前で、たまにくる参拝客を避けながら、僕はしばらくぼうっとしていた。たくさんの考えが頭をめぐった。親にも知られているのに、わざわざ自宅外に着がえルームを持っている。学生服を脱いで、おしゃれして街に出かける。お正月に着物を着て堂々としている。
山下は、本物だ。
僕はお稲荷さんに向かうと、もう一度賽銭を投げて、歯を食いしばって願いをこめた。
女の子に、なれますように。
僕たち四人が、女の子になれますように。
山下が、女の子になれますように。
<つづく>

挿絵:シガハナコ
冬休みに入り、冬期講習とかでばたばたしているうちに日が過ぎて、正月になった。その年の正月は自分の家で迎えた。近所の神社に行きたくなって、僕はダウンジャケットを着こみ、父さんといっしょに家を出た。
太平洋側に住んでいたからだろうか、それとも気持ちの問題だろうか。人生で、お正月が嵐だった覚えは一度もない。真冬の冷たさで肌が痛くなってもおかしくないのに、暗闇はどこかお行儀良く、静かに街を包んでいた。
「蕎麦屋、やっていないかな」
「出前で取らないとだめだろ。家に帰ってから、いまからでも開いている店を探すか」
「年が明けたらもう無理じゃない」
近所では人気の神社だからか、近づくにつれ、家族連れとすれ違う数が増えてきた。僕は早くお賽銭の列に並びたくて、ひとり先走ってしまう。鳥居をくぐれば、お守りや七味唐辛子を売る仮設のテントが幕を半開きにして並んでいる。
狭くなった境内で、ぼくは足の遅い着物姿をやり過ごそうとして、
ピンク色の衝撃がふたたびだった。
和服を着た山下がふり返っていた。ピンク色といっても全身その色なわけじゃなくて、銀鼠の地に梅の柄なんだけど、疑うまでもなく女の子の着物だった。
脚が見えなくて、裾から白い足袋だけが出ている。腕も見えない。そんな露出の少ない衣装なのに、帯が胸で締められているだけでなんて性別を主張しているのだろう。髪は和服姿にしては短いのが残念だった。立ち止まってきょとんとこちらを見返しているので、僕は不安になった。
父さんは、人ごみの後ろにいてこちらに気づいていない。確認してから山下に話しかけた。
「あけましておめでとう」
「おめでとうございます」
「着物とか、着ているんだな」
「うん。お正月って、着物を着るとすごく素敵になるんだよ。新井くんもどうかな」
「どうかなって、男の着物をかよ、それとも女の着物って意味か?」
「えへへ」
時間がない。僕は「お賽銭のあと、裏のお稲荷さんで」とすばやく耳打ちし、山下から離れた。そのまま人ごみに入りこむ。しばらくして、足の遅い父さんが追いついてきた。
山下のことは父さんにばれなかったようだ。僕たちは当たり障りのない会話をしながら、賽銭箱の前まで来た。ポケットからふたり分の十円玉を出し、父さんにひとつ渡してから、自分のを手のひらではさんで願いをこめる。願いはいつものやつにしておいた。
隠しごとの、お願いだ。
父さんはきっと、家族みんなが幸せでいられますようにとお願いしているはずだ。
普通ならそれでいいのだろう。けれど……、家族みんなの願いがそれぞればらばらだったら、各自の願いが相反するものだったなら、「みんなで幸せ」ってありえるのだろうか?
失礼かもしれないけれど僕は、自分自身のお願いを父さんに打ち明けたことがない。
目を開いたら、父さんが「もういいか」と言いたげにこちらを見ていた。
「だいじょうぶ」
「おう」
鳥居まで戻ったところで、僕は父さんにお稲荷さんも拝んでいきたいとせがんだ。普段から急にそういうことを言う性格だったから、父さんは僕を疑わずに許してくれた。
神社の参道から左へそれた林のなかに、小さなやしろがあった。わざわざ枝社に来る人は少なかったから、僕は古い布と木でできた神様の家の形をまっすぐ正面から見ることができる。なかに置かれた稲荷様の像は闇に隠れて見えなかった。
僕は呼吸を落ち着けて、これから起こることをじっくりとシミュレートした。
十秒後、目を開くと僕のとなりに山下がいた。
何度たしかめても山下は女の子の姿で、ピンクの着物からは整えられた襟足が見えている。冷たい風に乗って、衣装箪笥と樟脳の匂いが漂ってきた。そして口に出すまでもなく、山下は僕がなにをしたいかを察してくれたのだ。
深夜の林に囲まれて、女装を見とがめる通行人もいない。僕たちはふたりで賽銭を投げて、お祈りした。
目を開けて僕は言った。
「この神社はな、お稲荷さんにお参りするのが通なんだ」
自分で言っていて意味不明な台詞だ。けれど山下は、近所の神社のことなど言われなくても分かっているだろうに、僕の言葉にうなずいてくれた。
お稲荷さんの前に立ったまま、僕と山下は冬休み中にあったできごとなんかを適当に話す。山下が最後にたずねてきた。
「新井くんは、なにをお祈りしたの?」
「べつに? たいしたことないけど」
いつもの口調で言ってから、後悔した。たいしたことない、なんてない。もっとまじめに答えてみよう。
「おまえと同じお願いかもしれないぜ」
きっと山下にとっても予想外だったのだろう、山下は目を見開いた。それから初対面のときと同じ寂しい表情を、すこし、見せてすぐにうち消した。
「やったぁ。そうじゃん。新井くんもおんなじお願い、したんだよね!」
そうだ。期待をこめて僕も答える。
「和久や篠塚もいたらよかったな!」
「うん。来年は絶対にいっしょだね!」
背後に気配がした。その人物からの呼びかけに山下は元気に返事した。
驚いたのはそれが山下の母親だったことだ。着物を着たおとなしい女の人で、山下の話を聞いてからこちらに頭を下げてきた。
「いつも息子がお世話になっております」
母親はしっかりと山下のことを見ていた。ときおり息子が顔に浮かべたのと同じ寂しい表情が頬をよぎったけれど、強い意志を持った眼差しを自分の子どもに向けていたのだ。
動揺していた僕は、「こちらこそお世話になっております」とかの、決まり文句を返せなかった。
「山下、おまえ……、親、公認かよ」
「そうだよ」
あっさりと返事をして、山下は母親といっしょに帰っていった。
ひとり残ったお稲荷前で、たまにくる参拝客を避けながら、僕はしばらくぼうっとしていた。たくさんの考えが頭をめぐった。親にも知られているのに、わざわざ自宅外に着がえルームを持っている。学生服を脱いで、おしゃれして街に出かける。お正月に着物を着て堂々としている。
山下は、本物だ。
僕はお稲荷さんに向かうと、もう一度賽銭を投げて、歯を食いしばって願いをこめた。
女の子に、なれますように。
僕たち四人が、女の子になれますように。
山下が、女の子になれますように。
<つづく>
可愛い女の子に変身して愛される人生
可愛い女の子に変身して愛される人生と、このままつまらない男として無為に過ごす人生と。
一体、どっちが幸せだと思われますか?
一体、どっちが幸せだと思われますか?