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目撃談
作.真城 悠(Mashiro Yuh)
「真城の城」http://kayochan.com
「真城の居間」blog(http://white.ap.teacup.com/mashiroyuh/)
挿絵:松園
★今回、女装モノですので耐性の低い方はスルー願います。
正直、今でも夢だったんじゃないかと思う。
細かく段階を追って書いていたのではキリが無いから、なるべく起こった現象そのものを端的に淡々と記して行きたい。
その日俺たち生徒は何故か体育館に集められていた。
全校生徒が体育館に集められるシチュエーションといえば週一の全校朝礼とか始業式、終業式、入学式、卒業式みたいに何らかのイベントがらみだ。
文化祭の開会式なんかもあったな。
そうそう、高校であったかどうかは忘れたが、小学校の頃は体育館に集められて映画鑑賞なんてのもあった。内容は大抵つまらん説教臭い映画だったけどね。
その日俺たちは何故か体育館に集合していた。
どうしてそういうことになったのかは全く覚えていない。
何か「集まることになっているらしい」ということで集まった。
いざ入ってみると中央に舞台になりうる盛り上がりがあり、体育館全体が暗くなっていた。
みんな覚えてるかな?少なくとも太陽が燦燦と照りつけた真昼間に体育館全体を暗くするのは一苦労なのだ。
密閉するための設備なんて無いから、黒いカーテンを引くんだけどあちこちから太陽の光が漏れるもんだからあっちを引っ張りこっちを引っ張り、ガムテープで目張りをしたりと大変な騒ぎになる。
どうしても閉まらない非常口もどうにか塞いだりとか。
壁の下のほうに設置されたすりガラスを強引に障害物を置いて光をさえぎったりと大変なことになった。
少なくとも完全暗転などは夢のまた夢というところだが、とりあえず真昼間にも関わらずかなりの程度の暗さを獲得することには成功していた。
子供の頃ってのはお手軽なもんで、こういう「人工的な暗さを作り出す」シチュエーションだけで無闇にワクワクしたりしたもんだ。
普通は舞台に向かって全員が前向きに座らされるのだが、この日は中央の舞台に向かって正対する様にみんなが体育すわりをしていた。
一応説明しておくとウチの学校は特にこれといった特徴の無い共学の高校である。
男子は学ラン、女子はセーラー服でもブレザーでもない白いブラウスに黒いスカートの「女子の制服」としか形容し様の無い地味な「制服」だ。
女子は勿論、男子にも不評ではあったが、日常生活を常にセーラー服で劣情を催させられたり、或いはファッションショーみたいにオシャレで可愛らしい制服を見せ付けられるよりはある意味マシかもしれない…なんて思える様になっていた。
こんなんでも一応は私立なのだが、通う生徒の親の収入格差が甚(はなは)だしい。
ウチはごく平凡なサラリーマン家庭だが、この学校では「中の下」くらいに属するだろう。
とある生徒…というか彼が今回の主役なんだが…を仮に「M」としよう。一応言っておくが匿名ということだから彼の苗字のイニシャルとは限らないと思って欲しい。
Mなどは正にこの学校の主役と言うべき生徒だった。
何故か特注のデザイナーズブランドの制服に身を包み、常に優雅な物腰で女子生徒の熱い視線を一身に集めていた。
同じクラスなので何度か話したこともあるが、全身からかもし出される「育ちのいい」オーラってのは俺たち庶民には逆立ちしても身に付けられるものではないな、と感じさせられた。
髪型一つとってもスキが無いのは当然としても、制服は毎日仕立て直しているのかホコリ一つ付着しておらず、細かい持ち物…ハンカチとか筆記用具とか…も全て高級感が溢れていた。
同じ男として既に嫉妬の範囲すら逸脱した整った顔立ち…強引に今風に言えば「イケメン」…をしており、すらりと伸びたスタイルも抜群。
それも「優男(やさおとこ)」風ではなくて、目鼻立ちがくっきりしていて、かなり「濃い」顔立ちのイケメンなのだ。
こういういい環境で育つと、物腰柔らかな爽やかイケメンになることもあるらしいんだが、彼の場合は今時珍しい「逞(たくま)しい」風だった。
言うべきことはしっかり主張し、おどおどしたところがない。
当然成績も抜群で、校内でもトップの偏差値を誇るという。
むかつく話だが、スポーツも万能。少なくとも高校で必須となっている陸上競技や球技程度ではMに並ぶのは不可能だった。
それどころか格闘技すら修めているらしく、柔道の授業ではどさくさに紛れて痛めつけてやろうと画策していた柔道部員を悉(ことごと)く破り、逆に面目を丸つぶれにさせたという伝説がある。
当然ながら女子にはモテる。
同じクラスの女子は席替えの際には隣に座ろうと権謀術数を駆使するといわれているし、休み時間ともなれば他所(よそ)のクラスから見物人が集まる。
ウソかホントか「ファンクラブ」めいたものまで存在し、その人気は他校にも及び、放課後は「出待ち」の生徒が校門に屯(たむろ)しているとすら言われる。
それでいて己(おのれ)の容姿を含めた存在を全く隠さず、最大限に利用して立ち回る自信家だ。はっきりと真偽を確認した訳では無いが、中学の時点で既にプレイボーイの素質があり、高校に入ってからも「彼女」をとっかえひっかえしているという。
確かにMと一緒に幸福そうな表情で歩いている女子生徒の姿を見かけたことはある。
観る度に相手が変わっていたりもしたが。
普通はここまで完璧でしかも同級生を喰いまくっているとなれば、男子からは「いじめ」の対象になりそうなものだ。
私立なのでそこまでガラの悪い生徒が大勢いる訳でもなかったが、それでも格闘技系の部員でMを快く思わない勢力は存在した。
風の噂だが、彼らによって行われた「闇討ち」は見事なまでの失敗に終わったという。
物心付いた頃からMが通わされていた「空手」「キックボクシング」などの、打撃系格闘技によって、全員が返り討ちに遭ってしまったというのがもっぱらの噂だった。
つまり、Mという男は顔もよく、頭もよく、女にはモテモテで大金持ち、しかも腕っ節も強い…と男としては全く申し分の無い完璧な人間だったのだ。
しかも決して「草食系」ではない。プレイボーイであり、自分に自信があって堂々としている。何と言うか精神的な頼もしさ、逞(たくま)しさを感じる非常に魅力的な人間なのである。
どこで鍛えているのか細身ながら均整の取れた筋肉質で、無駄な贅肉が全く無い。
性格も押しが強く、プライドが高い。
決して傲慢と言うほどでは無いが、慇懃無礼に感じられることはあり、心のどこかで我々“下々の庶民”を見下しているところはあったかも知れない。
だが、それだけにいざとなったら守ってくれそうな雰囲気をかもし出している。
襲撃を逆に返り討ちにしたという噂が流れ始めたと同時に、彼ら「番長グループ」とでも言うべき存在は逆にMの取り巻きと化した様な有様だった。
これについては、腕っ節では互角以上であったこともあるが、Mが番長グループに女の子を斡旋してやるという密約が交わされたとも言われている。
一学期も半ばに入る頃になるとMの名声と権力は揺ぎ無いものであるかに思われた。
あろうことかMは「読者モデル」としてファッション雑誌にすら顔を出し始めていた。
ブランドだの着こなしだの組みあわせだのには全く疎(うと)いのだが、ちらりと目にした限りでは確かに格好いい。
実は身長はそこまで高くないのだが、整った上に目鼻立ちのくっきりした顔は他の読者モデルにも決して引けは取らない。
ある時など、一種のパロディ企画なのだろうが「スーパーマン」めいたコスプレにすら身を包んで美人モデルと決めている写真すらあった。
スーパーマンの格好なんて、二枚目のガイジン俳優がやったって噴出しかねない代物だが、細身で筋肉質のMには良く似合っていた。
股間含めた下半身のシルエットをそのまま浮かび上がらせるぴっちりしたスーツはある意味において最も男性らしいコスチュームであると言えなくも無い。
だが、Mに悪夢が訪れる。
その日、体育館に集められた俺たちは、何故か全校の中でもトラブルメイカーとされる男子生徒と、その悪友による「異種格闘技戦」を見せられる羽目になった。
トラブルメイカーの方はボクシングのグラブとトランクス、そしてリングシューズというボクサースタイル。
悪友の方は某レスラーを思わせるシンプルな黒のパンツにリングシューズである。
試合(?)は終始グダグダのままに進んだ。
何しろスタイルが全く違うし、ルールも違う。
だが、高校生の年頃の男の子はこの手の格闘技なんかは大好物だ。
しょっちゅう行われている大相撲中継なんかは「格闘技」と言う感じがしないが、稀に放送されるボクシングの世界タイトルマッチや、「総合格闘技」なんかは大いに盛り上がるものがある。
なので、一応「戦っている」この試合には大いに声援が飛んでいた。
一方、そんなものには殆(ほとん)ど興味の無い女子はめいめい勝手におしゃべりをしたり、携帯をチェックしたりしていた。
その時である。
舞台の裾に肩から足元まで届く大きなガウンを羽織ったMが佇(たたず)んでいたのだ。
俺は最初にそれが目に入った時、瞬時にMだとは気が付かなかった。
全てにおいて完璧な彼の唯一の泣き所が成長期であるためか若干身長が低い点である。とはいえ、有名なハリウッド俳優にも「実はチビ」なんて大勢いる。彼の総合的な魅力を考えれば若干小柄であることなど何の問題があろうか。
その彼に気が付かなかった理由は沢山あったが、やはり第一のそれはこの時点で唯一外部に露出していた「頭部」が普段とかけ離れたものであったことだろう。
彼は別に頭髪が薄かったわけでもなかろうが、その大人びた顔立ちを最大限に活かすため、オールバックで決めることが多かった。髪型の名前は知らないが、そのまま角ばった形にまとめていたのだ。
だが、この時は何やら頭部にごてごてと装飾が付いており、妙な乱反射をしている。
そしてなによりも顔全体に塗りたくられた色が強烈だった。
舞台の上ではレスラーとボクサーの取っ組み合っての殴り合いが続いているのに構わずMは全身をガウンで包んだまま登っていった。そのガウンは余りにも大きく、床を引きずるほどの長さで前進を覆い隠していた。こういうのも「ガウン」と呼んでいいのかよく知らないが。
この時点で体育館全体が異常を察してMに注目する。一部の女子生徒はそれがMであることに気が付いて黄色い歓声を上げていたが、この時点でこの「謎の人物」がMであることに気が付いた人間は多めに見積もっても半分くらいだろう。
俺には聞き取れなかったが、Mは此処で裏返った声で何事かを発した。
そして同時にガウンをゆっくりと肩から落とした。
スローモーションのように獣の毛皮で作られたかのような豪華なガウンが落下する。
そこに現れた光景は信じられないものだった。
余りにも馬鹿馬鹿しいので夢かと思ったくらいだ。
まずガウンが滑り落ちることでむき出しになったMの無駄毛一つ無い「肩」の「肌色」が目に飛び込んできた。
男子生徒が「肩」を見せ付けることなど、水泳の授業でもなければありえまい。夏も冬も制服にはそんなデザインはありえないし、それこそ女子のそれだって肩を露出するデザインの制服など存在しない。
つまり、この時点でMが相当に露出度の高い格好をしていることが反射的に合点出来るのだ。
俺は正直、全身を覆うガウンからして、もしかして全裸で登場して、男のストリップショーとしゃれ込むのかと思ってしまった。
だが、その予感は刹那の次の瞬間には外れた事が分かった。
その瞬間に体育館が違う意味での甲高い悲鳴に満ちた。
肩には一本の白い線が残され、そしてそれは胴回りに張り付く銀色に輝くコスチュームへと直結していた。
キラキラと輝く装飾に彩られ、そして縁(ふち)を羽根に囲まれたその衣装は、艶(なまめ)かしいほど胴回りにぴっちりと張り付き、そして光沢を放つ皺(しわ)を生じさせている。
あろうことか背中の真ん中までしか覆っていないそれは、露骨に言ってしまうとモロに女性物の下着の形状を思わせた。
これは比較的後方から観る羽目になった俺の感想で、比較的前方から見ていた人間は、突如胸の部分を覆う装飾が現れ、ブラジャーかと思ったと証言している。
どこからともなくコントロールされたスポットライトに照らされたその衣装は「白銀」と形容するのが相応(ふさわ)しい輝きを放っていた。
そのままするすると落下したガウンがMの腰を通過すると、それまで押さえつけられていた「それ」が「ぴよん」と跳ね上がった。
この時点で館内の悲鳴はほぼ最高潮に達した。
それは「スカート」だった。
といっても、ごく普通の…それこそウチの女子生徒の制服みたいな…それではなく、腰の高さからまるでコーヒーカップみたいに真横に飛び出している非常識な形状のそれである。
俺が瞬時にそれを「スカート」だと認識出来たのは、それ以外に形容する単語が見当たらなかったからに他ならない。
足元にふぁさ…と着地したガウンのその下には…本体…というよりもその非常識な形状のスカート…によって影が落ちていたものの、その脚線美が全てうっすらと肌色の透けた白いタイツに覆われていることも見せ付けたし、何よりもピンクがかった肌色の…これくらいは俺でも知っている…トゥシューズに包まれていることもまた見せ付けた。
俺は舞台の下で控えていたガウン人間に対する違和感がやっと分かった。
唯一露出していた頭部には、羽根をあしらった装飾が施され、更には王冠みたいなそれまでが縫いとめられていたのだ。もっと言えば吸血鬼みたいな真っ赤な口紅に、酔っ払ったみたいな真っ赤な頬紅、更に瞼は絵の具をためてあるみたいに真っ青で、既に重そうな領域に突入するほどつけまつげが施されていた。
要するに、頭部もまた装飾とメイクが濃厚な「舞台仕様」だったのだ。
結論から言うと、Mは普段のダンディなスタイルはどこへやら、全身…頭のてっぺんから文字通りつま先に至るまで、完璧に「バレリーナ」の装いで公衆の面前に姿を現したのである。
胸の部分もご丁寧にツンと上向きに盛り上がっている。詰め物までされているらしかった。
彼に憧れていた女子生徒たちは余りにもみっともなく、恥ずかしい格好にあられもない悲鳴をあげ、“信じられない”とばかりに泣き伏して顔を覆った。
一方、男の方はというとこれがまた何とも複雑だった。
格闘技だのスポーツだのと言う風に、ストレートに衝動をぶつけるに足りる対象ならばともかく、男の女装…それも、そのセクシーさ故に女性的な記号として男にアピールしかねないそれ…を見せ付けられて、何とも複雑な気持ちにならざるを得なかった。
正直、俺も背後側から引き締まったウェストの上にブラジャーをしているかのごときひもの伸びた素肌の背中を見せ付けられ、その下の純白のスカートや素脚に密着するタイツが浮かび上がらせるシルエットなどで、思わず下腹部を押さえ込んでしまったくらいだ。
紛れも無い男にたいしてこうも分かりやすい反応をしてしまうなど、それこそ恥ずかしくてたまったもんじゃない。
だが、その「恥ずかしさ」なんぞ、舞台の上でそんな恥さらしの格好をしているM本人に比べたらたいしたものではないだろう。
その「バレリーナ」は慣れた足つき(?)でトゥシューズのつま先に引っ掛ける様にしてガウンを舞台の下に蹴り出すと、その場で優雅に踊り始めた。
一体何が起こっているのかサッパリ分からない。
舞台の反対側では相変わらずボクサーとプロレスラーがグダグダな試合を続けている。
これほどシュールな見世物があるだろうか。
「Mさん!やめてー!」
なんて泣き声が響いてくる。
そりゃあそうだろう。
アイドルどころか一種のカリスマとしてダンディな魅力を振りまいていたMが、あろうことか踊り子…バレリーナの姿となって公衆の面前で可憐な踊りを披露しているのである。
言葉を選ばずに言えば完全に服装倒錯者の変態だ。
こうして観ていて分かったのだが、バレリーナの衣装というのはあの奇態な形のスカートに目が行きがちだが、あれはあくまでも動きによってふわふわと動くことでダンスを強調するための装飾である。つまりはオマケだ。
激しく動き回るバレリーナのシルエットとしてはあくまでも「レオタードにスカートがついている」と言う風に見える。
ほぼ純粋に肉体美を躍動感にくるんで見せるものなのだ。
これが本物の女性ダンサーならばその肉体美の美しさにうっとりも出来たのだろうが、Mは別に肉体が女性化した訳では無い。あくまでも「女装」しているだけだ。
なので、動けば動くほどその肉体の男性的な特徴が明確になり、衣装の女性的な様態と乖離していく。
しかも、その踊りというのが単なるダンスではなく、あくまでも「女性が踊るための振り付け」であることに観客たちも気が付き始めた。
そもそも爪先立ちをするのは女性ダンサーである「バレリーナ」特有の動きである。男性のバレエダンサーはあれはしないらしい。基本的に体重が重いので難しいということもあるらしいが、過度に女性的な踊りになってしまうからではあるまいか。
にもかかわらず、肉体的にも男性であるにも関わらず、女性の衣装に身を包んだMの踊りは、腰をくねらせ、よよと泣き崩れるかの様に「しな」を作り、時に横に崩した姿勢で座るように倒れこみ、恍惚に至っているかのように背筋をのけぞらせ、悩ましい表情で両手を頭上に掲げて、しっかり無駄毛が処理された状態のわきの下を観客に見せ付けた。
素人であっても、ここまで見せ付けられれば「バレエにおいて男性と女性の踊りは違うもの」だということがはっきり分かる。
そして今、目の前でれっきとした男性であるMが踊っているのは間違いなく「女性の踊り」である。それも女物の舞台衣装であるチュチュに身を包んで。
ふわりと空中に舞い上がり、羽根のように着地したMには一瞬後れて降りてくるスカートの挙動が余りにも似合っていた。
一部の女子生徒は、憧れのMのあまりの変態ぶりにショックの余り何人も気絶していた。
見ているほうは大混乱である。
これは一体何なのか?何が起こっているというのか?
男が女装し、舞台上で女として踊ることイコール変態ではない。
わが国には「女形(おやま)」という伝統があり、男性が女装して演じる専門の役職が存在する。基本的には伝統芸能の歌舞伎のそれだが、旅芸人一座などの大衆芸能でもしばしば一番の見世物となっている。
ただ、それは多くの場合は体型を隠し、露出度の少ない和服によって演じられるものであろう。バレリーナのように半裸で肉体美を見せ付けながら跳躍奮迅目まぐるしい「ダンス」をするものではあるまい。
というか、海外の演目である「バレエ」に「男のバレリーナ」などという伝統は存在しない。
あるとしたら、男性のみで構成される「コミックショー」団体のそれだ。
そもそもMがその様な仕事…女形など…をしていたなど聞いたことも無い。
そこで更なる悲劇が襲い掛かってきた。
同じく大きなガウンに身を包んだ第四の人物が舞台袖に現れたのだ。
もう悲鳴だか何だか分からない怒号に館内が包まれた。
俺にはすぐに分かった。
それが、今度は男子生徒の人気を一身に集めるマドンナ「R」であったことを。
ただ、普段は清楚な長い髪を腰まで伸ばした深窓の令嬢の雰囲気は同じく違っていた。
今度は無理に野太い声を出さされた「彼女」は同じく舞台に上がり、そしてガウンを自由落下させた。
そしてまた同じく女子から黄色い悲鳴が上がり、そして今度は男子からおお~っと野太い歓声が上がった。
違和感の原因は氷解した。
「彼女」は肩パットもまぶしい「逞(たくま)しい」男性ダンサーの舞台衣装に身を包んでいたのだ。
ご丁寧に、白一色で固められた股間にはよく男性ダンサーを揶揄するのに使われる形容である「もっこり」までが際限されているではないか。
長かった髪は短いカツラの中にまとめられているのか、ポマードでガチガチにかためられて、「角刈り」にも見える状態になっていた。
この時点で事態を把握できていない観客は一人もいなかった。
MとRは、それぞれ異性の憧れを一身に集める存在だったが、この頃遂に二人は付き合い始めたと噂されていた。
男子生徒の多くが憧れつつも、「高嶺の花」と憧れるだけで我慢していた存在は、Mの「お手つき」になることで「諦めがついた」とすら言われていたのである。
唯一障害があるとすれば、小柄なMに対してR嬢はすらりと背の高い美女であり、並ぶとR嬢の方が少し背が高いと言う点くらいだった。
彼女もまた雑誌で読者モデルを勤めるセミプロの「超高校生」であり、マニッシュな衣装からガーリー、そしてセクシーな衣装まで着こなす「理想の女性」だった。
それが一体何の因果か「もっこり」なシルエットの浮かび上がる男性ダンサーの格好で舞台に上がっているのである。
R嬢はその凛々しい男性ダンサーの姿で、バレリーナ姿で踊るMの背後から優しくその身体を支えた。
「あ…」
そんな声が聞こえたわけは無いが、その苦悶と恥辱にまみれた悩ましい表情からは噴出しそうな感情が伝わってきた。
いい年をこいた男が、むき出しの肩を他人に触られることなど早々あるまい。ましてや背後から優しく。
皮肉なことに、女性であるR嬢の方が若干高かった身長は、バレリーナとなった男性で小柄なRとは理想的な身長のバランスだった。
そのまま引き締まった腰に両手を添えてくるくると回し、Mは完全に背後に向けて体重を預け、恍惚にも見える表情で紅く染まった口角を広げたMは悲しげな表情で、露出した首筋もうなじも観客に見せつけながらその腕の中に身をゆだねる。
その仕草、挙動は正に女性そのものだった。
女性であるはずのR嬢も、「完璧に」男性ダンサーを演じきり、“か弱い”女性ダンサー役のMを背後から抱きしめ、ささえ、そして持ち上げた。
二人は男女の立場を逆転させた理想のバレエダンサー同士となっていた。
すっかり幻滅したのか、延々終わる気配を見せない踊りに疲れ果て、生徒たちは次々に体育館を後にした。
舞台の一方では相変わらずグダグダの格闘が続いており、最悪な事に観客映えしない「寝技」に移行して、玄人にしか分からない「攻防」を延々と繰り返した。
俺がこの日どうやって体育館を出たのかはよく覚えていない。
だが、少なくとも数時間は踊り続け、闘い続けていたこの4人は怒涛(どとう)のような聴衆の目に晒されると共に、数え切れないほどの「素材」を齎(もたら)すことになった。
*****
翌日、何食わぬ顔でMは特注のデザイナーズブランド制服で登校したが、明らかに空気が違っていた。
女子生徒は離れたところでMの顔を見てはヒソヒソと話している。
男子生徒は合わせようとせず、距離を離している。
距離を離すのはいつものことではあるが、今はその意味合いが全く違っている。
掲示板の周囲に人だかりが出来ていた。
Mはそれを見て血相を変えた。
そこにはバレリーナ姿でメイクもばっちりのMが、悩ましくも恍惚の表情で両手を頭上に掲げてわきの下を見せつけながら背筋をそらしている写真が大きく引き伸ばして張られていたのである。
Mはかっ飛んで行ってその写真を引き剥がし、破り捨てた。
だが、周囲の好奇の目が自分に集中しているのを感じるとそのまま教室に走った。
しかし、一旦凋落した王への仕打ちはこれに留まらなかった。
校内のあちこち、掲示板のみならず普通の廊下にまでバレリーナ姿のMの写真が張られまくっていたのである。
それも華麗なダンスシーンだけではなく、ポワント(爪先立ち)を決める足首から先の部分だけとか、スカートの真ん中に見えるパンツ部分(ツンという)を背後から捉えたものや、汗だくの鎖骨から胸に掛けての接写、背中のセクシーな部分などのフェティッシュな写真すらある。
これが紛れも無い男が女装した状態のそれであることを考えると撮った方もディープな変態であると言わざるを得ない。
何と言っても背後から抱きしめられ、背中部分のスカートがぐしゃりと歪みつつもうっとりとした表情で背中の「王子様」を見つめる、二人を捕らえた写真が強烈だった。
それぞれのダンサーの性別が逆であることを考えると、余りにも美しく、そしておぞましい写真であった。
これなどはご丁寧に「額装」してあり、Mは壁から引き摺り下ろすと額ごと破壊しなくてはならなかった。
もう、校内で何が起こったのかは言うまでも無い。
席についてみれば、わざわざ買って来たのか可憐なバレリーナがポーズを決めるバレエ雑誌が置いてある。
それどころか、椅子を引いてみるとそこには女子の制服があるではないか。
これは同じ教室のR嬢のそれがいつのまにか盗み出されて置かれていたものだと判明した。
俺などは遠巻きに眺めていただけだったのだが、Mの立場は完全に破壊された。
名前をもじった「○○子ちゃ~ん」と呼ばれるのは序の口だ。
おどけた男子生徒が目の前で手を上下にひらひらさせながらくるくると回ってみせる。
当然、先日公衆の面前で可憐なバレリーナ姿を晒したMをからかっているのである。
可憐なバレリーナ姿の写真はどんなに剥がしても毎日何物かによって張られ続けた。
当然、膨大な枚数に達した写真はインターネットに拡散してしまっている。
言うまでも無く、踊っている動画もだ。
最も、こちらはプロの男性によるバレリーナ舞台などがありふれた電子の海の中ではさほどの注目も集めなかったらしいが、「関係者」が見れば間違いなく本人だと分かるレベルだ。
何しろ、それまで全く気配すら無かったMが突如公衆の面前で完璧なバレリーナ女装をして、しかも「男役」の女子と共に踊りまくったのだ。
それも「女物」の踊りまで完璧にマスターしてである。
学校中の総意として、Mは「ダンディな男前」から「女装趣味の変態」へと認識が転落してしまったのだ。
しかもその日休んで「舞台」を見られなかった生徒にはそれが歪んだ形で伝わり、「実は家では常に女装して過ごしているらしい」とか「日々バレリーナとして活躍してる」など根も葉もない状態までエスカレートしていた。
といっても仕方があるまい。
彼がバレリーナ姿で踊ったのは事実だし、写真や映像の証拠も沢山ある。
不憫なことに、ガチで女装願望のある男子生徒に個人的な相談を持ち掛けられたり、「そっちの趣味」のある大男に襲われて貞操を奪われそうになったりもしたらしい。
風の噂だが、こんなことを聞いた。
余りにも馬鹿馬鹿しいので笑って流して欲しいのだが、目撃証言として伝わっている話だ。
何でも、その日謎の飛行物体が目撃されたというのだ。
それは、なんとあの広がったスカートでお馴染みバレリーナの衣装こと「チュチュ」を中心とした女性ダンサーの衣装一式だったらしい。
そう、「未確認飛行物体」としてそれらが飛んでいたというのだ。
「未確認飛行物体」の目撃例としてはお馴染み円盤型だの、スカイフィッシュみたいな三角形だの、巨大葉巻型だの色々あるが、それにしても「バレエ衣装一式」みたいな奇妙な話は聞いたことが無い。
この日、身長差というハンディをものともせずにMはR嬢にアタックし、見事「付き合ってもいい」という返事を貰ったという。
ところがその直後、「謎の飛行物体」が襲来し、危うくR嬢に直撃しそうになった。
それを男として「身を挺して」守る形となったMは、R嬢の代わりに「謎の飛行物体」の直撃を受けてしまったというのだ。
そして…書くのも本当にアホらしいんだが…その「謎の飛行物体」はMの着ていた服を全て剥ぎ取り、そしてその肉体に纏(まと)わりついて行ったという…。
数秒も掛からず、彼はその衣装とメイクだけは「完璧な」バレリーナ姿へと変えられてしまった。
肉体的には男性のままなのだが、少なくとも外見はそうだ。
何でも、「呪われたチュチュ」なるもので、一生を掛けた舞台を前に事故で大怪我をし、そのまま舞台に立てなかったバレリーナの怨念が篭っているという。
この衣装は「乗り移れる肉体」を探していて、誰かに物理的に憑依し、そのまま「人前で思う存分踊る」ことが出来れば無事に成仏出来るという。
そして実際、そのまま大勢の集まる体育館に行き、思う存分踊った後、思い残す事は無いとばかりに消滅した…というのだ。
…馬鹿馬鹿しくなって来たろ?俺だってそうだ。
ただ、そういう「論理」を当てはめれば一応の納得は行く。
誰しも知っている様に、バレエの踊りというのは一朝一夕で身に付くものではない。
Mが習っている中にバレエが無かったとは言い切れないが、それでも「女の踊り」は全く別物だから、すぐに踊れるようなものではない。
にも拘らずあんなに華麗かつ可憐に踊る事が出来たのは、本人の意思でも能力でもなく、着せられていたバレリーナの衣装…チュチュ…こそがそれをなさしめていた…と考えれば辻褄は合う。
となると、これは恐ろしいことだ。
Mは別に女装の趣味も何も無いのに、望まない女装…しかも、メイクまで含めたバレリーナ…を強要された挙句に、大勢の前で華麗に「女として」の踊りを強制的にさせられたことになる。
言うまでも無く、男としてこれ以上の屈辱・恥辱はあるまい。
それに、どういう因果なのか知れないが、そこで「かばった」はずのR嬢までが「男性ダンサー」の姿で追い討ちを掛ける様に舞台に現れ、「バレリーナ」相手に男性ダンサーのパートナーとして踊ることで、結果的により「女性の立場」を強要し、辱めたということになるのだ。
これに匹敵する「男としての屈辱」などあろうか。
ただ、こんな馬鹿馬鹿しい夢物語をまともに信じる人間などおるまい。
ということは、極めて常識的でかつ「そうとしか考えられない」結論に行き着くしかないことになる。
そう、Mは実は女装趣味のある変態で、女装した状態で大勢の前で踊ることで快感を覚えるドM野郎である…という結論だ。
確かにあの恍惚の表情はそう勘繰られても仕方が無いものがある。
しかも、偶然彼が小柄であったため、長身のR嬢と「男女ペア」としてのバランスが良かったことも悪い方向に働いた。
ただ、好意的に推理するならば、あの表情は「呪われたチュチュ」に憑依した霊によるものであり、苦悶して屈辱に耐えているかのように見えた表情は、自分の意思で自由に動かせず、勝手に公衆の面前でバレエを踊る自らの肉体の恥ずかしさに必死に耐えていた表情であると解釈も出来る。
とはいえ、その「証拠物件」であるチュチュを始めとした舞台衣装の一切は現場からは発見されていない。それは「男性ダンサー」役を割り振られたR嬢の着ていた衣装にしても同じである。
その後、Mは日々エスカレートするいじめに耐え切れず、転校してしまった。
「○○子ちゃ~ん」とからかわれるのみならず、体育の時間や水泳の時間に着替えを隠されて女物に摩り替えられるなどの嫌がらせを度々受け、すっかり立場を失ってしまったのだ。
それにしても、あの夢みたいな舞台は一体なんだったのだろうか。
良くも悪くも悪夢のようだった。
単なる傍観者としては、多くの思い出の中の一つとして今も強烈に思い出す。
此処だけの話、あの日目に焼き付けられたMの「バレリーナの背中」のビジュアルイメージは決して消えることが無く、それをおかずに何度も達してしまったのである。
今では校内において好んで口に出すことも無くなった、半ば「封印された」出来事である。
ただ、俺だけは「呪われたチュチュ」の説を頑固に信じている。そうと考えなくては辻褄が合わないからだ。
そして、それほどの不条理も無いだろう。突如飛来した謎の飛行物体(?)によって男として最大限の屈辱を与えられ、結果人生が暗転してしまったのである。
更に言うならば、我々ごく普通の一般人にも、いつそうした災いが降りかかってくるのかも分からない…ということになる。
そんなわけで、今日も俺は他人に比べれば遥かに多い割合で空を見上げながら歩いている。
そこに飛んでいた「呪われた何とか」を、回避するためだ。
あんなムチャクチャな「呪われたチュチュ」なんてものの存在が許されるならば、「呪われたセーラー服」だの「呪われたブレザー」だの「呪われたウェディングドレス」だのが幾らでも成立することになってしまうからだ。
だが、あのMの恥辱に震えながらも恍惚の表情を思い出すたび、もしもそういったものが飛来したとして、回避するのではなく、敢えてそれに飛び込んで行ってしまう衝動に駆られないという絶対の自信がこの頃揺らぎつつある。
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「真城の城」http://kayochan.com
「真城の居間」blog(http://white.ap.teacup.com/mashiroyuh/)
挿絵:松園
★今回、女装モノですので耐性の低い方はスルー願います。
正直、今でも夢だったんじゃないかと思う。
細かく段階を追って書いていたのではキリが無いから、なるべく起こった現象そのものを端的に淡々と記して行きたい。
その日俺たち生徒は何故か体育館に集められていた。
全校生徒が体育館に集められるシチュエーションといえば週一の全校朝礼とか始業式、終業式、入学式、卒業式みたいに何らかのイベントがらみだ。
文化祭の開会式なんかもあったな。
そうそう、高校であったかどうかは忘れたが、小学校の頃は体育館に集められて映画鑑賞なんてのもあった。内容は大抵つまらん説教臭い映画だったけどね。
その日俺たちは何故か体育館に集合していた。
どうしてそういうことになったのかは全く覚えていない。
何か「集まることになっているらしい」ということで集まった。
いざ入ってみると中央に舞台になりうる盛り上がりがあり、体育館全体が暗くなっていた。
みんな覚えてるかな?少なくとも太陽が燦燦と照りつけた真昼間に体育館全体を暗くするのは一苦労なのだ。
密閉するための設備なんて無いから、黒いカーテンを引くんだけどあちこちから太陽の光が漏れるもんだからあっちを引っ張りこっちを引っ張り、ガムテープで目張りをしたりと大変な騒ぎになる。
どうしても閉まらない非常口もどうにか塞いだりとか。
壁の下のほうに設置されたすりガラスを強引に障害物を置いて光をさえぎったりと大変なことになった。
少なくとも完全暗転などは夢のまた夢というところだが、とりあえず真昼間にも関わらずかなりの程度の暗さを獲得することには成功していた。
子供の頃ってのはお手軽なもんで、こういう「人工的な暗さを作り出す」シチュエーションだけで無闇にワクワクしたりしたもんだ。
普通は舞台に向かって全員が前向きに座らされるのだが、この日は中央の舞台に向かって正対する様にみんなが体育すわりをしていた。
一応説明しておくとウチの学校は特にこれといった特徴の無い共学の高校である。
男子は学ラン、女子はセーラー服でもブレザーでもない白いブラウスに黒いスカートの「女子の制服」としか形容し様の無い地味な「制服」だ。
女子は勿論、男子にも不評ではあったが、日常生活を常にセーラー服で劣情を催させられたり、或いはファッションショーみたいにオシャレで可愛らしい制服を見せ付けられるよりはある意味マシかもしれない…なんて思える様になっていた。
こんなんでも一応は私立なのだが、通う生徒の親の収入格差が甚(はなは)だしい。
ウチはごく平凡なサラリーマン家庭だが、この学校では「中の下」くらいに属するだろう。
とある生徒…というか彼が今回の主役なんだが…を仮に「M」としよう。一応言っておくが匿名ということだから彼の苗字のイニシャルとは限らないと思って欲しい。
Mなどは正にこの学校の主役と言うべき生徒だった。
何故か特注のデザイナーズブランドの制服に身を包み、常に優雅な物腰で女子生徒の熱い視線を一身に集めていた。
同じクラスなので何度か話したこともあるが、全身からかもし出される「育ちのいい」オーラってのは俺たち庶民には逆立ちしても身に付けられるものではないな、と感じさせられた。
髪型一つとってもスキが無いのは当然としても、制服は毎日仕立て直しているのかホコリ一つ付着しておらず、細かい持ち物…ハンカチとか筆記用具とか…も全て高級感が溢れていた。
同じ男として既に嫉妬の範囲すら逸脱した整った顔立ち…強引に今風に言えば「イケメン」…をしており、すらりと伸びたスタイルも抜群。
それも「優男(やさおとこ)」風ではなくて、目鼻立ちがくっきりしていて、かなり「濃い」顔立ちのイケメンなのだ。
こういういい環境で育つと、物腰柔らかな爽やかイケメンになることもあるらしいんだが、彼の場合は今時珍しい「逞(たくま)しい」風だった。
言うべきことはしっかり主張し、おどおどしたところがない。
当然成績も抜群で、校内でもトップの偏差値を誇るという。
むかつく話だが、スポーツも万能。少なくとも高校で必須となっている陸上競技や球技程度ではMに並ぶのは不可能だった。
それどころか格闘技すら修めているらしく、柔道の授業ではどさくさに紛れて痛めつけてやろうと画策していた柔道部員を悉(ことごと)く破り、逆に面目を丸つぶれにさせたという伝説がある。
当然ながら女子にはモテる。
同じクラスの女子は席替えの際には隣に座ろうと権謀術数を駆使するといわれているし、休み時間ともなれば他所(よそ)のクラスから見物人が集まる。
ウソかホントか「ファンクラブ」めいたものまで存在し、その人気は他校にも及び、放課後は「出待ち」の生徒が校門に屯(たむろ)しているとすら言われる。
それでいて己(おのれ)の容姿を含めた存在を全く隠さず、最大限に利用して立ち回る自信家だ。はっきりと真偽を確認した訳では無いが、中学の時点で既にプレイボーイの素質があり、高校に入ってからも「彼女」をとっかえひっかえしているという。
確かにMと一緒に幸福そうな表情で歩いている女子生徒の姿を見かけたことはある。
観る度に相手が変わっていたりもしたが。
普通はここまで完璧でしかも同級生を喰いまくっているとなれば、男子からは「いじめ」の対象になりそうなものだ。
私立なのでそこまでガラの悪い生徒が大勢いる訳でもなかったが、それでも格闘技系の部員でMを快く思わない勢力は存在した。
風の噂だが、彼らによって行われた「闇討ち」は見事なまでの失敗に終わったという。
物心付いた頃からMが通わされていた「空手」「キックボクシング」などの、打撃系格闘技によって、全員が返り討ちに遭ってしまったというのがもっぱらの噂だった。
つまり、Mという男は顔もよく、頭もよく、女にはモテモテで大金持ち、しかも腕っ節も強い…と男としては全く申し分の無い完璧な人間だったのだ。
しかも決して「草食系」ではない。プレイボーイであり、自分に自信があって堂々としている。何と言うか精神的な頼もしさ、逞(たくま)しさを感じる非常に魅力的な人間なのである。
どこで鍛えているのか細身ながら均整の取れた筋肉質で、無駄な贅肉が全く無い。
性格も押しが強く、プライドが高い。
決して傲慢と言うほどでは無いが、慇懃無礼に感じられることはあり、心のどこかで我々“下々の庶民”を見下しているところはあったかも知れない。
だが、それだけにいざとなったら守ってくれそうな雰囲気をかもし出している。
襲撃を逆に返り討ちにしたという噂が流れ始めたと同時に、彼ら「番長グループ」とでも言うべき存在は逆にMの取り巻きと化した様な有様だった。
これについては、腕っ節では互角以上であったこともあるが、Mが番長グループに女の子を斡旋してやるという密約が交わされたとも言われている。
一学期も半ばに入る頃になるとMの名声と権力は揺ぎ無いものであるかに思われた。
あろうことかMは「読者モデル」としてファッション雑誌にすら顔を出し始めていた。
ブランドだの着こなしだの組みあわせだのには全く疎(うと)いのだが、ちらりと目にした限りでは確かに格好いい。
実は身長はそこまで高くないのだが、整った上に目鼻立ちのくっきりした顔は他の読者モデルにも決して引けは取らない。
ある時など、一種のパロディ企画なのだろうが「スーパーマン」めいたコスプレにすら身を包んで美人モデルと決めている写真すらあった。
スーパーマンの格好なんて、二枚目のガイジン俳優がやったって噴出しかねない代物だが、細身で筋肉質のMには良く似合っていた。
股間含めた下半身のシルエットをそのまま浮かび上がらせるぴっちりしたスーツはある意味において最も男性らしいコスチュームであると言えなくも無い。
だが、Mに悪夢が訪れる。
その日、体育館に集められた俺たちは、何故か全校の中でもトラブルメイカーとされる男子生徒と、その悪友による「異種格闘技戦」を見せられる羽目になった。
トラブルメイカーの方はボクシングのグラブとトランクス、そしてリングシューズというボクサースタイル。
悪友の方は某レスラーを思わせるシンプルな黒のパンツにリングシューズである。
試合(?)は終始グダグダのままに進んだ。
何しろスタイルが全く違うし、ルールも違う。
だが、高校生の年頃の男の子はこの手の格闘技なんかは大好物だ。
しょっちゅう行われている大相撲中継なんかは「格闘技」と言う感じがしないが、稀に放送されるボクシングの世界タイトルマッチや、「総合格闘技」なんかは大いに盛り上がるものがある。
なので、一応「戦っている」この試合には大いに声援が飛んでいた。
一方、そんなものには殆(ほとん)ど興味の無い女子はめいめい勝手におしゃべりをしたり、携帯をチェックしたりしていた。
その時である。
舞台の裾に肩から足元まで届く大きなガウンを羽織ったMが佇(たたず)んでいたのだ。
俺は最初にそれが目に入った時、瞬時にMだとは気が付かなかった。
全てにおいて完璧な彼の唯一の泣き所が成長期であるためか若干身長が低い点である。とはいえ、有名なハリウッド俳優にも「実はチビ」なんて大勢いる。彼の総合的な魅力を考えれば若干小柄であることなど何の問題があろうか。
その彼に気が付かなかった理由は沢山あったが、やはり第一のそれはこの時点で唯一外部に露出していた「頭部」が普段とかけ離れたものであったことだろう。
彼は別に頭髪が薄かったわけでもなかろうが、その大人びた顔立ちを最大限に活かすため、オールバックで決めることが多かった。髪型の名前は知らないが、そのまま角ばった形にまとめていたのだ。
だが、この時は何やら頭部にごてごてと装飾が付いており、妙な乱反射をしている。
そしてなによりも顔全体に塗りたくられた色が強烈だった。
舞台の上ではレスラーとボクサーの取っ組み合っての殴り合いが続いているのに構わずMは全身をガウンで包んだまま登っていった。そのガウンは余りにも大きく、床を引きずるほどの長さで前進を覆い隠していた。こういうのも「ガウン」と呼んでいいのかよく知らないが。
この時点で体育館全体が異常を察してMに注目する。一部の女子生徒はそれがMであることに気が付いて黄色い歓声を上げていたが、この時点でこの「謎の人物」がMであることに気が付いた人間は多めに見積もっても半分くらいだろう。
俺には聞き取れなかったが、Mは此処で裏返った声で何事かを発した。
そして同時にガウンをゆっくりと肩から落とした。
スローモーションのように獣の毛皮で作られたかのような豪華なガウンが落下する。
そこに現れた光景は信じられないものだった。
余りにも馬鹿馬鹿しいので夢かと思ったくらいだ。
まずガウンが滑り落ちることでむき出しになったMの無駄毛一つ無い「肩」の「肌色」が目に飛び込んできた。
男子生徒が「肩」を見せ付けることなど、水泳の授業でもなければありえまい。夏も冬も制服にはそんなデザインはありえないし、それこそ女子のそれだって肩を露出するデザインの制服など存在しない。
つまり、この時点でMが相当に露出度の高い格好をしていることが反射的に合点出来るのだ。
俺は正直、全身を覆うガウンからして、もしかして全裸で登場して、男のストリップショーとしゃれ込むのかと思ってしまった。
だが、その予感は刹那の次の瞬間には外れた事が分かった。
その瞬間に体育館が違う意味での甲高い悲鳴に満ちた。
肩には一本の白い線が残され、そしてそれは胴回りに張り付く銀色に輝くコスチュームへと直結していた。
キラキラと輝く装飾に彩られ、そして縁(ふち)を羽根に囲まれたその衣装は、艶(なまめ)かしいほど胴回りにぴっちりと張り付き、そして光沢を放つ皺(しわ)を生じさせている。
あろうことか背中の真ん中までしか覆っていないそれは、露骨に言ってしまうとモロに女性物の下着の形状を思わせた。
これは比較的後方から観る羽目になった俺の感想で、比較的前方から見ていた人間は、突如胸の部分を覆う装飾が現れ、ブラジャーかと思ったと証言している。
どこからともなくコントロールされたスポットライトに照らされたその衣装は「白銀」と形容するのが相応(ふさわ)しい輝きを放っていた。
そのままするすると落下したガウンがMの腰を通過すると、それまで押さえつけられていた「それ」が「ぴよん」と跳ね上がった。
この時点で館内の悲鳴はほぼ最高潮に達した。
それは「スカート」だった。
といっても、ごく普通の…それこそウチの女子生徒の制服みたいな…それではなく、腰の高さからまるでコーヒーカップみたいに真横に飛び出している非常識な形状のそれである。
俺が瞬時にそれを「スカート」だと認識出来たのは、それ以外に形容する単語が見当たらなかったからに他ならない。
足元にふぁさ…と着地したガウンのその下には…本体…というよりもその非常識な形状のスカート…によって影が落ちていたものの、その脚線美が全てうっすらと肌色の透けた白いタイツに覆われていることも見せ付けたし、何よりもピンクがかった肌色の…これくらいは俺でも知っている…トゥシューズに包まれていることもまた見せ付けた。
俺は舞台の下で控えていたガウン人間に対する違和感がやっと分かった。
唯一露出していた頭部には、羽根をあしらった装飾が施され、更には王冠みたいなそれまでが縫いとめられていたのだ。もっと言えば吸血鬼みたいな真っ赤な口紅に、酔っ払ったみたいな真っ赤な頬紅、更に瞼は絵の具をためてあるみたいに真っ青で、既に重そうな領域に突入するほどつけまつげが施されていた。
要するに、頭部もまた装飾とメイクが濃厚な「舞台仕様」だったのだ。
結論から言うと、Mは普段のダンディなスタイルはどこへやら、全身…頭のてっぺんから文字通りつま先に至るまで、完璧に「バレリーナ」の装いで公衆の面前に姿を現したのである。
胸の部分もご丁寧にツンと上向きに盛り上がっている。詰め物までされているらしかった。
彼に憧れていた女子生徒たちは余りにもみっともなく、恥ずかしい格好にあられもない悲鳴をあげ、“信じられない”とばかりに泣き伏して顔を覆った。
一方、男の方はというとこれがまた何とも複雑だった。
格闘技だのスポーツだのと言う風に、ストレートに衝動をぶつけるに足りる対象ならばともかく、男の女装…それも、そのセクシーさ故に女性的な記号として男にアピールしかねないそれ…を見せ付けられて、何とも複雑な気持ちにならざるを得なかった。
正直、俺も背後側から引き締まったウェストの上にブラジャーをしているかのごときひもの伸びた素肌の背中を見せ付けられ、その下の純白のスカートや素脚に密着するタイツが浮かび上がらせるシルエットなどで、思わず下腹部を押さえ込んでしまったくらいだ。
紛れも無い男にたいしてこうも分かりやすい反応をしてしまうなど、それこそ恥ずかしくてたまったもんじゃない。
だが、その「恥ずかしさ」なんぞ、舞台の上でそんな恥さらしの格好をしているM本人に比べたらたいしたものではないだろう。
その「バレリーナ」は慣れた足つき(?)でトゥシューズのつま先に引っ掛ける様にしてガウンを舞台の下に蹴り出すと、その場で優雅に踊り始めた。
一体何が起こっているのかサッパリ分からない。
舞台の反対側では相変わらずボクサーとプロレスラーがグダグダな試合を続けている。
これほどシュールな見世物があるだろうか。
「Mさん!やめてー!」
なんて泣き声が響いてくる。
そりゃあそうだろう。
アイドルどころか一種のカリスマとしてダンディな魅力を振りまいていたMが、あろうことか踊り子…バレリーナの姿となって公衆の面前で可憐な踊りを披露しているのである。
言葉を選ばずに言えば完全に服装倒錯者の変態だ。
こうして観ていて分かったのだが、バレリーナの衣装というのはあの奇態な形のスカートに目が行きがちだが、あれはあくまでも動きによってふわふわと動くことでダンスを強調するための装飾である。つまりはオマケだ。
激しく動き回るバレリーナのシルエットとしてはあくまでも「レオタードにスカートがついている」と言う風に見える。
ほぼ純粋に肉体美を躍動感にくるんで見せるものなのだ。
これが本物の女性ダンサーならばその肉体美の美しさにうっとりも出来たのだろうが、Mは別に肉体が女性化した訳では無い。あくまでも「女装」しているだけだ。
なので、動けば動くほどその肉体の男性的な特徴が明確になり、衣装の女性的な様態と乖離していく。
しかも、その踊りというのが単なるダンスではなく、あくまでも「女性が踊るための振り付け」であることに観客たちも気が付き始めた。
そもそも爪先立ちをするのは女性ダンサーである「バレリーナ」特有の動きである。男性のバレエダンサーはあれはしないらしい。基本的に体重が重いので難しいということもあるらしいが、過度に女性的な踊りになってしまうからではあるまいか。
にもかかわらず、肉体的にも男性であるにも関わらず、女性の衣装に身を包んだMの踊りは、腰をくねらせ、よよと泣き崩れるかの様に「しな」を作り、時に横に崩した姿勢で座るように倒れこみ、恍惚に至っているかのように背筋をのけぞらせ、悩ましい表情で両手を頭上に掲げて、しっかり無駄毛が処理された状態のわきの下を観客に見せ付けた。
素人であっても、ここまで見せ付けられれば「バレエにおいて男性と女性の踊りは違うもの」だということがはっきり分かる。
そして今、目の前でれっきとした男性であるMが踊っているのは間違いなく「女性の踊り」である。それも女物の舞台衣装であるチュチュに身を包んで。
ふわりと空中に舞い上がり、羽根のように着地したMには一瞬後れて降りてくるスカートの挙動が余りにも似合っていた。
一部の女子生徒は、憧れのMのあまりの変態ぶりにショックの余り何人も気絶していた。
見ているほうは大混乱である。
これは一体何なのか?何が起こっているというのか?
男が女装し、舞台上で女として踊ることイコール変態ではない。
わが国には「女形(おやま)」という伝統があり、男性が女装して演じる専門の役職が存在する。基本的には伝統芸能の歌舞伎のそれだが、旅芸人一座などの大衆芸能でもしばしば一番の見世物となっている。
ただ、それは多くの場合は体型を隠し、露出度の少ない和服によって演じられるものであろう。バレリーナのように半裸で肉体美を見せ付けながら跳躍奮迅目まぐるしい「ダンス」をするものではあるまい。
というか、海外の演目である「バレエ」に「男のバレリーナ」などという伝統は存在しない。
あるとしたら、男性のみで構成される「コミックショー」団体のそれだ。
そもそもMがその様な仕事…女形など…をしていたなど聞いたことも無い。
そこで更なる悲劇が襲い掛かってきた。
同じく大きなガウンに身を包んだ第四の人物が舞台袖に現れたのだ。
もう悲鳴だか何だか分からない怒号に館内が包まれた。
俺にはすぐに分かった。
それが、今度は男子生徒の人気を一身に集めるマドンナ「R」であったことを。
ただ、普段は清楚な長い髪を腰まで伸ばした深窓の令嬢の雰囲気は同じく違っていた。
今度は無理に野太い声を出さされた「彼女」は同じく舞台に上がり、そしてガウンを自由落下させた。
そしてまた同じく女子から黄色い悲鳴が上がり、そして今度は男子からおお~っと野太い歓声が上がった。
違和感の原因は氷解した。
「彼女」は肩パットもまぶしい「逞(たくま)しい」男性ダンサーの舞台衣装に身を包んでいたのだ。
ご丁寧に、白一色で固められた股間にはよく男性ダンサーを揶揄するのに使われる形容である「もっこり」までが際限されているではないか。
長かった髪は短いカツラの中にまとめられているのか、ポマードでガチガチにかためられて、「角刈り」にも見える状態になっていた。
この時点で事態を把握できていない観客は一人もいなかった。
MとRは、それぞれ異性の憧れを一身に集める存在だったが、この頃遂に二人は付き合い始めたと噂されていた。
男子生徒の多くが憧れつつも、「高嶺の花」と憧れるだけで我慢していた存在は、Mの「お手つき」になることで「諦めがついた」とすら言われていたのである。
唯一障害があるとすれば、小柄なMに対してR嬢はすらりと背の高い美女であり、並ぶとR嬢の方が少し背が高いと言う点くらいだった。
彼女もまた雑誌で読者モデルを勤めるセミプロの「超高校生」であり、マニッシュな衣装からガーリー、そしてセクシーな衣装まで着こなす「理想の女性」だった。
それが一体何の因果か「もっこり」なシルエットの浮かび上がる男性ダンサーの格好で舞台に上がっているのである。
R嬢はその凛々しい男性ダンサーの姿で、バレリーナ姿で踊るMの背後から優しくその身体を支えた。
「あ…」
そんな声が聞こえたわけは無いが、その苦悶と恥辱にまみれた悩ましい表情からは噴出しそうな感情が伝わってきた。
いい年をこいた男が、むき出しの肩を他人に触られることなど早々あるまい。ましてや背後から優しく。
皮肉なことに、女性であるR嬢の方が若干高かった身長は、バレリーナとなった男性で小柄なRとは理想的な身長のバランスだった。
そのまま引き締まった腰に両手を添えてくるくると回し、Mは完全に背後に向けて体重を預け、恍惚にも見える表情で紅く染まった口角を広げたMは悲しげな表情で、露出した首筋もうなじも観客に見せつけながらその腕の中に身をゆだねる。
その仕草、挙動は正に女性そのものだった。
女性であるはずのR嬢も、「完璧に」男性ダンサーを演じきり、“か弱い”女性ダンサー役のMを背後から抱きしめ、ささえ、そして持ち上げた。
二人は男女の立場を逆転させた理想のバレエダンサー同士となっていた。
すっかり幻滅したのか、延々終わる気配を見せない踊りに疲れ果て、生徒たちは次々に体育館を後にした。
舞台の一方では相変わらずグダグダの格闘が続いており、最悪な事に観客映えしない「寝技」に移行して、玄人にしか分からない「攻防」を延々と繰り返した。
俺がこの日どうやって体育館を出たのかはよく覚えていない。
だが、少なくとも数時間は踊り続け、闘い続けていたこの4人は怒涛(どとう)のような聴衆の目に晒されると共に、数え切れないほどの「素材」を齎(もたら)すことになった。
*****
翌日、何食わぬ顔でMは特注のデザイナーズブランド制服で登校したが、明らかに空気が違っていた。
女子生徒は離れたところでMの顔を見てはヒソヒソと話している。
男子生徒は合わせようとせず、距離を離している。
距離を離すのはいつものことではあるが、今はその意味合いが全く違っている。
掲示板の周囲に人だかりが出来ていた。
Mはそれを見て血相を変えた。
そこにはバレリーナ姿でメイクもばっちりのMが、悩ましくも恍惚の表情で両手を頭上に掲げてわきの下を見せつけながら背筋をそらしている写真が大きく引き伸ばして張られていたのである。
Mはかっ飛んで行ってその写真を引き剥がし、破り捨てた。
だが、周囲の好奇の目が自分に集中しているのを感じるとそのまま教室に走った。
しかし、一旦凋落した王への仕打ちはこれに留まらなかった。
校内のあちこち、掲示板のみならず普通の廊下にまでバレリーナ姿のMの写真が張られまくっていたのである。
それも華麗なダンスシーンだけではなく、ポワント(爪先立ち)を決める足首から先の部分だけとか、スカートの真ん中に見えるパンツ部分(ツンという)を背後から捉えたものや、汗だくの鎖骨から胸に掛けての接写、背中のセクシーな部分などのフェティッシュな写真すらある。
これが紛れも無い男が女装した状態のそれであることを考えると撮った方もディープな変態であると言わざるを得ない。
何と言っても背後から抱きしめられ、背中部分のスカートがぐしゃりと歪みつつもうっとりとした表情で背中の「王子様」を見つめる、二人を捕らえた写真が強烈だった。
それぞれのダンサーの性別が逆であることを考えると、余りにも美しく、そしておぞましい写真であった。
これなどはご丁寧に「額装」してあり、Mは壁から引き摺り下ろすと額ごと破壊しなくてはならなかった。
もう、校内で何が起こったのかは言うまでも無い。
席についてみれば、わざわざ買って来たのか可憐なバレリーナがポーズを決めるバレエ雑誌が置いてある。
それどころか、椅子を引いてみるとそこには女子の制服があるではないか。
これは同じ教室のR嬢のそれがいつのまにか盗み出されて置かれていたものだと判明した。
俺などは遠巻きに眺めていただけだったのだが、Mの立場は完全に破壊された。
名前をもじった「○○子ちゃ~ん」と呼ばれるのは序の口だ。
おどけた男子生徒が目の前で手を上下にひらひらさせながらくるくると回ってみせる。
当然、先日公衆の面前で可憐なバレリーナ姿を晒したMをからかっているのである。
可憐なバレリーナ姿の写真はどんなに剥がしても毎日何物かによって張られ続けた。
当然、膨大な枚数に達した写真はインターネットに拡散してしまっている。
言うまでも無く、踊っている動画もだ。
最も、こちらはプロの男性によるバレリーナ舞台などがありふれた電子の海の中ではさほどの注目も集めなかったらしいが、「関係者」が見れば間違いなく本人だと分かるレベルだ。
何しろ、それまで全く気配すら無かったMが突如公衆の面前で完璧なバレリーナ女装をして、しかも「男役」の女子と共に踊りまくったのだ。
それも「女物」の踊りまで完璧にマスターしてである。
学校中の総意として、Mは「ダンディな男前」から「女装趣味の変態」へと認識が転落してしまったのだ。
しかもその日休んで「舞台」を見られなかった生徒にはそれが歪んだ形で伝わり、「実は家では常に女装して過ごしているらしい」とか「日々バレリーナとして活躍してる」など根も葉もない状態までエスカレートしていた。
といっても仕方があるまい。
彼がバレリーナ姿で踊ったのは事実だし、写真や映像の証拠も沢山ある。
不憫なことに、ガチで女装願望のある男子生徒に個人的な相談を持ち掛けられたり、「そっちの趣味」のある大男に襲われて貞操を奪われそうになったりもしたらしい。
風の噂だが、こんなことを聞いた。
余りにも馬鹿馬鹿しいので笑って流して欲しいのだが、目撃証言として伝わっている話だ。
何でも、その日謎の飛行物体が目撃されたというのだ。
それは、なんとあの広がったスカートでお馴染みバレリーナの衣装こと「チュチュ」を中心とした女性ダンサーの衣装一式だったらしい。
そう、「未確認飛行物体」としてそれらが飛んでいたというのだ。
「未確認飛行物体」の目撃例としてはお馴染み円盤型だの、スカイフィッシュみたいな三角形だの、巨大葉巻型だの色々あるが、それにしても「バレエ衣装一式」みたいな奇妙な話は聞いたことが無い。
この日、身長差というハンディをものともせずにMはR嬢にアタックし、見事「付き合ってもいい」という返事を貰ったという。
ところがその直後、「謎の飛行物体」が襲来し、危うくR嬢に直撃しそうになった。
それを男として「身を挺して」守る形となったMは、R嬢の代わりに「謎の飛行物体」の直撃を受けてしまったというのだ。
そして…書くのも本当にアホらしいんだが…その「謎の飛行物体」はMの着ていた服を全て剥ぎ取り、そしてその肉体に纏(まと)わりついて行ったという…。
数秒も掛からず、彼はその衣装とメイクだけは「完璧な」バレリーナ姿へと変えられてしまった。
肉体的には男性のままなのだが、少なくとも外見はそうだ。
何でも、「呪われたチュチュ」なるもので、一生を掛けた舞台を前に事故で大怪我をし、そのまま舞台に立てなかったバレリーナの怨念が篭っているという。
この衣装は「乗り移れる肉体」を探していて、誰かに物理的に憑依し、そのまま「人前で思う存分踊る」ことが出来れば無事に成仏出来るという。
そして実際、そのまま大勢の集まる体育館に行き、思う存分踊った後、思い残す事は無いとばかりに消滅した…というのだ。
…馬鹿馬鹿しくなって来たろ?俺だってそうだ。
ただ、そういう「論理」を当てはめれば一応の納得は行く。
誰しも知っている様に、バレエの踊りというのは一朝一夕で身に付くものではない。
Mが習っている中にバレエが無かったとは言い切れないが、それでも「女の踊り」は全く別物だから、すぐに踊れるようなものではない。
にも拘らずあんなに華麗かつ可憐に踊る事が出来たのは、本人の意思でも能力でもなく、着せられていたバレリーナの衣装…チュチュ…こそがそれをなさしめていた…と考えれば辻褄は合う。
となると、これは恐ろしいことだ。
Mは別に女装の趣味も何も無いのに、望まない女装…しかも、メイクまで含めたバレリーナ…を強要された挙句に、大勢の前で華麗に「女として」の踊りを強制的にさせられたことになる。
言うまでも無く、男としてこれ以上の屈辱・恥辱はあるまい。
それに、どういう因果なのか知れないが、そこで「かばった」はずのR嬢までが「男性ダンサー」の姿で追い討ちを掛ける様に舞台に現れ、「バレリーナ」相手に男性ダンサーのパートナーとして踊ることで、結果的により「女性の立場」を強要し、辱めたということになるのだ。
これに匹敵する「男としての屈辱」などあろうか。
ただ、こんな馬鹿馬鹿しい夢物語をまともに信じる人間などおるまい。
ということは、極めて常識的でかつ「そうとしか考えられない」結論に行き着くしかないことになる。
そう、Mは実は女装趣味のある変態で、女装した状態で大勢の前で踊ることで快感を覚えるドM野郎である…という結論だ。
確かにあの恍惚の表情はそう勘繰られても仕方が無いものがある。
しかも、偶然彼が小柄であったため、長身のR嬢と「男女ペア」としてのバランスが良かったことも悪い方向に働いた。
ただ、好意的に推理するならば、あの表情は「呪われたチュチュ」に憑依した霊によるものであり、苦悶して屈辱に耐えているかのように見えた表情は、自分の意思で自由に動かせず、勝手に公衆の面前でバレエを踊る自らの肉体の恥ずかしさに必死に耐えていた表情であると解釈も出来る。
とはいえ、その「証拠物件」であるチュチュを始めとした舞台衣装の一切は現場からは発見されていない。それは「男性ダンサー」役を割り振られたR嬢の着ていた衣装にしても同じである。
その後、Mは日々エスカレートするいじめに耐え切れず、転校してしまった。
「○○子ちゃ~ん」とからかわれるのみならず、体育の時間や水泳の時間に着替えを隠されて女物に摩り替えられるなどの嫌がらせを度々受け、すっかり立場を失ってしまったのだ。
それにしても、あの夢みたいな舞台は一体なんだったのだろうか。
良くも悪くも悪夢のようだった。
単なる傍観者としては、多くの思い出の中の一つとして今も強烈に思い出す。
此処だけの話、あの日目に焼き付けられたMの「バレリーナの背中」のビジュアルイメージは決して消えることが無く、それをおかずに何度も達してしまったのである。
今では校内において好んで口に出すことも無くなった、半ば「封印された」出来事である。
ただ、俺だけは「呪われたチュチュ」の説を頑固に信じている。そうと考えなくては辻褄が合わないからだ。
そして、それほどの不条理も無いだろう。突如飛来した謎の飛行物体(?)によって男として最大限の屈辱を与えられ、結果人生が暗転してしまったのである。
更に言うならば、我々ごく普通の一般人にも、いつそうした災いが降りかかってくるのかも分からない…ということになる。
そんなわけで、今日も俺は他人に比べれば遥かに多い割合で空を見上げながら歩いている。
そこに飛んでいた「呪われた何とか」を、回避するためだ。
あんなムチャクチャな「呪われたチュチュ」なんてものの存在が許されるならば、「呪われたセーラー服」だの「呪われたブレザー」だの「呪われたウェディングドレス」だのが幾らでも成立することになってしまうからだ。
だが、あのMの恥辱に震えながらも恍惚の表情を思い出すたび、もしもそういったものが飛来したとして、回避するのではなく、敢えてそれに飛び込んで行ってしまう衝動に駆られないという絶対の自信がこの頃揺らぎつつある。
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