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子供の神様 (5) by.アイニス
(5)
「今日は厄日に違いないわ。さっさと帰れ」
「ごめん、ごめん」
不貞腐れた瑞穂は、フグのように頬を膨らませていた。蠅でも払うように手を振っている。拗ねてはいても愛嬌があって、幼子のような可愛らしさがあった。
「修理する気があるなら、もう少し修行を積むことじゃ。目を覆いたくなるような腕前だったぞ」
「筋は悪くないと思うけどなぁ」
「その根拠のない自信はどこから出てくるのか。ある意味では感心するわ」
瑞穂は目を丸くして伍良を見ていた。
「しょうがない。今日のところは帰るから、ボールを返してくれよ」
「嫌じゃ」
このまま神社にいても瑞穂の機嫌を損ねるだけだろう。修理を保留して引き返そうと思ったが、瑞穂はボールを返す気がないようだ。固い声で首を横に振った。
「どうしてだよ。ボールくらい返してくれてもいいだろ」
「……お主が壊してしまったからな。妾には遊ぶものが――いや、これは人質の代わりじゃ。修理が終わるまで返す気はないぞ」
瑞穂の顔を寂しさが通り過ぎる。孤独な時間を何もせずに過ごすというのは苦痛だろう。途中で瑞穂は表情を取り繕ったが、寂しげな顔は印象に残った。
「わかった。大切なものだから、大事に扱ってくれよ」
「もちろんじゃ」
サッカーボールは大事だが、替えがきかないものではない。安心したように微笑んだ瑞穂が、可哀想に思えた。このままほっとけない。
「女のうちに試したいことがあるけど、一人だと気が引けてさ。瑞穂も一緒に来てくれないかな」
「もじもじとして気持ち悪いわ」
勇気を出して話を持ち掛けたのに酷い言い草だった。
「神を誘うとは恐れを知らんな。それでどこに行きたいのじゃ。少しなら付き合ってやらんこともないぞ。神が長く留守にするわけにはいかんからなぁ」
口は悪かったが、瑞穂の目は異様に輝いていた。久しぶりの外出らしい。内心の喜びが漏れまくっていた。
「せ、銭湯だけど。女湯に入るのは度胸がいるよ」
女湯に興味があるのは確かだが、瑞穂を洗ってやろうと思ったのだ。本当のことを言えば、瑞穂はへそを曲げるだろう。
「ほほぅ、興味のある年頃じゃからな。男としては見たいのも当然か。よかろう、行ってやるぞ」
「助かるよ」
悪戯っぽい顔で瑞穂は笑っていた。豊穣神ということで、性に対してはおおらからしい。思ったよりもあっさりと話に乗ってくれた。
「ふむぅ、外の有様は変わったものよ」
神社から外に出た瑞穂は、物珍しそうに街を見ていた。きょろきょろと首を回し、旅行で遠くに来た子供のようだ。しばらくは景色を眺めて感心していたが、段々と表情が暗くなってきた。
「……田畑の姿はまるで見られぬ。大きな家が密集して、息苦しく感じるぞ」
「大きいってどれが?」
「あれもこれもそれも全部じゃ」
二階建ての家がほとんどだが、瑞穂にとっては高く感じるらしい。背が低いこともあるのだろうか。田畑がないことも瑞穂には不満のようだ。住宅の他には、家庭菜園が僅かにあるくらいだろう。
「秋になると重く実をつけた稲穂が広がっていたものじゃ。その面影が全くないわ」
「想像もできないなぁ」
伍良が生まれた時から、家々が立ち並んでいたと思う。同級生で農家をしている家は聞いたことがなかった。
古めかしい建物の前で足を止める。老朽化が進んだ和風の建物だ。瓦が割れているのが目に入った。
「ここが銭湯だよ」
昔からある銭湯だが、利用客は年々減っているらしい。料金は安いが、設備は簡素なものだ。競争には勝てないだろう。
「ほう、風情があるではないか」
「ま、待ってよ」
近くて安いから選んだのに、瑞穂は気に入った様子だ。意気揚々と銭湯に入っていく。女湯ということで尻込みした伍良だが、瑞穂を追いかける形で暖簾をくぐった。
「お、女が二人で」
受付では性別を偽っている気がして、声が裏返りそうだった。タオルを借りて女湯に向かう。心臓の音が大きくなっていた。
「湯に入るのは久方ぶりじゃ」
街を歩いていた時は元気がなかった瑞穂の声が弾んでいる。急いで衣服を脱ぎ捨てていた。瑞穂の体は平坦で女性らしい膨らみが少ない。見ていても楽しくはなさそうだ。
「神々しい姿を見て感動しないとは不心得者よ」
「瑞穂には縁遠い言葉に聞こえるなぁ」
肌が薄汚れているので、お世辞にも綺麗には見えない。脱ぎ捨てた衣服からは、悪臭が漂っていた。
「小娘が戯言を言うものだわ。まぁ、妾は寛大な気分になっておるから、許してやろう」
瑞穂が背を向けたのを見計らって、伍良はくたびれた衣服を拾った。悪臭が目と鼻を刺激する。女の子が着るような服ではなかった。
「洗濯しても汚れが落ちるかなぁ」
銭湯に設置されている洗濯機に瑞穂の衣服を突っ込む。多少はましになると信じたい。
「うわ、緊張する」
脱衣所でスポーツウェアを脱ぐ手が震える。喉が渇いてきた。裸になって体を見下ろす。紛れもなく女の子の体だと思う。背後を振り返ってもおかしなところはない。これなら疑われないはずだ。
「鼻の奥が熱くなってきたな」
まだ自分の裸にも慣れていない。眼下に震える乳房を見ると、興奮しそうになった。
「よ、よし、行くぞ」
浴室の扉を開ける。白い蒸気が湯船から立ち上っていた。空気の匂いが男湯とは違う気がする。未知の領域に入って、伍良はまともに正面を見られない。
「遅いぞ。何をしておったのじゃ」
瑞穂の叱責を受けて、俯いていた顔を上げた。利用客は多くない。肉の余った中年か、枯れたような老婆の姿しかなかった。女だったのは何十年も前だろう。期待していたのと違う。苦笑と溜息が出ていた。
「残念そうな顔をしておるぞ。期待外れじゃったな」
「はぁ、現実はこんなものか」
下心があったのは確かだ。図星を突かれて、伍良は赤面していた。残念だったが、無用な緊張は避けられそうだ。拍子抜けで肩の力が抜けていた。
「見様見真似で体を洗おうと思ったが、どうもうまくいかん。出てくる湯が熱すぎるのじゃ」
「温度が高めになっているな。瑞穂が使い方に慣れてないなら、俺が洗うのを手伝おうか」
「ほう、妾の体に触りたいと申すか。小娘を悩殺してしまうとは、妾も罪深い女じゃ」
平坦な胸を反らし、瑞穂は威張った顔をしていた。見るべきところはない体なのに、根拠のない自信が凄まじい。
「……瑞穂を見ている方がましだけどさ」
贅肉の塊を見ているよりは目が痛まない。湯の温度を調整して、瑞穂の頭にシャワーを浴びせた。
「いい湯加減じゃ」
目を閉じて、瑞穂は気持ち良さそうだった。シャワーの勢いだけで、髪から埃や垢が溶け出てくる。小柄な体を流れる湯が黒く濁っていた。
「凄くベトベトしているなぁ」
髪に手を入れてみると、ワックスでも塗りたくったように固い。ごわごわした髪が柔らかくなるまで、伍良はシャワーをかけていた。髪が長いこともあって、重労働になりそうだ。楽しみの当てが外れたこともあって、瑞穂を連れて銭湯に来たのを後悔しそうになる。
「それが石鹸なのか。爽やかな匂いがするぞ」
シャンプーを手で泡立たせると、柑橘系の匂いが周囲に漂った。爽快感のある匂いを嗅いで、瑞穂が頬を緩ませる。子供のような表情は微笑ましく思えた。
「……なかなか手強いな」
瑞穂の髪を洗い始めると、泡が速攻で消えた。黒い汚れが次々と出てきて、シャンプーが泡立つ様子がない。途中でシャワーを髪に浴びせると、墨汁のような汚水が流れた。
「うわぁ、汚いなぁ」
「お、大袈裟なことを言うでない。くっ、目がぁ、ゴミが目に入ったぁ!」
思わず率直な感想を言うと、瑞穂が目を剥いて抗議した。髪から流れた汚水が大きな目に入る。埃が混じっていたようで、じたばたと悶えていた。
「やっと泡立ってきたか」
「妾に仕える巫女が世話をしてくれたのを思い出す。懐かしくなるわ」
髪の量が多いので、洗うのは一苦労だった。手が重たくなりそうだ。
神社は管理する人間がいなくなって久しい。神主も巫女も見かけたことはなかった。
「こんなところかな」
完全に汚れが落ちると、黒々とした髪が現れた。一点の曇りもない。潤いを得た髪は、艶々と光っている。髪を切り揃えれば、雛人形のようだと思った。
「今日は厄日に違いないわ。さっさと帰れ」
「ごめん、ごめん」
不貞腐れた瑞穂は、フグのように頬を膨らませていた。蠅でも払うように手を振っている。拗ねてはいても愛嬌があって、幼子のような可愛らしさがあった。
「修理する気があるなら、もう少し修行を積むことじゃ。目を覆いたくなるような腕前だったぞ」
「筋は悪くないと思うけどなぁ」
「その根拠のない自信はどこから出てくるのか。ある意味では感心するわ」
瑞穂は目を丸くして伍良を見ていた。
「しょうがない。今日のところは帰るから、ボールを返してくれよ」
「嫌じゃ」
このまま神社にいても瑞穂の機嫌を損ねるだけだろう。修理を保留して引き返そうと思ったが、瑞穂はボールを返す気がないようだ。固い声で首を横に振った。
「どうしてだよ。ボールくらい返してくれてもいいだろ」
「……お主が壊してしまったからな。妾には遊ぶものが――いや、これは人質の代わりじゃ。修理が終わるまで返す気はないぞ」
瑞穂の顔を寂しさが通り過ぎる。孤独な時間を何もせずに過ごすというのは苦痛だろう。途中で瑞穂は表情を取り繕ったが、寂しげな顔は印象に残った。
「わかった。大切なものだから、大事に扱ってくれよ」
「もちろんじゃ」
サッカーボールは大事だが、替えがきかないものではない。安心したように微笑んだ瑞穂が、可哀想に思えた。このままほっとけない。
「女のうちに試したいことがあるけど、一人だと気が引けてさ。瑞穂も一緒に来てくれないかな」
「もじもじとして気持ち悪いわ」
勇気を出して話を持ち掛けたのに酷い言い草だった。
「神を誘うとは恐れを知らんな。それでどこに行きたいのじゃ。少しなら付き合ってやらんこともないぞ。神が長く留守にするわけにはいかんからなぁ」
口は悪かったが、瑞穂の目は異様に輝いていた。久しぶりの外出らしい。内心の喜びが漏れまくっていた。
「せ、銭湯だけど。女湯に入るのは度胸がいるよ」
女湯に興味があるのは確かだが、瑞穂を洗ってやろうと思ったのだ。本当のことを言えば、瑞穂はへそを曲げるだろう。
「ほほぅ、興味のある年頃じゃからな。男としては見たいのも当然か。よかろう、行ってやるぞ」
「助かるよ」
悪戯っぽい顔で瑞穂は笑っていた。豊穣神ということで、性に対してはおおらからしい。思ったよりもあっさりと話に乗ってくれた。
「ふむぅ、外の有様は変わったものよ」
神社から外に出た瑞穂は、物珍しそうに街を見ていた。きょろきょろと首を回し、旅行で遠くに来た子供のようだ。しばらくは景色を眺めて感心していたが、段々と表情が暗くなってきた。
「……田畑の姿はまるで見られぬ。大きな家が密集して、息苦しく感じるぞ」
「大きいってどれが?」
「あれもこれもそれも全部じゃ」
二階建ての家がほとんどだが、瑞穂にとっては高く感じるらしい。背が低いこともあるのだろうか。田畑がないことも瑞穂には不満のようだ。住宅の他には、家庭菜園が僅かにあるくらいだろう。
「秋になると重く実をつけた稲穂が広がっていたものじゃ。その面影が全くないわ」
「想像もできないなぁ」
伍良が生まれた時から、家々が立ち並んでいたと思う。同級生で農家をしている家は聞いたことがなかった。
古めかしい建物の前で足を止める。老朽化が進んだ和風の建物だ。瓦が割れているのが目に入った。
「ここが銭湯だよ」
昔からある銭湯だが、利用客は年々減っているらしい。料金は安いが、設備は簡素なものだ。競争には勝てないだろう。
「ほう、風情があるではないか」
「ま、待ってよ」
近くて安いから選んだのに、瑞穂は気に入った様子だ。意気揚々と銭湯に入っていく。女湯ということで尻込みした伍良だが、瑞穂を追いかける形で暖簾をくぐった。
「お、女が二人で」
受付では性別を偽っている気がして、声が裏返りそうだった。タオルを借りて女湯に向かう。心臓の音が大きくなっていた。
「湯に入るのは久方ぶりじゃ」
街を歩いていた時は元気がなかった瑞穂の声が弾んでいる。急いで衣服を脱ぎ捨てていた。瑞穂の体は平坦で女性らしい膨らみが少ない。見ていても楽しくはなさそうだ。
「神々しい姿を見て感動しないとは不心得者よ」
「瑞穂には縁遠い言葉に聞こえるなぁ」
肌が薄汚れているので、お世辞にも綺麗には見えない。脱ぎ捨てた衣服からは、悪臭が漂っていた。
「小娘が戯言を言うものだわ。まぁ、妾は寛大な気分になっておるから、許してやろう」
瑞穂が背を向けたのを見計らって、伍良はくたびれた衣服を拾った。悪臭が目と鼻を刺激する。女の子が着るような服ではなかった。
「洗濯しても汚れが落ちるかなぁ」
銭湯に設置されている洗濯機に瑞穂の衣服を突っ込む。多少はましになると信じたい。
「うわ、緊張する」
脱衣所でスポーツウェアを脱ぐ手が震える。喉が渇いてきた。裸になって体を見下ろす。紛れもなく女の子の体だと思う。背後を振り返ってもおかしなところはない。これなら疑われないはずだ。
「鼻の奥が熱くなってきたな」
まだ自分の裸にも慣れていない。眼下に震える乳房を見ると、興奮しそうになった。
「よ、よし、行くぞ」
浴室の扉を開ける。白い蒸気が湯船から立ち上っていた。空気の匂いが男湯とは違う気がする。未知の領域に入って、伍良はまともに正面を見られない。
「遅いぞ。何をしておったのじゃ」
瑞穂の叱責を受けて、俯いていた顔を上げた。利用客は多くない。肉の余った中年か、枯れたような老婆の姿しかなかった。女だったのは何十年も前だろう。期待していたのと違う。苦笑と溜息が出ていた。
「残念そうな顔をしておるぞ。期待外れじゃったな」
「はぁ、現実はこんなものか」
下心があったのは確かだ。図星を突かれて、伍良は赤面していた。残念だったが、無用な緊張は避けられそうだ。拍子抜けで肩の力が抜けていた。
「見様見真似で体を洗おうと思ったが、どうもうまくいかん。出てくる湯が熱すぎるのじゃ」
「温度が高めになっているな。瑞穂が使い方に慣れてないなら、俺が洗うのを手伝おうか」
「ほう、妾の体に触りたいと申すか。小娘を悩殺してしまうとは、妾も罪深い女じゃ」
平坦な胸を反らし、瑞穂は威張った顔をしていた。見るべきところはない体なのに、根拠のない自信が凄まじい。
「……瑞穂を見ている方がましだけどさ」
贅肉の塊を見ているよりは目が痛まない。湯の温度を調整して、瑞穂の頭にシャワーを浴びせた。
「いい湯加減じゃ」
目を閉じて、瑞穂は気持ち良さそうだった。シャワーの勢いだけで、髪から埃や垢が溶け出てくる。小柄な体を流れる湯が黒く濁っていた。
「凄くベトベトしているなぁ」
髪に手を入れてみると、ワックスでも塗りたくったように固い。ごわごわした髪が柔らかくなるまで、伍良はシャワーをかけていた。髪が長いこともあって、重労働になりそうだ。楽しみの当てが外れたこともあって、瑞穂を連れて銭湯に来たのを後悔しそうになる。
「それが石鹸なのか。爽やかな匂いがするぞ」
シャンプーを手で泡立たせると、柑橘系の匂いが周囲に漂った。爽快感のある匂いを嗅いで、瑞穂が頬を緩ませる。子供のような表情は微笑ましく思えた。
「……なかなか手強いな」
瑞穂の髪を洗い始めると、泡が速攻で消えた。黒い汚れが次々と出てきて、シャンプーが泡立つ様子がない。途中でシャワーを髪に浴びせると、墨汁のような汚水が流れた。
「うわぁ、汚いなぁ」
「お、大袈裟なことを言うでない。くっ、目がぁ、ゴミが目に入ったぁ!」
思わず率直な感想を言うと、瑞穂が目を剥いて抗議した。髪から流れた汚水が大きな目に入る。埃が混じっていたようで、じたばたと悶えていた。
「やっと泡立ってきたか」
「妾に仕える巫女が世話をしてくれたのを思い出す。懐かしくなるわ」
髪の量が多いので、洗うのは一苦労だった。手が重たくなりそうだ。
神社は管理する人間がいなくなって久しい。神主も巫女も見かけたことはなかった。
「こんなところかな」
完全に汚れが落ちると、黒々とした髪が現れた。一点の曇りもない。潤いを得た髪は、艶々と光っている。髪を切り揃えれば、雛人形のようだと思った。
12/06のツイートまとめ
amulai
RT @nyaocat: 登場キャラクターが全て何らかの党派で政治的主張を放課後にこたつで議論する美少女日常アニメを作れば良いのではないでしょうか!!
12-06 11:45