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俳優人生 (1) By A.I.
俳優人生
(1)
和田栄作は近く行われる喜劇の台本に目を通していた。本人にしてみれば望まない役だが、新人俳優では選り好みはできない。むしろ役を与えられただけ感謝しなければいけないだろう。
「熱心にやっているな」
「先輩、お疲れ様です」
アパートに帰ってきた新田友和を栄作は労う。友和は大学の先輩で同じ演劇部だった。卒業後に演劇を続けられたのは、友和が力になってくれたのが大きい。そうでなければ、俳優の道を諦めて、サラリーマンになっていただろう。
「今日はどうでしたか?」
「客の入りはそこそこだ。悪くはないが、評判になるには程遠いな」
「先輩の演技は上手いと思うのですけどね。劇の内容が暗かったのかもしれません」
「あまり脚本を悪く言うなよ。あの人だって頑張っているさ」
「ええ、次の喜劇は客受けすると信じていますよ」
栄作たちが所属する劇団の規模はさほど大きくない。人数も限られているので、脚本の執筆や演出は一人が行っている。
「家に帰ってくるとほっとするな。食事が待っているというのはありがたいよ」
「迷惑になってなければいいですが」
栄作が用意した夕飯を食べて、友和は気の抜けた顔をしていた。新人俳優の給料では一人暮らしが難しいので、栄作は友和のアパートに転がり込んだ形になった。友和は劇団の主演俳優の一人だが、それでも六畳のアパートだ。二人で暮らすには狭い。
「俺の方が助かっているさ。一人だったら部屋も片付いてない」
「……確かに初めて訪れた時はひどかったですけどね」
空の弁当箱やペットボトルで足の踏み場がなかったことを思い出して、栄作は苦笑していた。友和の演技は素晴らしいとは思うが、生活能力には欠けていると思う。
「ふぅ、美味かったな。風呂から出たら、読み合わせをしよう」
「疲れているところすいません」
今まで栄作がしてきた端役と比べたら、次の喜劇の演技時間は格段に長い。どんなに練習しても足りないことはなかった。
「今度の俺の相方は栄作だからな。それにどんな役だろうと注目されれば出番も増えるさ」
「はい!」
コミカルな役どころで恥ずかしいが、与えられた役は完璧にこなしたい。観客が楽しんでくれれば、栄作だって嬉しい。
「難しいね」
まだ火照る顔で栄作は呟いた。練習を終えて布団に入っても、なかなか寝付けない。狭い部屋では布団を二組敷く余裕はないので、毛布だけは別にして友和と同じ敷布団で寝ている。
「まだ起きていたのか。台詞に恥ずかしさが出るのはわかる。頑張れよ」
「ええ、頭ではわかっているんですがなかなか」
「こればかりはなぁ。慣れろとしか言えない」
友和が励ましてくれたが、栄作はなかなか割り切れなかった。
公演している劇が終わると、本格的に次回作の練習が始まった。台詞だけではなく演技も必要になってくる。休憩時間になって、栄作は疲れた顔をしていた。思っていたよりも消耗が激しい。無理をして甲高い声を出さないといけないのだ。
「まさか女性の役を与えられるとは思いませんでしたよ」
「不平は言うな。それにちゃんとした男性の役だぞ」
「一応そうですけどね」
劇の内容は、催眠術にかけられて自分を女性だと思い込んだ男性が、周囲に混乱と騒動を巻き起こすという喜劇だ。役を演じるならば、女性の方が適任だったように思う。女言葉や仕草を覚えるのは大変だ。
「スカートには慣れませんね」
「似合っているぞ」
「先輩が笑いながら言っても、説得力がありませんよ」
女物の下着の着用はまだ免れているが、明るいピンク色の服や清楚なスカートは落ち着かない。スカートに足を取られて転びそうになる。
「そのうち慣れるさ。着ているうちに快感になってくるかもしれないぞ」
「怖い冗談は止めてくださいよ」
栄作は体を抱えて身震いをしていた。
劇場内にある稽古室から玄関に向かうと、占い師の老人が商売をしていた。劇団員からは変人に思われているが、栄作が話しかけてみると面白い性格だ。気分転換になるので、栄作は老人に声をかけることも多い。
「商売は繁盛している?」
「いまいちじゃのぉ」
緑茶の缶を栄作が差し出すと、老人は椅子を進めてきた。温かい茶を美味そうに老人は飲んでいる。
「儂の価値が誰もわかっておらん。話しかけてくれるのはお前さんぐらいじゃ」
老人は誰にも相手にされなくて憤慨していた。
「占いは流行らないのかもね」
「儂とて占いは専門ではないわ。本当は偉大なる魔法使いなのじゃよ」
「へぇ、凄いね」
老人の話に乗って、素直に驚いた振りをする。役者の端くれだけあって、老人には嘘とは見破られなかった。
「うむうむ、この国ではマナが少ないから、魔法もあまり使えないがのぉ。お主が困ったら、力にはなってやるぞ」
「ありがとう。その時はお願いするよ」
ほら吹きではあるが、気の良い老人だ。話していると愉快な気分になる。栄作はしばらく老人の話に付き合っていた。
練習を繰り返して、いよいよ本番当日。劇団長は青い顔をしていた。もう開幕が間近だというのに、催眠術師の役を与えられた劇団員が、事故で重傷を負ったという連絡が来たのだ。大した役ではないが、人手が足りていない。
「団長、占い師のお爺さんならどうでしょう」
代役をどうしようか悩んでいる最中に、栄作はふと閃いて団長に進言してみた。老人はいつも暇そうにしているし、枯れた雰囲気が催眠術師には似合いそうだ。
「確かに似た雰囲気はあるな。よし、頼んでみるか」
今日を乗り切れば、代役を別に立てることもできる。団長に頼まれて、栄作は劇場の出入り口まで急いだ。それなりに来場者はいるというのに、誰も占い師には興味がないようだった。老人は寂しく座っている。
「お願いがあるのだけどいいかな?」
「おぅ、若者よぉ。儂で良ければ力を貸すぞ」
栄作に声をかけられた老人は嬉しそうだった。しょんぼりしていたらしい。
「報酬は少ないかもしれないけど、催眠術師の役をして欲しいんだよ」
「ほほぅ、それは魔法使いの一種なのじゃな。儂に相応しい役目じゃのぉ」
「うん、それで僕を女にする魔法をかけて欲しい」
老人が勘違いしている部分もありそうだが、栄作は話を簡潔にしようと端折って説明した。
「うぅん、そうか」
「難しい?」
「偉大なる魔法使いに不可能はないのじゃ。引き受けはするが、一度というのはのぉ」
あっさり引き受けてくれると思ったが、意外にも老人は渋い顔をしていた。一回だけの出番というのは気に入らないらしい。
「あ、いや、しっかりやってくれれば次もあると思うよ」
「そうかそうか。マナが足りないからのぉ。何度もしたいのじゃよ」
「わかった。僕からも団長には伝える。頼りにしているよ」
「任せておくのじゃ。女にする役目は完璧にこなしてみせよう。お主の先輩とうまくいくことを祈っておるぞ」
老人が張り切って劇に参加してくれるようで、栄作はほっと安心していた。これなら素人でも大丈夫かもしれない。
「この呪文と動作は間違っておるぞ。安心せい。儂がきっちりと行ってやるからのぉ」
催眠術師の台本を見せられた老人は、周りが引くぐらいに怒っていた。駄目出しをされた脚本家は不機嫌そうだが、老人の剣幕には逆らえないようだ。今日だけの我慢と思っているのだろう。
「儂は本物の水晶玉を持っておる。それを使わせてもらうぞ」
「わかった。わかりましたよ」
催眠術師の小道具として用意したのは、透明なガラス玉だ。だが、老人の水晶玉は光を反射すると虹色に輝き、明らかに質が違っている。劇団員は魅入られたように言葉を失っていた。

キャライラスト:菓子之助 http://pasti.blog81.fc2.com/
<つづく>
(1)
和田栄作は近く行われる喜劇の台本に目を通していた。本人にしてみれば望まない役だが、新人俳優では選り好みはできない。むしろ役を与えられただけ感謝しなければいけないだろう。
「熱心にやっているな」
「先輩、お疲れ様です」
アパートに帰ってきた新田友和を栄作は労う。友和は大学の先輩で同じ演劇部だった。卒業後に演劇を続けられたのは、友和が力になってくれたのが大きい。そうでなければ、俳優の道を諦めて、サラリーマンになっていただろう。
「今日はどうでしたか?」
「客の入りはそこそこだ。悪くはないが、評判になるには程遠いな」
「先輩の演技は上手いと思うのですけどね。劇の内容が暗かったのかもしれません」
「あまり脚本を悪く言うなよ。あの人だって頑張っているさ」
「ええ、次の喜劇は客受けすると信じていますよ」
栄作たちが所属する劇団の規模はさほど大きくない。人数も限られているので、脚本の執筆や演出は一人が行っている。
「家に帰ってくるとほっとするな。食事が待っているというのはありがたいよ」
「迷惑になってなければいいですが」
栄作が用意した夕飯を食べて、友和は気の抜けた顔をしていた。新人俳優の給料では一人暮らしが難しいので、栄作は友和のアパートに転がり込んだ形になった。友和は劇団の主演俳優の一人だが、それでも六畳のアパートだ。二人で暮らすには狭い。
「俺の方が助かっているさ。一人だったら部屋も片付いてない」
「……確かに初めて訪れた時はひどかったですけどね」
空の弁当箱やペットボトルで足の踏み場がなかったことを思い出して、栄作は苦笑していた。友和の演技は素晴らしいとは思うが、生活能力には欠けていると思う。
「ふぅ、美味かったな。風呂から出たら、読み合わせをしよう」
「疲れているところすいません」
今まで栄作がしてきた端役と比べたら、次の喜劇の演技時間は格段に長い。どんなに練習しても足りないことはなかった。
「今度の俺の相方は栄作だからな。それにどんな役だろうと注目されれば出番も増えるさ」
「はい!」
コミカルな役どころで恥ずかしいが、与えられた役は完璧にこなしたい。観客が楽しんでくれれば、栄作だって嬉しい。
「難しいね」
まだ火照る顔で栄作は呟いた。練習を終えて布団に入っても、なかなか寝付けない。狭い部屋では布団を二組敷く余裕はないので、毛布だけは別にして友和と同じ敷布団で寝ている。
「まだ起きていたのか。台詞に恥ずかしさが出るのはわかる。頑張れよ」
「ええ、頭ではわかっているんですがなかなか」
「こればかりはなぁ。慣れろとしか言えない」
友和が励ましてくれたが、栄作はなかなか割り切れなかった。
公演している劇が終わると、本格的に次回作の練習が始まった。台詞だけではなく演技も必要になってくる。休憩時間になって、栄作は疲れた顔をしていた。思っていたよりも消耗が激しい。無理をして甲高い声を出さないといけないのだ。
「まさか女性の役を与えられるとは思いませんでしたよ」
「不平は言うな。それにちゃんとした男性の役だぞ」
「一応そうですけどね」
劇の内容は、催眠術にかけられて自分を女性だと思い込んだ男性が、周囲に混乱と騒動を巻き起こすという喜劇だ。役を演じるならば、女性の方が適任だったように思う。女言葉や仕草を覚えるのは大変だ。
「スカートには慣れませんね」
「似合っているぞ」
「先輩が笑いながら言っても、説得力がありませんよ」
女物の下着の着用はまだ免れているが、明るいピンク色の服や清楚なスカートは落ち着かない。スカートに足を取られて転びそうになる。
「そのうち慣れるさ。着ているうちに快感になってくるかもしれないぞ」
「怖い冗談は止めてくださいよ」
栄作は体を抱えて身震いをしていた。
劇場内にある稽古室から玄関に向かうと、占い師の老人が商売をしていた。劇団員からは変人に思われているが、栄作が話しかけてみると面白い性格だ。気分転換になるので、栄作は老人に声をかけることも多い。
「商売は繁盛している?」
「いまいちじゃのぉ」
緑茶の缶を栄作が差し出すと、老人は椅子を進めてきた。温かい茶を美味そうに老人は飲んでいる。
「儂の価値が誰もわかっておらん。話しかけてくれるのはお前さんぐらいじゃ」
老人は誰にも相手にされなくて憤慨していた。
「占いは流行らないのかもね」
「儂とて占いは専門ではないわ。本当は偉大なる魔法使いなのじゃよ」
「へぇ、凄いね」
老人の話に乗って、素直に驚いた振りをする。役者の端くれだけあって、老人には嘘とは見破られなかった。
「うむうむ、この国ではマナが少ないから、魔法もあまり使えないがのぉ。お主が困ったら、力にはなってやるぞ」
「ありがとう。その時はお願いするよ」
ほら吹きではあるが、気の良い老人だ。話していると愉快な気分になる。栄作はしばらく老人の話に付き合っていた。
練習を繰り返して、いよいよ本番当日。劇団長は青い顔をしていた。もう開幕が間近だというのに、催眠術師の役を与えられた劇団員が、事故で重傷を負ったという連絡が来たのだ。大した役ではないが、人手が足りていない。
「団長、占い師のお爺さんならどうでしょう」
代役をどうしようか悩んでいる最中に、栄作はふと閃いて団長に進言してみた。老人はいつも暇そうにしているし、枯れた雰囲気が催眠術師には似合いそうだ。
「確かに似た雰囲気はあるな。よし、頼んでみるか」
今日を乗り切れば、代役を別に立てることもできる。団長に頼まれて、栄作は劇場の出入り口まで急いだ。それなりに来場者はいるというのに、誰も占い師には興味がないようだった。老人は寂しく座っている。
「お願いがあるのだけどいいかな?」
「おぅ、若者よぉ。儂で良ければ力を貸すぞ」
栄作に声をかけられた老人は嬉しそうだった。しょんぼりしていたらしい。
「報酬は少ないかもしれないけど、催眠術師の役をして欲しいんだよ」
「ほほぅ、それは魔法使いの一種なのじゃな。儂に相応しい役目じゃのぉ」
「うん、それで僕を女にする魔法をかけて欲しい」
老人が勘違いしている部分もありそうだが、栄作は話を簡潔にしようと端折って説明した。
「うぅん、そうか」
「難しい?」
「偉大なる魔法使いに不可能はないのじゃ。引き受けはするが、一度というのはのぉ」
あっさり引き受けてくれると思ったが、意外にも老人は渋い顔をしていた。一回だけの出番というのは気に入らないらしい。
「あ、いや、しっかりやってくれれば次もあると思うよ」
「そうかそうか。マナが足りないからのぉ。何度もしたいのじゃよ」
「わかった。僕からも団長には伝える。頼りにしているよ」
「任せておくのじゃ。女にする役目は完璧にこなしてみせよう。お主の先輩とうまくいくことを祈っておるぞ」
老人が張り切って劇に参加してくれるようで、栄作はほっと安心していた。これなら素人でも大丈夫かもしれない。
「この呪文と動作は間違っておるぞ。安心せい。儂がきっちりと行ってやるからのぉ」
催眠術師の台本を見せられた老人は、周りが引くぐらいに怒っていた。駄目出しをされた脚本家は不機嫌そうだが、老人の剣幕には逆らえないようだ。今日だけの我慢と思っているのだろう。
「儂は本物の水晶玉を持っておる。それを使わせてもらうぞ」
「わかった。わかりましたよ」
催眠術師の小道具として用意したのは、透明なガラス玉だ。だが、老人の水晶玉は光を反射すると虹色に輝き、明らかに質が違っている。劇団員は魅入られたように言葉を失っていた。

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<つづく>
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