fc2ブログ

Latest Entries

ビーストテイマーズ (1)~(5) By アイニス

挿絵:倉塚りこ
合体版です。

(1)
犬神コウ

 酒場に貼られた手配書を犬神コウはじっと見ていた。ここは酒場であると同時にビーストテイマーのギルドでもあり、依頼の斡旋もしていた。
 ビーストテイマーとは猛獣を手足のように使役する職業だ。大道芸人のように猛獣に芸をさせて糧を得る者もいるが、たいていは人に害を与える生物を退治することで生計を立てている。
「腹が減ったなぁ」
 ぎゅるぎゅると若い獣使いの腹の音が鳴る。酒場に充満している料理の匂いが空腹を刺激した。ここのところ割りの合わない依頼ばかりで、財布の中身は空っぽに近かった。
「いいよ。俺は大丈夫だから」
「くぅーん」
 床で食事を取っていた狼が、申し訳なさそうに乾燥肉をコウに差し出してきた。コウの髪と同じこげ茶色をした狼の毛皮は、艶を失ってくすんでいる。
「ごめんな。今度はお腹一杯に食べさせてやるから」
 猛獣使いのコウにとって、相棒である雌狼のチョコは何にも勝る大切な仲間だ。コウが空腹でも、猛獣使いとして相棒を飢えさせるわけにはいかない。それはギルドにおける暗黙の掟でもある。
「これにするか」
「僕も手伝いましょうか?」
 目標を定めたところで、荒くれ者が集う酒場にはそぐわない、優しげな声がコウを呼び止めた。聞きたくもない声を聞いて、耳の掃除を半年ほど忘れようかと真剣に考える。
「どうしてお前がいる?」
 相席を許可した覚えはないのだが、金髪の少年が真正面に座った。太陽の光を煮詰めたような黄金の髪。エメラルドのような透き通った碧眼が、愛想よくコウを見つめている。
「依頼を終えて帰ってきたところですよ」
 整った身だしなみ振る舞いから貴族の御落胤とも噂される獅堂レイは、仕事の疲れを感じさせない微笑みで答えた。彼の容姿に一目惚れする女性は多いらしい。もっとも、この酒場にまで足を踏み入れる一般人はまずいない。ビーストテイマーの相棒である猛獣たちも酒場でくつろいでいるからだ。
「そんなに簡単に終わる仕事じゃなかったと思うが」
「エルが頑張ってくれましてね」
 主人に名前を呼ばれたライオンがのっそりと頭を上げた。吠えもせず大人しくしているが、獲物に対しては食い殺すまで獰猛になることを一緒に仕事をしたコウは知っている。
「マスター、料理をお願いしますよ」
 多すぎるのではないかと思える食事をレイは注文していた。獲物を追跡している最中は、ろくろく食事を取れないことが多い。仕事帰りでレイは空腹なのだろう。
「エル、お食べ。今日はどうもありがとう」
 主人の合図でライオンは骨付き肉にかぶりついた。テーブルの上にも次々と料理が運ばれていく。湯気を放つ温かな料理を並べられて、コウは涎を垂らしそうになった。胃酸で空腹が痛いほどだ。
「コウ君もどうぞ」
「俺には金がない」
「依頼の報酬が入りますし、僕が奢りますよ」
「施しを受ける理由にはならないな」
 片意地を張っているとは思うが、同年代の者に奢られる気にはなれない。コウは年齢のほぼ変わらないレイをライバル視していた。もっとも、レイは出会った時からコウを気に入ったらしく世話を焼きたがる。歳が近いということで親近感を持っているようだ。
「そうですか……でも、エルがチョコちゃんに分けてあげたいようなので、その許可を頂ければ助かります」
 困ったように笑うレイに心がちくりと痛む。気のいい奴なのだ。
「それは構わない」
 猛獣使いの使役する獣は、野生の獣よりも高い知能と協調性を持っている。とはいえ、種が違うにも関わらずチョコとエルは仲がいい。
「ここのマスターの料理は美味しいですよね。料亭より腕がいいと思いますよ」
 音を立てて飲み食いする他の客と違って、レイの食事は静かで礼儀正しい。レイが食事をしているというだけで、粗末な食器でさえ高級に見えてくる。他愛のない料理がますます豪華に見えて、コウの胃袋を締めつけた。
「困りましたね」
 幸せそうな笑顔で肉料理を食べていたレイの手が止まった。気弱そうな笑顔でコウを見ている。
「困りました。本当に困りました」
「どうしたんだよ?」
 無理難題でもあっさりと解決しそうな人間が困ったというのは珍しい。どんな大事件が起こったのかとコウは身構えた。
「コウ君、助けてもらえませんか?」
「……俺でいいなら」
 単純でお人好しなところもあるコウは素直に頷いた。レイには幾つか借りもある。
「ありがとうございます。いやぁ、空腹で判断を誤りましたよ」
「お前らしくないな」
「ええ、失敗しました。僕一人で片づけるつもりで注文したのですが、料理が多すぎました。手伝ってくださいよ。家訓で食事を残すと、先祖の霊に怒られてしまうのです」
 恐ろしいというようにレイは震えてみせる。あまりにも大根役者な演技にコウは呆気に取られた。もっとも、白々しくはあるが嫌味は感じない。好意で言っているからだろう。
「わかったわかった。それならしょうがないな」
「ありがとうございます」
 コウはぶっきらぼうに言って、焼きたてのローストチキンにかぶりついた。脂肪の旨みが舌で踊って、相手がレオでもチークダンスをしたくなるほどだ。ここ数日は野草と塩スープだけだったので、胃袋が喜んでいるのがわかる。食べ始めると夢中になって手が止まらなくなった。スキンヘッドをした強面の親父が作っているとは思えない味である。
「誰かと一緒に食事というのは楽しいですね。一人だと味気ないですよ」
 料理の半分以上を食い荒らされたというのに、レイは嬉しそうだ。
「ごちそうさん。ああ、美味かった」
 久しぶりに満たされた気分になった。テーブルには空になった皿が積み上げられている。レイは食後のお茶を嗜んでいた。
「なぁ、どうして俺に良くしてくれるんだ?」
 疑問に思ってコウは尋ねてみた。
「月のお告げです」
「はぁ?」
 素っ頓狂な答えにコウは開いた口が塞がらなくなった。猛獣使いは獣と寝食を共にするという職業柄、自然を崇拝していることが多い。そこから考えればレイの答えはおかしいというわけではない。だが、論理的に見えるレイが言うと奇妙に感じる。
「あなたを初めて見た時に衝撃が走りました。運命の出会いを感じましたね。あれは間違いなく天のお告げです」
「そ、そうなのか」
 夢見心地な顔で言われて、コウの背筋に怖気が走った。尻の穴がむずむずする。
「僕のパートナーになってください!」
 女性の話題を独占できる優雅な顔が、獲物を追う獣のような速さでコウに迫る。餌で太ったところを食われる家畜のような恐怖をコウは感じた。逃げ腰になったコウの手を包むようにしてレイが握り締める。
「か、考えておくよ」
 パートナーというのはコンビを組むという意味だろう。その方が依頼の成功率は高くなる。ただ使役する獣の相性もあるので、猛獣使いは大人数でチームを組むことは少ない。もう一つの意味も考えられたが、それはないと思いたい。熱い視線が怖すぎた。
「お願いします」
 にこやかにレイは引き下がり、何事もなかったようにお茶を飲んでいる。幻だったと思いたくなるが、手にはレイの温もりが残っていた。親切なように見えても、過酷な職業に身を染めるくらいだ。狂気が隠されていても不思議ではない。
「今度の仕事が終わったら返事をするよ」
 そう言いながらもコウにはその気はなかった。受けようと思っている依頼の報酬は、隣町のギルドでも受け取ることができる。それなりの金を手にすることができれば、この辺りから離れるのも手だろう。
 慣れた土地を離れるのは痛いが、レイの好意は重いのだ。純粋な好意と笑顔をぶつけられると、何もかも差し出したくなってしまう。罪な男だ。性別が違ったなら、頼りになる男に身を委ねるのも一つの選択なのかもしれないが。
「では、今回の依頼に同行させてもらいますね。二人でやればすぐに片づくでしょう」
 まるでコウの心を読んだようなレイの申し出に、全身の水分が汗となって出そうになる。
「報酬は高くないから、分け前はあまりないぞ」
 これにはやや嘘が混じっている。レイのような凄腕にとってはさほどの報酬ではないが、経験の浅いコウにとっては十分な金額だ。もっとも、報酬に相応しい難易度ではある。
「今回の報酬は僕にはいりませんよ。グリズリーを討伐するつもりですよね? お一人では大変ですよ」
「俺には荷が重いとでもいうのか!」
 内心の動揺を気取られないようにわざと怒鳴る。それにプライドを傷つけられたということもあった。
 レイの推察通り、この辺りに出没するという人食い熊を倒すつもりでいた。コウの腕前では大変だというのは、本人にもわかっている。ただそれを指摘されるのは悔しい。
「すいません。そんなつもりではないのですが……」
「俺とチョコにかかれば、これくらいは楽勝だ。邪魔はするなよ」
 言い捨ててコウは椅子から立ち上がった。
「チョコ、行くぞ」
 ライオンに毛繕いをしていた狼が謝るように低く鳴いて、主人の後ろをついてきた。レイの心配そうな視線が背中に突き刺さったが、コウは後ろを振り返らなかった。
(2)

 酒場から出ると、外は夜の闇が深かった。ギルドで利用できる大部屋で一晩過ごすつもりだったが、その場の勢いで出てきてしまった。外の空気に触れると頭が冷えてくる。頭に血が上りすぎだ。大人気なかったかなと思う。
「今日は野宿だな」
 猛獣使いは野外の暮らしにも慣れている。腹が減っていると虫の音さえ気になって眠れないが、今なら石の上でも熟睡できそうだ。
 ねぐらに適した場所を探して、コウは街の周辺を散策してみた。夜とはいえ月明かりさえあれば、コウは真昼のように視界が利く。
「この辺りでいいか」
 枯れ草が密集した場所を見つけて、コウはごろりと横になった。背負い袋には毛布も入っているが、荒野に慣れた若い体は寒さを感じなかった。
「おやすみ……」
 相棒の頭を撫でてから目を閉じると睡魔が襲ってくる。コウはすぐに寝入ってしまった。

「……ん?」
 熟睡していたコウは気配を感じて目を覚ました。隣を見るとチョコはもう周囲を警戒して目を光らせている。気配を殺して辺りを窺うと、四足で動く豆粒ほどの影が見えた。目を凝らしてじっと姿かたちを確認する。
「グリズリーのようだな」
 もっとも、依頼の個体とは限らない。目標のグリズリーは全身の毛が鈍い銀色で、体長も大きいようだ。目標以外のグリズリーを倒しても骨折り損になる。
「他の奴なら無視しよう」
 襲われた旅人を見捨てられずコヨーテを退治したことがあったが、返り血で真っ赤になったコウを出迎えたのは忌避の視線だった。
 恐ろしい猛獣を使役するということで、猛獣使いは忌み嫌われていた。猛獣使いは変わった性格が多く、異様な風体をしている者もいる。手づかみで血の滴る生肉を食べる者もいるので、人よりも獣に近い野蛮人だと思われているのだろう。
(よし、いけ)
 目標だった場合の作戦を考えて、コウはチョコに思念を送った。足音を消して狼が小走りに駆け出す。
 意識を集中させれば、コウの考えはチョコに伝わる。猛獣使いは儀式によって使役する獣の肉を自らに移植するのだ。これによって絆が深まり、意思の疎通が可能になる。
「餌を取った帰りか」
 今年は餌が少ないらしく、人里に下りてきているのだろう。熊は口元に棒状のものを咥えている。尾の形から魚かと思ったが、この近くに川はない。
「家畜でも殺したのか?」
 気配を殺して近づくと、月明かりに照らされて鈍く光る毛皮が見えた。熊の胸元が真っ赤に汚れている。
「間違いなく奴だな」
 特徴的な毛皮の色は目標に違いない。初日から獲物を見つけたのは幸運だった。何日も熊の痕跡を探して、山野を探索しないですむ。もっとも、罠を仕掛ける余裕はなくなってしまった。真正面から強敵と戦いたくはなかったが仕方ない。ここで逃げたら臆病者だ。それに、レイを見返してやりたい。
「うげぇ」
 目標を視認できる距離で、熊の餌の正体に気づいた。先端が枝分かれして五本になっている。死体は見慣れているとはいえ、口の中が酸っぱくなった。人肉の味を覚えたグリズリーはまた人を襲う。退治しなくてはならない。
(大丈夫、大丈夫だ)
 距離が離れていても威圧感がある。恐怖に身が竦みそうになりながら、弓矢を取り出して構えた。太い弦を楽々と引き絞る。コウの右腕は左腕と比べると濃い毛が密集して生えていた。チョコの肉を植えたのはコウの右腕だ。その影響で並みの人間よりも力が強くなった代わりに、右腕は獣のような毛が生えてしまった。
 コウは幸いなことに狼の肉に適合したが、移植した当時は痛みで眠れなかった。コウとチョコは相性が良かったらしいが、人によっては獣の肉との拒絶反応で、腕が腐って切り落とす羽目になる。
 爪くらいの肉片なのでコウの変化は最小限だが、強さを求めて大量に獣の肉を移植する者もいる。その影響で人とは異なる外見をした猛獣使いはいた。そういった輩が、獣の食生活に引きずられて生肉を食べるのだ。
「はっ!」
 狙いを定めて矢を放ったが、焦りが出たのだろう。距離があるのに一撃で仕留めようと頭を狙ったのも外した要因だった。コウに気づいたグリズリーは唸り声をあげて突進してくる。極度の緊張で体が強ばりそうだ。
「落ち着け、怖気づくな!」
 自分に言い聞かせて、コウは次の矢を射った。だが、肩に深々と刺さった矢をいともせずに、グリズリーは速度を落とさずに駆けてくる。
「間に合うか!」
 もはやあまり距離はない。犬のように鋭い嗅覚が、肉の腐ったような異臭を嗅いだ。胸がむかついて反吐が出そうになる。
「ウオォォンッ」
 人食い熊の巨体に潰されるような威圧を感じたところで、チョコが横からグリズリーを強襲した。熊の後ろ足に噛みついて、動きを封じようとする。
「いいぞ、チョコ」
 苛立ったグリズリーが立ち上がったところで、コウは引き絞った矢を放った。胸に深く刺さった矢は心臓には当たらなかったが、太い血管を傷つけたらしく熊の動きが遅くなった。
「やった、これならいける!」
 手応えのある一撃に喜んだのも束の間、熊の爪がチョコを襲った。頭部から鮮血が飛び散り、狼の足元が崩れる。だが、チョコは必死になってグリズリーに食らいついて離れない。

ビーストテイマーズ(2)修正3

「チョコオォォォッ!」
 ベルトから鞭を引き抜くと、コウは全力で打ちつけた。刃がついていない武器だからといって、破壊力がないわけではない。鋼糸を結い束ねて鞭にしたもので、先端には尖った錘がついている。コウの腕力で打てば強靭な獣の皮を裂き、骨を砕く威力があるのだ。
「グオオォォッ!」
「倒れろ、倒れろよ!」
 半身をもがれるような恐怖がコウを襲ったが、チョコの安否を気遣う余裕はない。一刻も早くグリズリーを倒し、相棒を救わねばならないのだ。
「はぁはぁ、タフだな」
 毒蛇のように鞭がグリズリーを打ち付ける。猛毒の牙で刺されたように、コヨーテなら一撃で仕留められるだろう。だが、分厚い皮と脂肪で守られたグリズリーには、なかなか致命傷を負わせられない。それどころか熊の爪が掠めただけで、肉がえぐれ腕が折れそうになる。
 意地を張らずにレイに協力を求めるべきだったかなと頭の片隅で後悔した。
「くそったれがぁ」
 血を失いすぎて視界が歪む。だが、満身創痍になりながらも、コウは攻撃を緩めなかった。
「ざまぁみろ。チョコ、ご苦労だったな」
 最後に立っていたのはコウだった。忠実な狼は熊が倒れても脚に牙を突きたてたままだ。コウが話しかけても反応を示さない。
 コウは膝をついた。やけに体が重い。体重は軽くなっているはずだ。何しろ腹のど真ん中に風穴が開いて、見晴らしが良くなっている。
「あーあ、今回の報酬で腹が裂けるほど食うつもりだったのに」
 こんな有様ではいくら食っても満腹にならないではないか。これでは食費がかかって仕方がないなとコウは苦笑した。苦笑いを浮かべたまま、コウは地面に倒れ伏した。

 雪国で吹雪に襲われたように体が寒かった。全身の血肉が凍りつき、指先すら動きそうもない。死後の世界はこんなに冷たいのかとコウが絶望したところで、焚き火にあたるような温もりを感じた。突如として出現した金色の光は、抱きしめると温かくて心が休まる。
「んぅっ?」
 目を覚ましたコウはベッドに寝かされていた。清潔な毛布がかけられている。見知らぬ天井だった。ベッドの他には小さなテーブルと椅子、それに花を飾っていない花瓶が置いてある。簡素な部屋だ。二度と目を覚まさないものかと思ったが、心臓はまだ鼓動を刻んでいた。
「どこ……」
 心当たりのない場所で疑問を口にしようとしたが、喉が枯れて声が掠れていた。唾を飲みこんだが、喉の渇きは癒えそうにない。
「やけに隣が温かいな」
 何かを抱きしめてコウは眠っていた。クッションにしては固い。布団を少しめくると、金色に輝くボールがある。撫でてみるとさらさらとした手触りだった。
「髪の毛?」
 太陽のような光沢を放つ髪の下には、目、鼻、口といった人間のパーツが揃っている。男でも見惚れてしまうような整った顔が間近にあった。

(3)

「目覚めたようですね。おはようございます」
「ええぇぇっ?」
 大きな声にはならなかったが、内心の動揺は果てしない。コウはレイの体をしっかりと抱きしめていた。しかも、レイは裸のように見える。
「ど、どうして?」
「ここは僕の家ですからね。僕のベッドで僕が寝ていてもおかしくはないでしょう」
「い、いや、おかしいだろ……」
 頭が混乱する。コウは深呼吸を繰り返してどうにか頭を落ち着かせた。まずは全身でがっしりと抱きしめていたレイから体を離す。温もりから遠ざかるのは惜しい気がしたが、男に抱きつく嫌悪感の方が勝った。
「いたた……」
 ショックから立ち直ると、体中が痛み出した。ほぼ全身を包帯で巻かれている。ただ自分の傷よりもチョコの安否が気になった。
「チョコはどこだ?」
「……助けられませんでした」
「そうか。まだチョコが近くにいる気がするよ……」
 チョコの気配がまだあるように感じるのに、姿がないのは悲しかった。せめて亡骸だけでも近くに置いて欲しかった。
「お前が俺を助けてくれたのか?」
「エルが異変に気づきましてね。街の外れで血痕を見つけて追いかけたところ、コウ君を発見したというわけです」
「……それはあとでエルにお礼を言わないとならないな」
「え、ええ。そうですね」
 主人に褒められなかった犬のようにレイがうなだれたので、コウはおかしくなってしまった。枕に顔を押しつけて声を殺して笑ってから、
「レイもありがとう。助かったら、パートナーになってもいい」
 感謝の言葉にレイの顔が喜色で輝いたが、コウは助かるとは思っていない。腹の怪我はどう見ても致命傷だった。少しだけ命を長らえるのが関の山だろう。
「どんなことをしても助けますよ」
 レイは優しい笑顔を浮かべたが、目だけは爛々と光っている。魂を吸い込まれそうな双眸の輝きは、不気味な感じがした。
「まずは水をくれ」
 傷が熱を帯びて全身がだるい。喉の渇きは耐え難くなっている。
「わかりました。薬湯をお持ちしますね」
「苦いのは嫌だぞ」
「良薬は口に苦いものですよ」
 ベッドから立ち上がったレイはパンツだけ履いていた。露出した股間を押しつけられていないとわかって、コウは心底ほっとした。
 服の上からではわからなかったが、レイはしなやかで引き締まった肉体をしていた。躍動する筋肉は美しささえ感じる。だが、古傷があちこちにあって、レイの狩人としての経験を物語っていた。
「どうかしましたか?」
「何でもない。早く飲み物をくれよ」
 惚れ惚れするような肢体につい感心してしまった。
「見るのが怖いな」
 レイが部屋を出てから、コウは恐る恐る毛布をどけてみた。腹の傷が気になったのだが、厚く包帯を巻かれていて中の様子はわからない。腹は痛いよりは痒いという感じだった。傷口が膿んで腐っているのかもしれない。
「血はもう出ていないのかな」
 手足に巻かれた包帯は赤く滲んでいたが、腹に巻かれた包帯は白いままだった。包帯の上から腹を撫でてみたが、何も感じられない。大怪我をしたのが疑わしくなるが、腹を貫通した衝撃はまざまざと思い出すことができる。あれが幻だったはずがない。
「あと何日生きられるかな」
 ほとんど外傷はなく依頼から帰ってきた猛獣使いが、打ち上げの最中に急死したのを見たことがある。死と隣り合わせの職業なのでコウは覚悟を決めていたはずだが、緩慢に死を迎えるのはやり切れない。
「お節介な奴だよなぁ」
 チョコと一緒に死なせてくれれば、あと腐れがなかったのにと思う。レイに看取ってもらうのは面白くないが、こうなったらもう割り切るしかない。足が棒のようで、一歩も動けなかった。
「お待たせしました」
「うぇ、まずそう」
 レイが持ってきたカップから立ち上がった湯気で、景色が歪んでいる気がした。コウは露骨に顔を歪めて、どろっとした液体を見る。暗緑色をした薬湯はお世辞にも美味しそうには見えない。
「ゆっくり飲んでくださいね」
「一気に飲み干して存在を消したくなる……」
 立ち上がる湯気は、鼻の奥を刺激する。己の鋭い嗅覚を呪いたくなった。毒のようにも思えたが、ここでレイが意地悪をするはずがない。喉の渇きには耐えられず、コウは仕方なく舌を伸ばした。
「……あれ、甘い?」
 苦みは一瞬で、爽やかな酸味が広がる。その後に染み入るような甘さが続いた。見かけによらず飲みやすい。
「蜂蜜と金柑を混ぜてあります」
「へぇ、他には?」
「患者の安寧の為に秘密です」
「ぶはっ」
 人差し指を唇に当てて笑ったレイの顔に、思わず霧吹きのように薬湯を吹いてしまった。蛇や蛙を焼いて食べたことのあるコウでも、不安をかられてしまう。
「気になるなぁ。教えろよ」
「我が家の秘伝ですので。パートナーになったら教えますよ」
「くっ、絶対だぞ」
 時間をかけてコウは薬湯を飲み干した。喉から入った液体は、胃らしきものに落ちる感覚がある。錯覚なのかもしれないが、腹に巻いた包帯に液体が染み出る気配はない。
「うっ……」
 一息ついたところで、尿意が込み上げてきた。しばらくは我慢していたが、長くは耐えられそうもない。コウが冷や汗を流して焦っていると、
「気づかなくてすいません」
 レイは花を生けていない花瓶を手に取った。花瓶なんてどうするのだろうとコウが思っていると、レイは慣れた様子で布団をめくった。コウの体は包帯にぐるぐる巻きにされているとはいえ、股間は露出している。尿意を催して勃起していた。男同士とはいえ、間近で見られるのは恥ずかしい。
「な、何を?」
「どうぞ」
 花瓶を股間に添えて、レイは微笑んでいる。どうやらここでしろということらしい。羞恥でコウは真っ赤になったが、他に手段はない。このままでは漏らしてしまう。
「う、ううっ……」
「ここ数日で見慣れていますから何でもありませんよ」
 意識のない間、ずっと下の世話をしてくれたようだ。レイは全く平気な顔をしているが、コウは舌を噛み切りたくなった。
「手は動きそうだから、花瓶は近くに置いてくれ」
「いつでもお手伝いしますからね」
 腕にもさほど力は入らないが、このままでは恥辱で死にそうだ。
「爪が伸びていますね。お切りしますよ」
 レイの甲斐甲斐しい態度に閉口しそうになるが、コウは黙って右手を差し出した。爪の手入れは最近したつもりだったが、鋭く尖っていた。爪で怪我をしてもつまらない。
「両手とも爪が伸びているな」
 右手は狼の組織を移植したせいで爪が伸びやすいが、左手も同じようになっていた。利き腕ばかりに気を配って、左手が疎かになっていたのだろうか。
「失礼しますね」
 令嬢の手を取るような紳士的な態度で、レイは小型のナイフで爪を削いでいく。あまりに丁重な振る舞いに戸惑うが、悪い気はしない。くすぐったい気持ちになる。
 ヤスリで爪に丁寧に磨きをかけてから、レイはふっと息を吹いた。爪が美しく湾曲して、まるで他人の指のようだ。仕上げに甘い香りのオイルを塗りこんでいた。
「爪なんてまた伸びるぞ」
「僕でよければまた手入れをしますよ」
「それに余計な匂いは狩りの邪魔だ」
「でも、ローズの香りは素敵ですよ」
 高価な香油なのだろう。爪先から優雅な香りが漂っている。動けそうもないし、悪くはない匂いだ。わざわざ反論するのも面倒だと思って、コウは為すがままになっていた。芳しい香りを嗅いでいると気分がリラックスして、目蓋が重くなってきた。
「……眠い」
「ゆっくりと休んでください」
 目を閉じると、コウは睡魔に身を委ねた。高貴な香りに包まれて、王侯貴族のバラ園で昼寝をしているようだった。

(4)

 コウが目を覚ますと窓から茜色の光が差していた。街が赤く染まっている。半日は寝ていたようだが、寝足りない気がする。コウは警戒心の欠けた寝ぼけた顔で、ぼんやりと室内を見ていた。
「起こしてしまいましたか。すいま、ぐふっ!」
「お、脅かすなよ!」
 間近にレイの顔があったので、驚いたコウは思わず殴ってしまった。力の入らない拳だが、当たり所が悪かったらしい。レイは鼻血を流していた。
「こ、これくらい唾をつけておけば治る」
 罪悪感からコウはレイの頭を掴むと顔を近づけた。赤い血がやけに鮮やかで目を奪われる。コウは意識しないままに舌を熱心に動かしていた。舌先が痺れるようだ。
「ふぅ、これで元通りだ」
「え、ええ」
 心なしか頬が紅潮した顔でコウは呟いた。レイの顔には鼻血の代わりに唾液がべっとりと塗られている。不意打ちにレイは呆然とした顔をしていた。
 毅然とした態度を崩さないレイが狼狽しているのは面白いが、コウも自分の行動が不可解だった。結局は寝起きでぼけていたからだと思うことにした。そう理由をつけないと、決まりが悪い。
「腹が減っているから奇妙なことをしたんだ」
 胃袋はないはずだが、腹がやけに空いている。
「包帯を取り替えていましたので、食事はもう少し待ってくださいね」
 コウの右腕には解けかけた真っ白な包帯が巻かれていた。血の滲んだ包帯は床に散らばっている。膏薬が塗られた腕に青痣は残っているが、傷は塞がりかけていた。腹の具合が気になったが、包帯は巻き直したあとだった。
「腹の怪我はどうなんだ?」
「順調に治っていますよ」
「信じられないなぁ。希望を持たせなくてもいいんだぞ」
 半信半疑だったが、具合は悪くはない。全身が痒くて関節が熱を持っていたが、寝る前より体調は回復していた。
「膏薬には効果がありそうだけどさ」
「ドルイドに教えを受けたことがありましてね。その知識を生かして僕が独自に調合したものですよ」
 ドルイドとは自然を崇める司祭のようなものだ。動植物の扱いに熟練していて、特殊な儀式を行うこともある。ビーストテイマーならお世話になる存在だ。
「では、夕飯の用意をしてきますね」
 包帯を取り替え終わると、レイは部屋から出た。その隙にコウは花瓶を取る。まだ歩けないが、体は起こせた。情けないと思いながら、布団をめくる。股間は煮えていたが、ふにゃふにゃとしていた。
「まだだ。まだ戻ってくるなよ」
 尿の出が悪くて膀胱が空になるまで時間がかかった。まるで見ていたかのように花瓶を置くと同時にレイは戻ってきた。
「どうぞ」
「……リゾットか」
「消化のよいものがいいですよ」
 胃袋はないはずなのに、腹の虫が鳴っていた。コウは肉が食べたかったが、重いものは体の負担になるだろう。レイから皿を受け取ろうとしたが、口に差し出されたのは木のさじだった。
「一人で食えるぞ」
「無理はいけませんよ」
 物腰は柔らかだが、レイは頑なに皿を渡そうとしない。苛立ったが空腹に負けてコウはさじを咥えた。
「……うまい」
 鶏肉のだしが効いていて味わい深い。夢中になって食べるとあっという間に皿は空になった。
「もっと食べたい」
「もう少し体調が回復するまで我慢してくださいね」
「……わかった」
 もっともだし、居候の身の上だ。命を救われて、我侭も言えない。おあずけを食ったコウは名残惜しそうに木のさじをがじがじと噛んだ。そんなに強く噛んだつもりはなかったが、木のさじに歯型が残っていた。
「食べたらまた眠くなってきた」
「少し早いですが僕も寝ますね」
 大欠伸をしたコウが目蓋を擦っていると、レイは服を脱ぎ始めた。奇抜な行動にコウは眠気が吹っ飛んだ。
「おま、ここでどうして服を脱ぐんだよ?」
「寝る時は裸になった方が、開放的な気分になって好きなんです」
 レイには一切のためらいはない。パンツまで脱ごうとしていたので、コウは目をどこに向けたらいいのか困った。パンツから顔を出したのは、堂々とした巨砲だった。長さも太さもコウの完敗で、男として悔しくなる。
「せめてパンツは履いてくれ」
「失礼しました。いつもの習慣で」
 悪びれない笑顔で言うとレイは下着を着けた。安心したのも束の間、美少年は布団に潜りこんできた。二人で寝るには少々狭いベッドだ。必然的に肌を接することになる。人肌の温もりが忍び寄って、コウは落ち着かない気持ちになった。
「な、なぁ? どうしてここで寝るんだよ!」
「もしコウ君の体調が悪化した時は、近くに人がいた方がいいでしょう」
「う、そうかもしれないが……」
 他人のベッドを占領しているのはコウだ。レイに冷たい床で寝ろとは言いにくい。それに近くに人がいるのは安心できた。苦楽を共にした相棒を失って、心細くなっているのだろう。
「俺は寝相が悪いからな。覚悟しておけよ」
 憎まれ口を叩いて、コウは目を閉じた。レイの逞しい肉体に触れていると、何者からも守ってくれそうで安心できた。

 冴え冴えとした白い月が輝いている。真夜中にコウは息苦しさを感じて目を覚ました。息をしようとすると、下腹部が重苦しい。内臓を蛇に絞めつけられるようだ。
「はぁはぁ、一時的に持ち直しただけか」
 手足が氷のように冷たくなって、体の震えが止まらない。震えで歯の根が合わず、犬歯がかたかたと大きな音を立てる。耳障りな音だ。耐え難い悪寒に、温もりを求めてコウはレイを抱きしめていた。真冬に暖炉に当たっているように癒される。
「大丈夫ですか?」
「お前は湯たんぽの代わりだから黙っていろ」
「わかりました」
 軽く笑うとレイはコウの背中に手を回して体を密着させてきた。レイの体温が浸透するにつれて、悪寒が弱まった気がする。気を失うようにして眠るまで、コウはレイの熱に浸っていた。

 翌日は下半身の寒さで目覚めた。腹はまだ重たかったが、悪寒は治まっている。ぐっしょりと濡れた感覚に怖気を感じながら布団をめくると、嫌な予感は的中していた。
「やってしまった……」
 下半身が冷えたせいで、股間は小さく萎縮している。足に巻いた包帯が黄色く染まっていた。シーツの被害は大したことはないが、水玉模様がついていた。
「参ったな」
 寝小便をしたのは両親がまだいた幼子の頃だ。醜態をさらして穴を掘って隠れたくなる。レイの姿はなかったが、証拠隠滅を謀ろうにも足は萎えていてまともに歩けない。
 羞恥で悶えていると、服を着て身だしなみを整えたレイが戻ってきた。新しいシーツと布団を抱えているのを見て、コウはさらに顔を赤くして観念した。ばればれらしい。
「足の包帯を外しますね」
「う、その汚してすまない」
「気にしないでください。何でもないことですよ」
 穏やかな顔でレイは包帯を解いていく。その後にお湯で絞ったタオルで股間と足を拭いてくれた。思いやりのある態度にコウの対抗心は溶けていくのを感じた。
「これなら薬を塗るだけで大丈夫ですね」
 軽症だったこともあり、足の傷は塞がっていた。歩けずに衰えた足が細く見えたのは仕方ないが、足首に太い毛が密集していたのは気になった。
「グリズリーの呪いってことはないよなぁ」
 長い年月を経た獣は知恵をつけて、人に化けてたぶらかしたり、人を呪って災厄を起こしたりすると噂で聞いたことがある。コウは迷信深い方ではないが、人を食った獣は悪賢くなるともいう。
「俺も大人になったということか」
 猛獣使いには毛深い人間が多い。コウは髭が生えてないし、体毛は薄い方だった。年を取るについて体質は変わるともいうし、気にしなくてもいいだろう。それに命が助かるかどうかもわからないのだ。

(5)

 寝小便の後始末が終わると、レイは朝食を持ってきた。小麦粉のパンとスープだ。白いパンはふっくらとしていて香ばしい匂いがする。コウがいつも食べている固い黒パンとは雲泥の違いだ。
「うう、肉が食いたい」
 白いパンは美味しかったが、柔らかいので溶けるように口に吸いこまれてしまった。体の調子を慮ってくれているのだろうが、食べた気がしない。
「怪我が治ったら全快パーティでもしましょうか」
「やっぱりわからないな。俺を助けてもレイに利益があるとは思えない。お前なら一人でも依頼をこなせるだろ」
 猛獣使いは動物、特に相棒に対しては親しみを持つが、他人に対しては無関心が多い。必要なことしか喋らず無口な猛獣使いは珍しくない。その中で社交的なレイは異端だ。
「……コウ君に姉の面影を感じたのかもしれませんね」
「ふーん、そうか」
 レイの口調からその姉は亡くなっているのだろう。面構えに力がないと言われたようで面白くはないが、現実問題としてコウには実力がない。女子供扱いされても文句は言えなかった。
「まぁ、いいさ。レイに助けられなければ落としていた命だ。お前が姉さんを世話するように俺を扱っても受け入れるさ」
「そう言ってもらえると僕も気が楽になります」
 悩みから解放されたようにレイは晴れ晴れとした顔をしていた。極上の笑顔だったが、コウはどこか危うさを感じた。
 コウに姉の姿を投影しているとしたらまともではないだろう。
「裸のままだと少し肌寒いな。傷は治ってきているようだし、下着だけでも取ってきてくれないか?」
 空気が濁ったような危険な感じがして、コウは話題を変えた。足から包帯がなくなったせいで、少し寒く感じる。
「コウ君の服は破けていたので、代わりの物を用意しますね」
 熊の攻撃で服はずたずたにされていたし、血で汚れてもいた。愛用していた服だが、汗と泥の臭いが染みついていた。衛生的には問題があるし、処分されても仕方ない。
「何だよ、これは?」
「温かいと思いますよ」
「確かにそうだけどさ」
 レイが持ってきたパンツを履いてみたが、慣れない代物にコウは困惑していた。レイが用意したのは毛糸を編んだパンツだった。温かいので下半身が冷える心配はないだろう。ただちょっと尻の辺りがぶかぶかするし、デザインが気になる。茶色い布地には股間に可愛い犬が縫ってあった。女物のように見える。
「この犬っぽいのは何だ?」
「チョコちゃんの毛を拝借して、狼を描いてみました」
 どうやらこの毛糸のパンツはレイが編んだらしい。手先の器用な奴だ。
 女性が履くようなデザインだったので脱ぎたかったが、チョコの形見だとわかれば話は別だ。相棒が近くにいて守ってくれる気がする。猛獣使いは死んでしまった獣の毛皮や羽で身を飾ることがある。そうすると、獣の霊が守護してくれるのだそうだ。
「チョコが近くにいてくれるようで、安心するな」
「それとこちらをどうぞ。渡しそびれていました」
 レイが手渡したのは首輪だった。ビーストマスターの扱う獣は、首輪や腕輪をつけて野生の獣と区別をしている。皮製の首輪からはチョコの体臭がした。懐かしさにコウは首輪を自分の首に巻いていた。
「元気になったら墓を訪れたいな」
 チョコを埋葬してくれたのだろう。レイに墓の場所を聞きたいが、ろくに動けない状態では教えてもらえそうにない。相棒の為に無理をする獣使いは多い。それで命を落とすこともある。ただコウにはさほど焦りはなかった。チョコの死を確認したわけではないし、錯角でも近くにいるような気配があった。呼びかければやってきそうだ。
「チョコ」
 呼びかけるようにして思念を飛ばす。もちろんチョコは現れない。
「いたたたっ」
 悲しく思っていると、腹がずきりと痛んだ。すぐに収まるかと思ったが、痛みはどんどん激しくなっていく。内臓が暴れて腹が弾けそうだ。物を食べた直後に腹痛を起こすということは、万全にはまだほど遠いらしい。
「これはいけませんね」
 悩んだ顔をしたレイだが、それは一瞬。レイはドルイドが唱えるようなまじないを口ずさむと、白い光を放つ右手をコウの腹に押し当てた。どこかで見たような光だが、コウには考える余裕はない。吐き気をこらえるのが精一杯だ。
「はぁ、楽になってきた」
「僕は未熟ですね。やはり本職の方には及びません」
 白い光がコウの腹に吸いこまれると、腹の具合が落ち着いてきた。コウを瀕死から救ったのはドルイドの呪文のようだ。ただドルイドではない者がみだりに呪文を使うことは戒められている。未熟な者が使えば災厄を起こしかねない。命を救われたとはいえ、コウは不安になった。
「おいおい、大丈夫か?」
「コウ君が不安になると思いましたので、見せたくはなかったのですけどね」
「下手に使うと罰せられるんじゃないか」
 罪人には鞭打ちが科せられる。屈強な男でも泣きが入るような拷問だ。
「ばれなければ問題ありませんので、秘密にしてくださいね。それにコウ君を助ける為ならば、鞭打ちにも耐えてみせますよ」
 悪戯がばれた子供のような顔をして、レイは頭をかいて笑っている。コウを助ける為に危ない橋を渡っているのに、気負った様子はない。その姿には安心できるものがあった。

 翌日になると腕の調子も回復してきていた。包帯を解くと切り傷は塞がって、青痣は色が薄くなっていた。怪我の治りが早い気はするが、ドルイドの呪文のお陰かもしれない。
「うーん、左腕も毛が濃くなってきたなぁ。まさか本当に熊の呪いじゃないだろうな」
 殺した動物の呪いで同じ動物にされてしまうのは、昔話で聞いた覚えがある。左腕も狼の力を備えた右腕と同じように毛深くなっていた。
「あ、熊といえば金をもらうのをすっかり忘れていた」
 体調が改善に向かうと現金なもので、グリズリーの報酬が惜しくなってくる。コウの生活ならば、一ヶ月を余裕で暮らせたのだ。
「報酬なら僕が預かっていますよ。グリズリーの件はギルドに報告しておきました」
 金の心配はいらないと言われて、コウは安堵した。
「グリズリーの毛皮もなめしています。銀色とは珍しいですからね。加工してみたら面白そうです」
「お前なら職人にもなれるんじゃないか」
 猛獣使いとは違って、巧みな技で物を作る職人は尊敬の念を集めやすい。定住できるだろうし、生活も安定するだろう。レイならそれも可能なはずだ。
「それも悪くはないでしょうけどね。若いうちはあちこちを見て回りたいのですよ。それに猛獣使いをしていなければ、コウ君に出会えませんでしたからね」
 てらいのない表情で言われると、照れくさくなってくる。コウは表情を隠すように顔を手で擦った。顔の脂がべっとりと指先につく。
「あちこちが痒いなぁ」
 ここしばらくは入浴をしていない。垢が体にこびりついている。治りかけの傷が多いので、余計に痒いのだろう。
「まだお腹の具合は思わしくはないので、タオルで拭くだけにしておきますね」
「あぁ、そこそこ。ふぅ、たまらないなぁ」
 お湯で絞ったタオルで顔や首を拭われるだけでも、かなりの爽快感があった。白いタオルがあっという間に黒ずんでいく。垢が溜まっているようで、ぼろぼろと剥がれ落ちた。
「これはお湯を張らないと駄目ですね。傷の治りにもよりますが、明日準備をしておきますよ」
「いや、楽になったよ」
 コウがさっぱりとした首を撫でると、肋骨の辺りで毛に触れた。産毛のように柔らかいが、肩にまで生えている。胸毛が生えてきたと思ったが、顎を触ってみるとつるりとしていた。髭も濃くなっているのかと思ったが、顔には変わりがないようだ。
「なぁ、俺って熊っぽくなってないか?」
「そんなことはないですよ。端整な顔だと思います」
「それはお前だろ」
 あまり神経質になっても仕方がないか。それに酒場のはげ親父だって、若い頃は凛々しかったと聞く。自分の末路があのつるっぱげと同じになったら寒いが。
「今日の朝食は鶏肉のシチューか。うまい!」
 腹が満たされれば、楽観的なコウは些細なことは気にしなかった。

<つづく>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://okashi.blog6.fc2.com/tb.php/14645-b69c791d

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

FANZAさんの宣伝

 

初めての人はこちら

ts_novel.jpg

 

性の揺らぎに関する作品でお勧めのもの

ts_syouhin_20090318225626.jpg

 

性の揺らぎに関する作品(一般)

ts_syouhinもと

 

FANZA専売品コーナー

ブログ内検索

 

最近のコメント

プロフィール

あむぁい

  • Author:あむぁい
  • 男の子が女の子に変身してひどい目にあっちゃうような小説を作ってます。イラストはパートナーの巴ちゃん画のオレの変身前後の姿。リンクフリーです。本ブログに掲載されている文章・画像のうち著作物であるものに関しては、無断転載禁止です。わたし自身が著作者または著作権者である部分については、4000文字あたり10000円で掲載を許可しますが、著作者表記などはきちんと行ってください。もちろん、法的に正しい引用や私的複製に関しては無許可かつ無料でOKです。適当におだてれば無料掲載も可能です。
    二次著作は禁止しません。改変やアレンジ、パロディもご自由に。連絡欲しいですし、投稿希望ですけど。

 

全記事表示リンク

月別アーカイブ

 

最近の記事

 

カテゴリー

新メールフォーム

イラスト企画ご案内

20080810semini.jpg

 

リンク

RSSフィード

2024-02