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子供の神様 (1)~(5)総集編 by.アイニス

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キャラクターデザイン&挿絵:菓子之助

(1)

 サッカー部に所属する仁田伍良は、部活動を終えて帰路を歩いていた。プロサッカー選手を目指す伍良は、帰りもリフティングをしながらだ。危なげない足さばきでボールをリズミカルに操っている。顔立ちが凛々しいこともあって、密かに女の子のファンも多い。だが、その表情は冴えなかった。
「少し寄り道をしていくか」
 歯をきつく噛み締めて、伍良は街の中心部に向かった。立ち寄ったのは、今にも崩れそうな神社だ。ここに祀られた神は、信仰されなくなって久しい。誰も手入れをする人間はおらず、膝の高さまで伸びた雑草が生い茂っている。神社を取り潰して、公園になることが決まっていた。
「忌々しいな」
 伍良は神社を睨みつけた。彼の父親は請負大工で、神社の撤去作業に参加していた。だが、不可解な事故があって、工事に参加した作業員は、怪我を負う羽目になった。父親は足の骨を折る重傷で、仕事ができないでいる。神社の敷地には、故障を起こした重機が置かれたままだ。
「神罰なんて俺は信じないぞ」
 祟りがあったと噂されて、工事は中止になっている。伍良は父親の仇とでもいうように、神社に向けてサッカーボールを蹴った。風を切って唸りを上げるボール。伍良は神社の一部でも壊してやろうと目論んだのだ。
「あれ?」
 怒りに目が曇って、神社をよく見てなかった。狙いを定めたところにボールは飛んだが、そこには空間が広がっているだけだ。神社の戸が開いていて、暗闇にボールが飛びこんでいく。誰も訪れる者がいない神社だ。まさか戸が開いているとは思わなかった。
「ぬわぁぁっ、いったぁぁっ!」
 神社の中にボールを取りに行こうと考えていた伍良は、鼓膜を裂くような大きな悲鳴に度肝を抜かれた。臆病ではない伍良だが、異様な叫び声に体が硬直する。女のような甲高い声だったが、猛獣のような呻きが含まれていた。本能的な恐怖を呼び覚まされたが、ボールは父親が買ってくれたものだ。そのまま放置はできない。
「……誰かいるのか?」
 恐る恐る暗い神社の中に足を踏み入れると、じたばたと小さな影がのた打ち回っていた。
「許さん、許さんぞ。祟ってやるぅ、呪ってやるぅ」
 金切り声で呪詛を唱えていたのは、小柄な女の子だった。まるで浮浪者のように薄汚い姿をしている。古代の人間のような簡素な服を着ていた。確か貫頭衣というはずだ。白かった生地は、垢と埃で茶色っぽくなっている。腰まで伸ばした髪は、手入れもされずにぼさぼさだ。女の子とは思えない酷い格好をしている。声をかけるのは躊躇われたが、どうやらボールは女の子に当たったらしい。
「あ、あの、大丈夫?」
「たわけっ! 大丈夫なわけがあるかぁ!」
 赤くなった女の子の顔には、くっきりとボールの跡が残っていた。少女は足音を響かせながら、恐ろしい剣幕で伍良に近づいてくる。拳をきつく握り締めていた。
「神の怒りを、ぐわあぁぁっ、あ、足がぁっ!」
 怒りに燃える少女が拳を振おうとした瞬間、老朽化に耐えられず床は踏み抜かれていた。足が折れたような鈍い音が響く。生々しい音を聞いて、伍良まで冷や汗が出てきた。女の子はあまりの痛みに声も出せないらしい。
「うううぅぅぅっ」
 鬼のような形相に伍良は震え上がった。女の子がしてはいけない表情をしている。床に深く足が突き刺さって動けないようだった。
「い、今のうちに逃げよう」
「くわぁぁっ、許さん! 呪ってやるぅ、祟ってやるぅ!」
 腰が抜けていたが、這うようにして逃げ出す。地獄の底から響くような声を出して、少女は伍良に向けて手を伸ばした。殺気に似たものを感じて、伍良の肌が粟立つ。禍々しい風が吹いて、黒い塊が伍良の背中を打ち抜いた。
「くはっ……」
 前のめりになって、息が止まる。全身に悪寒が走ったが、伍良は必死に足を動かした。体から大量に出た汗が冷たい。
「な、何だったのだろう……」
 神社からかなり離れて、ようやく息を整える。少女の鬼気迫る表情に怯えて、恥も外聞もなく逃げてしまった。小学生のように幼かったが、まさか女の浮浪者が住み着いているとは思わない。
「今日はもう疲れたな」
 サッカーボールを神社に忘れたことを思い出したが、取りに戻ろうという気力はなかった。体から寒気がする。今日は早めに風呂に入って寝た方が良さそうだ。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 家に帰ると母親の作る夕飯の美味しそうな匂いがした。あの少女の顔を思い出す。家族はいないのだろうか。頬が痩せて健康状態は悪そうだった。空腹だと人は怒りやすくなる。明日は謝るついでに手土産を持参した方がいいかもしれない。
「ううっ、体が少し熱っぽい」
 部活動で汚れた体を洗おうと、伍良は脱衣所で裸になった。額を触った感じでは熱はないが、関節が熱を持って軋んでいる気がする。部活動に熱心なので、疲れが溜まっているのだろうか。明日は休日なので、伍良はゆっくり体を休めようと思った。
「手足がだるくて力が入らないな。心なしか腕が細く見えるよ」
 筋肉質で鍛えられた体が、いきなり痩せたように思えた。胸の辺りが熱を持っている。打撲して腫れたように胸の肉が疼いていた。
「日に焼けたのかな。肌が敏感になっている」
 力を入れて体を洗うと、軽い火傷をしたように皮膚が痛む。優しく皮膚の表面を撫でるだけにしたが、どうも体を洗ったという気がしなかった。
「調子が悪いな」
 ゆっくりと浴槽に浸かって疲れを取ろうと思ったが、熱が体に浸透するのが早い。これでも普段より湯の温度は低めにしたのだ。湯あたりしそうになって、伍良は早めに風呂から出た。
 母親が作ってくれた夕飯を見ても食欲がわかない。普段ならおかわりは余裕なのに、胃が食事を受けつけなかった。どうにか茶碗を空にしたが、吐き気がしてならない。
「今日はあまり食べないのね。大丈夫なの?」
「少し部活の疲れが出ただけだよ。寝れば治るさ」
 表情を取り繕って、母親には元気な顔を見せた。萎えている足を叩いて椅子から立ち上がる。歩くだけで眩暈がしていた。
「もう布団に入ろう」
 スポーツニュースを見てから寝ることが多いが、今日は起きているだけで気分がだるい。風呂から出たばかりなのに、脂汗で体が濡れていた。
「やけに縮こまって元気がないなぁ」
 寝る前にトイレに入ったが、股間は萎びて項垂れていた。腰に力を入れても、尿が水滴のようにしか出ない。小便を出し切ったつもりでも、残尿がトランクスを汚していた。金玉が鈍く痛むこともあって、すっきりとしなかった。
「はぁ、寝つけないな。体が熱い」
 寝れば楽になると思ったが、眠気がなかなか訪れない。口から吐く息が熱かった。寝返りを打とうと思っても、体が重くて動かない。
「ううっ、手足が痺れて重い。腹が痛くて死にそうだ」
 無数の寄生虫が内臓に巣食っているような気がした。腹の中を食い破られている気分だ。耐え難い痛みが無限に続く気がして、気持ちが沈んで心細くなってくる。伍良は切ない息を吐きながら、必死に耐え忍ぶしかなかった。

 明け方になって脳の神経が苦痛で焼き切れて、伍良は気絶するように眠った。呼吸は落ち着いている。息をするたびに規則正しく胸が揺れていた。夜通し続いた痛みが嘘だったように穏やかな顔をしている。
「うるさいなぁ。もう少し寝かしてくれよ」
 呑気な顔で寝ていた伍良だが、目覚まし時計の音で起こされた。今日は休みだが、学校に行く時と同じ起床時間だ。口の中で文句を呟きながら、目覚まし時計のベルを止めようと手を伸ばす。ただその手は空中を彷徨って、目覚まし時計を掴めなかった。
「おかしいなぁ。置く場所がいつもと違ったかな」
 目覚まし時計に手が届かないので、伍良は仕方なく起きることにした。目がしょぼしょぼする。口から大きな欠伸が出た。
「んっ?」
 いつもと同じ場所にある目覚まし時計を止めようとしたが、距離が遠く感じられた。体を乗り出さないと手が届かない。自分の体のはずなのに、違和感があった。体を伸ばした拍子に長く伸びた髪が肩を撫でる。散髪には行ったばかりのはずだ。
「……俺の手が小さく見える。む、胸が重たい気がするぞ」
 着慣れたパジャマがだぶだぶだった。胸に奇妙な重さを感じる。眠気はすっかり消し飛んでいた。心臓の鼓動がやけに早い。目の前の光景が信じられなかったが、思い切ってパジャマを脱ぎ捨ててみた。
「な、な、何だぁ! お、俺の胸におっぱいがあるぞ!」
 パジャマを脱いだ勢いで乳房が左右に揺れている。均整の取れた麗しい双乳が並んでいた。
「う、嘘だろ。ぐぎゃあぁっ!」
 目を疑う光景に伍良は焦っていた。思わず乳房を鷲掴みにしてしまう。強烈な痛みが胸を襲って、伍良は甲高い悲鳴を響かせる羽目になった。

20141202初出 (2)

 乳房は夢か幻かと思いたかったが、胸を打った痛みは紛れもないものだ。白い肌に指の跡がくっきりと赤く残っている。目には涙が滲んでいた。痛みに対して涙腺が弱くなっている気がする。
「はぁ、はぁ、俺の体はどうなっているんだ?」
 乱れた息がなかなか整わない。心臓の鼓動は激しいままだ。喉から出る声が弱々しい。まるで小鳥のように可憐だった。動揺は鎮まらないが、体の確認はしたかった。幸いかはわからないが、体の調子は悪くないようだ。不調を訴えていた体の痛みは、跡形もなく消え去っていた。
「うわ、視界が低いな。子供に戻った気分だ」
 ベッドから下りて床に立ってみると、周りのものが大きく感じられた。背がかなり縮んでいるようだ。身長は高かった方なのに悔しい気分になる。スタンドミラーの前に立ってみると、見慣れない少女が大きな瞳で伍良を見返していた。
「……これが、俺なのか?」
 鏡に映る小さな姿が信じられなくて、茫然とした表情になってしまった。目の前にいる少女も同じように顔を変化させる。どうやら本当にこの女の子は伍良のようだ。顔を子細に観察してみれば、男だった時の面影が感じられる。もっとも、顔立ちは幼さが増して可愛らしいものになっていた。勇ましさの欠片もないので、情けない表情になってしまう。
「本当に女になったのかな?」
 胸は確認したが、股間も心許ない気がする。重心となるものが感じられない。
「ない、か」
 股間を触ってみたが、手応えは何もなかった。予想はしていたが、体が震えそうになる。
「ううっ、体が冷えてきたな。どうしよう……」
 思わぬ事態に頭が回転してくれない。上半身が裸のままだったので、急に寒気を感じた。ぶかぶかのパジャマを着直したが、尿意がこみ上げていた。あまり我慢できそうにない。
「トイレに行くしかないか」
 目線と歩幅が違うので、短い距離を歩くのもおっかなびっくりだ。だぶだぶのズボンを手で押さえてないと脱げそうになる。それに両親に見られたらどうしようという心配もあった。
「ぬ、脱がないといけないけど、少し怖いな」
 無事にトイレに入ったが、変わり果てた股間を見るのが恐ろしい。しばらく伍良は立ち尽くしていたが、尿意は耐えられないものになってきた。覚悟を決めてズボンとトランクスを脱いだが、目を閉じそうだった。よろよろと便座に腰かける。細い息を吐きながら、恐る恐る股間に目を向けた。
「……はぁ、やっぱりないか」
 一縷の希望を抱いていたが、股間にあった男の証は跡形もなく消え失せていた。最初からなかったように存在が感じられない。伍良はがっくりと肩を落とした。
「でも、思っていたより大人しい形だ」
 なだらかに盛り上がった恥丘には全く毛がない。脱毛したようにつるつるになっている。その奥には慎ましやかな割れ目が生じていた。未使用なこともあって、ひっそりとした形だ。
「もっとぱっくり口を開いているかと思ったよ」
 別に安心する材料にはならないが、醜悪な形でないのは助かる。伍良は深く息を吐きながら、足を大きく広げた。内側の秘肉が見えそうで、思わず喉が鳴りそうになる。健全な青少年なのだ。興味がないといえば嘘になる。ただ今は尿意を解消するのが先だ。
「くっ……んぅ」
 初めての経験で顔が赤くなる。小さな声が漏れた。腰に意識を向けると、尿が流れる感覚がある。割れ目から黄色い液体が噴出していた。膀胱に尿が溜まっていたようで、水流には勢いがあった。
「あちゃぁ、便器が汚れてしまったな」
 尿をするだけで息が乱れそうになる。細心の注意を払っていたつもりだが、慣れないことをしたのだ。はみ出した尿が便器を黄色く濡らしていた。もっとも、尿が出ないという事態よりはましだろう。自然の摂理で体はきちんと働いているようだ。
「このまま下着を穿くと濡れてしまうか。竿がないというのは不便だなぁ」

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挿絵:菓子之助

 尿の操作が不慣れなので、股間の周りが濡れている。トイレットペーパーで拭くことにしたが、割れ目を触るかと思うと赤面してしまった。
「神経がちゃんと繋がっているなぁ。触られているのを感じるよ」
 トイレットペーパーで股間を拭くと、脳に電気信号が送られてきた。奇妙な気分になりそうだ。
「朝から疲れてしまうな」
 トイレに入るだけで体力気力を消耗していた。無意識に溜息が出てしまう。
「原因は何だろう」
 部屋に忍び足で戻ると、憂鬱な顔で原因を考えた。尿を排出したことで、多少は冷静になっている。心当たりを頭に思い浮かべてみた。
「……神社で出会った女の子が怪しいのかなぁ」
 呪いなんて非科学的だと思ったが、怒り狂った少女の形相には恐ろしいものがあった。耳にはまだ呪詛の言葉が残っている。会うのは敬遠したいが、サッカーボールも回収せねばならない。一度は神社に行ってみる必要はある。
「朝食の準備ができたわよ。まだ寝ているの?」
 深く考えていたせいで、母親の呼ぶ声に気づかなかったようだ。扉をノックしてから、母親が部屋に入ってくる。伍良は焦ったが姿を隠す暇がない。
「おはよう。起きているじゃないの。朝食が冷めてしまうから早く来なさいね」
「ああ、うん」
 母親に変貌した姿を見られて、伍良は体を硬直させた。汗が一気に吹き出す。不審者として通報される覚悟をしたのだが、母親は常日頃と変わらない態度で接してきた。言葉に詰まって、伍良は曖昧に頷いた。訳が分からない。
「……俺だけ女に見えているとか」
 理由を考えてみたが、情報が足りない。腹も空いていることだし、両親と会った方がいいだろう。先延ばしにしても解決にはならない。
 リビングに行くと、新聞を読んでいた父親が朝の挨拶をしてきた。骨折した足にはギブスが巻かれている。挙動不審になりそうだったが、伍良も同じように挨拶を返す。家族揃って朝食を食べたが、両親の態度には変わりがなかった。
(ありがたいけど、困ったな)
 まるで疑問を感じてない様子なので、会話の糸口が見つからない。
「あ、あの、相談したいことがあるよ。俺の格好についてだけど」
 思い切って口を開いたが、声が震えそうになった。両親の目が伍良を見る。穏やかな視線が恐ろしかった。
「そういえば、来週から衣替えだったわね。すっかり忘れていたわ。パジャマも長袖では暑いわよね」
「活動的な性格なのはわかっているが、少しは女の子らしいお洒落もしたらどうだ。親戚からのお下がりでも体に合わないパジャマを着る必要はないぞ」
 両親は相談したい内容を勘違いしていた。来週から初夏に入るので、服装のことだと思ったらしい。ただ父親の言葉には聞き逃せない内容が含まれていた。
「え、俺が女の子?」
「個性は大事だとは思うが、言葉遣いも直した方がいいぞ。男性と付き合うことになったら、困るかもしれないからな」
 父親の話を聞いて、脈拍が早くなる。どうやら両親は伍良を女の子だと認識しているらしい。頭が混乱して、朝食の味を感じなかった。
「制服も古びていたわね。いい機会だから買い換えなさい」
「そ、そうだね」
 母親がまとまった金額を渡してくる。汗に濡れた手で伍良は紙幣を受け取った。息をするのが苦しい。
「髪も切って整えた方がいいわよ」
「母さんに似て伍良は可愛いからな」
 父親の言葉に母親が微笑んだ。仲睦まじい両親だ。
 伍良は男の名前だが、両親は疑問を持たないらしい。これで名前まで変わっていたら、自分の記憶を疑うところだ。異変が起きているのは間違いなかった。

(3)

 一生分の溜息を吐いている気がする。まさか両親が伍良を女の子だと認識しているとは思わなかった。もし騒ぎ立てていたら、病院に連れて行かれただろう。そういった意味では、茫然として助かったかもしれない。
「……急いで着替えて神社に行こう」
 部屋で裸になろうとして、伍良はカーテンを閉めた。着替えを見られたら恥ずかしい気がした。パジャマと下着を脱ぎ捨てると、滑らかで白い肌が現れた。静脈が青く透いて見える。部活動に勤しんでいたのに、日焼けの跡なんてなかった。
「肌が白過ぎて気持ち悪いな」
 苦笑いをしながら、適当な服を探す。一番小さな下着を穿いたが、ウエストが緩くて脱げそうだ。ふっくらとした尻が見えそうになっている。ズボンの丈が短いスポーツウェアを着ても、脚の大部分が隠れてしまった。
「これでいいか」
 女性用の服なんて持っていないのだ。悩む時間が惜しい。
 普段の運動靴を履いて出かけようとして、足が抜けて転びそうになった。ディッシュを靴に詰めて、どうにか足を安定させた。
「……道が広く見えるな」
 同年代の女子と比べても背が低くなってそうだ。歩き慣れた道でも横幅が広く感じられた。
「何か買っていくか」
 途中にあったコンビニに立ち寄った。神社に住む女の子のみすぼらしい姿を思い浮かべる。あの様子ではろくに食事もしてないだろう。
「機嫌を取った方がいいだろうしな」
 詫びというには乏しいが、パンとジュース、それに駄菓子を買っていくことにした。
「はぁ、遠い」
 走れば神社なんてすぐに到着するのに、女の足では時間がかかった。体力が落ちているようで、額から汗が落ちてくる。空を燦々と照らす太陽が恨めしい。神社に近づくにつれて、緊張で足が震えそうになってくる。怖がりになったみたいで、自分が不甲斐なかった。
「すぅ、はぁ」
 深呼吸をしてから、神社の敷地に足を踏み入れる。長く伸びた雑草が太股に届きそうだ。神社の戸は開きっ放しになっている。足音を殺して近づくと、床を鳴らす規則正しい音がした。
(綺麗な声だな)
 耳を澄ますと、童歌が聞こえた。鈴を転がすような声だが、歌声には寂しさが混じっている。ずっと聞いていると、胸が締めつけられた。
 戸からそっと中を窺うと、少女がサッカーボールを手まりのようについている。一人寂しく遊んでいた。昨日とは違って、物悲しい姿だった。
「ちょっといいかな。お邪魔するよ」
 途中で邪魔をするのは躊躇われて、手まり歌が終わるまで伍良は待っていた。歌声が終わった瞬間を見計らって声をかける。
「き、聞いておったのか!」
 不意を受けたらしい。驚いた少女はボールを手から落とした。見る見るうちに少女の顔が赤く染まっていく。羞恥に悶えたかと思うと、般若のような顔になっていた。
「小僧、昨日の今日で顔を出すとはいい度胸じゃ」
 伍良の姿は昨日と全く違う。服装は男のものでも、顔を見れば女にしか見えない。それでも、少女は伍良を昨日と同じ人間だとわかっているようだ。明らかに伍良の姿が変身したのは、少女が原因だった。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「問答無用!」
 少女の剣呑な雰囲気にたじたじとなる。謝る隙を与えてくれない。
「どうやら呪いが足りなかったようじゃ。神の怒りを思い知るがよい」
 小さな手が伸ばされる。怨念の塊のような黒い霧が、伍良に向けて放たれた。反射的に身を竦めたが、黒い霧は伍良には当たらない。素通りして後ろで拡散していた。
「な、何をしたんだ?」
 体をぺたぺたと調べる。女のままではあるが、それ以上の異常はないようだ。それだけに少女のしたことが恐ろしい。
「この周辺を枯れ野原にしてやったわ。収穫を失った村人に石で追われるがいい。豊穣の神を怒らせた罰じゃ」
 憎悪に瞳を燃やしていたが、少女の足元はふらついている。何かの力を使ったことで、消耗しているようだった。
 少女の剣幕に驚いて、伍良は神社から出て外を眺めた。青々としていた雑草が枯れて、茶色く倒れていた。除草剤を使っても、生命力が強い雑草を一度に枯らすのは難しいだろう。
「はぁ、見事なものだね」
「そうじゃろう」
 感嘆の言葉を吐くと、少女は自慢そうに腕を組んだ。怒りを吐き出したことで、多少は落ち着いたらしい。
「これなら草刈りの必要はないね。便利だなぁ」
「お、お主は何を言っておるのじゃ」
 伍良が感心してみせると、少女は呆気に取られたようだ。剣呑だった気配が和らぐ。この周辺は住宅が密集していて、田畑なんてまるでない。それに神社の敷地の隅では、雑草がまだ青く茂っていた。効果は限定的なものらしい。
「この季節だと学校のグラウンドにすぐ雑草が生えるからなぁ。手伝ってもらいたくなるよ」
「神の力を便利に使おうとするな」
 少女は頬を膨らませたが、声には元気がない。ぎゅるるぅっと少女の腹がけたたましく鳴った。かなり空腹のようだ。腹の音を響かせた少女は、恥ずかしそうに赤面した。
「はぁ、妾は疲れたから、今日はもう寝る。小僧もさっさと帰れ」
 不貞腐れたように言って、少女は神社に引きこもろうとした。
「待ってくれよ。話がしたいんだ」
「お主と話すことなど何もないわ」
 少女は不愛想な声で、取り付く島もない。
「そ、そうだ。空腹だと思ってパンを買ってきたから食べてよ」
「米ではないのか。まぁ、貢ぎ物なら受け取ってやらんこともないぞ」
 声は不機嫌そうだったが、少女の目はパンに釘付けだ。コロッケパンを袋から取り出すと、匂いを嗅いで少女の鼻がひくひくと動いている。口の端から涎が垂れそうになっていた。
「貢ぎ物だから食べてよ」
 興味のない振りをする少女の態度に吹き出しそうになる。伍良は笑いを噛み殺していた。
「そこまで言われては仕方ない。パンは好みではないが、受け取ってやろう」
 電光石火の速さで少女の手が伸びた。顔の半分が口になったと思うくらいの勢いでパンに食らいつく。取り返されるのが怖いとでもいうように、ほとんど咀嚼しないで丸呑みしていた。
「誰も取らないよ」
 少女の勢いに苦笑する。よほど空腹だったらしい。
「うっ、うううっ」
 パンを飲みこもうとして、少女は呻き声を出していた。バタバタと手足を振って、顔が赤くなっていく。細い首ではパンの塊が喉を通らなかったらしい。少女は胸を叩いているが、一向に楽にならないようだ。顔が土気色になったのを見て、慌てて伍良はジュースを差し出した。
「うっく、ごく、ぷはぁ! ぜぇ、ぜぇ、危ないところだったわ」
 受け取ったペットボトルを逆さまにして、少女はジュースを口に放りこむ。どうにか喉からパンが流れたようで、荒い息を吐いて肩を上下させていた。
「久方ぶりの供物であったからな。思わず我を忘れたわ」
「どれだけ食べてないんだよ」
「十年、あるいは二十年か。もはや数えておらぬぞ」
「は、はぁ」
 からかうような口調で言ったのだが、月日の長さに唖然となった。冗談には聞こえない、寂しそうな横顔をしていた。
「食事をしている最中なら話を聞いてやろう。何の用じゃ」
 少女はパンを小さく噛み千切りながらもそもそと咀嚼している。つまらなそうな声だったが、話を聞いてくれる気にはなったらしい。
「まずは名前を教えてよ。俺の名前は伍良だ」
「近頃の若者は不勉強だのぉ。もしくは注意力が足りないというべきか」
 少女の声には呆れが混じっていた。
「確かに成績はいい方じゃないけどさ」
 体を動かすのは得意でも、頭を働かせるのは苦手だ。
「鳥居に書いてあったはずじゃ」
「柱が腐って倒れていたよ」
「そ、そうじゃったな」
 泣き崩れるかと思うくらいに少女の顔は悲しみに満ちていた。鬼の形相をしていた人物と同じには見えなかった。

(4)

「信仰はほぼ失われてしまったが、妾は古くからこの地方の五穀豊穣を司っていた神で瑞穂という」
「神様っぽく見えないなぁ」
 ボロボロの衣服を着ているので、せいぜい貧乏神にしか見えない。
「瑞穂が俺を女にしたなら、元に戻してくれよ」
「神を呼び捨てとは、図太い神経をしておるな。少しは敬ったらどうだ」
 瑞穂は頬を膨らませて口を尖らせる。明らかにいじけていた。
「神様には見えないよ。着ているものはみすぼらしいしさ。それに腐ったような臭いがしているよ。近くにいると鼻が曲がりそうだ」
「な、な、何てことを言うのじゃ!」
「事実だしなぁ」
 肥溜めのような臭いがして吐き気がしてくる。農業の神様といっても、少しは身綺麗にして欲しい。
「淑女に言っていいことと悪いことがあるぞ。このところ雨が降らなかったから仕方ないのじゃ。ううっ、わぁぁん!」
 目に透明な膜をかけたかと思うと、瑞穂は大粒の涙を溢れさせた。幼子のように大声で喚きながら泣いている。耳を手で塞いでも、鼓膜が破れそうな強烈な泣き声だ。オロオロと伍良は慌てる羽目になった。
「ご、ごめん、言い過ぎた。そうだ、お菓子も買ってあるから、好きに食べてよ」
「……お主は妾を子供だと勘違いしておらぬか」
「うーん、威厳は感じられないなぁ」
「ううっ、ぐすっ。神を苛めるとは最近の教育はどうなっておるのだ」
 不貞腐れた顔をしながらも、瑞穂は駄菓子の袋を奪い取った。半泣きで愚痴を呟きながら、駄菓子の袋を開けている。袋が開封されると、甘い匂いが漂った。
「妾は和菓子が好みなのじゃがなぁ。ふむ、まずまずの味じゃ」
 文句を言いながらも、瑞穂は泣き止んでいた。チョコ菓子の匂いを嗅いで幸せそうな顔をしている。口では何でもない風を装いながらも、頬が緩んでにやけていた。面倒臭いが、単純な神様なのかもしれない。
「食べ終わってからでいいから、俺の体を元に戻してくれないかな。これじゃサッカーの練習ができないよ」
 瑞穂の機嫌が直ったようなので、伍良はほっと胸を撫で下ろした。神と名乗るだけあってそれなりの力はありそうだ。すぐに元に戻してくれるだろうと楽観的に考えていた。
 駄菓子はあっという間に空になった。瑞穂の唇が油でベトベトしている。まだ物足りなさそうな顔をしていた。
「口元と手が汚れているよ」
 伍良がハンカチを渡すと、咳払いをしてから瑞穂は顔を拭く。顔から涙の跡が消えたが、返されたハンカチは黒ずんでいた。
「ふぅ、少しは気持ちが落ち着いたわ。妾がまた不機嫌にならないうちに、さっさと帰るがいい。ここに二度と訪れなければ、お主のことは忘れてやろう」
「用事が終わったらすぐに帰るよ。だから、俺を元に戻してくれ」
「我儘な小僧じゃ。妾の慈悲がわからんか」
 瑞穂は首を振って深く息を吐くと、冷たい目で伍良を見ていた。怯みそうになるが、このままでは帰れない。
「無理じゃ。怒りに任せて因果を狂わせたが、妾にはもうそれを正す力はない。神と名乗ったが、妾はもう付喪神のようなものなのだ」
「え、冗談だよな。付喪神というのも神様じゃないのか?」
 瑞穂に真顔で言われて、背中に嫌な汗が流れてきた。
「付喪神というのは、年月を経た器物に宿る精霊のことじゃ。妾は僅かな信仰と物に宿った人の想いでかろうじて存在しているに過ぎん。もっとも、あの有様じゃ」
 神社の奥を指差す瑞穂。暗闇で見えないが、何か物が置かれているようだ。伍良が近づいてみると、薄汚い毛布が置かれている。神様の寝所というにはあまりに粗末だ。その周りにはガラクタが散乱していた。首が取れた人形や破れた凧。糸が切れたけん玉。ボロボロになっためんこや独楽もある。近頃では見かけなくなった、懐かしい玩具ばかりだ。
「それらは妾を楽しませようと人間が奉納したものじゃ。想いが詰まっておる。それを壊されれば、妾が怒るのは当然であろう。お主がもう二度と球で悪さをせんよう懲らしめたのだ」
「うっ……」
 平静さを保とうとしていたが、瑞穂の声には怒りが含まれていた。瑞穂に直撃したサッカーボールは、奉納された玩具も壊したらしい。力が衰えた一因でもあるのだろう。
「神社を壊そうとする輩と同じ血縁とわかって、妾も怒りに目が眩んだわ。子供に対して大人げなかったとは思うがな」
「それじゃ工事車両を壊したのは瑞穂の仕業か」
 父親の骨を折ったのが瑞穂とわかって、怯んでいた心に火がつく。思わず強い口調になってしまった。
「人の都合で神の住む場所を変えるものではないわ。住み慣れた社を追われそうになって、抵抗しないわけがなかろう」
「そ、それはそうだけど。父さんは仕事を請け負っただけだよ。足の骨を折るなんて酷いじゃないか」
「実際に手を下したのはお主の父なのだから、子供の理屈だ。それに妾も命まで取ろうと思ったわけではない。お主も女として生きるならば、問題はないはずじゃ」
 罪もないのに大事な家を壊されたら、誰だって怒るだろう。悔しくて納得はできなかったが、瑞穂の立場は理解できた。だが、父親の骨折は時間を置けば治るだろうが、伍良が女のままでは困る。サッカー選手になるという夢を叶えるには、男でなければならない。
「そうだ。俺が奉納された品物を直すよ。そうしたら瑞穂の力が回復して、俺を元に戻せるだろ」
「諦めが悪い小僧、いや小娘じゃ。そんな簡単な話ではないぞ」
「何もしないより可能性は上がるよ。俺はサッカーを続けたいからな」
「やれやれ、好きにするがいい」
 伍良が必死に頭を回転させて食い下がると、瑞穂は呆れたように肩を竦めて苦笑した。
「よし、材料を買ってくるよ」
 近くのコンビニでマジックや木工ボンドを買いこんだ。男性の店長に頼んで割り箸も貰う。愛想笑いをして頼んだら、店長がやけに親切だった。割り箸ばかり入れられても困ったが、材料が少ないよりはいいだろう。準備は万端だと思って、伍良は意気揚々と神社に戻った。
「本当に戻ってきたのか。無駄な努力をするものじゃ」
「当たり前だろ。さて、修理にかかるぞ」
 伍良の顔を見て、瑞穂が意外そうな顔をする。憎まれ口を叩いていたが、口元が僅かに綻んでいた。誰も訪れない神社に一人きりで、人恋しくなっているのかもしれない。
「まずは人形を直すよ」
 和人形の首は折れて、床に転がっていた。顔の表情も薄れていて、のっぺらぼうのようだ。マジックを手にして、人形の顔を描こうとする。まずは太く眉を引いた。
「……おい、やけに顔が勇ましいぞ」
「こ、これからだよ」
「うぁ、そ、そこは違う。はみ出しておるぞ。ああ、まるで落ち武者のようじゃ」
 瑞穂が微妙な顔をした。手元が震えそうになりながらも、伍良は顔を描いていく。手を動かすたびに百面相のように瑞穂の顔が変化した。驚き、怒り、嘆く。伍良が苦労して顔の表情を描き終ると、瑞穂は長々と嘆息した。
「はあぁっ、不器用じゃなぁ。恐ろしい顔になっておるわ。猿の方がましだぞ」
「おかしいなぁ。そこまで言うなら、瑞穂が手本を見せてよ」
 酷評されて伍良は肩を落とす。思ったより修理は難しい。
「こういった細かい作業は妹が得意としていたわ。神が手を貸しては意味がないが、妾が手本を見せてやろう」
 マジックを受け取って、瑞穂は他の人形を手に取った。
「筆はないのか。ううむぅ」
 瑞穂がさらさらと手を動かす。伍良よりはましだったが、福笑いのような顔だった。妙なおかしみがあって、伍良の笑いのツボを刺激する。腹を抱えて大笑いしてしまった。
「うわぁぁん、笑うなぁ。筆がないのが悪いのじゃぁ」
 容赦なく笑われて、瑞穂が拗ねて伍良をぽかぽかと殴る。そんなに力はないが、女の体ではちょっと痛い。半べそをかいた瑞穂は、神様らしくは見えなかった。

(5)

「今日は厄日に違いないわ。さっさと帰れ」
「ごめん、ごめん」
 不貞腐れた瑞穂は、フグのように頬を膨らませていた。蠅でも払うように手を振っている。拗ねてはいても愛嬌があって、幼子のような可愛らしさがあった。
「修理する気があるなら、もう少し修行を積むことじゃ。目を覆いたくなるような腕前だったぞ」
「筋は悪くないと思うけどなぁ」
「その根拠のない自信はどこから出てくるのか。ある意味では感心するわ」
 瑞穂は目を丸くして伍良を見ていた。
「しょうがない。今日のところは帰るから、ボールを返してくれよ」
「嫌じゃ」
 このまま神社にいても瑞穂の機嫌を損ねるだけだろう。修理を保留して引き返そうと思ったが、瑞穂はボールを返す気がないようだ。固い声で首を横に振った。
「どうしてだよ。ボールくらい返してくれてもいいだろ」
「……お主が壊してしまったからな。妾には遊ぶものが――いや、これは人質の代わりじゃ。修理が終わるまで返す気はないぞ」
 瑞穂の顔を寂しさが通り過ぎる。孤独な時間を何もせずに過ごすというのは苦痛だろう。途中で瑞穂は表情を取り繕ったが、寂しげな顔は印象に残った。
「わかった。大切なものだから、大事に扱ってくれよ」
「もちろんじゃ」
 サッカーボールは大事だが、替えがきかないものではない。安心したように微笑んだ瑞穂が、可哀想に思えた。このままほっとけない。
「女のうちに試したいことがあるけど、一人だと気が引けてさ。瑞穂も一緒に来てくれないかな」
「もじもじとして気持ち悪いわ」
 勇気を出して話を持ち掛けたのに酷い言い草だった。
「神を誘うとは恐れを知らんな。それでどこに行きたいのじゃ。少しなら付き合ってやらんこともないぞ。神が長く留守にするわけにはいかんからなぁ」
 口は悪かったが、瑞穂の目は異様に輝いていた。久しぶりの外出らしい。内心の喜びが漏れまくっていた。
「せ、銭湯だけど。女湯に入るのは度胸がいるよ」
 女湯に興味があるのは確かだが、瑞穂を洗ってやろうと思ったのだ。本当のことを言えば、瑞穂はへそを曲げるだろう。
「ほほぅ、興味のある年頃じゃからな。男としては見たいのも当然か。よかろう、行ってやるぞ」
「助かるよ」
 悪戯っぽい顔で瑞穂は笑っていた。豊穣神ということで、性に対してはおおらからしい。思ったよりもあっさりと話に乗ってくれた。
「ふむぅ、外の有様は変わったものよ」
 神社から外に出た瑞穂は、物珍しそうに街を見ていた。きょろきょろと首を回し、旅行で遠くに来た子供のようだ。しばらくは景色を眺めて感心していたが、段々と表情が暗くなってきた。
「……田畑の姿はまるで見られぬ。大きな家が密集して、息苦しく感じるぞ」
「大きいってどれが?」
「あれもこれもそれも全部じゃ」
 二階建ての家がほとんどだが、瑞穂にとっては高く感じるらしい。背が低いこともあるのだろうか。田畑がないことも瑞穂には不満のようだ。住宅の他には、家庭菜園が僅かにあるくらいだろう。
「秋になると重く実をつけた稲穂が広がっていたものじゃ。その面影が全くないわ」
「想像もできないなぁ」
 伍良が生まれた時から、家々が立ち並んでいたと思う。同級生で農家をしている家は聞いたことがなかった。

 古めかしい建物の前で足を止める。老朽化が進んだ和風の建物だ。瓦が割れているのが目に入った。
「ここが銭湯だよ」
 昔からある銭湯だが、利用客は年々減っているらしい。料金は安いが、設備は簡素なものだ。競争には勝てないだろう。
「ほう、風情があるではないか」
「ま、待ってよ」
 近くて安いから選んだのに、瑞穂は気に入った様子だ。意気揚々と銭湯に入っていく。女湯ということで尻込みした伍良だが、瑞穂を追いかける形で暖簾をくぐった。
「お、女が二人で」
 受付では性別を偽っている気がして、声が裏返りそうだった。タオルを借りて女湯に向かう。心臓の音が大きくなっていた。
「湯に入るのは久方ぶりじゃ」
 街を歩いていた時は元気がなかった瑞穂の声が弾んでいる。急いで衣服を脱ぎ捨てていた。瑞穂の体は平坦で女性らしい膨らみが少ない。見ていても楽しくはなさそうだ。
「神々しい姿を見て感動しないとは不心得者よ」
「瑞穂には縁遠い言葉に聞こえるなぁ」
 肌が薄汚れているので、お世辞にも綺麗には見えない。脱ぎ捨てた衣服からは、悪臭が漂っていた。
「小娘が戯言を言うものだわ。まぁ、妾は寛大な気分になっておるから、許してやろう」
 瑞穂が背を向けたのを見計らって、伍良はくたびれた衣服を拾った。悪臭が目と鼻を刺激する。女の子が着るような服ではなかった。
「洗濯しても汚れが落ちるかなぁ」
 銭湯に設置されている洗濯機に瑞穂の衣服を突っ込む。多少はましになると信じたい。
「うわ、緊張する」
 脱衣所でスポーツウェアを脱ぐ手が震える。喉が渇いてきた。裸になって体を見下ろす。紛れもなく女の子の体だと思う。背後を振り返ってもおかしなところはない。これなら疑われないはずだ。
「鼻の奥が熱くなってきたな」
 まだ自分の裸にも慣れていない。眼下に震える乳房を見ると、興奮しそうになった。
「よ、よし、行くぞ」
 浴室の扉を開ける。白い蒸気が湯船から立ち上っていた。空気の匂いが男湯とは違う気がする。未知の領域に入って、伍良はまともに正面を見られない。
「遅いぞ。何をしておったのじゃ」
 瑞穂の叱責を受けて、俯いていた顔を上げた。利用客は多くない。肉の余った中年か、枯れたような老婆の姿しかなかった。女だったのは何十年も前だろう。期待していたのと違う。苦笑と溜息が出ていた。
「残念そうな顔をしておるぞ。期待外れじゃったな」
「はぁ、現実はこんなものか」
 下心があったのは確かだ。図星を突かれて、伍良は赤面していた。残念だったが、無用な緊張は避けられそうだ。拍子抜けで肩の力が抜けていた。
「見様見真似で体を洗おうと思ったが、どうもうまくいかん。出てくる湯が熱すぎるのじゃ」
「温度が高めになっているな。瑞穂が使い方に慣れてないなら、俺が洗うのを手伝おうか」
「ほう、妾の体に触りたいと申すか。小娘を悩殺してしまうとは、妾も罪深い女じゃ」
 平坦な胸を反らし、瑞穂は威張った顔をしていた。見るべきところはない体なのに、根拠のない自信が凄まじい。
「……瑞穂を見ている方がましだけどさ」
 贅肉の塊を見ているよりは目が痛まない。湯の温度を調整して、瑞穂の頭にシャワーを浴びせた。
「いい湯加減じゃ」
 目を閉じて、瑞穂は気持ち良さそうだった。シャワーの勢いだけで、髪から埃や垢が溶け出てくる。小柄な体を流れる湯が黒く濁っていた。
「凄くベトベトしているなぁ」
 髪に手を入れてみると、ワックスでも塗りたくったように固い。ごわごわした髪が柔らかくなるまで、伍良はシャワーをかけていた。髪が長いこともあって、重労働になりそうだ。楽しみの当てが外れたこともあって、瑞穂を連れて銭湯に来たのを後悔しそうになる。
「それが石鹸なのか。爽やかな匂いがするぞ」
 シャンプーを手で泡立たせると、柑橘系の匂いが周囲に漂った。爽快感のある匂いを嗅いで、瑞穂が頬を緩ませる。子供のような表情は微笑ましく思えた。
「……なかなか手強いな」
 瑞穂の髪を洗い始めると、泡が速攻で消えた。黒い汚れが次々と出てきて、シャンプーが泡立つ様子がない。途中でシャワーを髪に浴びせると、墨汁のような汚水が流れた。
「うわぁ、汚いなぁ」
「お、大袈裟なことを言うでない。くっ、目がぁ、ゴミが目に入ったぁ!」
 思わず率直な感想を言うと、瑞穂が目を剥いて抗議した。髪から流れた汚水が大きな目に入る。埃が混じっていたようで、じたばたと悶えていた。
「やっと泡立ってきたか」
「妾に仕える巫女が世話をしてくれたのを思い出す。懐かしくなるわ」
 髪の量が多いので、洗うのは一苦労だった。手が重たくなりそうだ。
 神社は管理する人間がいなくなって久しい。神主も巫女も見かけたことはなかった。
「こんなところかな」
 完全に汚れが落ちると、黒々とした髪が現れた。一点の曇りもない。潤いを得た髪は、艶々と光っている。髪を切り揃えれば、雛人形のようだと思った。

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イラスト企画を最初に見た時から、作品化されるのを待ち侘びていました。
更新が楽しみです。

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