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リレーTS小説第140番 鶉谷くん、インデンジャー (18禁) その4

鶉谷くん、IN DANGER! 最初 その2 その3  その4

(21) 担当:あずき

カチャン、と軽い音を立てて閉まる扉。
出て行った先輩のことを考えながらとぼとぼと部屋へ戻った。
カチカチと時を刻む時計の音と、あずみちゃんの立てている寝息だけが部屋を覆う。

こういうとき先輩がいてくれたらどれだけ心強かっただろう。
いてくれるだけで安心できた先輩。自分の家にも帰れずに最後に頼った人もこうして先生のところへ行ってしまった。
どうしようもなく不安になり、あずみちゃんの眠っているベッドに腰を下ろした。

手を自分のほうへ引き寄せて丸くなって眠る人形のような少女の髪に触れる。
先ほどまでの行為でずいぶん乱れていたので手櫛で丁寧に梳いてやる。

やっぱり、このままではいけない。
あずみちゃんには悪いけど、僕も先生の元へ行かなければ。
先輩だけには任せていられない。
そう思ってからの行動は早かった。

とりあえず動きやすい服に着替えよう。
僕は自分の服の中からズボンと軽い外行き用の服に着替える。
そこにはいやでも姿見があるから、自分の下着姿が見えてしまう。
最近になって慣れてきたけれどもやっぱり恥ずかしい。
なにせ僕が人生の大半を生きてきた姿じゃない、少女の体がそこには写っているからだ。
女性らしい凹凸…胸とかヒップとかに手が当たるたびにどきどきしてしまう。
男の子とは違うやわらかさ……って、何を考えているんだろう僕は!?
ふるふると顔を振って邪念を振り払うとまたあずみちゃんの元へと向かった。


「あずみちゃん…僕もいってくる事にするよ。」

先ほどと同じように髪をなでてやる。
あずみちゃんは少し身じろぎするだけで起きる様子は無い。

「安心して。僕は帰ってくるから。先輩と一緒に。」

起きたとき用のメモを枕元に残して立ち上がろうとするとクイッ、と服の袖がそれを阻んだ。
なんだろう、と振り返ってみると不安そうな表情のあずみちゃんがこちらを見ていた。


「うずらちゃんも……行っちゃうの?」

 *******************************************

ふと気がつけばガチャリ、と扉が閉まる音だった。
縛られていたエルがいなくなっていたから、きっと……おねーちゃんは行ってしまった。
とぼとぼと足音が聞こえる。きっとうずらちゃんだろう。
おねーちゃんはいなくても、うずらちゃんがいてくれる。
そう思って少し不安だけど眠りについたのに…。


「うずらちゃんも……行っちゃうの?」

服の袖をひっぱる。体はだるくてあまり動かせないから、こんなことしかできない。

「うん…。いろいろ考えたけど、やっぱり先輩のところへ行かなくちゃ。」

うずらちゃんはあたしの機嫌を伺いながら恐る恐るといった感じで聞いてくる。
いつまでも甘えてばかりじゃ駄目だ。ここはしっかりしないと。

「おねーちゃんを助けてあげて。そして絶対に帰ってきてね? 約束だから!」

今出せるだけの元気な演技で精一杯送り出そう。
こういうときだけはアイドルという仕事に感謝したい。

「う、うん。……じゃぁ行ってきます。」

うずらちゃんはあたしの頭をなでると外へと向かってしまう。
一人取り残されてしまう恐怖感に何とか打ち勝とうと枕に強く顔を押し付けた。


どれだけ泣きはらしただろうか。5分かもしれないし1時間かもしれない。
終わりのときは突然だった。
ガチャリ、と扉が開く音がした。
おねーちゃんとうずらちゃんが帰ってきたんだ!

「お帰りなさい!」

思わずベッドから叫んでいた。
流石に下着のまま飛び出すわけにはいかなかったのでその辺にあったTシャツを着込んで、先ほどまで顔を押し付けていた枕を胸に抱いて、体がだるいのも忘れて廊下に飛び出した。

「おねっ……っ?!」

玄関の先にいたのはおねーちゃんでもなくうずらちゃんでも無かった。
思わずその場に座り込んでしまう。
裏切られた期待と、これから起こるであろう恐怖にただ震えるだけだった。

「嫌……。助けて、おねーちゃんっ。うずらちゃん!」

ぎゅぅ、と抱きしめた枕は形を変え、落とした視線には確実に影が迫っていた。

(22) 担当:うずら

ここが先生の家か。
かなり豪華な作りの、屋敷と呼ぶべき代物だった。
はやく先輩に追いつかないと。
武器の調達なんかで、随分時間がかかってしまっていた。
辺りを見回して、入れそうなところを探す。
門にインターフォンはあるけど、鳴らすわけには行かないし。
「ちょっと失礼して……」
塀の脇に止まっていた車のボンネットに上がる。
そこからジャンプして、なんとか塀によじ登ることができた。
高いのが怖いけど、誰かに見られないうちに飛び降りる。
「裏口とか、開いてないかな」
考えて、すぐに決断する。
表から行くのは論外だ。
少しでも見つかりにくいように、身をかがめて走る。
緊張して、心臓がすごいスピードで脈打っている。
家の裏まで回ると、窓が割れているのに気づいた。
割れた部分はガムテープを貼って、音がしないようにしてある。
たぶん先輩の仕業だ。
わざわざ別のところを壊さなくても、開いてるならちょうどいいや。
どうやら客間らしい。
僕もそこから忍び込むことにした。
本当なら、疑問に思うべきだったんだ。
あまりにも静かなことに。


「まったく、エルもちゃんと保管庫の場所を聞き出しといてくれれば良いのに」
念のため、来る前に買ってきていた手術用の手袋をはめる。
普通に考えて、大事なものを保管するとしたら、寝室かな。
さすがに客間には置かないだろうし。
耳を澄ませながら、そろそろと歩いていく。
1階からは物音がしない。
となると、先輩も2階にいるはずだ。
階段にまで絨毯が引いてあって、そのおかげで足音が全然しない。
それは他の人が近づいてきてもわからないってことだから、慎重に、慎重に。
「ふぅ……ん? この声、先輩?」
踊り場までたどり着くと、聞きなれた声が耳に届いた。
言い争っているみたいだ。
どうせまた、エルが怒らすようなことを言ったんだろう。
これだけ大声を出せるんだから、きっと家に人はいないんだな。
そう判断して、声が漏れてくる部屋に向かう。
「先輩!」
半開きのドアをあけて、中に飛びこむ。
「うずらちゃん!? どうしてここに!?」
「ああ、鶉谷くん。いらっしゃい」
そこにいたのは、先輩にあずみちゃん、エル。
そして、満面の笑みを浮かべた先生だった。


(23) 担当:e"l" urakan


 一瞬、僕はどうしてこうなっているのか解らなかった。なぜ甘井とあずみちゃんがここにいる? なぜ有栖川先輩の腕に手錠が? なぜエルが甘井の側にいる?
 様々な疑問符が頭の中を飛び交うだけで、明確な答えなど出てこなかった。
「鶉谷くん、遅かったじゃない。ご主人様の方が早いなんて、どこで道草食ってたの?」
 エルが呆れた声色で僕に声を掛けてきた。そしてそれが止まった思考を動き出させる合図となった。
 あずみちゃんがここにいる。それは僕が有栖川先輩の言いつけを守らなかったからなんだろうか。僕が側を離れた隙に、あずみちゃんを拉致し取って返してここに来たんだろう。エルにしても、最初から怪しかったんだ。これは当然の結果なのかも知れない。有栖川先輩にしても、あずみちゃんを人質にされたら為す術もなかったろう。
 僕は己の失態を犯したくやしさを、ポケットに入れていた武器を握りしめ耐えようとしていた。
「……卑怯だ」
 ぼそっと小声で言ったのに、エルが即座に反応していた。
「卑怯? こんなの作戦の内じゃない。なに、その目は。君もありすちゃんの方がいいの?」
 エルがおとがいに手を添えた。エルより背の低い僕はキスされようとする女の子のように上を向かされた。
「お前なんか大嫌いだ」
 眉間に小さく怒りが見えたけれど、それも直ぐに消えエルは口の端をつり上げた。
「……いいわ。必ず快楽の虜にしてあげる。このクスリでね」
 添えられた手はそのままに、反対の手でアンプルを僕に見せつける。なんのクスリだか瞬時に解って、身体がゾクリとした。
「ダメっ、エル姉様! またその娘に使ったら習慣化して」
「有栖川君、心配は無用だよ。効果はそのままに、依存性を殆ど無くしている新薬だ」
 それまで成り行きを見守っていた甘井先生が口を挟んできた。その表情は嬉々としている。僕には異常にしか思えないけれど。
「拒否してもいいのよ。そしたらあずみちゃんに打つだけだから。あ、そうだ。ありすちゃんに使うって言うのもアリね。作った本人が体験しなくちゃ、片手落ちだわ」
 僕と有栖川先輩を交互に見ながら、エルが性悪そうな笑みを浮かべた。見た目の美しさは有栖川先輩と並ぶけれど、その本性は遙かに落ちると思う。
「ご主人様、やるならわたしだけでいいでしょう? 鶉谷君もあずみちゃんも、今の状態ではご主人様の利になりませんわ」
「はは、君を思い通りにする事は甘美な誘いなんだが、それは僕の愛でしなくちゃね」
 二人のやり取りに、エルはそれまでの柔和な表情を崩し、強張らせた。有栖川先輩とエル、そして甘井先生の間には奇妙な緊張感があった事を今更ながらに思い至っていた。
 僕はエルを睨み付けながら言葉を選んだ。
「クスリの事で誤魔化そうとしてるけど、本当は元に戻る方法なんてないんだ。だから嫌われるんだよ」
「そんなことないわ」
「……エル。鶉谷くん、なかなか言うね。本当にそう思うかい? 君の今の姿を見てごらん」
 甘井が答えようとするエルを制して一歩進み出た。にこやかな表情なのに威圧感がある。僕は鼓動が早くなるのを感じていた。
「ご主人様の事ですから、その辺は信用していますわ。ただ、持っているのかどうか」
 沈黙していた僕を助けるように、有栖川先輩が口を挟んだ。いつのまにか有栖川先輩は僕の側に寄り添うように近づいていた。
「君もかい? しょうがないな。エル、二人を案内しなさい」
 甘井はあずみちゃんを抱えながら、意外なほど力強く歩き出し暗闇に消えていった。エルはそれを目だけで追っていった。僕らの間でしばし沈黙が流れ、そしてエルが振り返った。
「じゃ、行きましょ」
 目を細め僕だけを見つめて言うエル。吸い込まれそうな碧い瞳が僕の心を見通すように思えて、思わず僕は隣の有栖川先輩を見上げた。有栖川先輩がちらりと見、エルへと視線を移した。
「エル姉さま、わたしへの敵愾心だけでこの娘たちを巻き込んでいるんだったら、もうやめにしましょう?」
 部屋から伸びる廊下へと僕達を先導していたエルが、廊下の壁際にあった照明を止めているネジの部分に触れた。有栖川先輩が話し終わると同時に音もなく壁だった場所に地下へと続く階段が現れた。エルは中へは入らず、有栖川先輩を振り返った。
「敵愾心? ありすちゃんに? わたしが? ――ソンケーしてるのよ、これでも」
 口と言葉では笑っているけれど、エルの眼は笑っていない。緊張した空気が有栖川先輩とエルの間に流れ、僕はそれに耐えきれず乾いた喉を鳴らしてしまった。
「あらあら、鶉谷さんたら緊張しちゃってるのね。ディープなキスしたら治るわよ。する?」
「! そんなことより、早く案内しろよ」
 なるべく迫力負けしないように、低い声でぶっきらぼうに言ってみた。低い声と言ってもたかが知れていたけれど。
「そうね、センセも待ってるだろうし――。 じゃ先頭はありすちゃんに任せるから。階段降りるだけだけど」
 これと言った武器を持っているとは思えないエルだけど、あずみちゃんが人質になっている以上従わざるを得ない。有栖川先輩を見るとゆっくり頷いていた。
「遅かったじゃないか。折角見せてあげようというのに」
 階段を降りると、薄暗い部屋の中で甘井が待ちくたびれた子どものような口調で声を掛けてきた。部屋は八畳ほどの広さを持っているようだけれど、暗くて細部が解らなかった。ただ、仄かに明るく照らされた透明なケースが、室内中央に態とらしく鎮座していた。その中には口紅が一つ置かれている。
「それが――?」
 焦って走り出そうとした僕を引き留めつつ、抑揚の無い声で有栖川先輩が尋ねる。甘井が笑顔でその問いに応えた。
「そう、これが元に戻るキーだ。今を去ること数年前、まだ私が若かった頃――」



(24) 担当:"l"a Llorona

 情感たっぷりに語り始めた甘井に、エルも有栖川先輩も顔を顰めた。
「――で、蛇を蹴った途端、僕の手にこの口紅が握られていた、という訳なんだ。どうだね、すごい話だろう?」
「……ご主人様、誰も信じてませんよ、その話」
 溜息を吐き、こめかみを押さえながら有栖川先輩がつぶやいた。実際、そんな与太話が信じられる訳もない。苦笑いを浮かべつつ甘井を見つめるエルに、僕はゆっくりと近づいた。
「これが元に戻る為に必要なものであることは疑いようがないんだよ。有栖川君、ちょっと来たまえ」
 先程の戯けるような声色から、命令口調へと変化させた甘井。周囲はそれだけで緊張が走っていた。それだけ僕たちは甘井に精神的にも支配されているんだろうか。イヤな汗が胸の谷間を流れ、ブラの下端に沁みていた。
 有栖川先輩が吸い寄せられるように移動して、その細いウェストを甘井に抱きかかえられた。
 どうして有栖川先輩は抵抗しないんだ? なぜなすがままに? そんな疑問も「男に戻れる」と思うと吹き飛んでしまっていた。ドキドキしながら、甘井が起こす次の行動を注視していた。
「さて、ちょっと助手をしてくれないかな。この娘を抱きかかえていて欲しいんだ」
 視線の先にはあずみちゃんがいる。意識の無いあずみちゃんを戻す位なら、僕を戻せばいいのに。そうすれば有栖川先輩の手を借りなくても……はっ、僕はなんて事を……。みんな甘井とエルの犠牲者なのに。
 自分の浅ましさに激しく憤りを感じてしまい、僕はポケットから後ろ手に隠していた武器を強く握っていた。
 有栖川先輩は何も言わず、静かにあずみちゃんの側に座り抱き起こした。そこに口紅を取り出した甘井も跪く。
 ここにいる誰しもが、甘井以外は全員、あの口紅で本当に戻れるのか疑いを持っている。そう、エルでさえ、その食い入るような眼差しが、それを物語っていた。
 口紅のキャップが外され、くるくると本体を回すとピンクの口紅が現れた。それを甘井は無造作にあずみちゃんの下唇に塗った。
 何の変化も見せないあずみちゃんの側から、甘井が立ち上がった。
「……変化、しない……」
 僕がつぶやくと、甘井が僕の方を向いた。喜悦満面で。
「そう思うのは浅はかだね。有栖川君。このコの股間に触れてごらん」
 有栖川先輩が気を失っているあずみちゃんの股間に、おずおずと触れた。と、熱いものに触った時のように直ぐに手を遠ざけた。自分の手の感触に驚いたのか、有栖川先輩は手と甘井の顔を交互に見比べていた。
「――あ、る。無かったのに……」
「いやだな、有栖川君まで疑っていたのかい。僕は本当の事しか言わないんだがなあ」
 僕たちの事を騙して、自由を奪うくせにウソを言わないなんてよく言えると思う。苦々しく思いながら、当然あるべき疑問をぶつけていた。
「む、胸がまだあるじゃないか。たとえ変わったとしても中途半端なんてもっとイヤだ」
「ふふ、この口紅はね、上唇に塗れば上半身が、下唇に塗れば下半身が変化するんだよ。だからこうすると――」
 ほくそ笑みながらあずみちゃんの上唇に口紅を塗った。すると下半身とは違って劇的な変化が起こった。長い髪はするすると短くなり、盛り上がりを見せていた胸は萎んでいく。そしてあずみちゃんの顔は、少女のそれから少年の顔へと変化していた。その様子を僕は固唾を飲みながら観察するしかなかった。
「と、こういう訳だ。解ったかな? さて、これを欲しいと言っていたけど、僕が渡すと思うかい?」
 甘井はそう言うと、スーツのポケットへ口紅を滑り込ませてしまった。この機を逃したら僕は永遠に女の姿のまま。そんなのイヤだ。渡す気がないなら渡そうと思わせなければ。
「鶉谷君?!」
 有栖川先輩が叫んだ。
 僕は、それまで何故か黙って成り行きを見ていたエルに飛びかかり後ろから羽交い締めにした。そして、手に持っていた武器を、カッターナイフをエルの首筋に突きつけた。
「口紅を先輩に渡すんだっ。さもないと、エルを――」
「わたしをどうするの? 首を切って殺すっていうの? 君みたいなコにそんなことできる訳ないわね」
 僕を挑発するようにエルが囁く。今この場で優位に立っている筈の僕を差し置いて、余裕綽々の態度を見せる。これまでのエルの非道な振る舞いとその態度が相まって、僕を苛立たせた。
「う、うるさい! 甘井! 早く渡すんだっ。切るぞ!」
「鶉谷君、やめなさい。そんなことしちゃダメよ」
 斜めにしていた刃をエルの喉と直角にし押しつけた。ぴくっとエルの身体が震えた。
「実はかなり実験を繰り返してもう二人分くらいしか残ってないんだよ。渡した後、鶉谷君はどうするんだ? 自分だけ元に戻るのかな? あずみに使うとき、かなり睨んでいたけど」
 甘井に見透かされた、僕の汚い心を。それを振り払う為に、僕の考えた事を消し去ろうと「怒り」を爆発させた。
「そんなこと関係ないだろっ?! 渡せっ、早く、早く!」
 力が入ったのか、エルの首筋からつーっと血が流れた。
「センセ、あまり焚き付けることを言わないで下さい。こういうコは何をするか――」 
「うーん、エル、諦めてくれ」
 有栖川先輩も僕も、そしてエルも、甘井の真意を量りかねていた。普通、こんな時は「エルを放せ、こんなものはくれてやる」くらい言うんじゃないのか?
「僕は全人類を愛さなくちゃいけないんだよ、この口紅を使って。ここで留まることは許されないんだ。君一人のために大事な口紅を失う訳にはいかない。奴隷として身の処し方を自分で考えてくれ」
 エルの身体が小刻みに震え、それが羽交い締めしている僕の腕に伝わった。甘井は自分が助かるためにエルを切り捨てようとしてる。奴隷だから、そんな理由があって言い訳がない。
「ご主人様、それはあんまりです。あたしもエル姉さまも、あれだけ尽くしてきたのに。理不尽なことでも受け容れてきたじゃないですかっ。それを――」
 あずみちゃん――男の時の名前はわからないけど――を抱きかかえながら有栖川先輩が怒鳴っていた。今の立ち位置は違えど二人は同じ境遇にあるんだ。
 でも、それがなんだって言うんだ。エルは今の自分を楽しんでるじゃないか。それに比べ僕たちは……。
「ここでエルを失うのは非常に辛いんだ。僕としても尋常ならざる心理状態なんだよ。でも、僕がいなかったら誰が人類全てを愛してあげるんだい? 僕じゃなきゃダメだろう? エルだって解ってるくれてるさ。なぁ?」
 甘井の話はまともに聞いていたらこっちの常識がおかしくなりそうだ。心なしか、エルの体温が低くなった気がした。僕は気持ちを切り替え、改めてエルの首筋に刃を押し当てた。その時。
「そんな所に当てても人なんて殺せないわよ。左から右に、頸動脈から頸動脈へ一気に刃を入れないと。こんな状況なのに生かし切れないなんて、君ってダメねぇ」
 そう言いながらエルはカッターナイフを持った僕の手をぎゅっと握り締めた。反射的に手に力を入れ武器を取られまいとした僕の行動をエルは読んでいたのか、その手を自分の首に押し当てた。ぷつっと何かが切れた気がした。エルの手が、カッターナイフごと僕の手を横に滑らせていった。
 スローモーションで噴出する真っ赤な二本の筋。相対していた甘井と有栖川先輩、そしてまだ意識のないあずみちゃんに降り注いでいく。僕にはそれが血だとは思えなかった。間欠泉のように、出たり止まったりを繰り返しながら、次第にその筋は細く短くなっていく。エルの肩越しに見える甘井は、エルの体液を浴びてうっとりした表情を見せ、有栖川先輩は、何か酷く困惑したような、驚いたような、そして悲しそうな顔になって、僕はやっと何が起こったのか解り始めていた。
「わっわっ、うあああっ!」
「あああ、エル姉さまっなんてことを!」
 有栖川先輩が駆け寄る頃には、僕は全身の力が抜けたエルを支えきれず、床に倒れ込んでいた。必死に僕じゃないと言おうとしたけれど、言葉にならなかった。
「こんな、こんなことって……ご主人様っ何とかして、血が、血が止まらない――」
「んー? いや、それだけ派手に切開してたら無駄だよ。動脈二本と気管全部ばっくりイッてるからねぇ。大体、人間は全血液の三分の一を失ったら――」
 遠目から解るのか、甘井はまた自分の世界に入って誰に説明しているのか、知識を披露していた。二人の言葉に僕もエルの首を見た。真ん中に丸い管のようなモノが見えて、両脇から血がだらだらと流れていた。その赤い色に僕は急に胃の辺りがムカムカして、四つん這いになりながら苦い胃液を吐いた。
「! 何ですか? 何が言いたいの?」
 顔が真っ白になっていくエルの、血の気の引いた唇が動いていた。気管が切れているからか、喉からひゅーひゅーとしか音が聞こえない。何を言おうとしているのか、果たして有栖川先輩には理解出来ているのか、僕には解らなかった。ただ、エルの唇が動かなくなると先輩はぎゅっと抱き締めていた。
「ああ、もうそれはエルじゃないな。ただのモノになってしまった。愛しいエル。忠実なエル。僕は君を永遠に忘れないよ。君の尊い犠牲の上に成り立つ愛だ。この身が朽ち果てようと貫き通していくよ。――では、これで」
 甘井はありもしないマントを広げるように、右手を大きく回し、そのまま背後にある扉へ走った。あっという間の出来事に、僕も有栖川先輩も対処できなかった。
「待て! 口紅置いていけえ!j
 走り出した時には、甘井は扉に隠された階段に足を掛けていた。そして僕たちがいる部屋と階段は再び扉によって隔絶されてしまっていた。
 まだ間に合う筈。甘井が出ていった階段じゃなくて、僕たちが降りてきた階段がある。急いで昇れば或いは甘井を捕まえられるかも知れない。僕は、その階段に行こうと踵を返した。横たわるエルの亡骸と夥しい血。そしてその横で座り込んでいる有栖川先輩を後目に階段へ急いだ。
「うそ?! 階段は?! さっきまでここにあったのに!」
 階段があった場所には、甘井の行く手を阻んだ扉と同じものが僕の行動を邪魔していた。半狂乱になりながら僕は扉を叩き、蹴った。でも開かない。扉の回りを注意深く探っても開く為のギミックは見つからなかった。半ば罵詈雑言を浴びせても開く気配は全くなかった。じんじんと痛む小さく細い手を見つめ、僕はこれで永久に戻れなくなった事をやっと理解していた。
「あぁ……」
 へたりと扉の前で座り込むと悔しくて悲しくてぼろぼろと涙が溢れてきた。
「鶉谷くん、ごめんなさい……わたしが……」
 いつの間にか上着をエルに被せた有栖川先輩が側に来て、僕の肩をそっと抱いた。甘いけれど落ち着ける香りが、僕の詰まった鼻をくすぐった。黒いブラウスに隠された豊満な胸に突っ伏し声を上げて鳴いてしまった。その時、頭上から甘井の声が流れて来た。

(25) 担当:"l"a Llorona

『あー、あー。テステス。僕はこれから世界中で僕の愛を広めて来るよ。オリジナルの口紅はもう無いに等しいけど、僕の英知で複製が出来てるんだ。そうだなぁ、情熱の国にでも行って来るか。そうそう、あずみ君がそろそろ起きる頃だと思う。もう少ししたら扉も開くだろう。気を付けて帰ってくれたまえ』
 顔を上げた時には静寂に包まれていた。複製が出来ているなんて、エルだって言っていなかった。
「う、ん~~……あ、あれ? あれ? 戻ってる?!」
 横たわっていたあずみちゃんだった男の子が自分の身体をぺたぺたと触りながら、顔を真っ赤にして歓喜の声を上げていた。今の閉じ込められた状況には一切気づかず、血の海に沈んでいるエルの姿も入っていなかった。
「あずみちゃん、大丈夫? 調子の悪いところはない?」
 有栖川先輩が声を掛けた。僕を抱き起こしながら。あずみちゃん、君、は、こちらを向く。その表情は先程から比べると雲泥の差だった。
「……どうしてあたし、じゃなかった僕だけ戻ってるんですか?」
 あのあずみちゃんとは到底思えないような口調。これが本来の姿なんだろうけど、僕には前のあずみちゃんしか知らない。男の子のあずみ君は、ちょっと生意気そうで勝ち気そうだった。そのまま某アイドル事務所で「Youは素質あるよ」と言われる感じがした。
「あずみ、君は、拉致されてここまで運ばれてきたんだ。それから二転三転して」
 ちらっとエルの死体に目をやった。決して焦点を合わせて見ないように。見たら、また気分が悪くなりそうだったから。
 あずみ君も僕に釣られてエルを見た。眉間に皺を寄せ、僕らとエルを交互に見、口を開いた。
「二人はどうして女のままなの?」
 拉致された時に使われた薬の影響があるのか、それとも返り血を浴びている有栖川先輩の姿に勘違いしたのか、じりじりと僕たちから遠ざかるあずみ君。扉の閉まった上階への階段入口に背中がついていた。
「エル姉さまは自分で命を絶ったの。だから……」
 有栖川先輩がそこまで言うと、金属で出来た何かが外れる音が室内に響いた。耳障りな擦過音と共に、閉じられた扉が開き始めた。
「あっ?! あずみちゃん、待ちなさい!」
 階段を駆け上がるあずみ君を追って、有栖川先輩と僕も後に続いた。けれど、流石に男と女は違う。僕ら二人が息を弾ませて一階に着いた時には、あずみ君の姿はどこにも見えなかった。

「どうでした? 僕の方は何も……」
「もう、何も残されてないわね。これ以外は」
 あずみ君が元に戻って姿を眩ましてしまった後、有栖川先輩と僕は念のため甘井邸を隈無く見て回った。甘井が何か研究の資料を残していないか、あわよくば口紅のコピーを置いていっていないか。しかし、流石にそんなものを残して置くような間抜けではなかった。
 僕たちの手には、赤い表紙のパスポートがあった。玄関にあるニッチに置かれていたそれは、ご丁寧に僕と有栖川先輩の今の姿の写真が貼られていた。
「これって、僕たちに」
 僕の頭で考えられるのは一つしかなかった。それを有栖川先輩に確認するべく言葉を発する。
「そうだと思うわ。こんなもの用意して……ホント何を考えてるんだか」
 こめかみを押さえながら溜息を吐き、ちらっとパスポートを見やる有栖川先輩。
 世界中で事を構える積もりの甘井。そして戻れない二人とパスポート。
「あなたはどうするの?」
「僕は、僕は行きますよ。こんな姿じゃ家にも帰れないんだから。先輩はどうするんですか」
 両親にも友達にも会う事なんて出来ないなら、少しでも戻るチャンスに掛けるしかないじゃないか。
「ワタシは一人でも行く気だったから。あずみちゃんが心配だったけど、元に戻ってるから大丈夫でしょう。あとは……行く前に一つだけ用を済まさないと」
 有栖川先輩は地下への階段を見た。
 何の用があるのか解らない僕は、有栖川先輩の後について歩き回った。物置にあった数個のポリタンクの匂いを嗅ぎ、それを地下まで持っていく。地下にはエルの亡骸がそのまま置かれていた。僕は胸のむかつきを感じながら、遠巻きに眺めていた。
 とぽとぽと液体をかけ、部屋全体にも撒き散らていった。
 終始無言のまま、有栖川先輩はエルが使っていたライターで火を点けると一瞬で室内に炎が広がっていった。それを確認すると残り少なくなったポリタンクを持って階段を駆け上がり、一階にも灯油を撒いていった。
「ここからが新しい始まりですね」
 業火に巻かれる甘井邸を遠目に見つつ、僕は誰に聞かせるというでもなく呟いていた。 

<おわり・とりあえず>

コメント

ま、まだ……

期待をもてなくもない終わり方で、良かったような?
ああ、でも、エルさん死んじゃってる……。
うう……。

(25)ラスト

『あー、あー。テステス。僕はこれから世界中で僕の愛を広めて来るよ。オリジナルの口紅はもう無いに等しいけど、僕の英知で複製が出来てるんだ。そうだなぁ、情熱の国にでも行って来るか。そうそう、あずみ君がそろそろ起きる頃だと思う。もう少ししたら扉も開くだろう。気を付けて帰ってくれたまえ』
 顔を上げた時には静寂に包まれていた。複製が出来ているなんて、エルだって言っていなかった。
「う、ん~~……あ、あれ? あれ? 戻ってる?!」
 横たわっていたあずみちゃんだった男の子が自分の身体をぺたぺたと触りながら、顔を真っ赤にして歓喜の声を上げていた。今の閉じ込められた状況には一切気づかず、血の海に沈んでいるエルの姿も入っていなかった。
「あずみちゃん、大丈夫? 調子の悪いところはない?」
 有栖川先輩が声を掛けた。僕を抱き起こしながら。あずみちゃん、君、は、こちらを向く。その表情は先程から比べると雲泥の差だった。
「……どうしてあたし、じゃなかった僕だけ戻ってるんですか?」
 あのあずみちゃんとは到底思えないような口調。これが本来の姿なんだろうけど、僕には前のあずみちゃんしか知らない。男の子のあずみ君は、ちょっと生意気そうで勝ち気そうだった。そのまま某アイドル事務所で「Youは素質あるよ」と言われる感じがした。
「あずみ、君は、拉致されてここまで運ばれてきたんだ。それから二転三転して」
 ちらっとエルの死体に目をやった。決して焦点を合わせて見ないように。見たら、また気分が悪くなりそうだったから。
 あずみ君も僕に釣られてエルを見た。眉間に皺を寄せ、僕らとエルを交互に見、口を開いた。
「二人はどうして女のままなの?」
 拉致された時に使われた薬の影響があるのか、それとも返り血を浴びている有栖川先輩の姿に勘違いしたのか、じりじりと僕たちから遠ざかるあずみ君。扉の閉まった上階への階段入口に背中がついていた。
「エル姉さまは自分で命を絶ったの。だから……」
 有栖川先輩がそこまで言うと、金属で出来た何かが外れる音が室内に響いた。耳障りな擦過音と共に、閉じられた扉が開き始めた。
「あっ?! あずみちゃん、待ちなさい!」
 階段を駆け上がるあずみ君を追って、有栖川先輩と僕も後に続いた。けれど、流石に男と女は違う。僕ら二人が息を弾ませて一階に着いた時には、あずみ君の姿はどこにも見えなかった。

「どうでした? 僕の方は何も……」
「もう、何も残されてないわね。これ以外は」
 あずみ君が元に戻って姿を眩ましてしまった後、有栖川先輩と僕は念のため甘井邸を隈無く見て回った。甘井が何か研究の資料を残していないか、あわよくば口紅のコピーを置いていっていないか。しかし、流石にそんなものを残して置くような間抜けではなかった。
 僕たちの手には、赤い表紙のパスポートがあった。玄関にあるニッチに置かれていたそれは、ご丁寧に僕と有栖川先輩の今の姿の写真が貼られていた。
「これって、僕たちに」
 僕の頭で考えられるのは一つしかなかった。それを有栖川先輩に確認するべく言葉を発する。
「そうだと思うわ。こんなもの用意して……ホント何を考えてるんだか」
 こめかみを押さえながら溜息を吐き、ちらっとパスポートを見やる有栖川先輩。
 世界中で事を構える積もりの甘井。そして戻れない二人とパスポート。
「あなたはどうするの?」
「僕は、僕は行きますよ。こんな姿じゃ家にも帰れないんだから。先輩はどうするんですか」
 両親にも友達にも会う事なんて出来ないなら、少しでも戻るチャンスに掛けるしかないじゃないか。
「ワタシは一人でも行く気だったから。あずみちゃんが心配だったけど、元に戻ってるから大丈夫でしょう。あとは……行く前に一つだけ用を済まさないと」
 有栖川先輩は地下への階段を見た。
 何の用があるのか解らない僕は、有栖川先輩の後について歩き回った。物置にあった数個のポリタンクの匂いを嗅ぎ、それを地下まで持っていく。地下にはエルの亡骸がそのまま置かれていた。僕は胸のむかつきを感じながら、遠巻きに眺めていた。
 とぽとぽと液体をかけ、部屋全体にも撒き散らていった。
 終始無言のまま、有栖川先輩はエルが使っていたライターで火を点けると一瞬で室内に炎が広がっていった。それを確認すると残り少なくなったポリタンクを持って階段を駆け上がり、一階にも灯油を撒いていった。
「ここからが新しい始まりですね」
 業火に巻かれる甘井邸を遠目に見つつ、僕は誰に聞かせるというでもなく呟いていた。 
<おわり・とりあえず>

(24)

 情感たっぷりに語り始めた甘井に、エルも有栖川先輩も顔を顰めた。
「――で、蛇を蹴った途端、僕の手にこの口紅が握られていた、という訳なんだ。どうだね、すごい話だろう?」
「……ご主人様、誰も信じてませんよ、その話」
 溜息を吐き、こめかみを押さえながら有栖川先輩がつぶやいた。実際、そんな与太話が信じられる訳もない。苦笑いを浮かべつつ甘井を見つめるエルに、僕はゆっくりと近づいた。
「これが元に戻る為に必要なものであることは疑いようがないんだよ。有栖川君、ちょっと来たまえ」
 先程の戯けるような声色から、命令口調へと変化させた甘井。周囲はそれだけで緊張が走っていた。それだけ僕たちは甘井に精神的にも支配されているんだろうか。イヤな汗が胸の谷間を流れ、ブラの下端に沁みていた。
 有栖川先輩が吸い寄せられるように移動して、その細いウェストを甘井に抱きかかえられた。
 どうして有栖川先輩は抵抗しないんだ? なぜなすがままに? そんな疑問も「男に戻れる」と思うと吹き飛んでしまっていた。ドキドキしながら、甘井が起こす次の行動を注視していた。
「さて、ちょっと助手をしてくれないかな。この娘を抱きかかえていて欲しいんだ」
 視線の先にはあずみちゃんがいる。意識の無いあずみちゃんを戻す位なら、僕を戻せばいいのに。そうすれば有栖川先輩の手を借りなくても……はっ、僕はなんて事を……。みんな甘井とエルの犠牲者なのに。
 自分の浅ましさに激しく憤りを感じてしまい、僕はポケットから後ろ手に隠していた武器を強く握っていた。
 有栖川先輩は何も言わず、静かにあずみちゃんの側に座り抱き起こした。そこに口紅を取り出した甘井も跪く。
 ここにいる誰しもが、甘井以外は全員、あの口紅で本当に戻れるのか疑いを持っている。そう、エルでさえ、その食い入るような眼差しが、それを物語っていた。
 口紅のキャップが外され、くるくると本体を回すとピンクの口紅が現れた。それを甘井は無造作にあずみちゃんの下唇に塗った。
 何の変化も見せないあずみちゃんの側から、甘井が立ち上がった。
「……変化、しない……」
 僕がつぶやくと、甘井が僕の方を向いた。喜悦満面で。
「そう思うのは浅はかだね。有栖川君。このコの股間に触れてごらん」
 有栖川先輩が気を失っているあずみちゃんの股間に、おずおずと触れた。と、熱いものに触った時のように直ぐに手を遠ざけた。自分の手の感触に驚いたのか、有栖川先輩は手と甘井の顔を交互に見比べていた。
「――あ、る。無かったのに……」
「いやだな、有栖川君まで疑っていたのかい。僕は本当の事しか言わないんだがなあ」
 僕たちの事を騙して、自由を奪うくせにウソを言わないなんてよく言えると思う。苦々しく思いながら、当然あるべき疑問をぶつけていた。
「む、胸がまだあるじゃないか。たとえ変わったとしても中途半端なんてもっとイヤだ」
「ふふ、この口紅はね、上唇に塗れば上半身が、下唇に塗れば下半身が変化するんだよ。だからこうすると――」
 ほくそ笑みながらあずみちゃんの上唇に口紅を塗った。すると下半身とは違って劇的な変化が起こった。長い髪はするすると短くなり、盛り上がりを見せていた胸は萎んでいく。そしてあずみちゃんの顔は、少女のそれから少年の顔へと変化していた。その様子を僕は固唾を飲みながら観察するしかなかった。
「と、こういう訳だ。解ったかな? さて、これを欲しいと言っていたけど、僕が渡すと思うかい?」
 甘井はそう言うと、スーツのポケットへ口紅を滑り込ませてしまった。この機を逃したら僕は永遠に女の姿のまま。そんなのイヤだ。渡す気がないなら渡そうと思わせなければ。
「鶉谷君?!」
 有栖川先輩が叫んだ。
 僕は、それまで何故か黙って成り行きを見ていたエルに飛びかかり後ろから羽交い締めにした。そして、手に持っていた武器を、カッターナイフをエルの首筋に突きつけた。
「口紅を先輩に渡すんだっ。さもないと、エルを――」
「わたしをどうするの? 首を切って殺すっていうの? 君みたいなコにそんなことできる訳ないわね」
 僕を挑発するようにエルが囁く。今この場で優位に立っている筈の僕を差し置いて、余裕綽々の態度を見せる。これまでのエルの非道な振る舞いとその態度が相まって、僕を苛立たせた。
「う、うるさい! 甘井! 早く渡すんだっ。切るぞ!」
「鶉谷君、やめなさい。そんなことしちゃダメよ」
 斜めにしていた刃をエルの喉と直角にし押しつけた。ぴくっとエルの身体が震えた。
「実はかなり実験を繰り返してもう二人分くらいしか残ってないんだよ。渡した後、鶉谷君はどうするんだ? 自分だけ元に戻るのかな? あずみに使うとき、かなり睨んでいたけど」
 甘井に見透かされた、僕の汚い心を。それを振り払う為に、僕の考えた事を消し去ろうと「怒り」を爆発させた。
「そんなこと関係ないだろっ?! 渡せっ、早く、早く!」
 力が入ったのか、エルの首筋からつーっと血が流れた。
「センセ、あまり焚き付けることを言わないで下さい。こういうコは何をするか――」 
「うーん、エル、諦めてくれ」
 有栖川先輩も僕も、そしてエルも、甘井の真意を量りかねていた。普通、こんな時は「エルを放せ、こんなものはくれてやる」くらい言うんじゃないのか?
「僕は全人類を愛さなくちゃいけないんだよ、この口紅を使って。ここで留まることは許されないんだ。君一人のために大事な口紅を失う訳にはいかない。奴隷として身の処し方を自分で考えてくれ」
 エルの身体が小刻みに震え、それが羽交い締めしている僕の腕に伝わった。甘井は自分が助かるためにエルを切り捨てようとしてる。奴隷だから、そんな理由があって言い訳がない。
「ご主人様、それはあんまりです。あたしもエル姉さまも、あれだけ尽くしてきたのに。理不尽なことでも受け容れてきたじゃないですかっ。それを――」
 あずみちゃん――男の時の名前はわからないけど――を抱きかかえながら有栖川先輩が怒鳴っていた。今の立ち位置は違えど二人は同じ境遇にあるんだ。
 でも、それがなんだって言うんだ。エルは今の自分を楽しんでるじゃないか。それに比べ僕たちは……。
「ここでエルを失うのは非常に辛いんだ。僕としても尋常ならざる心理状態なんだよ。でも、僕がいなかったら誰が人類全てを愛してあげるんだい? 僕じゃなきゃダメだろう? エルだって解ってるくれてるさ。なぁ?」
 甘井の話はまともに聞いていたらこっちの常識がおかしくなりそうだ。心なしか、エルの体温が低くなった気がした。僕は気持ちを切り替え、改めてエルの首筋に刃を押し当てた。その時。
「そんな所に当てても人なんて殺せないわよ。左から右に、頸動脈から頸動脈へ一気に刃を入れないと。こんな状況なのに生かし切れないなんて、君ってダメねぇ」
 そう言いながらエルはカッターナイフを持った僕の手をぎゅっと握り締めた。反射的に手に力を入れ武器を取られまいとした僕の行動をエルは読んでいたのか、その手を自分の首に押し当てた。ぷつっと何かが切れた気がした。エルの手が、カッターナイフごと僕の手を横に滑らせていった。
 スローモーションで噴出する真っ赤な二本の筋。相対していた甘井と有栖川先輩、そしてまだ意識のないあずみちゃんに降り注いでいく。僕にはそれが血だとは思えなかった。間欠泉のように、出たり止まったりを繰り返しながら、次第にその筋は細く短くなっていく。エルの肩越しに見える甘井は、エルの体液を浴びてうっとりした表情を見せ、有栖川先輩は、何か酷く困惑したような、驚いたような、そして悲しそうな顔になって、僕はやっと何が起こったのか解り始めていた。
「わっわっ、うあああっ!」
「あああ、エル姉さまっなんてことを!」
 有栖川先輩が駆け寄る頃には、僕は全身の力が抜けたエルを支えきれず、床に倒れ込んでいた。必死に僕じゃないと言おうとしたけれど、言葉にならなかった。
「こんな、こんなことって……ご主人様っ何とかして、血が、血が止まらない――」
「んー? いや、それだけ派手に切開してたら無駄だよ。動脈二本と気管全部ばっくりイッてるからねぇ。大体、人間は全血液の三分の一を失ったら――」
 遠目から解るのか、甘井はまた自分の世界に入って誰に説明しているのか、知識を披露していた。二人の言葉に僕もエルの首を見た。真ん中に丸い管のようなモノが見えて、両脇から血がだらだらと流れていた。その赤い色に僕は急に胃の辺りがムカムカして、四つん這いになりながら苦い胃液を吐いた。
「! 何ですか? 何が言いたいの?」
 顔が真っ白になっていくエルの、血の気の引いた唇が動いていた。気管が切れているからか、喉からひゅーひゅーとしか音が聞こえない。何を言おうとしているのか、果たして有栖川先輩には理解出来ているのか、僕には解らなかった。ただ、エルの唇が動かなくなると先輩はぎゅっと抱き締めていた。
「ああ、もうそれはエルじゃないな。ただのモノになってしまった。愛しいエル。忠実なエル。僕は君を永遠に忘れないよ。君の尊い犠牲の上に成り立つ愛だ。この身が朽ち果てようと貫き通していくよ。――では、これで」
 甘井はありもしないマントを広げるように、右手を大きく回し、そのまま背後にある扉へ走った。あっという間の出来事に、僕も有栖川先輩も対処できなかった。
「待て! 口紅置いていけえ!j
 走り出した時には、甘井は扉に隠された階段に足を掛けていた。そして僕たちがいる部屋と階段は再び扉によって隔絶されてしまっていた。
 まだ間に合う筈。甘井が出ていった階段じゃなくて、僕たちが降りてきた階段がある。急いで昇れば或いは甘井を捕まえられるかも知れない。僕は、その階段に以降と踵を返した。横たわるエルの亡骸と夥しい血。そしてその横で座り込んでいる有栖川先輩を後目に階段へ急いだ。
「うそ?! 階段は?! さっきまでここにあったのに!」
 階段があった場所には、甘井の行く手を阻んだ扉と同じものが僕の行動を邪魔していた。半狂乱になりながら僕は扉を叩き、蹴った。でも開かない。扉の回りを注意深く探っても開く為のギミックは見つからなかった。半ば罵詈雑言を浴びせても開く気配は全くなかった。じんじんと痛む小さく細い手を見つめ、僕はこれで永久に戻れなくなった事をやっと理解していた。
「あぁ……」
 へたりと扉の前で座り込むと悔しくて悲しくてぼろぼろと涙が溢れてきた。
「鶉谷くん、ごめんなさい……わたしが……」
 いつの間にか上着をエルに被せた有栖川先輩が側に来て、僕の肩をそっと抱いた。甘いけれど落ち着ける香りが、僕の詰まった鼻をくすぐった。黒いブラウスに隠された豊満な胸に突っ伏し声を上げて鳴いてしまった。その時、頭上から甘井の声が流れて来た。

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