Latest Entries
「カストラート」 (そんな、おままごとみたいな……Noch einmal) (20) 作.ありす 挿絵.東宮由依
第19幕 交渉
その翌日、あての無い旅支度をのろのろとしていると、ハルが尋ねてきた。
「ファリンがカールから、これを渡して欲しいと預かってきたそうだ」
「何? 手紙?」
教区と書簡をやり取りする時に使う、装飾の入った封筒の中からは、教会の印が押された紙が出てきた。
謹啓
ノイエ・ヴァシュタール教区長 兄
私、カール・K・アインテッセは司祭職を降階し、
還俗することを、神にお許し願いたい。
後継の司祭には、
現デルリン村臨時助祭
コンスタンツェ・C・シュタインベルガー
を推薦するものなり。
謹白
デルリン村司祭 カール・K・アインテッセ 弟拝
「どういうこと? クララが司祭を辞めるって。それに、母様はもうとっくに亡くなっているわ」
「カールには……、司祭には妻帯が許されないそうだ。だから司祭を辞めて、代わりに君を司祭に推薦するという書簡だ。コンスタンツェ・C・シュタインベルガーというのは、君のお母さんの名前ではなくて、君が司祭として洗礼を受けるのに必要な、新しい名前だ」
「意味がわからないわ。司祭だって結婚できるって言ったのはクララだし、それがダメなら、私が司祭になんかなっても同じじゃない。それに世襲でも無いのに、女の私が司祭になんか、なれるわけないじゃない!」
「純潔を守っている女性なら、推薦を受けて司祭になれるそうだ」
「何それ? バカにしてるわ! で、今度は私を永久にあの教会に縛り付けておくってこと? そんなことで、クララは私をこの村に閉じ込めておこうって言うの?!」
「君と結ばれる為には、そうするしかないそうだ」
「……そう、良くわかったわ。クララに伝えて頂戴。“あなたの思い通りになんかならない”って」
「ちょっと待ってくれ! まだ説明は終わっていない、カールの意図は君を自分勝手に縛り付けようなんてところには無い」
「じゃあ何?」
「こういうことらしい、カールが司祭を降りて君が代わりに司祭になれば、カールは還俗したことになり、結婚することができる。君が司祭になったとしても、女性だから結婚は可能だ。“クララ”が司祭でも結婚できるといったのは、そういうことだったのだそうだ」
「それで?」
「君がカールと結婚すればその夫、つまりカールは再び司祭になる。女性の司祭が結婚した場合、その夫が代わりに司祭になるというのが、教区の決まりごとなんだそうだよ」
「つまり、自由になった“カール”は誰とでも結婚できるのね。例えば、エルダとも」
「クノ、僕は君をからかいにきたわけじゃないよ」
「……クララは、いつから知っていたの?」
「ごめん、そこまでは僕も聞いていない」
「そう……」
「クノ、これだけは信じて欲しいんだ、カールは、」
「もういいの! 私……。ありがとう、ハル。面倒かけたね。ファリンにも伝えて。“もういいから”って」
「クノ……」
私は黙ったまま、意味も無く持っていた袋の中身を一つずつ出しては確かめ、また袋に戻した。
「……また明日、出直してくるよ」
*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*
そして翌日の昼頃、ハルが再び私の家にやってきた。
手には1枚の紙を持っていた。
「手に入れるのには苦労した。これをクノに買ってもらいたいんだ」
そういって懐から取り出したのは、村役場においてある、婚姻申請書だった。
クララのサインも済ませてあった。
いまさらこんなものを持ち出して何の意味があるんだろう?
「何これ? ただの紙きれじゃない」
「クノ。僕達は商人だよ。契約書は絶対だ。何があっても守らなくてはならないものなんだ。婚姻申請書だって同じことだよ。クララは本心から君との結婚を望んでいる」
「へぇ? それで、私はハルにいくら払えばいいの?」
「お金には換算できないだろう。君には、ファリンのために、例の薬を手に入れる交渉をお願いしたい」
「イヤだって、言ったら? それに、クララが私の言うことなんか聞くかしら?」
「この婚姻申請書に君がサインをしてくれるのなら、という条件付で交渉に応じるそうだ」
「信じられないわ」
「僕がクノの損になるような取引を、持ちかけると思うかい?」
「……思わないわ」
私は考えた。婚姻申請書は私がサインしたところで、村役場の印がなければただの紙切れに過ぎない。
つまり、あの紙はもう一度村役場に戻されて、決済を受けなければならない。
その時私が取り戻して、破り捨ててしまうことは簡単だ。“不受理”の印を押したっていい。
「その申請書に、サインすればいいのね?」
「ああ」
たかがこんな紙切れ1枚で仲直りできるとは思えないし、そんな気もなかった。
だがこれは、あの薬を手に入れる、チャンスかもしれない。
ファリンのためにも、私のためにも……。
「クノ、何を考えているんだい?」
「別に……」
ハルは私の顔をじっと見つめたまま、視線をそらそうとはしなかった。
私は下を向いてずっと黙っていたけど、ハルにだけは私の不安と胸の内を理解して欲しかった。
「……私ね、ずっと不安だった。こんな体になってしまって、今まで一人で出来ていたことも出来なくなってしまって。クララやヘルマに毎日『もっと女の子らしく』って言われ続けて……。だからもし、クララに見放されてしまったらどうしようって、いつも思ってた」
「クノ……」
「ううん、クララはそんなことしないって、そう信じてたけど。だけど、クララは司祭だから……。例え誰であろうと、困っている人がいたら手を差し伸べなくちゃいけなくて……だけど、それじゃ嫌だったの。クララの特別だって、そう思い続けたかった。だから私は覚悟を決めて、もう男だったことは忘れて、クララの妻になれるようにって努力した。でも多分それは無理だったんだろうと思う。だってそれは私が私ではなくなってしまうって事だもの。だから、どうしても言って欲しかった。“今のままでもいいよ、愛してるよ”って。だけど、クララはそんなこと一言も言ってくれなくて……。それに、あんな大切なこと、どうして私にちゃんと打ち明けてくれなかったのかしら。私と結婚したいのなら、それは私の問題でもあるわ。でも、クララは何も言ってくれなかった。だから、もう駄目だって思った」
「言葉だけが、気持ちを伝える手段じゃないよ……と言っても、説得力はなさそうだね」
「神様に“嘘はつかない”って誓いを立てた司祭の言葉なら、どんなに意地悪されても、そっけなくされても、私、信じることが出来たと思うの。でも判った。クララは司祭である限り、もう言ってはくれないのね」
「クノは、カールに“愛している”って言ったのかい?」
「ううん、言えなかった。だって、もしそれでクララが応えてくれなかったら……。神様を引き合いに出されたり、キスだけで誤魔化されたら、多分私、ずっとクララのこと、信じられなくなっちゃう」
「それで、どうするんだい? 君は本当にカールとは別れるつもりなのかい?」
「ごめんね、ハル。私は覚悟を決めたの。だからもう、私のすることを黙って見ていて」
「……解った。でも僕達との契約は履行してもらうよ。明日、僕達とカールに会ってくれるね?」
「ええ、いいわ」
私はハルとファリンと共に、クララに会うことにした。
*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*
交渉の場は教会の礼拝堂。
わざわざこんなところを指定してくるなんて、神の前でうそはつけないということらしいけど、クララやファリンはともかく、私は臨時の司祭代理だから、そんなこと関係ない。
「私はハル達と取引をしたの。それはクララもわかっているよね?」
「ああ」
私の顔を見もせずに、ぶっきらぼうに答えるクララ。本当に仲直りする気がある人の態度とは思えない。
「じゃあ、例の薬のことも、わかっているよね?」
「あの薬のことは、まだよくわかっていない。僕とクノは偶然にも口にしてこんな姿になったけど、実のところは手に余る代物だ。危険が伴う」
「でも、このままじゃ、ファリンは」
「それに、これは神の教えにも反することだ。司祭としては許可できない」
「ファリンとハルが不幸になるということが、わかっていたとしても?」
「ファリンはどうなんだ? 本当にあの薬を飲みたいと思っているのかい? その声を失うとしても?」
「はい……」
「どういう結果になろうと、元に戻る事はできないよ」
「私、クノさんとカールさんを見ていて、思ったんです。自分の本当の気持ちを言わなければ、不幸になるだけだって。自分の人生は、自分の手で切り開いていかないと、いけないんだと思います。だから私言います。クノさんたちが飲んだという薬を、私にもください。私、ハルさんとずっと一緒にいたい。お願いします」
そういってファリンは、クララに深々と頭を下げた。ハルも一緒になって頭を下げている。
「クララ、私からも頼むわ。ハルとファリンには幸せになってもらいたい。だから二人のために、あの薬を出してあげて」
私もクララに頭を下げた。
「駄目だといったら?」
「この紙は何かしら?」
私は例の婚姻申請書を出した。
「仕方ないね……」
「ありがとう、クララ」
これで、私のとるべき道も定まった。
隙を見てクララからあの薬を奪いとって、ファリンと二人で分ける。
そして私は直ちに村を出る。その後のことは、その場で考えよう。
そしてこれからは、自分一人の力で生きていかなきゃならないんだ。
「でも、ひとつだけ条件がある。僕の頼みも聞いてくれるのなら、薬を使ってもいい」
クララが私を見つめた。ファリンたちも不安そうに私たちを窺う。
「私に?」
「そう。クノには自分が女の子であることを認めて欲しい。君は男だった自分を失うことを、いつも怖がっている。でももう認めて欲しいんだ。僕はもう女だった頃の自分には戻れない。新しく生まれ変わった自分を認めてしまったからだ。だからクノにも、僕と同じように、生まれ変わった自分を認めて欲しいんだ」
「過去の、今までの私を否定しろってこと……?」
「違う。過去は過去として、今のキミ自身を認めて欲しいんだ」
「今の……私?」
「僕のために、僕の理想の女性に……いや、違う。そうじゃない」
クララは、私をさっと抱き上げてテーブルの上に座らせ、目線を合わせた。
「我侭な僕を赦してくれる、この世でたった一人の女性になって欲しい」
クララの気迫のこもった真剣な態度に、私は圧倒されていた。
「喜び、悲しみ。希望、絶望。出会うもの、別れるもの。越し方、行く末。諸々の全ては、我と君と彼と彼方とともに……」
聖典にある、神と世界と人々を結びつける言葉だ。
司祭であるクララの、クララなりの全てを分かち合い、共にこの世にありたいという真剣な気持ち……。
クララは自分に向けて指で空を切ってから、じっとしたままの私を抱き寄せて、長い長いキスをした。
私はなぜだかわからないけど、自然に涙がこぼれてきた。
嬉しかったのか、悲しかったのか、よくわからなかった。
さっきまでのクララへの怒りも、あの薬を手に入れた後にしようと考えていたことも全部、唇に封じられてしまった。
でも私は、この人の妻になるんだと、それだけは確信していた。
抱きしめられた腕の中が、自分の居場所なんだと、そう思った。
だから、クララがポケットからローゼンシルバニウムの指輪を取り出したとき、私は黙って左手を差し出した。
私の手に指輪をはめると、クララは私のことをもう一度抱き寄せ、耳元で私が一番言って欲しかったことを言ってくれた。
「ばか……」
「薬を取ってくるよ」
照れ隠しのように言うクララの顔はまっ赤だった。多分、私も。
ぱたんと部屋の戸が閉じられると、ファリンが私のそばに駆け寄ってきて、私の手を握った。
「私、とっても感動しました。あんなに真剣なプロポーズなんて、まるで物語みたいでしたよ」
「大げさだよ、ファリン」
「いいえ! 私、目の前で見ていても、あんな感動的な場面に立ち会えたなんて、信じられません。神に仕える司祭がその立場を超えて、一人の女性に真剣な愛を誓ったんですよ!」
「実感、わかないけど」
「いいえ! クノさん、本当にカールさんの気持ち、わかりました?」
「うん、なんとなく……ファリンの言いたいこともわかるよ。司祭は村で一番神に近い立場だから。村人の悩みを聞き、何かを助言することはあっても、自分の悩みは、誰にも打ち明けられない。だから、誰にも自分のわがままが言えない」
「そうです。だけど唯一それが出来る人を、たったひとりだけ求めたということですよ」
「それが、私……」
私は左手の指に嵌められた指輪を撫でた。
<つづく>
その翌日、あての無い旅支度をのろのろとしていると、ハルが尋ねてきた。
「ファリンがカールから、これを渡して欲しいと預かってきたそうだ」
「何? 手紙?」
教区と書簡をやり取りする時に使う、装飾の入った封筒の中からは、教会の印が押された紙が出てきた。
謹啓
ノイエ・ヴァシュタール教区長 兄
私、カール・K・アインテッセは司祭職を降階し、
還俗することを、神にお許し願いたい。
後継の司祭には、
現デルリン村臨時助祭
コンスタンツェ・C・シュタインベルガー
を推薦するものなり。
謹白
デルリン村司祭 カール・K・アインテッセ 弟拝
「どういうこと? クララが司祭を辞めるって。それに、母様はもうとっくに亡くなっているわ」
「カールには……、司祭には妻帯が許されないそうだ。だから司祭を辞めて、代わりに君を司祭に推薦するという書簡だ。コンスタンツェ・C・シュタインベルガーというのは、君のお母さんの名前ではなくて、君が司祭として洗礼を受けるのに必要な、新しい名前だ」
「意味がわからないわ。司祭だって結婚できるって言ったのはクララだし、それがダメなら、私が司祭になんかなっても同じじゃない。それに世襲でも無いのに、女の私が司祭になんか、なれるわけないじゃない!」
「純潔を守っている女性なら、推薦を受けて司祭になれるそうだ」
「何それ? バカにしてるわ! で、今度は私を永久にあの教会に縛り付けておくってこと? そんなことで、クララは私をこの村に閉じ込めておこうって言うの?!」
「君と結ばれる為には、そうするしかないそうだ」
「……そう、良くわかったわ。クララに伝えて頂戴。“あなたの思い通りになんかならない”って」
「ちょっと待ってくれ! まだ説明は終わっていない、カールの意図は君を自分勝手に縛り付けようなんてところには無い」
「じゃあ何?」
「こういうことらしい、カールが司祭を降りて君が代わりに司祭になれば、カールは還俗したことになり、結婚することができる。君が司祭になったとしても、女性だから結婚は可能だ。“クララ”が司祭でも結婚できるといったのは、そういうことだったのだそうだ」
「それで?」
「君がカールと結婚すればその夫、つまりカールは再び司祭になる。女性の司祭が結婚した場合、その夫が代わりに司祭になるというのが、教区の決まりごとなんだそうだよ」
「つまり、自由になった“カール”は誰とでも結婚できるのね。例えば、エルダとも」
「クノ、僕は君をからかいにきたわけじゃないよ」
「……クララは、いつから知っていたの?」
「ごめん、そこまでは僕も聞いていない」
「そう……」
「クノ、これだけは信じて欲しいんだ、カールは、」
「もういいの! 私……。ありがとう、ハル。面倒かけたね。ファリンにも伝えて。“もういいから”って」
「クノ……」
私は黙ったまま、意味も無く持っていた袋の中身を一つずつ出しては確かめ、また袋に戻した。
「……また明日、出直してくるよ」
*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*
そして翌日の昼頃、ハルが再び私の家にやってきた。
手には1枚の紙を持っていた。
「手に入れるのには苦労した。これをクノに買ってもらいたいんだ」
そういって懐から取り出したのは、村役場においてある、婚姻申請書だった。
クララのサインも済ませてあった。
いまさらこんなものを持ち出して何の意味があるんだろう?
「何これ? ただの紙きれじゃない」
「クノ。僕達は商人だよ。契約書は絶対だ。何があっても守らなくてはならないものなんだ。婚姻申請書だって同じことだよ。クララは本心から君との結婚を望んでいる」
「へぇ? それで、私はハルにいくら払えばいいの?」
「お金には換算できないだろう。君には、ファリンのために、例の薬を手に入れる交渉をお願いしたい」
「イヤだって、言ったら? それに、クララが私の言うことなんか聞くかしら?」
「この婚姻申請書に君がサインをしてくれるのなら、という条件付で交渉に応じるそうだ」
「信じられないわ」
「僕がクノの損になるような取引を、持ちかけると思うかい?」
「……思わないわ」
私は考えた。婚姻申請書は私がサインしたところで、村役場の印がなければただの紙切れに過ぎない。
つまり、あの紙はもう一度村役場に戻されて、決済を受けなければならない。
その時私が取り戻して、破り捨ててしまうことは簡単だ。“不受理”の印を押したっていい。
「その申請書に、サインすればいいのね?」
「ああ」
たかがこんな紙切れ1枚で仲直りできるとは思えないし、そんな気もなかった。
だがこれは、あの薬を手に入れる、チャンスかもしれない。
ファリンのためにも、私のためにも……。
「クノ、何を考えているんだい?」
「別に……」
ハルは私の顔をじっと見つめたまま、視線をそらそうとはしなかった。
私は下を向いてずっと黙っていたけど、ハルにだけは私の不安と胸の内を理解して欲しかった。
「……私ね、ずっと不安だった。こんな体になってしまって、今まで一人で出来ていたことも出来なくなってしまって。クララやヘルマに毎日『もっと女の子らしく』って言われ続けて……。だからもし、クララに見放されてしまったらどうしようって、いつも思ってた」
「クノ……」
「ううん、クララはそんなことしないって、そう信じてたけど。だけど、クララは司祭だから……。例え誰であろうと、困っている人がいたら手を差し伸べなくちゃいけなくて……だけど、それじゃ嫌だったの。クララの特別だって、そう思い続けたかった。だから私は覚悟を決めて、もう男だったことは忘れて、クララの妻になれるようにって努力した。でも多分それは無理だったんだろうと思う。だってそれは私が私ではなくなってしまうって事だもの。だから、どうしても言って欲しかった。“今のままでもいいよ、愛してるよ”って。だけど、クララはそんなこと一言も言ってくれなくて……。それに、あんな大切なこと、どうして私にちゃんと打ち明けてくれなかったのかしら。私と結婚したいのなら、それは私の問題でもあるわ。でも、クララは何も言ってくれなかった。だから、もう駄目だって思った」
「言葉だけが、気持ちを伝える手段じゃないよ……と言っても、説得力はなさそうだね」
「神様に“嘘はつかない”って誓いを立てた司祭の言葉なら、どんなに意地悪されても、そっけなくされても、私、信じることが出来たと思うの。でも判った。クララは司祭である限り、もう言ってはくれないのね」
「クノは、カールに“愛している”って言ったのかい?」
「ううん、言えなかった。だって、もしそれでクララが応えてくれなかったら……。神様を引き合いに出されたり、キスだけで誤魔化されたら、多分私、ずっとクララのこと、信じられなくなっちゃう」
「それで、どうするんだい? 君は本当にカールとは別れるつもりなのかい?」
「ごめんね、ハル。私は覚悟を決めたの。だからもう、私のすることを黙って見ていて」
「……解った。でも僕達との契約は履行してもらうよ。明日、僕達とカールに会ってくれるね?」
「ええ、いいわ」
私はハルとファリンと共に、クララに会うことにした。
*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*―――*
交渉の場は教会の礼拝堂。
わざわざこんなところを指定してくるなんて、神の前でうそはつけないということらしいけど、クララやファリンはともかく、私は臨時の司祭代理だから、そんなこと関係ない。
「私はハル達と取引をしたの。それはクララもわかっているよね?」
「ああ」
私の顔を見もせずに、ぶっきらぼうに答えるクララ。本当に仲直りする気がある人の態度とは思えない。
「じゃあ、例の薬のことも、わかっているよね?」
「あの薬のことは、まだよくわかっていない。僕とクノは偶然にも口にしてこんな姿になったけど、実のところは手に余る代物だ。危険が伴う」
「でも、このままじゃ、ファリンは」
「それに、これは神の教えにも反することだ。司祭としては許可できない」
「ファリンとハルが不幸になるということが、わかっていたとしても?」
「ファリンはどうなんだ? 本当にあの薬を飲みたいと思っているのかい? その声を失うとしても?」
「はい……」
「どういう結果になろうと、元に戻る事はできないよ」
「私、クノさんとカールさんを見ていて、思ったんです。自分の本当の気持ちを言わなければ、不幸になるだけだって。自分の人生は、自分の手で切り開いていかないと、いけないんだと思います。だから私言います。クノさんたちが飲んだという薬を、私にもください。私、ハルさんとずっと一緒にいたい。お願いします」
そういってファリンは、クララに深々と頭を下げた。ハルも一緒になって頭を下げている。
「クララ、私からも頼むわ。ハルとファリンには幸せになってもらいたい。だから二人のために、あの薬を出してあげて」
私もクララに頭を下げた。
「駄目だといったら?」
「この紙は何かしら?」
私は例の婚姻申請書を出した。
「仕方ないね……」
「ありがとう、クララ」
これで、私のとるべき道も定まった。
隙を見てクララからあの薬を奪いとって、ファリンと二人で分ける。
そして私は直ちに村を出る。その後のことは、その場で考えよう。
そしてこれからは、自分一人の力で生きていかなきゃならないんだ。
「でも、ひとつだけ条件がある。僕の頼みも聞いてくれるのなら、薬を使ってもいい」
クララが私を見つめた。ファリンたちも不安そうに私たちを窺う。
「私に?」
「そう。クノには自分が女の子であることを認めて欲しい。君は男だった自分を失うことを、いつも怖がっている。でももう認めて欲しいんだ。僕はもう女だった頃の自分には戻れない。新しく生まれ変わった自分を認めてしまったからだ。だからクノにも、僕と同じように、生まれ変わった自分を認めて欲しいんだ」
「過去の、今までの私を否定しろってこと……?」
「違う。過去は過去として、今のキミ自身を認めて欲しいんだ」
「今の……私?」
「僕のために、僕の理想の女性に……いや、違う。そうじゃない」
クララは、私をさっと抱き上げてテーブルの上に座らせ、目線を合わせた。
「我侭な僕を赦してくれる、この世でたった一人の女性になって欲しい」
クララの気迫のこもった真剣な態度に、私は圧倒されていた。
「喜び、悲しみ。希望、絶望。出会うもの、別れるもの。越し方、行く末。諸々の全ては、我と君と彼と彼方とともに……」
聖典にある、神と世界と人々を結びつける言葉だ。
司祭であるクララの、クララなりの全てを分かち合い、共にこの世にありたいという真剣な気持ち……。
クララは自分に向けて指で空を切ってから、じっとしたままの私を抱き寄せて、長い長いキスをした。
私はなぜだかわからないけど、自然に涙がこぼれてきた。
嬉しかったのか、悲しかったのか、よくわからなかった。
さっきまでのクララへの怒りも、あの薬を手に入れた後にしようと考えていたことも全部、唇に封じられてしまった。
でも私は、この人の妻になるんだと、それだけは確信していた。
抱きしめられた腕の中が、自分の居場所なんだと、そう思った。
だから、クララがポケットからローゼンシルバニウムの指輪を取り出したとき、私は黙って左手を差し出した。
私の手に指輪をはめると、クララは私のことをもう一度抱き寄せ、耳元で私が一番言って欲しかったことを言ってくれた。
「ばか……」
「薬を取ってくるよ」
照れ隠しのように言うクララの顔はまっ赤だった。多分、私も。
ぱたんと部屋の戸が閉じられると、ファリンが私のそばに駆け寄ってきて、私の手を握った。
「私、とっても感動しました。あんなに真剣なプロポーズなんて、まるで物語みたいでしたよ」
「大げさだよ、ファリン」
「いいえ! 私、目の前で見ていても、あんな感動的な場面に立ち会えたなんて、信じられません。神に仕える司祭がその立場を超えて、一人の女性に真剣な愛を誓ったんですよ!」
「実感、わかないけど」
「いいえ! クノさん、本当にカールさんの気持ち、わかりました?」
「うん、なんとなく……ファリンの言いたいこともわかるよ。司祭は村で一番神に近い立場だから。村人の悩みを聞き、何かを助言することはあっても、自分の悩みは、誰にも打ち明けられない。だから、誰にも自分のわがままが言えない」
「そうです。だけど唯一それが出来る人を、たったひとりだけ求めたということですよ」
「それが、私……」
私は左手の指に嵌められた指輪を撫でた。
<つづく>
コメント
コメントの投稿
トラックバック
http://okashi.blog6.fc2.com/tb.php/4992-83f60f57






